「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「少しだけ訂正を」

2018年05月31日 | スポーツ・観戦

               

まさかまさかのまさか話。
「勝負の世界、特に野球にはまさかの勝ち、まさかの負け、というまさかという坂がある」と言ったのはあの名将野村勝也氏である。
「負けに不思議なし、勝ちに不思議有り」と言ったのも野村勝也氏であった。

さしずめ昨夜のカープの逆転サヨナラ勝利は、まさしくこの言葉通り、まさかの坂を上り切った不思議な勝ち方である。などといったらカープファンに叱られるかも。
兎に角、時計は11時を回った延長10回の表。西武ライオンズは満塁から走者一掃の二塁打で3点をリードした。
ここでテレビに八つ当たり。勢いよくスイッチをブチ切ってさっさと二階のベッドに。楽に勝てて散る試合をクローザーがホームラン打たれて同点、延長に。挙句3点取られたのだから、「交流戦が終わった時点で貯金がいくつあるだろうか」と心配している現状では、寝つきの悪い負け方であり、貯金が二つ減ったと思い込んだ。

ところが今朝の新聞では、まるで優勝でも決めたようなカープナインのはしゃぎぶりの写真が紙面に躍っているではないか。
「貯金がいくつになるか」などとみくびった考えを持ったことを、少~~し反省し昨日のブログを少~し訂正したいと思った。
それほどにチームを勢い付けるはずの試合であった。
投手が打たれたら野手が支える。野手が打てないときは投手が支える。そんな連携が生まれることを信じさせる、見事な逆転サヨナラ勝ちを収めた。褒めてやらねば・・・と心底思った。

・・・・・・と、本気で訂正しようと思ったとたんに、今夜は2回の表に一挙10点を献上。タオルを投げたくなる試合になった。
ストライクは入らない。ランナー出せば判で押したようにタイムリーヒット打たれる。あれよあれよという間に10対1。
こりゃぁやっぱり貯金がいくつになるか心配になる。それにしても3万人を超えるファンに失礼な野球を見せるものではある。

思いもよらないまさかの逆転勝利。かと思えば1イニングに10点失う情けなさ。野球って面白いと言うべきか怖いスポーツを言うべきか。

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「貯金をいくつ残せるか?」

2018年05月29日 | スポーツ・観戦

       

プロ野球は開幕から2カ月を経過した。そしていよいよ今日からセ・パ交流戦が始まった。
オラがカープの勢いや如何に。取り敢えずはセリーグの中では貯金10。2位以下の団子レースを横目に、4ゲーム差のダントツ。
気分の悪かろうはずはないが、昨年までの強さとはひと味もふた味も異なる、痛快さに欠ける強さである。

目下貯金10でスタートしたものの、交流戦18試合が終わった時点で、果たして貯金がいくつ残っているか、興味深いところである。昨年一昨年のように、夏に向かって燃え上がる熱さに欠ける気がしてならない。つまり「カープは強い!」と言い切れないもどかしさを感じてしまう。弱いのか?と言えば決して弱くはない、と思いたい。でも本当の強さを感じない。

昨年一昨年とどこが違うのだろう。
投手はちぐはぐ。打線はさらにちぐはぐ。特に打線は、完全に相手バッテリーに弱点を握られてしまった。インコース高めのとんでもないボール球を振りまくって空振り三振でうつむく姿を何度見せられたことか。かと思えば、アウトコース低めに曲げられると、赤子の手をひねるが如く空振り三振。同じようなブザマを繰り返す。単なる選球眼の悪さなのか、コーチの助言不足なのか。

投手陣は「逆転のカープ」と言われるように、中盤・終盤に出てくる投手が抑えに抑えて、味方打線の反撃を待った。反撃するまで点を相手に与えなかった。小気味よく抑えていた。それは昨年までの話。今年はどうだ。まだまだ疲れるには早すぎる時期なのに、中継ぎ、抑えがなかなかその役目を果たしていない。気がかりな材料が多すぎる。

