水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

金環食

2012年05月21日 | 日々のあれこれ

 試験三日目は開始を1時間遅らせて、金環食を見やすくした。
 教員は通常どおりの勤務だが、7時過ぎに学校につくと、いつもその時間に来てない人もけっこう来てて、体育館と校舎の間にアウトドア用のイスを置いている方までいる。
 みんなメガネ用意してるし。どんだけ盛り上がっているのかと思いながら、自分もZOFFでもらった観測用のメガネを取り出した。どちらかというとこれがほしくてZOFFで黒縁眼鏡一つ作ってしまった。
 太陽がかけるにつれて暗くなっていくのが、なんかすごい。
 7時半過ぎには、ほんとに絵に描いたようにリングができあがる。
 チャリではやばやと登校して、渡り廊下で観測している生徒諸君が拍手をしている。
 あとで知ったが、雲がかかって数秒しか見えなかったところも多かったようだ。
 埼玉県はずいぶん恵まれた。人生最初で最後の体験ができてよかった。

 先週出かけた劇団子「恋するロビンソン」は、「かぐや姫の里」と呼ばれる日本の一地方を舞台にしたお芝居だった。
 その山里には古くからかぐや姫伝説が言い伝えられ、観光資源にもなっていたが、今は観光客も減り、過疎化もすすんでいる。
 その村に、数年前にある製薬会社の研究所が建設された。
 その研究所から流れる排水への違和感や、薬の治験にためそこに寝泊まりする人たちの奇行を目にしたりし、村人は不審の念をいだきながらも、村の税収にはかえられないと目をつむっている。
 あるとき、治験に来ている若者の一人が、かぐや姫をほんとうに見たと騒ぎ出す。
 一方、40年前にその村を訪れていたある旅の一座の様子が描かれる。
 一座を離れて自由になりたい、都会暮らしをしたいと言う若い男の役者さん。
 座の一番人気の女優さんと恋におちている。
 二人は一緒に逃げようとするが、女優さんは世話になった親方一座を捨てるわけにはいかないと悩む。
 そんなとき、一座に起こった悲劇。
 過去と現在が一つにつながる最後のシーンでは、空にうかびあがった金環食のリングが重要な役割を果たしていた。
 二時間のお芝居を3本かけるぐらいの内容を、笑いをとりながら感動的にまとめていくのは、さすが劇団子さんだと感じた。

 数十年に一度しかない金環食。
 たまたま太陽と月とが見た目が同じくらいに見える距離感のところに、たまたま生命体が存在してて、観測メガネを手にしてきゃあきゃあ言っている。
 これほどの奇跡は、よく考えるとあり得ないことのような気がする。

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渦中

2012年05月20日 | 日々のあれこれ

 先日、担当する川越市内の中学校訪問を一気に終えた帰り、さすがに一呼吸置こうとマクドに寄った。
 平日の夕方は勉強している中高生、自分のようなおじさん、そしてお母さんと小さな子ども連れ。
 出入り口に近いテーブル席そばにそんな親子連れ二組。
 少々騒がしそうに見えたが、その隣は自分の定位置なのでいつも通り座る。
 「ちょっとぉ、はねないの」
 「なんで、そうやってくっつくの」
 「けんかになるでしょ」
 「言うこと聞かないなら帰るよ」
 お母さん方は大変そうだが、見てる分にはちょっとかわいかった。
 三つくらい? 目を離せない時期だ。
 「あ~あ、家で一人でぼおっとしたい」「そうよねぇ」とお母さんたち。
 気持ちはわかる。
 つい「大変ですね、でも気がつくとあっというまですよ。すぐに、学校だ、バイトだ、友達と遊ぶとか言って、べたべたしたくてもできなくなりますよ」と声をかけそうになった。
 もしそう言われたとしても、なるほどそうかとは多分思わないだろう。
 そんな時がいつか必ず来ると思っても、想像はしにくい。
 渦中にいる人にとって、将来の自分の姿は闇の中だ。何事も。
 部活も勉強も同じで、だから、見通しを示してあげて、示してあげなくてもやるべきことを教えてあげる存在が必要なのだろう。
 でも渦中にいてもがき苦しむのが正しい姿だとも思う。
 一生懸命やっていればいるほど、先々まで見通せるなんてことはない。
 その時点で見通せる将来は逆にスケールが小さいものでもありがちだ。
 渦中にいて、その時々の自分に苦しんで、もがいてあれこれやっていたら、自分が想像していた以上に成長できることはままある。
 そうでなければ頑張りが足りないともいえる。
 だから、ただがむしゃらにやればいいんじゃないかな。

