この本は、このコロナ下で読んだ中で、一番印象に残った本であった。定年退職後に近年の思想動向を観ようと若手の本を少しばかり読まさせていただいたが、例えば、東浩紀、萱野稔人らの偏差値の高みからの思想世界に比べて、白井聡は、年寄りの少しボケた私にも解りやすい言葉で語ってくれたという印象だった。
白井は、K・ウォルフレンとの共著で出した『偽りの戦後日本』角川学芸出版の中で、たまたま自らの『永続敗戦論』について、次のように語っていた。
東西冷戦が西側の勝利に終わったことで、日本は勝者の側に立った。しかしそこから日本の負けが新たな始まりとなった。白井がこの言葉を思いついたのは、加藤典洋の『敗戦後論』からだと云う。
加藤はその本の中で、「敗戦」を「終戦」と言うことが、日本とアジア諸国とうまく行かない原因になっている、と云う。白井はそれを発展させて、『敗戦後』という時代は存在しない、今でもアメリカの属国状態が続いている。
いくら政権交代してもしょうがない。結局はアメリカの認める範囲でしか政策の選択肢がない。(⇒鳩山政権の崩壊)ということは、敗戦の状態がずるずると続いていることに気づいた。
以上が、著者自身のこの本のレビューと云うことになろう。
―実は、私も同じような考えを持っている。しかし、今はアメリカの属国ではなく、紛うかたなく、(精神的な)植民地となっているような気がしている。
特に最近のことで、山口、沖縄のオミクロン株の放出を当然とする駐留形態(所謂「地位協定」)に何一つ抗弁できない哀れなみっともない政府、しかも外相出身の首相でもあるにもかかわらず、自らの出身の広島が侵されているにもかかわらず、一切口を噤んでしまう状況を見て、この国の心的な病理は深いと思った。
この國は民主国家である前に、実のところ主権国家でもないことがよく判った。(続く)