水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「此」の用法

2012年09月18日 | 国語のお勉強(漢文)

 「これ」と訓読する文字には、「之」「是」「此」の三つがある。どれも指示語の働きをすることは読み方自体から明らかだが、それぞれニュアンスは異なる。このうち、文意をつかむためにとくに重要な働きをする文字として、「此」に注意しよう。
 「此」は、たんなる指示語ではなく、「強調指示」である。

 「此」 読み方 … これ、こ(ノ)、か(ク)
     意味 … まさにこれ まさしくこのこと こんなこと

 評論文で「此」が用いられたときは、1 それまでの論旨をふまえてまとめに入る 2 主題を確認する  3 長い主語を再提示する、などの場合であると考えるとよい。文章の終わりの方に出てきたら、そこに筆者の主張が書かれている可能性が非常に高い。「此+反語」だったりしたら、てっぱんだ。

 物語型の文でも、「こんな」目にあったとか、「こんな」とんでもない事件が、というニュアンスがこめられていることを意識し、「此」のある部分に事件の中心話題があると思ってみよう。

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9月17日

2012年09月17日 | 学年だよりなど

 1学年だより(コミュニケーション力)

 みなさんの大多数が、数年後に就職活動、いわゆるシューカツに取り組むことになる。
 資料請求をし、会社訪問をし、面接を受けて、内定をもらって、研修に出かけてといったプロセスを経て社会人への道を歩んでいく。
 希望の就職ができるかどうか、もっとも大きな要素を占めるのが面接だ。
 面接の際に、採用する側が学生に求める資質とはどのようなものか。
 内田樹先生(神戸女学院大名誉教授)はこのように説明する。


 ~ 学生に求められている知的資質はごく単純なことである。
 「他人とコミュニケーションがとれること」、ただそれだけである。
 もちろん、人間であれば誰でも他人とコミュニケーションはとれる。
 問題はその「範囲」の奥行きと拡がりだけである。
 「バカ」と言われるのは、自分の同類(年齢が同じ、社会階層が同じ、価値観が同じ、語彙が同じ)としかコミュニケーションができない人間のことである。
 「賢者」と言われるのは、対立者や異邦人や死者や必要があれば異星人ともコミュニケーションができる人のことである。(Web「内田樹の研究室」より) ~


 香川真司の高いコミュニケーション能力について前々号で書いた。
 育ってきた環境もプレースタイルも、何より言葉が異なる外国の選手とやすやすとコミュニケーションをとれてしまう香川選手は、まさに「賢者」というべき存在だろう。
 だから、自分のやりたいことを、望んだ場所で思い切りやることができる。
 学校は、教室での日々の生活、学校行事、部活動など様々な場で、他人と接し、揉まれることによって、他人との距離のとりかたや、気持ちの伝え方を学んでいく。
 勉強も実は、知の世界とどう接していくかという意味でのコミュニケーション能力を養っていると言える。
 今みんなが学校で経験していることのすべては、より多くのものとコミュニケーションしていくための力、つまり「賢者」を目指すトレーニングになっているということだ。


 ~ すべての知的能力は、「バカ」と「賢者」の間のどこかに位置づけられる。
 「英語ができる」ことが評価されるのは、英語ができるとコミュニケーションできる範囲が広がるからである。「コンピュータができる」ことが評価されるのは、コンピュータが本質的にコミュニケーション・ツールだからだ。「敬語が使える」ことや「礼儀正しい」ことや「フレンドリー」であることや「聞き上手」であることや「服装に気配りしていること」や「アイコンタクトが適切」であることなどの「面接の着眼点」はすべて「コミュニケーション能力」だけに焦点化している。 ~


 たとえば、GパンとTシャツで面接に出かけて行ったなら、「この学生さんは本気じゃない」と受け止められるのは間違いない。
 相手が自分に何を求めているのか、自分は相手に何を伝えたいのか、それをちゃんと考えたなら、出会った瞬間に相手を不機嫌にさせるような振る舞いをすべきではないということだ。
 この根本をふまえた上ではじめて、立ち止まって会釈するとか、相手の目を見るとか、話を聞くときはうなづくとか、そういう具体的行為が意味をもつ。
 もちろん、言葉遣いも同じだ。
 友達でない人とはじめて会話するときに、どういう顔で、どういう話し方ができるのか。
 相手を不快しないように、できれば相手にいい気分になってもらうような会話ができるか。
 そういう力、つまりコミュニケーション能力は、面接という短い時間の中にもはっきりと現れる。
 では、なぜそんなにもコミュニケーション能力が大事なのか。


 ~ どうしてコミュニケーション能力がそれほど厳密に査定されるかと言えば、会社に入ったあと、仕事を教わるときにコミュニケーション能力のない人間は、「自分の知らないことを学ぶ」ことができないからである。
 「仕事ができる人」というのは「たっぷりと手持ちの知識や技能がある人」のことではなく、「自分が知らないことを学び、自分に出来ないことが出来るようになる能力がある人」のことなのである。 ~


