外交のアベが「核の共有」を言う、これ自体が外交の否定だろう。鉄壁のガースーが、台本が無ければ、記者会見すら開けない程度の会話能力だった。マスコミの造った虚像だった。自らの耳を塞いで、天皇の懸念も聞かずに「安心・安全」と念仏を唱えてオリ・パラを強行した。その間、コロナによって多くの老人の命を奪った。さぞかし年金や健康保険を所管する厚生労働省の官僚たちは内心喜んでいたに違いない。
抑々、この国の官僚たちには税金で予算が成立しているという感覚を失い、この国の国有財産価値と国民の預貯金を担保財産として、それを国債という借金にして、日本銀行に紙幣を印刷させることが官僚の裁量だと思い始めている。
そして、東大卒の割には安月給で我慢して、早い定年後の自らの天下り先を確保するために、永遠に続く自民党政権の有力議員の政治献金先に公金?をその議員の御機嫌を取って配っている。
そんな感じが透けて見えるのだ。
まず、「厚生」労働省という古めかしい名称を変えよう。医系技官を各大学からの期限付きの派遣にしょう。これが民間派遣、「官から民へ」基本路線ではないか。
橋本行革で表面だけ減らした省庁を復活して、責任主体を次官に限定すべきだ。
旧省庁数以上に実質次官級の審議官を増やして、次官相当の天下り先を増やしているのだろう。
ともかく知恵の出ない、人事が恐く意見具申の勇気のない、出世欲の塊の国家官僚の替わりに、非正規の国家公務員や民間からの派遣公務員を推進するべきだ。
それが小泉、竹中がやるべきだった、本当の「官から民へ」ではないか。
まずは、コネクティングルームの医系技官や財テクをしている分科会会長やいつもマスクや下を向いて顔を隠しているアドバイザリー・ボードの医学者を交代させて欲しい。もっと実行力のある頭の良い民間の学者や研究者を派遣するべきだ。
今年の梅はとくに印象深い。