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保護者会

2012年05月19日 | 日々のあれこれ

  試験二日目。
 自分の現代文の試験と試験監督が二時間。
 監督中はいろんなアイディアがうかぶので、余った解答用紙にすばやくメモするようにしている。
 今日思いついたのは、課題曲にふったコードネームを転調してみること。
 ギター弾き語りをするとき、難しい調だとコードが押さえられないので、簡単な調にかえてカポタストをつけて演奏する。
 坂崎さんみたいに自在にひける人はそんな必要はなだろうが、ギター初級者は誰しもやっている。
 C調に、吹奏楽の世界のツェードゥアに直してしまえば、一番ひきやすいのは言うまでもない。
 ためしに、E♭をCに、転調した後半もA♭をCに書き直してみたら、視界が変わった。
 なぜ今まで気付かなかったのだろう。
 コード進行のイメージがわく。なるほど、ここは普通Fにいくとこだけど、ちょっとおしゃれにしたのね的なところがよくわかった。このコードでメロディをくちずさんでみたなら、自分のつけたコードがあってるかも確認できそうだ。

 午後は、保護者の方におこしいただき、部活動の方針や、今後の説明などをさせていただく。
 自分の説明がおわると退席し、役員さんにおまかせする。
 数年前に「父母会」とう形をつくっていただいてから、いろいろとサポートしていただけるようになり、「あとはよろしくお願いします」で進んでいくようになった。
 ありがたいことだ。
 役員のみなさま、お世話さまでした。今年度もよろしくお願いいたします。

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歌旅

2012年05月18日 | 演奏会・映画など

 ワーナーマイカルの各劇場で上映されている「歌旅」は、中島みゆきのコンサートを映像化したものだ。
マンドリン部顧問やまぐち氏に早く観た方がいいと言われさっそく行ってきたが、行ってよかった。
 近年これほど泣いた作品はない。ちなみに曲目はこんな感じ。

 御機嫌如何
 1人で生まれて来たのだから
 あなたでなければ
 一期一会
 with
 糸
 命の別名
 ララバイSINGER~アザミ嬢のララバイ
 宙船
 昔から雨が降ってくる
 唇をかみしめて
 ファイト!
 誕生
 I Love You,答えてくれ
 ボディ・トーク
 重き荷を負いて
 本日、未熟者
 地上の星
 背広の下のロックンロール
 荒野より

 こんな曲が一つ作れればいいよねという楽曲ばかりを並べられるのが、トップに君臨してきた人の凄さだ。
 歌っている彼女のアップが観られるところが、映像の利点。
 こんなに表情豊かに歌っているのか、全身で歌っているのか、と驚く。
 ライブで得られる感動とは別種のものだろうが、歌自体にこめられたメッセージはより伝わると言えるかもしれない。
 なので、オープニングの途中でうるっときてしまい、「糸」で一回めの号泣がきた。
 「ララバイSINGER」はわりと新しい楽曲のはずだが、シャンソンのように語りはじめられ、途中で「アザミ嬢のララバイ」が挿入されると、中学生のとき「ギターライフ」(だっけ?)で弾き語りを練習してた自分を思い出して感極まった。彼女も自分もここまで来たのだ。
 カメラは演奏スタッフもアップで映してくれる。
 高性能な機材が使われているし、そのうえ生のコーラスやストリングスも入った贅沢さ。
 「アザミ嬢のララバイ」の頃、30数年後にこんなサウンドで歌っていることなど、本人も想像しなかっただろう。
 「ファイト」「誕生」は前奏で泣いてしまう。
 人はどんなに辛いことがあっても、誰か一人に認めてもらえれば生きていける。
 身近な人でもいいし見知らぬ誰かであってもいい。神でもいい。そうやって中島みゆきさんのおかげでなんとか頑張れたという人はたくさんいるだろう。だからこそこれだけの「信者」がいるのだが。
 この映画を観て、呉智英氏が「中島みゆきは中山みき(天理教教祖)である」と述べたのがさもありなんと思えた。別にファンじゃないからという方も、絶対に損はしないと思う。札幌の堀先生はご覧になったろうか。
 