 「対立者や異邦人や死者や必要があれば異星人ともコミュニケーションができる」力をコミュニケーション能力というのだから、面接対策の本を読んだからといってすぐに身につくものではない。
 日常的に、他人(ひと)とちゃんとコミュニケーションしようとして生きることの積み重ねでしか、それは育っていかない。
 きちんと制服を着る、人にあいさつをする、時間に遅れないようにする、部活におくれるときはちゃんと連絡する、ノートにメモする … 。
 こういうことの積み重ねで自分をつくっていくことだ。
 大学生なら、面接の際にインパクトのある話ができるような体験を積むことばかりに関心をもつよりは、まずは他人の話を聞く姿勢で生きることの方が大事だろう。
 仲間内でしか通じない言葉を使うだけの日々は、まちがいなくその人の中身を貧弱にする。
 知らない事柄に接したとき、予想していなかった言葉をきいたとき、「意味わかんねー」といって目をそむけることほど、「バカ」への道を突っ走る行為はない。

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星華祭

2012年09月16日 | 日々のあれこれ

9月15日。2時間授業の後、LHRは卒業生による進路講演会。先日卒業していった26期生6名が集ってくれた。わが部OBまえくぼ君も訪れ、トップバッターで登場し、正直1・2年の頃の勉強は足りてなかったけど、部活は続けた方がいい。ただし宿題はきちんとやろう、最低1日10分でもいいから毎日机に向かおう、たとえ10分でも蓄積は大きいという現実的な話をしてくれた。
 放課後、いつもの発声練習などをおやすみして急遽曲決めのミーティングを行う。あまりにも人気の高かった曲をバッハザールでやってみることにした。
 少し合奏して、バス二台で星野高校へ。顔合わせをしたのち、中庭に出てリハーサルを行う。
 正直音がとんでこない。直前にマーチングの音を聞いてしまったせいもあるかもしれないが、いくら外向きでない楽器が多いとはいえ、これでは楽しくならないと思った。

 9月16日。登校して学年だよりを一回分書き、忘れられたHr一台を積んで星野高校へ出発した。昨日より暑い。
 昨日の合奏状態から考えるに、せめて暗譜にして少しでもからだをゆらさなければ、見ている方はつらいと思った。
 これは毎年の課題だ。3年生が抜けてそれまでいた演奏の核が不足している。1年生は、とくに本校一年生は屋外で演奏するのははじめての経験になる。反響板もないので、どこにむかって吹くか、どの音を頼りにすればいいのか、きっとよくわからないだろう。 
 そこへ行くと、星野さんの3年生バンドはちがった。人数だけなら、星野・川東1・2年生合同バンドの3分の1もいないのに、音量ははるかに大きかった。
 なんといってものびのび演奏できている。
 高校3年のコンクールを終え、正しい吹き方を徹底して身につけたあと、解放されて自由に演奏できる状態。本校の3年生たちも、文化祭での演奏の評価が高かったのは同じ作用にちがいない。
 物理的に同じ音量で吹いていても、誰に届けようとしているのか、そもそも届けようとする意識があるのかどうかという点に違いがあった。
 譜面を見て、そこにかかれている音符をただ再現しているだけ、もちろんそれさえもあやしいのだが、せめて楽譜から目を離し、届けようとする相手を見て演奏する、それだけでもずいぶんかわるのではないか、そう思った。
 なので最初のミーティングで暗譜演奏を提案してみた。
 「みなさん、今日は暗譜で演奏しましょう!」
 「え~~(何、言ってんの? この人。)(今日いきなりそんなの無理でしょ)(うちら自分とこの演奏でいっぱいいっぱいなのに、合同曲まで無理でしょ)(何の権利があってそんなこと言うの)(ていうか、誰)(うざ、このおじさん) … 」という空気が女子たちを支配したように感じたので、あっさり撤退した。
 「あ、むずかしそうですか、じゃできる範囲でおねがいします。川東の方は暗譜でやりなさい!」
 「はいっ」 自分、男子校でよかったっす。
 ウォームアップの後の合奏は自分がしきらせていただいて、かるく体をゆらしてね、まっすぐ吹こうねと指示をして、踊りの確認しているうちに20分の持ち時間は終わった。もっと練習したかったけどしょうがない。
 中庭に移動する。司会マイクをもらう。予定より少し早いけど、どうぞ始めてくださいと言われ、一曲目の「We Go」に入る。ちょっとテンポが遅い気もしたけど、まあまあかな。ときどき小雨がぱらぱらと来る。Ob、Fgなどはいったん軒下に避難してもらい様子をみてもどってくるよう、星野の今井先生が指示してくれた。
 さくさくと2曲目の「さくらんぼ」へ。お客さんの耳のなれてくれたのか、少し手拍子が大きくなったようだ。
 3曲目の「気まぐれロマンティック」を終え、簡単に川東の宣伝などをしていたら、雨がざっときた。
 全員待避。どうしよう。
 一番エネルギーを費やしてきた最後の曲だけはやりたいと思いつつも、お蔵入りの覚悟もあった。
 10分ほど待っただろうか、雨脚が弱まる。これならいけるかな、金管さんは準備してみようかと動き始めたらやんだ。よかった。
 無事ダンシンチームも発表できた。
 これで、屋外演奏の経験もできたから、今度にじの家ふれあい祭りではさらにパワーアップしたい。

