学者は目の付け所が違う。自民党憲法草案の第13条は「全て国民は、人として尊重される。…」ところが、現憲法は「すべて国民は個人として尊重される。…」となっている。
違いは「人」と「個人」だけだ。だが、これが一番の大事な所だと学者はいう。
ここで言う「人」の意味は犬猫とは種類の違う生物という程度の軽い存在であるそうだ。一見「人」は耳障りが良い。
よく考えると、我々は犯罪行為と犯罪性の狭間の時に「人として許されるか」と使う。落ちると「人でなし」になる。最低線の人間性という事かな。
これは、自民党の改憲派は侮り難し、けっこう食えない奴らだ。だから小林節は袂を分けたのかな。彼は高みで教えたつもりが、みごと裏切られたんだね。
「人」という概念は広い。「個人」の方が限定的な意味であろう。現憲法は「それぞれに個性を持つ個人として尊重される」ということだ。
自民党の改憲派は、個性を持つ個人を否定し、国に従う国民を求め、その民をヒトと呼んでいるのかもしれない。気をつけないと騙されてしまう。
自民党の改憲派という法務族は、世襲のお人好しばかりではなさそう。
【参考:小林節・樋口陽一『憲法改正の真実』集英社新書より】
まだ、八重桜は盛りだ。