世に言う三連覇は容易なことではないことは百も承知。でもなんとか球団史上初めての三連覇を見せて欲しい。
応援しているよ。ドドドォ~~~! 怒涛の勢いで交流戦を乗り越え、少なくとも10以上の貯金を。最低でも現状の貯金10を減らさないでがんばってくれ。取り敢えず今夜は、パリーグ首位の西武にコテンパン。貯金が1つ減って9に。

カープの強さは、一人の豪傑が火事場のバカ力を発揮して勝ちをもぎ取るのではなかったはずである。全員が後ろのバッターにつないでつないで、相手投手を根負けさせる「つなぎ野球」「全員野球」が信条である。思い起こしてほしいものだ。

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「成長のあとさき」

2018年05月27日 | 晴耕雨読

            
                                   目を摘むほどに伸びたスイカとそれなりのスイカの枝葉

雨降りの予報を前に、茎の倒れ始めたタマネギやニンニクを取り込んだ。
我ながら今年のニンニクはよくできたと悦に入っている。ジャンボニンニクではないかと思わせる大ぶりなものもある。
「中国産は安いけど、国産品は高くてなかなか買えないんよ」と、中国製農産品を極力避ける山の神が、今年の出来栄えを喜んでいる。

同じように作った畑に、同じ時期に種を植え、同じように水をやって育てたというのに、発育不全で物の数に入らないものもある。
こりゃぁ出来過ぎで大味かもしれない。などと心配させるものまで、出来栄えはまちまち。まさしく不ぞろいを見せつけられる。

これらを収穫したすぐ横の畑には、4月半ばに苗を植え、畑の行灯で風や虫よけをして、全く同じに育てたスイカが芽を伸ばしている。
このスイカこそ今の段階では不ぞろい極まりない。かたや四方八方に枝葉を伸ばし、すでに芽欠きをしなければならないほど成長著しいものと、未だ10数センチ伸びただけの苗もある。これが完全に活着して実を生らせるのだろうか、いささか心配になる。

たった4本しか植えていないのだから、広い畑で思い思いに栄養を吸って同じように大きく育てばいいようなものを。
同じように手をかけ、同じように日が当たり雨が降り注いでも、そう簡単に行かないところに、畑づくりの難しさと醍醐味が隠されている。だから今は発育不全でも、やがては他の弦と同じ様に伸びて、大きなスイカを期待して、なだめたり好かしたり、大事に育てるのである。

自分自身の過去を振り返っても同じようなことはいっぱいある。
同じように小学校に上がって、同じように成長し中学生になった。その頃からこのスイカと同じように不ぞろいであり出来のいいのとそれなりに分かれてきた。どちらかと言えば発育不全で、親を嘆かせる不ぞろいの良くない方の代表格だったような気がする。

まあそれでもなんとか人並みの生き方をしてきた。同じように、今はゆっくりの成長でいいから、やがてその時が来たら貯えた力を発揮して、孫たちに抱えられるような大きなスイカを、一つでいいから頼むよ!と、今日もしっかり草取りをする。

 『子ども叱る来た道じゃもの 年寄り嗤うな行く道じゃもの!!』

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「心和ませる海」

2018年05月26日 | つれづれ噺

            
                         すぐ近くの船溜まりで見つけた、悠然と泳ぐコブダイ。70cmは優に超えていた。

先日のイカ巣網漁で、漁船に乗り込む直前に、船が係留されている岸壁から何気なく海を覗いた。
水深約2mというところか、透き通った水の中でゆったり動く、白っぽい大きな魚を見つけた。なんと全長70cmは優にありそうだ。
思わずカメラを向けながら大声で仲間を呼んだ。「オー!大きなコブダイじゃ」と、いとも簡単に言う。