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生きる悪知恵

2012年09月13日 | おすすめの本・CD

 西原理恵子氏がQ&A形式で行う人生相談の書。たとえば、

「ずっと総務、経理部門で働いてきたが、40代半ばで営業に異動になった、慣れない仕事でつらくてストレスがたまる、納得いかない人事だけど我慢するべきでしょうか?」

 なんて質問がある。
 読んですぐ、ちょっとあまいんじゃないかな、40半ばでそれではねと思ってしまったが、西原理恵子氏は、まことに愛情こもった回答を示す。


 ~ 向いてなくてもやるしかないでしょ。無茶なノルマがあってウソついてでも売らなきゃいけないとかならきついけど、そういうのじゃない限り、やらなきゃね。「向いてない」なんて言ってても始まらない。45歳からでも学習はできる。上司とか同僚とか、デキる人の真似を一個ずつやっていけばいい。会社だって、そのために異動させてるんでしょ。そうやって人を回していかないと、やっぱり水が濁るから。(西原理恵子『生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント』) ~


 質問のなかに、それほど大きい会社ではないので、部下もいるけど自分で現場に出なければならないともあった。
 それはそうだろう。40代半ばで現場に出ずに指示だけしてればいい会社なんて今ないんじゃないかなと、世間を知らない教員ながら思ったりする。
 まして「そんなに大きくない会社」が、昨今の社会情勢の中で、総務だ、経理だという部門をぬくぬくとそのままにしていられるはずもない。
 この相談者はもっと厳しいリストラ対象にならなかっただけありがたい状況なんじゃないかと思える。
 だから、それに感謝してがつがつ働くべきだ。
 西原氏は続ける。


 ~ あと、自分の才能を他人に教えてもらうことってある。私なんかも編集者に教えられたというか、やったことないような仕事を振られて、嫌だったけど全部やらせてもらってたら、意外にできるじゃん! みたいな。それで自分自身、力がついていった経験がある。
 全然畑違いの仕事だとしても、元の仕事で築いた下地があれば、そのノウハウとか考え方とかって何かしら使えると思うんですよね。私がよく行くホルモン屋「わ」の大将なんか見てると、ホントに野球部で死ぬほどキッい訓練したことが下地になってるなと思うもの。「最初の10秒でお客様の心をつかまなアカンねや!」とか言って、まさに体育会系の営業。あの人たちの基礎体力、インナーマッスルってすごいなって思うよね。やってきたことが一個もムダになってない。やっぱり甲子園まで行った人はパンパじゃない。「向いてない」とか「できない」とか絶対言わないもん。 ~


 このあと、「勉強にもインナーマッスルがいる」という話があって、それもなるほどと思った。
 次の学年便りで仕えるネタだ。
 高校までの勉強って、けっきょくインナーマッスルを鍛えているようなものだから。
 ただし西原氏は、やはりここでは終わらない。
 さらに現実を直視させようとする。
 「だいたい45歳にもなって『この仕事向いてない』なんて言ってる人、私の周りにはいないけどね」と続ける。


 ~ だから、「向いてない」って言うけど、じゃあ前の部署は向いてたのか、その部署に欠かせないような人材だったのかという問題も出てきますよね。そんなに異動が嫌なら、それこそ社長に直談判でもすればいいじゃん。会社にどうにかしてもらおう、周りにどうにかしてもらおうじゃなくて、自分で動かないと。
 やっぱりすごく甘いと思うよ。私が社長だったら、こんなこと言ってる人に給料払いたくないもん。愚痴言ってるヒマがあったら、どうすればその仕事を楽しめるか考えましょう。 ~


 小説やマンガ、映画で、突然のリストラ、予想外の人事に思い悩むサラリーマンの姿が描かれる。
 もちろん現実の娑婆において日常茶飯事なのだろう。
 ドラマだと、派閥争いやら、やむにやまれぬ筋を通す人がいたり、かっこいい人間ドラマがあったりするものだが、現実はそうそうかっこいいものばかりではないはずだ。
 リストラされた側としては、まさか自分がそんな目にあうとは思わなかったとか、会社のやり方はあまりにもひどいとか感想を抱くこともあるだろう。
 でも、そんな会社であることを全く感じてなかったとしたら、いい大人としてあまりにうぶと言われてもしかたない場合もあるはずだ。
 この相談者のように45歳にもなってたら、そして自分の会社の業界内での位置とかを客観的に見る目が少しでもあったなら、こんな質問はちょっとできないだろうなとはたから見てても思う。
 私立高校の教員でさえ、生き残りをかけた戦いを余儀なくされているご時世なのだ。
 だから、西原氏もその相談者の甘さに対しては言及せざるを得ない。
 そのうえで、そういう人がなすべき正しい努力の方法をきちっと指示している。