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5月17日

2012年05月17日 | 日々のあれこれ

 試験範囲が終わり、少し時間があまって自習にすると、いろいろ質問がでるところが1年生らしい。
 「先生、試験て見たことのない文章も出るんですか?」
 「そうだな、数学でやった問題しか出ないってことないだろ」
 「現代文てどういう勉強するんですか?」
 「昨日の最後に話したよね」
 「返り点てどうやってつけるんですか」「再読文字ってなんですか」「古文単語はおぼえるんですか」
 「あのね、今までの授業がすべてなかったかのような質問はしちゃだめだよ」
 内心むっとする質問もあったけど、何かしようとしてるのがえらい。
 ただし、国語については(他のもかもしれないが)、極力省エネの勉強を模索しているかに思える。
 数学や英語と同じだけの時間を割くのは、もったいなく思っているような。
 たしかに、それでいいのだが、だからこそ授業はもれなくインプットしてほしい。
 でも、まだ数時間しかやってないのだ。
 再読文字の説明を一回聞いて、中一週間経ったなら、覚えてなくてふつうだ。
 おれだって、中一週間あいたものを忘れないなんてありえないし、中三分でも今はやばい。
 幸い、国語は教えるべきことがらのエッセンスは、すでに相当登場している。
 あと二年半繰り返しやってもらえばいいだけのことだ。


 1学年だより「エア・ラーメン」

 書店で松岡修造氏の本を書店手に取り、数頁立ち読みしてそのアツさに驚き、思わず購入した。
 松岡氏は、たとえば何かを「食べる」ときも、「なんとなく」は食べるなと説く。
 実際にどうしているのか。


 ~ まず複式呼吸を何度か繰り返します。次に空気を吸い込んだ瞬間、食べ物が入ってくる胃を意識しながら「ハッハッ、ハッハッ」と声を出して息を吐き出します。そうすると、胃の中がおいしく食べるための最高の状態になります。
 ラーメンの食べ方も独特だといわれます。食べる前から割り箸を握って、麺をすする動きを繰り返すエア・ラーメンをしています。(松岡修造『人生を変える修造思考』アスコム) ~


 松岡修三氏はこうやってラーメンを待つそうだ。
 すごい。アツいにもほどがある。
 みなさんも、今日学食でチャレンジしてみたらどうだろう。
 でも、想像したら、たぶん笑ってしまう人も多いだろう。
 なぜ、そこまでやらないといけないの? ネタじゃないの? と思った人もいるかもしれない。
 この本を一冊読み通してみたなら、多分笑えなくなるはずだ。
 そして、自分も何かやらなきゃという気持ちがわいてくる可能性もある。
 ここまでやったら、修造氏は食べる前に勝っていると思わないだろうか。
 「おいしく食べることは僕にとっての勝負です」と修造氏は言う。
 もちろん、その店との勝負ではない。
 自分が、いかにいいコンディションで食べることができるか、いかにいい食事ができるかの勝負をしているのだと言う。
 一週間後にフランス料理を食べる機会があったとしたら、その日に向けて体調を整える。
 当日は、朝食、昼食には脂っこいものをひかえてお腹に負担をかけないようにしておく。
 一食にかける準備さえ、ここまで徹底する。
 況わんやテニスの試合をや。
 テニスの試合に向けて、修造氏がどれだけの準備をしてきたかは、想像するまでもない。
 翻って、自分はどうだろう。
 エア・ラーメンまでせよとは言わないが、たとえば授業を受けるにあたって、せめて割り箸を割って待っているくらいは出来るのではないか。
 授業が始まって初めて「おれは何を食べようとしてるんだっけ?」という人があまりに多いように見える。それでは、おいしく味わえない。自分の実にならない。
 試合がはじまった瞬間には、勝つか負けるかは決まっているし、試験が始まった瞬間には、何点とれるかは決まっているのだ。