長年海のそばに住んではいるものの、これほどの大きな魚は近辺で見ることは先ずない。
まさに、餌も十分足りた様子でゆったり泳ぐ様は、水族館の水槽と似ている。ただ、ここは自然の海。真上から水の底を見下ろすだけで、横からや下から見ることなどできはしない。ただこうして岸壁に立って見下ろすだけだが、感動ものであった。
頭のこぶの大きさでその成魚ぶりが容易に想像できる。

「岸壁に付いているカキなどの殻を破って食料にしている」のだそうで「こうして船溜まりの奥まで入り込むようになった」と言う。
「それにしても珍しく大物じゃ。でも大味でおいしくはないよ」と説明してくれた。漁師さんにかかると、魚もいい味と褒められるのは難しいようだ。味はともかく、こんな大きな魚を釣り上げる時の、まさに魚と人間の格闘みたいなものを味わってみたい衝動に駆られる。

潮の加減によっては、こんな大魚でさえ小さな港の奥までやってくるのを、この目で確認できただけでも儲けものであった。
そして思うのは、「公害を制するもの企業を制す」と言われた若かりし頃の我が社の姿を思い出す。

真っ黒い廃液を海に放流し、岸壁の石垣をことごとく黒く染めたひところがあった。沿岸の魚は匂いがあって食べられないという地元漁協のひんしゅくを買った。行政からも厳しい改善命令が出された。近くの島の海水浴場の売店のおばちゃんから「なんとかならないかねー、このままだと来年あたりこの海水浴場は閉鎖になる・・・」と嘆かれた言葉に恐怖さえ感じた。
あれから会社は死に物狂いの努力をした。排水浄化装置に大型投資をし、排水チェックをする我々の職場は多忙を極めた。

そして数年のうちに海水は徐々に青さを取り戻した。魚が生活するのに必要な海中酸素量も確保できるようになった。
そして今、海水は青く透き通っている。こうして大きなコブダイも港の奥まで入り込むようになった。

高度成長の裏側に色々な歴史を感じる。それらを乗り越えて掴んだ今の、『人にも魚にも優しい住環境』。
いつまでもこの穏やかな時代が継続するよう、企業のありようを見守りたいものである。

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「久しぶりのマイフォト!」

2018年05月24日 | 趣味・・エッセイ

 
  NHK山口「情報維新やまぐち」のテレビ画面に映し出された、マイフォト。今が旬の「イカ巣網漁スナップ。

かれこれ30年前に一度だけ体験させてもらったことのある、イカのカゴ上げ漁。
正式な漁の名は「イカ巣網漁」といって、コウイカを生きたまま泳がせながら捕る漁法である。
運よく友達グループが、イカ巣網漁に船で出かけるという話を聞きつけて、厚かましくもカメラを抱えてお邪魔した。

「オッ!これはいい写真」と自画自賛。兎に角NHKローカル情報番組に投稿してみよう、と思い立った。
コウイカと言えばまさに今が旬の、とろけるような美味しいお刺身が代表の海産物。その変わった漁法で生け捕りする様子は絵になると踏んだ。案の定昼間にテレビ担当者から電話があり、写真の簡単な説明や、漁の内容のウンチクを述べた。
「今夕放送の予定です」と言う。早速、船の持ち主や、網かごを引き上げているお友達に連絡。その時を待った。
一瞬を捉えた写真の1枚がテレビ画面を占領する瞬間。気分の悪かろうはずがない。つい乗り過ぎの自慢話で恐縮。

専門の漁師さんが、岸からおよそ1km、2km、3km、4kmと距離をおいた瀬戸内海に、はえ縄漁のように等間隔で網かごを沈めていく。網かごの中に仕込んだ木の枝を目がけて産卵に来る。一旦入ったら出られない仕掛けになっており、子を持ってよく太ったイカを生きたまま取り上げる、まさに新鮮そのものである。

