『昭和天皇独白録』という本のタイトルは、その意味は「独り言」(格好つければ、「モノローグ」かな)であるが、実際に天皇の独り言を五人の側近たちが聞いたものをまとめた風のタイトルだが、そう名付けたのは文芸春秋の半藤一利があらゆる方面へ配慮した苦心の作品であろう。
この記録が創られた時期は昭和21年3月~4月だという。半藤は「21年1月25日にはマッカーサーが天皇を戦犯からの指名から除外することを決めていた」とあえて触れているが、それは天皇の「御記憶の記録つまり回想録」の作成意図を「東京裁判」との関わりを薄めようとしたのであろう。
しかし、この「天皇の回想録」の最終の日は4月8日である。その日以降に、4月17日に国際検察局でA級戦犯が決定し、天皇を訴追しないことを確定している。半藤は天皇が無罪決定を1月にしたかったのであろう。
また、半藤は「五人の側近たちの質問に、真摯に、…一つ一つお答えになられたモノである。その意味からあえて独白録と冠したが、…」と書いている。「独白録」とした理由に、何故「あえて」を付けたのだろうか。半藤の真の意図を図りかねている。多分「昭和史研究家」としての自己納得の領域で、到底読者には解らない。
本筋に戻すが、伏見宮の部分を「書き落とし」とした件だが、半藤が「独白録」と冠した勇気はあったが、「天皇の回想録」の一部をあえて一研究者として抜いたとは思えない。また、それ程の度胸はあるまい。
とすれば、半藤の手元に資料が来た時から、伏見宮に係る記載が抜け落ちていたことになる。
近年、アメリカのオークションで現物を日本の医師が落札して、国に寄付したと聞いた。
是非、その現物を見て、当該の部分を確認してみたいものである。
単なる推測だが、天皇が平和主義であることの証左とならないから、抜け落ちたとすれば、天皇にとって、或いは、皇族にとって都合の悪いことが書かれていたのかもしれない。(次回へ)
【参考文献:粟屋憲太郎『東京裁判への道』講談社学術文庫、『昭和天皇独白録』文芸春秋】