「ポツダメ宣言」が出て、それを受諾するかどうかを鈴木貫太郎首相に記者たちは問い質した。
その裏で、朝日と読売は、「黙殺」「笑止」の見出しを用意していた。外務省は「ノーコメント」を用意してした。
結局、鈴木首相は「黙殺」を記者会見で了承し、その「見出し」がアメリカに利用されて、ヒロシマとナガサキに原爆を落とされる口実となった。その事を戦後になって、この国では問題化しない。ただ「二度と許すまじ」と歌うだけである。
我々は誰を許すべきではないのか?戦争をした指導者たちか!原爆を落としたアメリカか!口実を与えたマスコミか!
報道は戦争の片棒をしっかり担いでいた。陸軍や海軍と同罪であろう。それを止めなかった政治家、官僚にも責任がある。
東條政権の国務大臣の子孫である前首相は、無神経にも、このウクライナ危機の時に、「アメリカとの核の共有」を大声で言う。こいつは本当にどうしようもない。プーチンと仲が良い筈だ。同じ種類の人間(=独裁者)ではないのか。
新聞記者の中には、その責を恥じて、敗戦の日に新聞社を去り、北の大地に「たいまつ」という新聞を創刊した武野武治という記者がいた。彼の生き方に記者としての矜持を感じる。(鎌田慧『反骨のジャーナリスト』岩波新書)