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ロボット

2012年05月16日 | 演奏会・映画など

 昨日シネプレックス新座で観た「ロボット」は、超ゴージャスなB級映画、いろんなアイディアをつめこみ、細かい粗は物量で強引におしきってエンターテインメントにしきった、食べ物でいえばGOGOカレーのメジャーカレー(大盛りごはん+ロースカツ+チキンカツ+エビフライ+ゆで卵+ウインナで1000円、未だ食するを得ず)のようで、胸一杯お腹いっぱいの作品だ。
 シリアスなテーマはある。
 ロボットは感情をもっていいのか、ロボット三原則はどこまで適用できるのかといった、小中学生の時に胸おどらせて読んだSF作品の古典的テーマがベースとなっている。
 それにしても、SF作家アシモフがロボット三原則を唱えたころ、今のようにコンピューターが発達した世の中を予想し得ただろうか。
 感情にかなり近いものを移植できる技術が今あることを予想し得ただろうか。
 そして、ロボットをあやつる人間の方は、あいもかわらず人間くさい争いごとを繰り返していることも。
 映画の後半、邪悪な感情を埋め込まれてしまったロボットが自己増殖し、大暴走する。
 何百体ものロボットが合体して、様々なものに形をかえて人間を殺戮するシーンは、よくこんなの思いつくなと思えるド派手さ。
 こういうのこそ、3Dにする値打ちがあるのに。
 この邪悪な感情をもったロボットとは、そのまま今の人間の姿と言えるかも知れない。
 ひょっとしてストレートにそう意図してるのかな。
 そう思えば、ストーリーやキャラクターがあまりに定型的なのも意図なものであって、スケールの大きな風刺作品になっているとも言える。
 いや、それは理屈にすぎるな。
 ふつうに楽しい。笑えるところは笑えるし、すごいところはすごい。
 何より女優さんが異常に美しい。生まれてはじめてのインド映画体験はなかなかの満足感だった。

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俺物語

2012年05月14日 | おすすめの本・CD

 別マ6月号では、イケメンすな(砂川くん)の比重がますます小さくなっていく。
 コミック1巻を読んだあとは、バディもので続いていくのかなと思った。
 イケメンと豪傑のコンビが、高校でおこるいろいろな問題を解決していくような展開で。
 もしくは、少女漫画らしく、三角関係の方面にすすんでいく可能性もあるかと思った。
 今は猛男一途の大和さんだが、猛男がたとえば何かで忙しくなって、うまくコミュニケーションできなくなって、すなに相談してるうちに惹かれてしまうみたいな、ありがちな流れ。
 それから、いつか猛男と大和さんがチューしたりする展開もあるのかななんて想像もした。
 ああ、自分の不純さが情けない。
 自分の小ささが腹立たしい。
 そんな程度のお話を書こうとしてるわけがないではないか。
 そうしたいなら、剛田猛男なんてストレートすぎる名前をつけるわけがないではない。
 彼女は大和凜子だし。凜とたたずむ大和撫子だ。(でも「砂川」ってどこから?)

 今月は、3年の先輩から、一ヶ月だけ柔道部員になってほしいと頼まれるところからはじまる。
 ていうか、「頼む」と先輩が頭を下げた時点で、猛男は「わかりました」と応えている。
 すなが「用件聞いてないじゃん」というと、先輩に頭下げられて断る可能性はないと応じる猛男。
 丈夫だ。
 「大和さんとしばらくあえないかもしれないよ」とすなが言う。
 「うちは平気。たけお君、がんばって!」という大和。
 大和撫子だ。
 試合の日、すなと大和が応援にくる。
 対戦校には、小学校のとき町の道場で競い合ったライバルがいた。
 高校に入ってからは全国大会にも出場している。
 彼女連れできた猛男にこう告げる。
 「昔はおまえに勝てなかったが、いまはおれの方が強い。彼女をつくってチャラチャラしてるやつには負けるはずがない」。
 猛男は「彼女はいいぞ」と答える。まったく動じることはない。
 試合が始まる。猛男の大きな構えには、揺るぎない自信と、決してあとにひかない強さがあった。
 それは、たんに試合に勝つということへの自信や執念ではない。
 先輩の信頼に応え、応援してくれた大和、すなの気持ちにこたえたいという想いだ。
 自分を信じてくれる人を絶対に裏切らない、たとえ腕がおれても、命を失ってでも大切なものを守りきるという意志だ。
 自分が勝っていいかっこしたいとか、いい気分になりたいなどと言う利己の願いはいっさいない。
 そこにあるのは完全なる利他。
 それを人は愛とよぶかもしれない。
 それを人は力とよぶかもしれない。
「強さとはなんだ」
 猛男が自問する。
 組み手争いを制するや豪快に一本勝ちをおさめてさらに自問する。
「強さとはなんだ」
 そして言う。
「おれはどこまでも大きくなりたい」と。
 かつて業田良家が『自虐の詩』で「生きるとは何だ」と問うた。
 『俺物語』は、同じスケールに発展していこうとしている。
 「高校教師なら読むべきだ」などのレベルの作品ではない。
 すべての日本人が、韋編三絶、熟読玩味して、猛男のハートを感じるべきだ。
 生きる指針を失いかけているわれわれに与えられた天啓、一筋の光だ。