今回はメンバーではないお邪魔虫参加であり、目的も船上調理などはない漁なので、活き作りのご馳走にはあやかれなかった。しかし「現場写真」という美味しい収穫があった。
30年前の船上酒盛りと、あの粘っこく、コリコリしたイカの活き作りの味は今でも覚えているが、あの時は現場写真などは思いもよらない時代ではあった。

イカ巣網漁を終えた戻り船で、サビキによるカタクチイワシ釣りしようということになった。
こちらは、カメラなんか邪魔になるほど入れ食い。鯉のぼりの如く、一度に5匹も6匹も釣れるは釣れるは。
これはカメラを邪魔になどしていられよう「こちらも絵になる」とばかりに、キラキラ光るイワシの釣り上げもカメラに収めた。丘で待つ仲間がいち早く料理して、アルコール抜きのイカの刺身。新鮮イワシのから揚げなど、最高の味に思わず舌鼓打つ美味しい美味しい一日となった。

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「二人の運動会」

2018年05月20日 | 家族・孫話

            
                 誰にも負けていられない!!

青葉若葉が香るような5月。孫の悠雅君が通小学校ではこの時期に運動会が行われる。
入学したばかりのピッカピカの1年生も、みんなと一緒に運動会の歌も歌う。指導する先生方の苦労が見えるような。

こちらは3年生になったばかりの我悠雅君。運動会の呼び物、プログラムの最後を飾る男子選手リレーを初体験することになった。
リレーに出る選手を決める予選段階では、今までかけっこで負けたことのない実績で自信満々、堂々としていた。
ところが運動会の最終練習に入る先週半ばから体調不良を訴え始めた。ジジやババが授業の途中連れに行って、我が家で遊ばせたり、散歩など気ままに過ごさせた。
なんとまあ、家に帰った途端に元気もりもり。食べるははしゃぐは「どこが悪いの?」と聞いてみたくなるやんちゃぶり。

本人は何も言わないが、これはストレスだなと見て取れた。
無理もない。3年生になったら始まる男子選手リレー、それを初めて体験する大仕事を抱え込んだのである。
それも3年1組の彼は、選手リレーの第1走者としてスタートラインに立たなければならない。もし1番でバトンを渡せなかったらどうしよう、というプレッシャーに押しつぶされそうになっていたのであろう。学校での本番に備えた練習が、段々怖くなっていたのかもしれないと推察する。頭が痛くなったり、戻しそうになったり・・・。
 
   綱引きのスタートダッシュに向けて     よさこいソーランもビシッと決めて! 

それなのにああそれなのに。運動会当日の朝は何もかも吹っ切れたのか、開き直ったのか。あのいつもの自信に満ちた笑顔がはじけていた。オッ!これはいつも通りの彼に戻ったな。まさに予感は的中!
徒競走もダントツ。よさこいソーランの遊戯もビシッと決まっている。目を剥いて我先に走る様子もいつもの通り。
綱引きは、スタートの合図で置かれた綱を一周していち早く綱を引っ張り始めるという面白い競技。
3・4年生と合同というのに2番目か3番目に早く走り、綱を持って引き始めるという元気さ。

選手リレーのプレッシャーはどこへ行ったのか。そんな調子で心配された選手リレー第一走者の責任を果たし、堂々トップでバトンを渡した。
意気揚々と引き上げて、3年生の運動会はどうにか無事終えた。

そんな彼を、ジジなりに精一杯応援したこぼれ話も生まれた。
5・6年生の競技で「お・ね・が・い!一緒に走って」というプログラムがあった。
スタートから10m先にカードが伏せてあり、カードには「校長先生と一緒に」「高校生と手をつないで」などと書いてある。それを客席に示してその人と手をつないでゴールを目指すというレース。

6年生の女の子が「マツダのクルマに乗っている人」と探していたがなかなか立候補者がいない。思わずアタシがグラウンドに踊り出た。
ところが彼女は「大丈夫ですか?走れますか?」と心配そうに聞いてくる。
「この子なかなか観る眼があるな」と感心するやら少しムッとするやら。「大丈夫、さあ行こう」と仲良くお手手つないでゴールへひた走った。その途中、悠雅君たちのいる応援席に手を振って「じいちゃんがんばってるぞ!」という無言の激励を贈ったりして・・・ヘッヘッヘ

