『昭和天皇独白録』には、「皇族その他にも戦争論が多く、平和論が少なくて苦しかった。東久邇宮、梨本宮、賀陽宮は平和論だったが、表面には出さなかった。」と書かれている。
この天皇回想録(=独白録)が作成された最終日は1946年4月8日である。不思議なことだが、何の理由づけも無いとは思うのだが、4月13日に、昨年12月2日に巣鴨プリゾンに収監された梨本宮が釈放されている。偶然の附合なのであろうか、…。
また、「高松宮も砲術学校に居た頃、若い者にたきつけられて戦争論者の一人だった。」とも書かれている。がしかし、高松宮は避戦の動きもしているのである。
『昭和天皇独白録』には、1941年11月30日に高松宮は天皇に拝謁した。その時のやりとりは「今この機会を失すると戦争は抑えられぬ。12月1日から海軍は戦闘展開する」私は負けはせぬかと思う。
高松宮は「それなら今止めてみてはどうか」と云う。(次回へ)