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5月13日

2012年05月13日 | 日々のあれこれ

 1学年だより「有名人になる方法3」

 自分の能力と市場が求めている分野を分析し、PDCA(Plan計画→Do実行→Check検証→Action改善)サイクルを回していった勝間和代氏は、書いた本がベストセラーになり、経済評論家としてメディアに出ることも多くなった。そんな折、勝間氏は身近に接することができるようになった有名人を客観的に観察する。


 ~  バラエティなどのお仕事で、お笑い系の方といっしょになることがあります。ロケ中の待ち時間、ロケバスの中などでいろいろな方に、「なぜブレークする芸人さんと、そうでない人がいるのか」という質問をすることにしています。
 すると、答えはいつも同じです。
「どのくらい、芸人になりたいと思っているか」
 才能がある人はたくさんいます。しかし、多くの人は「芸人」という仕事を目指していることを人に言えなかったり、あるいは、どんな苦労をしても芸人になりたい、とまでは思っていないそうです。
 ところがブレークした人たちは、アルバイトをしながらも話のネタを磨きつづけ、何度も相方を代えながら新しい商品を開発し続け、そうやって繰り返しているうちにだんだんと、「こいつはおもしろいじゃないか」と目をかけてくれる人が増えてきて、ブレークにつながっていく、というのです。
 歌手や俳優の方で、一見デビューしてすぐに人気が出たように見える人たちでも、じつはその前にしっかりとしたトレーニングを学校で受けていたり、アメリカに短期留学して演技やボイトレのレッスンを受けていたりと、必ずなにか売りものになる「素材」を磨いているものです。 ~


 何年も頑張ってもブレークできずに終わる芸人さんも多い。
 というか、テレビに出るほどの活躍ができるのは、ほんの一握りの限られた人達だ。
 その原因は、勝間氏のことばを借りるなら、自己の「商品性」を磨き続けられたかどうかによる。
 もちろん、運のいい悪いはあるだろう。
 世の中には、「運がいい・わるい」現象はたしかに存在するように見えるが、しかし何もしてない人に突然幸運が訪れる事態は起こらないものだ。
 そして「運がいい」とか「奇跡」に見えることでさえ、よくよく調べてみるなら、多くの人の無数の努力がまさに運よく結びつきあった結果であったというのが、本当のところではないだろうか。
 自分を磨き続けることなしに、夢が叶うことはない。
 だとしたら、自分の夢を叶えられるかどうか、目標を達成できるかどうかの判断は実にたやすい。
 今日自分を鍛えることができたか。昨日より今日の自分が0.01%でも伸びているか。
 そんな日々を過ごしているかどうかにつきる。

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5月12日

2012年05月12日 | 日々のあれこれ

 1学年だより(有名人になる方法)

  有名人になりたいと思ったことはあるだろうか。
 いろんな分野の有名人を目にして、自分もいつかあんなふうになってみたいと夢想することはあっても、現実にそういう人生を送ることはないだろうと漠然と考えているのが、私たちの普通の感覚だと思う。
 まして自分には、特別な技能や才能、並はずれた容姿や歌のうまさ、ダンスの能力はない、Jリーグで活躍できるほど上手ではないし、ノーベル賞をとれるほど頭がいいとは思えない、強運の星のもとに生まれたわけでもなさそうだ。
 でも有名人はいいなあ、すごい車に乗りたいなあ、芸能界のきれいなお姉さんと結婚できたらいいなあ、ま、違う世界の話だけどね … 。
 ふつう一般人はそんな感覚で生きている。
 しかし、その気になれば、ある程度の確率で有名人になる可能性を多くの人はもっていると、勝間和代さんは言う。


