終わり良ければ総て良し、そんな“言い語り”がこの国にはあります。
菅氏は自民党内の権力争いの敗者として恰好形無く官邸の通路から消えて行きました。
彼は、何の為に政治を志したのか、という問いにも一切答える言葉すら見つからなかったような傷心振りでした。彼には敗戦の弁をぜひ本人の口から聞きたかった。
田中角栄の演説は彼の人間性や日頃の勉学の積み重ねが現れていましたが、菅氏は策略や恫喝の技術を磨いて、霞が関に官邸人事権を駆使しただけの政治家のような気がします。
何か冴えない、ピリッとしない後任の岸田氏は、アベ・スガと違って、少なくとも憲法を歴史的に読み、日本の近過去を普通に捉えていると思われます。それだけでも言葉が通じるような人間に見えます。
権力の空白か、官邸の恫喝がないのか、ここぞとばかり、マスコミは彼の傀儡性を問題化していますが、その舌鋒をアベ・スガ時代に使うべきでした。
今更に岸田氏に多くを期待はしていませんが、まずは普通に日本語の返答ができる首相になって欲しいものです。まずは、それから、かな。
コロナ下の外食、その1。