水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

合同練習

2012年09月02日 | 日々のあれこれ

 集合して一日の流れを確認してから、新フィジカル係による体操。朝食。
 そうじと平行して昼食の買い出し、個人練、アンサンブル練習のあと基礎合奏。
 昼食を食べて中型バス、マイクロバスに分乗し、星野高校さんに向かう。
 部員が各パートの部屋に別れたあと、新しくできた第二小学棟や星野ドームなどを今井先生に案内してもらった。数年前に共学部ができて、新しい体育館やハーモニーホールが建設され、小学部もつくられた。
 「みずもちさん、小学校の免許もってるよね?」と校長に訊かれてドキっとした記憶もずいぶん古くなったが、同じ星野学園に所属していて第二校舎界隈がどんなことになっているのか、今はまったく知らない。
 気がつけば校舎は増殖を続け、ドームと呼ばれる雨天の運動場が完成し、もうすぐ完成という野球専用練習場も遠くに見えた。
 本校には存在しないエレベーターで何階かに上がり、渡り廊下を通って進んでいくと、自分がどこにいるのかわからなくなるた。まるで増築をつづける老舗旅館のありようだ。直接の影響はないが、ありがたい発展ぶりである。
 ダンスチームの練習につきあったあと、合奏会場に行く。教室二つ分くらいの音楽室がその場所なのでさすがに100人を超えるメンバーでの合奏は酸素が不足していた。そのせいも少し、練習不足がほとんどの原因で、演奏はまだまだ。
 少しでも楽しそうに見えるように演奏しようと最後に話させてもらった。
 考えてみると、毎年同じことを言っている。少しでも役立とうと毎年テンション高めの司会をこころがけているが、空回りしてるかなあ。ま、空回りは学校の先生の専売特許と言えないこともないから、こんどもがんばろう。
 練習を終えて、川越駅下車希望者をそこでおろし、学校組で片付けをし、職員室で『ブラスデイズ』を読んでいたら眠りに落ちていた。
 気がつくと、けっこうな時間そうしてたので首がいたい。
 気がつくと、小講堂のかぎがもどってきてない。
 こんな時間まで誰か残っているのは考えられないと小講堂に行ってみたら、最後の一名が床に大の字になって寝ていた。
 Yくんをおこし、校舎をしめて、土日企画が無事終わったので、ご褒美にセブンイレブンでおでんをたくさん買って帰って久しぶりに(一晩抜いただけじゃん)口にしたビールはおいしかった。

 

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合宿

2012年09月01日 | 日々のあれこれ

 県立高校はまだ始まってなかったり、8月中に始まってしまったりのようだが、本校は土曜の今日が始業式。
 とくに事件もないから普通に体育館に集まり、校長、指導部長の話を聞き、教室にもどってHR、そのあと放送の指示に従って避難訓練が行われた。関東大震災にあった9月1日が防災の日となっているが、3月11日もなんらかの日に設定して(もうなってるのかな)、震災を忘れないように、原発事故を忘れないようにしないといけない。
 家族や縁者の命日もそうだけど、そういう形で日を設定するのは、大事じゃないかと思う。「誰それのことは忘れられない」「何々の出来事は一生の傷」と時に人は言うけれど、人間の記憶ははかないもので、五感が感知しないものは、どんどん脳の奥深くにしまいこまれていく。その瞬間の喪失感がどんなに大きくても、時が経てばそれは薄らいでいく。逆にそうでないとつらくて生きていけないし。薄らいでいくことにまた人は罪悪感を覚えたりしてしまう。命日とか記念日という形で、その日だけは思い出して悲しみにうたれたり、感謝したりし、その日が終わればまた日常にもどっていけばよい。残された者までずっと不幸だったら二次災害が大きすぎるから、それでいい。よくできたシステムだ。
 午後は、各アンサンブルチームにひととおりみんなの前で発表してもらう。やっと譜面を読み終えたというチームがほとんどだった。平行して、コールユーブンゲンのテスト。発表のあとチーム別合奏曲の合奏。
 夕食の後、星野高校で合同演奏させてもらう曲の合奏と踊りの練習。からだのキレがよくない。たぶん気持ちが足りない。一人一人の踊りのテンションはそのまま演奏とかぶる。歌もそうだけど表現する身体になっていくためには、このへん妥協したくない。そのまま一晩のプチ合宿に入った。

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