玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

近現代史の裏側⑻ ― マッカーサーの警告 ―

2023-11-14 10:20:24 | 近現代史

実は、私はマッカーサーのことはよく知らない。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と云ったとか、降伏文書を署名したミズリー号の艦上の飾られた米国国旗がペリー来航の際の歴史的な国旗を掲げたとか、或いは、あのパイプを咥えた写真の顔から推察すると一筋縄の男ではないような気がする。

彼の気分や性格や趣味を徹底的に配慮、日本なら忖度してGHQは動いていたような気がする。

話は変わるが、近衛文麿は戦犯訴追を恐れて自死した。木戸幸一は天皇を無罪にするのは自分が無罪になることだとの理屈を振りかざして『木戸日記』を差し出して、自らの死刑を逃れた。私感だが、その二人の犠牲になったのが廣田弘毅であろう。

まさに華族の頂点である近衛公爵・木戸侯爵の二人がGHQから狙われたが、意外にも70歳を超えている皇族の梨本宮守正王まで巣鴨プリゾンに収監された。それはGHQの警告で、本命は伏見宮だったのではないか、と。

その梨本宮が釈放された日が4月13日、つまりは「天皇回想録(=天皇独白録)」の天皇のお言葉聴取の最後の日が4月8日なのである。

ここまで、関連し符合すると、『昭和天皇独白録』というモノが、どういう筋合いのモノなのかはいろんな解釈ができるというヿが見えてくる。

単に「回想録」だと云う人も居るし、東京裁判の「証言」準備資料だと云う人も居るだろう。あるいは、簡易略式な「尋問」記録だと云う人も居るかもしれない。

戦後80年たっても正式な発表はないし、この圀では、これからもないだろう、たぶん、…。

1995年刊行の文庫版『昭和天皇独白録』の巻末には、解説にかえて「座談会ー独白録を徹底研究する」が載っている。そこで秦郁彦は独白録を「東京裁判対策だ」と云うと、児島襄「弁明書だと思っていない」と返し、伊藤隆も「弁明書ではない、これは楽しく読んだ方が良い」と同意見だが、半藤一利はこの時沈黙していた。

それから20年経って、2015年刊行の本書において「東京裁判対策だ」と認めたようだ。時間が重い口を開かせる。(次週へ

 

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