これでもジーンズと運動靴といういで立ちで、走れるよ~というつもりで立候補したのに、6年生の女の子にはとんでもないお年寄りに見えたのに違いない。「こんなじいちゃん、走れるじゃろうか。途中で倒れられたらどうしよう」などと思ったのかも。

色々考えさせられることも多い、孫とじいちゃん二人の運動会であった。悠雅君に対しては、強気の発破をかけるだけでなく、優しい繊細な気配りで応援してやる必要も覚えた。
それにしても、小学6年生とはいえ、誰とも分からぬよそ様の女の子と手をつないで堂々と走る・・・。運動会ならではの一コマであった。
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「人並みに」

2018年05月16日 | 晴耕雨読

              

冬の厳しい寒さの中、苗づくり用ポットで種から育てたグリンピースとスナックエンドウ。
芽を出してからというもの、たっぷり水をやっては日当たりを見つけて移動させる。このわずかな努力で芽はぐんぐん伸びた。
やがて畑に移植して見守る。殊の外寒さ厳しかった今年の冬。霜の降り方も半端ではない。
出かかった柔らかい芽が霜に当たってはひとたまりもない。霜除け、風よけ、そして弦を上手に伸ばす。

何回か経験するうちに霜対策も上手になった。人並みに種から育てられるようになった。
別に自慢しているわけではないが、この「人並みに・・・」というのがなかなか骨が折れることではある。それらを何とかクリアーして迎えた今。グリーンピースもスナックエンドウもたわわに実を付けた。グリンピースは、なんと一つの鞘に最高9粒がぎっしり詰まっているのもある。

ここ10数年の素人の域を出ない農夫ではあるが、徐々に人並みに近づきつつある。
色々なコツや理屈は耳学問やネット検索で少しずつ身につけてきた。何よりも失敗した経験が大きく物を言っている。
その失敗も一度や二度ではない。一つをクリアーしたと思ったらまた別の失敗が出てくる。

これって何かしら自らの来し方そのものを振り返っているようである。
人並みに出来るようになるには随分な手間と時間と汗とくやし涙みたいなものが、人知れず土台となっているということか。
それにしても畑づくりは、一つを尋ねたら多くを教えてくれる先輩が身近にいっぱいいてくれる。
ところが、その人に合った、その人にしか成し得ない、人間の生き方の答えは、そう簡単に教えてもらえるほど単純ではない。

それでもなんでも、畑作物と同じ程度に、なんとか人並みに生きてきて今があるということか。
これからは、孫の歓声を夢に描いて、スイカ・トマト・トウモロコシなど、人並みの成果を目指して、ありったけの知恵を絞るのだ。

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「ジャガイモの花」

2018年05月13日 | 晴耕雨読

        


ブログアップが丸々1週間のご無沙汰となったことを、一言お詫び申し上げます。
毎年のことながらジャガイモの花が咲くころになると、個人的な話で恐縮ながらここ数年多忙を極める季節となっている。
所属している地域活動の定期総会が目前に迫っていて、事務局長さんとしては、総会議案書作りに追い立てられる日々という次第。

それも昨年一昨年までは、さほどとも思わなかったのに、何故か今年は殊のほか気忙しさや煩わしさを感じてきている。
進捗具合も思うに任せず、ついつい「こんなはずじゃなかったのに・・・」とか、「忙しければ忙しいほど燃えて取り組んで来たのに」と、過去の頑張りに思いが行ってしまう。スピード感がない、キレがない、根が続かないな~というじれったさ。
これってアレなんかな~・・・などと少し背筋が寒くなる。