 通しで一気読みしてみて、「悪知恵」どころか、これほどまっとうかつ現実的な人生相談は初めてと思った。理想論とかは脇においといて、今の娑婆を生き延びるにはそうするしかないでしょという明確な具体策が書かれている。
 「義母からのはやく子供を産めというプレッシャーがきつい」という問いには、「そのうち死ぬから放っておけ」と答える。
 「会社で英語が必要になりTOEIC受験が義務づけられたのでどうすればいいか」には、「フィリピンパブに行き、彼女をつくれ」と答える。
 つい、ウけそうな項目を書いてしまったが、一見ネタっぽく見えるものも、よく考えてみると真実を言い当てている。これこそプラグティズムと言うのではないだろうか。

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ふたり

2012年09月12日 | 演奏会・映画など

 たまにテレビを観ようとするとバラエティ番組で、時期によってどのチャンネルもゲストが同じで、あの映画の宣伝かとすぐわかるけど、こんなに映画の宣伝、番宣ばかり多くなったのはなぜだろう。
 昔、こんなことなかったですよね。
 昔テレビ局は映画のスポンサーにはなってなかったということだろうか。
 テレビの影響は大きい。西川美和監督の『夢売るふたり』は、テレビで宣伝されなかったら、そんなにお客さんの入る作品ではないと思うけど、昨日の代休の昼間、つまり平日の昼間にもかかわらず、けっこうなお客さんが入ってて驚いた。
 前作『ディアドクター』は名作だったけど、興行収入はそんなでもなかったんじゃないかと思うし、さらに前の『ゆれる』なんか、たしか渋谷まで行ってやっと観れた記憶がある。
 『夢売るふたり』も、まごうことなき西川作品だった。メジャーな役者さんをこれでもかとそろえてはいるものの、たまに映画でも観ようかとやってきたお客さんがいい気持ちになって帰れる作品ではない。
 西川監督の小説が直木賞ではなく、芥川賞の候補になることでもそれはわかる。
 「なんか、最後よくわかんなかったわねぇ」と言ってかえっていく相当高齢の方もいらっしゃったようだ。
 おれもよくわかんなかった。最後というか、細かいところいくつか。
 もちろん監督さんはすべてのシーンに意味をもたせ、すべてシーン(これ、シークエンスとか言っちゃうと通ぽいかも)が有機的につながっていると言うだろう。
 でも、たとえば松たか子さんの、ここには書けないいくつかの場面がどういう意味をもつのか、わからなかった。女性だったらわかるのかもしれない。R15らしく、男女の性愛を露骨に写す場面も多い。一方で主人公の阿部サダヲ、松たか子夫婦のそうシーンは一切出てこない。その対比との関係で理解しないといけないのかな。
 でも、すっきりしないとこが西川監督らしくてよかった。
 小説『その日東京駅五時二十五分発』も、次の芥川賞をとるにちがいない。

 フランス映画『最強のふたり』は、まごうことなき名作。
 入り口で若いカップルがスケジュール表の前で「何観る?」とか言ってて、『最強のふたり』てどんなの?とか言っている声が聞こえてきたので、それ絶対観た方がいいよと声をかけようかと思ったけど、通じなさそうな雰囲気だったのでやめた(通じるとか以前に声かけたらおかしいか)。でも、女の子の方は聞く耳もってるように見えたのだが。
 事故で首から下の体の自由がきかなくなってしまった大富豪と、その介護をするやんちゃな青年のお話。
 日本でこれをつくったら、ほんとベタベタのお涙ちょうだいになってしまうだろう。
 もちろんそれもありだけど、障害者と健常者という区分けでしか考えられないわれわれの土俵をはみ出ることはないだろう。
 そんな枠にとらわれるから、ふつうなら友達になれるはずの二人でも、どっちかが上から目線になってしまったり、逆ににそうならないようにしなきゃという感覚を自分で自分に強いることで、自然につきあえなくなってしまったりする。
 道徳や、人権教育の授業って、こういう映画こそ観てもらうべきだ。

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文化祭終了

2012年09月09日 | 日々のあれこれ

 開店前に、全体合奏用の曲を一回だけやっておこうと始めてみたら、ぽりぽろと音間違いが聞こえてくる。
 「こんなんなら演奏するなよ … 」と一瞬言いかけたが、本番の強い彼らのことだしなんとかなるかもしれないと期待して合奏を終えた。今日も開店直後には満員になる盛況ぶり。
 途中、受付係を担当したり、ふらっと校内を回ったりしてみたが、こんな幸せな状況で文化部発表をやれている空間はなかった。ありがたいことである。
 合奏も、アンサンブルも、回をおうごとによくなっていく。
 つまりあれなんじゃね? 純粋にこれまでの練習量が足りてなかったんじゃね?
 あたたかく見守ってくださる方々のためにも、もっといい練習をしていきたいと改めて思った。
 