 ~ 「はじめに」で、わたしは、相当の決意と目的意識、そしてある程度確率の高い方法論を繰り返し行えば、高い確率で有名になれると書きました。
 「えーーーー!?」と思う人も多いかと思いますが、じつはダイエットと同じで、そこにはある程度、王道があると考えています。さまざまなダイエットや身体を鍛える方法が、本に、DVDに、講座に、そしてテレビにあふれているにもかかわらず、実際に身体がきゅーーーっとしまっている人が少ないように、結局、方法がわかってもそれをやらない人が多いため、なかなか有名にならないだけのことだと思うのです。(勝間和代『「有名人になる」ということ』ディスカヴァー・トゥエンティワン) ~


 勝間さんはこのように述べて具体的な手順を提示していくのだが、それに従ってやるかどうかのところに大きな分岐点があるはずだ。
 「有名人になる」は「成功を勝ち取る」に言い換えるとなお分かりやすいかもしれない。
 どうすれば成功するかを説いた本は巷にあふれている。そこには、様々な方法論が具体的に示されている。著者は、その方法論に基づいて実際に成功を勝ち取った方々だ。
 ノウハウを惜しげもなく公開していただいているのだから、それを読んだ人々が同じようにやれば、成功に近づく可能性はかなりある。
 仮にある「成功本」がベストセラーになって10万部売れたとして、そこに示された成功のノウハウを実践にうつす人がどれだけいるだろう。
 なるほど自分もやってみようかと考える人は万単位でいるだろう。
 実際にちょっとやってみる人も何千人か存在するだろう。
 しかし最後までそれをやりきる人は現実には少なく、成功するかどうかは結局のところ最後までやるかやらないかにかかっているのではないかと思うのだ。


 1学年だより(有名人になる方法2)

 では、どういう方法で有名人になれるというのか。


 ~  その方法論は、ひとことで言えば、自分をある商品ととらえて、その特徴を把握し、どのセグメント(分野)のどの顧客であれば受け入れられるのか、そして、どのチャネルを使ってどのようにアプローチすれば売れるのか、その仮説をつくり、PDCA(Plan計画→Do実行→Check検証→Action改善)サイクルを回して実行する、その繰り返しです。つまり、通常のビジネスと同じです。 ~


 自分とはどんな人間なのか、これを知ることが第一になる。
 自分が他人と違っているのはどういうところか。
 他人と比べてどういう分野が強く、どういう分野が弱いのか。
 ある分野で成功をおさめ有名になろうと思ったとする。
 しかし、その分野が自分という人間の能力や資質とはかけ離れたものであった場合、いくら努力してもせいぜい人並みになるといった程度で終わるだろう。
 もし他人より強い分野、またはあまり多くの人が手を出してない分野であったなら、正しい方向性の努力を積み重ねることで、人から抜きんでることができる確率は高くなる。
 勝間氏は、パチンコやパチスロでむやみに打っている人はお金を減らすだけだが、釘や目を読める人はお金を増やせると例をあげて説明している。
 自己の分析に基づいた努力こそが、自分を有名人にする確率を高めるという。
 「有名になるって自分の目標じゃないから関係ない」と思い始めてる人もいるだろうから、言い方を換えよう。
 勝間氏は、有名人になる方法は「普通のビジネス」と同じだと述べている。
 つまり、仕事をする、成功をおさめる、目標を達成する行為も、同じなのだ。
 たとえば、「将来あの大学でこういう勉強をしたい」と思ったとする。
 そのためには、まずその大学に入るための勉強をしなければならない。
 受験科目は何? 何点とれば受かるか? そのためにどんな勉強が必要なのか?
 自分の弱いところは何? 得意な分野は何? いつまでに何をやるべきなのか?
 釘を読まずにパチンコをうってもだめなように、自分の苦手な分野をほったらかしたままではだめだし、限られた貴重な時間をどう使うかの戦略も必要だ。
 そのうえで、最後までやりきれるか。
 冷静に分析したなら、みなさんのほとんどは、かなりタイトな計画が必要になるだろう。
 しかし、やろうと思えばやれる。その具体的方法は明らかにされている。
 多くの先輩方もそうやって結果を出してきたのだ。

 

