高松宮の戦争回避の動きは、『木戸日記』でも確認できる。
木戸は11月30日午後3時に拝謁し、天皇から「海軍は日米戦争は避けたい」という高松宮の話を告げ、木戸は海軍大臣と軍令部総長を呼んで確認した方が良いと奉答する。
結果として、午後6時過ぎに島田海相と永野総長を拝謁し相当の確信を奉答したと日記に書かれている。
不思議なのは、この日の午後1時に木戸は高松宮邸を訪ねているのだ。高松宮は午前中に天皇に拝謁したことを木戸に云わなかったのか?二人の関係はどうなのだろうか?
実は『高松宮日記』には、何故だか、11月14日から30日までの記載がすっぽりと無いのである。
『昭和天皇独白録』が1991年刊行、『高松宮日記』が1995年の刊行である。
何かしらの意図、若しくは辻褄合わせを感じてしまうが、…。
『高松宮日記Ⅲ』の編集後記には次の通りに書かれている。(次週へ)