 パラリンピックでは、本校OBの高橋秀克くんもよくがんばった。

 ~ 柔道男子73キロ級 高橋メダル逃すも「精いっぱいやった」
  柔道(視覚障害)の男子73キロ級。高橋は3位決定戦で敗れたが「精いっぱいやった。素晴らしい舞台に立てて本当によかった」と晴れやかな表情だった。1回戦は送り襟絞めで快勝。2回戦で敗れて臨んだ敗者復活戦でも、片羽絞めで一本勝ち。だが、3位決定戦で力尽きた。42歳の高橋は20年以上も柔道教室で小中学生に指導を続けている。惜しくもメダルを逃し「子供たちにメダルを見せてあげたかった。指導は続けていきたい」と話した。 ~

 25歳で緑内障を患い、徐々に視力が失われていく過程のなかでは、つらい思いや、人に言えない苦労もあったことだろう。
 しかし好きな柔道だけは続けることができた。
 それは奥さんの高橋加代さん(事務室の向かって右側手前のおねえさん)の献身あってのたまものだが、その結果、目がふつうに見える人生では得られないようなすばらしい経験をすることができたのだ。
 思うようにならないこと、つらいこと、やりきれないこと、自分ではどうしようもないこと、人生はなんでも起こりうる。それを自分でどう受け止めるでその後の人生が決まる、というのは、ありきたりだけど真実だと思う。何かを失っても、別の何かを神様は与えてくれる。
 ザナルディ選手や高橋選手のように大きな困難を乗り越えてでなくても、われわれ自身日々の暮らしのなかで、いろいろなものを失い、またいろいろなものを与えられて生きている。
 与えられていることにまったく気づかないと、人生はちょっとさびしいものになるだろう。
 与えられていることに感謝できないと、さもしい人生になってしまう。
 与えられていることを全く自覚できないと、生きていることが面倒になる。
 しかし、何も与えられてないと思う人にしたって、そう思う頭は与えられたものだ。
 そう思う頭をのっける身体は与えられたものだ。
 自分で作り上げたものは何ひとつないではないか。
 そもそもこの命は、自分の意志とは関係なく存在し、歴史上のある瞬間、突然この世に身体という形をともなって顕在化したものだ。
 命を乗せるこのからだはレンタルビデオのようなものだ。
 何日延滞しても追加料金はとられない。
 ぼろぼろになって返しても弁償せよとは言われない。
 ありがたいことではないか。
 せいいっぱい使わせてもらおうではないか(藤原竜也に近づけたかな)。

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ザナルディ選手

2012年09月08日 | 日々のあれこれ

 ライブ喫茶初日無事終了しました。
 体育館でのオープニングを終えて小講堂で準備を開始し、三年生のアルバム用写真を撮り終わった9時55分にはすでに数名のお客様がご来場いただいた。
 心配だったAチームの合奏は、一曲目「いつだって僕らは」がいいテンポ感ではじまり、2曲目「カブトムシ」のおくやま君ソロがばっちり決まるといういいスタートになった。
 昨日は眉間にしわよせて「もっかいやってみぃ」とか言ってたが、今日は安心。
 いはら君のタイムテーブル通りにすべてが進行し、ほぼすべての時間帯満席状態で演奏できた。
 なんとありがたいことだろう。
 ご来場のみなさま、ありがとうございました。


 パラリンピックでちょっとぐっとくるコメントを読んだ。
 
  ~ アレックス・ザナルディがロンドンパラリンピックのハンドサイクルに出場し、ブランズハッチを走行、金メダルを獲得した。 ~

 ザナルディ選手は、F1レーサーとして活躍されていた方だそうだ。しかし、2001年のレースでクラッシュし、両足を切断する重傷を負う。ここ数年はハンドサイクル(手こぎ自転車)競技に専念し、ニューヨークマラソンのハンドサイクル部門での優勝経験もあるそうだ。
 ブランズハッチという今回のコースは、ヨーロッパグランプリも開催されたコースだという。もちろん、ザナルディ選手もレースカーで走っている。彼はこう言う。

 ~ 「(21年前、ブランズハッチで)ポールポジションを取ったが、決勝では2位に終わった。このコースでは2位や3位は取ったことがあったけれど、表彰台の一番上に立ったことはなかったんだ。でも今日、それを成し遂げることができた。 … エンジンがあったときは、ここが起伏に富んでいるとは気づかなかった。 ~

 事故で両足を切断し、F1ドライバー生命が失われたあと、すぐに立ち直って新しい人生に向かっていった … とはちょっと想像でいないけど、彼のこんな言葉を聞くと、簡単に「挫折」とか使っちゃいけないと思う。