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俺物語

2012年05月10日 | おすすめの本・CD

 剛田猛男(ごうだたけお)、集英高校1年生。身長推定2m、体重推定120kg。柔道部。
 砂川誠(すながわまこと)、猛男の隣人。3歳の頃からの幼なじみ。誰もが認めるイケメン。
 話題のマンガ『俺物語』の中心人物だ。
 この二人が描かれたとき、女子はやはりイケメンとブサメンという対立を見るだろうか。
 第一印象はまちがいなくそうだろう。
 でも男子はちがう。たぶん。
 この二人の絵を見たら、もしくはそういう二人連れを実際に目にしたなら、イケメン・ブサメンという対立軸よりも、ナヨナヨ系とガッチリ系という見方になるんじゃないだろうか。
 物理的にナヨじゃなくてもガッチリじゃなくてもいいのだ。
 男子を二分化しようとするとき、イケメンかどうかの度合いが占める比率はそんなに高くない。
 むしろ、どれくらい押しが強いか、身体能力が高そうかの方が上位にくる可能性が高い。
 もっといえばケンカが強そうかどうか。
 もちろんこれも、物理的にほんとに強いかどうかはどうでもよくて、その人のもつ雰囲気の話なのだ。
 そのへんが、男子が男子を見るのと、女子から男子をみるときの違いになるような気がする。
 『俺物語』でも、そのへんはうまくふまえられていて、女の子がぱっと見てちやほやするのは、当然砂川くん通称「すな」の方だ。
 しかし、猛男(このいかにもなネーミングはストレートすぎるけど)は、男子からやたら人気があり、慕われている。
 もちろん身体能力の高さのうえに、性格のよさがあるのは言うまでもない。
 「別マ」に載っているマンガだけど、男子(おれのこと)が読んで心から感動しているのは、そういうベースがあるからだろう。
 幼なじみの猛男とすなが二人でいて、そこに女の子が登場すると、必ずすなを好きになる。
 それくらいかっこいいのだ。
 もし映画化するなら、佐藤健くんにやってほしいなあ。
 すなに告白する女子はたくさんいたが、どの子も猛男の悪口を言ったという理由で、断られている。
 ある日、電車で痴漢にあった女子高生の大和凜子を猛男が助ける。
 大和さんは、猛男に一目惚れしアピールするのだが、猛男は自分にそうやって接触してくるのは、連れのすなに対する好意だと信じて疑わない。
 過去の様々な事例がそうであったから。
 大和の本当の気持ちに早々と気付いていたすなは、そんな二人を結びつけさせ、猛男に春が来たというお話が、コミック『俺物語』第1巻だった。
 妻も娘も読んで爆笑していた。
 あははじゃねえよ。
 泣けてしょうがなかったぜ、男のおれは。
 こんなにお互いを思い合う友情があるだろうかと。
 こんなにお互いのことをわかりあって信頼しあえるだろうかと。
 まるでメロスとセリヌンティウス。管仲と鮑叔。
 このマンガを読まずして友情を語るべからず、愛を語るべからず、高校教員をやるべからず。
 コミックの続きが読めるというので、「別マ」の五月号を買ってしまった。
 「あ、いや、娘に頼まれたんで」という顔でレジに並んだ。
 五月号は、大和の通う女子校のクラスメイトと、砂、猛男ほか数名が合コンをする話だった。
 やってきたJKたちは、一瞬ですなに心奪われる。
 いっぽう猛男のことは「何あれ? 怪獣よね」と悪口を言うのを大和が耳にしてしまい、「そんなんじゃないよ」と涙を流す場面がある。
 大和は、「武士道シックスティーン」のときの北乃きいちゃんがいいなあ。
 そしてそのあと、ある事件をきっかけに、JKたちが猛男に胸きゅんとなる結果になる。
 ああ猛男役が思い浮かばない。
 イケメン・ブサメンの対立軸しかもっていなかった女子高生が、新しい見方を身につけるのは、大人の女への階段を一歩上るということでもある。
 そういうところが女子の心もつかんでいるかもしれない。
 う~ん、なんとよく出来た作品だろう。
 考えてみると、イケメンのすなの方が、猛男のひきたて役になっているではないか。
 見た目だけじゃないんだよ。男の値打ちは。あと、若さだけじゃないんだよ。
 なんぞ読まざるべけんや。

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