私は新聞を取っていない。正確に云うと四大新聞を取っていない。いわゆる新聞配達店を通して新聞を買っていない。理由は簡単だ。事実を事実として書かない、時に嘘も平気で書く新聞に金を出して買う程のお人好しになりたくないからだ。
だから地方紙を郵送してもらっている。不便なのは県の便りや選挙公報が入らないことかもしれない。税金払って県の広報紙が来ないのは何だかおかしいが、…。
先日、『昭和を点検する』を読んでいたら、保坂正康が「(新聞が)満州事変の直前からおかしくなってくる」と云うと、半藤一利が「満州事変をやったのは関東軍だと見破った記者もいたが、中国を叩いた方が新聞が売れると思ったんでしょう。ジャーナリズムの業のようなものです」と云う。確かに歴史家が云うのだから納得したくなる。
いや待てよ、著者略歴を見れば、保坂は1939年生まれ、半藤は1930年生まれである。満州事変は1931年9月18日の出来事である。まあ、何を根拠に、自信ありげに、新聞がおかしくなったと云うのでしょう。ふと苦笑いをしてしまいました。
保坂と半藤は、この本の中では1932年12月19日の全国132の新聞社の「共同宣言」の全文を載せて、「新聞界全体の満州國支配の理を言明し、日本言論機関の名において国際聯盟の解決案を受諾すべきものではないと声明した」としている。これを以って、新聞の変調の証左としているのだろう。然しこれは、何故に国内の全新聞社が「共同宣言」を出したかの理由や根拠にはならない。
その後、昭和35年にも六〇年安保に対して、「暴力を排し、議会主義を守れ」という七社「共同宣言」があった。その時のマスコミへの違和感のような異臭は七〇年安保にも云い継がれていたような気がしている。
抑々、マスコミとか新聞社というのは、日頃はジャーナリズムの看板を掲げながら、時に政権の圧力に従い、営利企業の顔をヒョイと出すモノなのだろう。
この程度の事を知りたいだけです。