 ~  僕は人生からたくさんの物を得てきた。幸運の女神が次々にいろんなものを与えてくれる。本当に感謝するばかりだ。 ~

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直前プチ合宿

2012年09月07日 | 日々のあれこれ

 「いじめ対策の専門家チームを配置する」という新聞記事を見て、そうか、俺らは専門家とは見られてないなとあらためて思う。
 先日の「行列のできる相談所」で、ご子息がいじめにあった際の話を北村弁護士が語られていた。
 いじめがわかった後、学校に解決能力はあるはずはないという前提に立って、北村弁護士は対応したという。いついつまでに何をやってほしい、そうでない場合は転校すると、毅然と申し渡したところ、予想に反してすっかり解決してもらえたという体験談だった。
 北村氏が思っていたほど学校の先生は無力ではないと思う反面、人により、学校によるという面もあるのはたしかで、現実に起きている様々な事件をみるかぎり、北村氏のように思われてもしょうがない。
 いじめを発見し解消に向かわせるシステムが確立している学校もあれば、特定の先生まかせになってしまっている学校もある。
 公立学校の先生は入れ替わるので、力量のある先生がいる時に平穏だった学校も、その先生の異動とともに崩れていくこともある。
 生徒のために力を発揮しようとする校長先生が来られることで、がらっと変わることもある。
 問題はそこだと。「その学校」のやり方ではなく、日本中のどの学校でも、いじめに対応できるシステムができてないといけない。
 たとえば向山先生のご本にあるように、いじめの訴えがあったら24時間以内に学校として対応する、というような決めごとが、どの学校でも共通に行われなければならない。
 だとしたら、今回の文科省の方針は、問題解決の本質からはずれているのではないかとの疑問も抱く。
 とくに先生方のプライド的にはどうなんだろ。
 ふーん、じゃ俺はおりた、あの専門家にまかせちゃおう、というような感覚になってしまわないだろうか。
 そこが心配だ … とか書いたってどうにもならないのだけど。

 話はもどるが、すぐれた実践家、名人教師、あの先生にさえまかせておけば大丈夫、というようなすごい方は、そんなにはいない。本を出されるような先生は、ほんのひとにぎりの方々だ。
 学校の先生のほとんどは、ふつうのおじさん、おばさんであり、ふつうのおにいちゃん、おねえちゃんなのだ。
 たとえばふつうのお兄ちゃんが、ファーストフードでバイトしてたとする。
 中学生の集団が来る。店内を我が物顔で歩き回り、大声で騒ぎ、ほかのお客さんに迷惑になっている。
 アルバイトとはいえ、少し静かにしてもらえますか? って言わないといけない状況になるかもしれない。
 かりに注意したとしよう。あんだと、こるぁ、誰にいっとんじゃわれ、大阪湾浮かすぞ、とか言い返され身の危険を感じるような目にあうかもしれない。
 そういう状況は、週に三日バイトしてたとしてどれくらいの頻度で出会うだろう。現実にはごくたまにだろうけど、そうなった場合にはとんでもないストレスをうける。
 学校というのは、年がら年中、朝から晩までその手のストレスを受け続けている状況にもなり得る場所だ。
 生徒にとって、ファーストフードの店員さんと、学校の先生との差があんまりなくなってきているから。
 なので、先生が先生らしくふるまおうとすると、「なんで、この人にこんなことを言われないといけないのだろう」と、純粋に疑問を抱く子もいる。
 学校の先生は「えらい」存在だという建前がほぼ失われつつある世の中全体の感覚が、その一因であることは言うまでもない。
 これは別に新しい発見ではないし、「プロ教師の会」の方々は随分前からそう主張していた。
 「こわい」父親も、近所のおっちゃんも、おまわりさんもいなくなったのだ。
 「先生の言うことはきくものだ」として扱われる「先生」でなくなってきた。
 北村弁護士の目線がだいたいそうではないか。
 ご本人にどの程度自覚があるかはわからないが、「学校の先生に」という言い方のなかには、「自分よりもあきらかに知的能力、事務処理能力が低いあの人」たちというニュアンスがこめられている。
 教室内カースト以上に強固かもしれない職業カースト意識が見え隠れしている。
 そういう娑婆の現実のなかで、おだてられると木に登るタイプがけっこういるはずの先生方に対して、専門家がやるから引っ込んでてねと言うのは、ちょっともったいないと思うのだ。

 ああ、なんでこんなことを書いてるんだろ。
 帰って寝なくちゃ。昨夜は最近の自分にしては遅くまで起きていた。
 もう作業は明日にまわして撤収しなさいと放送したのが一時半ころ、そこから片付け終わるまで一時間以上あったかな。
 気力をふりしぼって起きてしまえば、今日の午前中はクラスの準備なので、少しのんびり目にすごし、ギターの弦をかえたりしていた。
 午後は、会場づくり、そのあとリハーサル。買い出しの不足分を買いにいったあと、自分も少しリハーサル。居残り組を駅まで送り、学校の戸締まりもしたから、もうパソコン閉じて帰ろう。

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9月5日

2012年09月05日 | 学年だよりなど

 1学年だより(コミュニケーション力)

 ~ 「ぶっちゃけ、Jリーガーになりてぇのか?」
 少年香川は「なりたいです」と素直に答えた。
 香川が行きたいチームにあげたのは、鹿島アントラーズだった。
 太田はさらに粘り、「でも本当に行きてぇのはどこよ?」と訊くと、とんでもない夢が飛び出した。
「バルサに行きたいんです。いつかあの場所でプレーしてみたい」
 … 太田は懐かしそうに言った。
「あの言葉が忘れられないんですよ。夢のまた夢だと思っていたら、そのあとひとつづつ階段を登って確実に近づいているでしょ。あいつなら実現できる。そんな気がしてならないです。」(木崎伸也「裸の香川真司」週刊文春2012.9.6号より) ~


 「太田」とは、香川真司選手が高校二年生のときの副担任である太田祐一教諭だ。
 授業中、一心不乱にサインの練習をしている香川に気づき注意したこともあるという太田先生は、「こんなすごい選手になるなら、もっとやらせておけばよかった」と笑う。
 故郷の神戸を離れ、宮城県立黒川高校にサッカー留学した香川選手は、「みやぎバルセロナ」の一員としてクラブユース選手権に出場したり、U-18東北代表に選ばれたりする。高校二年の冬には、セレッソ大阪とプロ契約を結ぶ。高校在学中でのプロ契約は、Jリーグ史上はじめてだった。
 ぬきんでた才能をもつことに気づいていた人は多かったが、「バルサでプレーしたい」という言葉を本気で受け止められる人が、当時何人いただろう。
 高2の冬から6年、今、香川選手は、バルサと並ぶビッグクラブ「マンU」で「ふつうに」プレーしている。世界のビッグクラブでプレーすることは、他人から見れば「夢のまた夢」であっても、当人にとっては実現可能な一つの階段だったのだ。

 ことスポーツにかぎらないが、高い能力を持ちながら、外国の大舞台では萎縮して本来の実力を発揮できない日本人は多いという。
 香川選手の成功のかぎは、日本人らしくないとも言える高いコミュニケーション能力にあると、スポーツライターの木崎氏は指摘する。
 2009年、香川選手はJ2の得点王となる。シーズン後、ドイツの数チームから声がかかり現地視察に出かけたある日の夜のこと、香川選手は現地コーディネーターに「クラブに行きたい」と申し出た。サッカークラブではなく、呑んで踊って楽しむあのクラブだ。
 ジュッセルドルフのクラブに連れてこられた香川は、言葉がほとんど話せないにもかかわらず、ドイツ人女性に積極的に声をかけた。
 プライベートな国際交流と言っていいかもしれないが、ふつうはこれをナンパと言う。
 当時は香川よりも圧倒的に有名だった内田選手と勘違いする女性たちに、「そうそう、ウチダ!」と押し通し、楽しく国際交流したそうだ。言葉ができないことなど関係なく人に接することのできる香川選手は、商社マンや外交官になっても成功していたにちがいないと木崎氏は述べている。


 香川選手のコミュニケーション能力は、ドルトムントに移籍してからも、遺憾なく発揮された。
 チームの選手と食事をするときは必ずグループの会話に加わり笑い声をあげていたし、チーム内の一匹狼的存在だったグロスクロイツ選手とは、いつしか親友になっていた。
 専属通訳の山守氏からすると、「真司に意味がわかってるとはとても思えなかった」と笑う。
 言葉ができなくてもコミュニケーションできるくらいだから、ひとたびピッチに出れば、世界共通言語のひとつとも言えるサッカーで、他のメンバーとコミュニケーションすることは、ある意味たやすかったのかもしれない。
 クロップ監督は、香川選手がチームの戦術にすぐ適応できたことに驚く。


~ 「当時、私がドルトムントを率いて三年目で、かなりチームが完成に近づいていた。にもかかわらず、そこにすっと真司は入ったんだ。そうした能力がすぐにブンデスリーガで力を発揮できた理由だと思う。」 ~


 昨シーズンを優勝で終えたあと、香川選手は極秘にマンチェスターへ赴き、ファーガソン監督と面談することになっていた。「真司は去る」とチームの面々も感じていながら、正式に決まってない状態ではお互いに別れを告げるわけにはいかない。
 最終戦のあとは、皆たんたんと自分の荷物を片付けていた。
 しかし香川選手がロッカーを出ようとすると、クロップ監督が立っている。
 身長191㎝の大柄な監督が突然香川を抱きしめる(ちなみに香川選手は172㎝、63㎏。ほんとふつうだよね)。すると香川はむせび泣き始めた。
 「真司、二年間、ほんとうにありがとう」監督も涙ながらに伝えた。
 この瞬間のことを、クロップ監督は「一生忘れられない瞬間だ」と言う。「これからさらに飛躍することを祈っている。いつでも帰って来れるように、彼の席を空けておくつもりだ」と、後のインタビューで話している。
 たんに技術的にすぐれていたというだけで、ここまで愛されることはなかっただろう。

 新天地マンUで、先日3試合目を終えたばかりの香川選手。
 リーグ初戦からスタメンだったことに驚くばかりか、二戦目ですでにプレミア初ゴールを決める。
 サッカーに詳しい人ほど、信じられない光景に見えることだろう。
 前の号に登場した高校時代の太田先生とは、今もメールのやりとりがあるそうだ。
 ドイツで今は清武選手のサポートをする山守氏のもとにも時折連絡が入る。先日も、「山守さん、タクシー呼んでもらえませんか?」と電話があった。英語が苦手な香川選手のSOSだった。山守氏はマンチェスターに国際電話をかけ、車を手配してあげたという。
 香川選手の前には国境の壁さえないに等しい。今後ますます活躍することだろう。

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I'M FLASH!

2012年09月03日 | 演奏会・映画など

 教祖ルイが採った魚を、浜で焼いてボディーガード三人にふるまうシーンがある。
 「なんていうか、これうまくないスか」と一番若いボディガードが言うと、「皮がうめぇんだよな」と一番年嵩のおじさんがつぶやく。
 ほんとに? うろこもとらずに、薪の直火で焼いた皮がほんとにおいしい?
 焼き魚の皮は、おいしいよ。強火の遠火で焼いてほどよい焦げ具合になっているやつ、もしくは炭火であぶった皮。前に丸広の地下で買った鮭の西京焼きの皮はたまんなかった。でもね、このシーンのシチュエーションで焼かれた皮は、ほとんど黒焦げの煤状態で、とても食べられる状態ではないはずだ。こういうディテールが気になる。
 ちなみに、年の若いボディーガード役は、瑛太の弟の永山絢斗くんである。「ふがいない僕は空を見た」に田畑智子さんと主演したと聞いた。秋の公開が楽しみだ。
 監督さんは、こういうシチュエーションで魚を焼いて食べたことはないんだと思う。
 主人公の藤原竜也くんは、若くてイケメンの新興宗教教祖を演じるのに、これ以上ない役者さんだろう。
 でも藤原くんの力がいかされているかというと疑問で、それは「ヘルタースケルター」で主役をくってしまった水原希子さんの扱いにも言える。もったいないとしか言いようがない。
 若くてあふれんばかりの才能をもつソリストが集まったカルテットに、簡単な練習曲をあわせてもらっている感じとでも言えばいいだろうか。
 焼き魚的違和感は他にもいろいろあり、「なんか全体にウソくさくない?」と感じた。
 もちろんウソでいいのです、映画なのだから。新興宗教の教祖のウソくささを表現しようとしたのかもしれないが、そうだとしたら稚拙だ。ウソを強調するには、その他のことはほんとリアルに、一点のすきもなくホントで固めておいて、ルイがらみだけをウソにする。
 教団の空疎な教義と、現実世界における「死」の空虚さとを重ね合わせて表現したいのかなとかいろいろ忖度したつもりだけど、入り込めなかった。
 沖縄を舞台にしたファンタジー? うん、いっそ全部夢の中の話でした、と最後にひっくりかえした方がリアルだったかな。
 自分の読解力が足りないかもしれないから、決してこの作品が不出来なんて言わない。ちょっともったいないかなと。たぶん現実の娑婆を生きている「大人」には物足りないだろう。R12だったけど、むしろ若ければ若いほど楽しめるんじゃないかな。
 でも、大人ってしょうがない。
 自分が悪いのかもしれないのに、作品にせいにして不満を述べたりして。
 こういう大人になってしまうと新興宗教にのめりこんでしまうことも多分ないだろう。
 統一教会の広告塔のような存在だった桜田淳子さんも、50何歳かの今、その教会に出会ったなら、入信しなかったんじゃないだろうか。
 50年以上も生きてくると、なかなか観念の世界に自分をひたらせるのが難しくなるものだ。
 ぎゃくに若い頃は娑婆を知らないから、すぐまきこまれる。
 古い話だが、六年間の学生時代を過ごした学生寮は、共産党系の学生組織民青の面々が多かった。そのまま専従になった友人もいる。
 亡くなった文鮮明氏の統一教会の学生組織原理研も大学にはあって、あと革マルさんとか、解放同盟さんの方もいた。ときにぶつかったりしてる場面もあったけど、今になってみるといったいあの頃は何が問題だったのか不思議に思うくらいだ。
 きっと「右」でも「左」でもよかったのだろう。それは違うと言われそうだが、そういうものさしでは世の中はいかんともしがたいことを、ここ数十年の間に友人たちも気づいたはずだ。
 観念の世界に自分をおくこと、一つの思想で自分を満たしてみること、それ自体がたぶん若者には大事だったのだ。
 自分のなかには何もないと気づく時代、もしくは自覚はないけど身体は何かで埋められることを欲している時代が、青年期なのかもしれない。
 その欠落感を何で満たすのか。人によってそれが「思想」であったり、「夢」であったり、「利益」であったり、「愛」であったり、「行動」であったりする。
 きっとそれらには貴賤はない。お金儲け第一人生を送るひとをあさましいと言ったり、新興宗教にはまった人をさげすんだりすることは、だから間違ってるのかなと思う。

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