好んでやっているわけではないが、まあまあこうして元気で動けている間は、地元民の一人として何がしかの役に立つなら、という程度の思いが頭をもたげ、結局は自己満足の世界に浸っている感もあるようだ。
要するに、皆さんの期待に応えるように多少の自己犠牲を払ってでも動こうとする義務感を、体よく利用されているんだな・・・と自覚はしている。まあそれも、何もせず暇を持て余すよりは脳の活性化になっている、と思う方が気楽ではある。

そんな忙しい作り主の足音も聞かない日が続いているというのに、畑の作物はほどよい雨や日照りに助けられて極めて順調に育っている。
多くの収穫を目論んで、狭い畑に欲張りのタネを植えたジャガイモも見事な花を咲かせて、作り主の忙しさを応援をしてくれているような。
グリンピースはおいしい豆ごはんを頂いた。スナックエンドウは薄い塩茹ででこれまた旬の味を楽しんだ。
いよいよキューリやトマトの季節である。もちろんスイカもトーモロコシも。

朝からの雨の日曜。カープの阪神戦も中止。一日中ネジリハチマキでプリンターや輪転機と格闘した。目鼻がついた。
今一度、ジャガイモの花を愛で、スイカやキューリの「畑の行灯」を取り外そう。季節やヨシ!!

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「子どもの日」

2018年05月05日 | ニュース・世相

                 

大型連休と喜んだ人も多かったであろう今年のゴールデンウイーク。
5月5日の子供の日を迎えて、GWも後残り1日となった。年がら年中GWを楽しんでいるこの身には、格別な感慨もない。
が、孫たちが同時に我が家に集まると総勢11人の喧騒となる。これは嬉しいやら接待に追われるやらで気忙しい。

5月のカレンダーには「子供の心を知りその心を育てることが、子供の天性を伸ばす」と書いてある。
そこで『天性』を辞書で調べると「生まれつき備わっていること。天から与えられた性質。」とある。
ならば天性なるものを、我が家の孫たちに当てはめるとどうなるか、あれこれ考えてみた。

5人のうち0歳は除いて、17歳から4歳までの4人が、それぞれにどんな性質を与えられてこの世に生まれて来たのか。
あれこれ感が始めると、待てよ!所詮じいちゃんと孫という血縁の上で考えるのだから、宇宙に向かって開かれているこのブログでの話となると、どうしたって身びいき、自慢話になること必定。
だから本音の部分は敢えてここでは公表しないことにするが、誠に興味深い話ではある。

それにしても天はいったい、何を基準にして、どんな分別をして、生まれてくる子供たちに「性質」なるものを与えるのだろうか。
それも、肉体的なもの、精神的なもの、それぞれ別個に与えるのだろうか。運動神経は抜群なのに、学習の方は必ずしもそうではない場合。
またその逆の場合も。生まれて来る子供たちは千差万別。人それぞれにあふれる個性を持っていると考えるのが普通のような気もするのだが。

娘の方の孫三兄弟は、多少の差はあるとしても総じて運動神経抜群であるが、勝つことへの執念には三人三様大きく異なる。
必ずしも成績はいい方ではないが、学校での学習以外の専門分野に固執する性格もある。逆にそんなもの関係ないみたいな性格も見える。
倅のほうの姫孫は、4歳ながらはっきりした好き嫌いの意識を持っており、上手に使い分ける知能も持ち合わせているような。

要するに天性とは、そう簡単に周囲の人間に解読できるような生易しいものではない。天のみぞ知る複雑怪奇なものなのだ。という結論か。
これからもジジ・ババの役割は、命の続く限り、優しく寄り添い、丁寧に観察しながら、ひっそり応援するのが肝要ということか。
でもねー、そんなこと解っているつもりでも、ついつい応援に力が入り過ぎることもあるんよねー。

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「ヒーローインタビュー」

2018年05月02日 | スポーツ・観戦

                    
                             試合開始前の肩慣らし        カープのラッキーセブン、夜空を焦がすゼット風船

今シーズン初めてのマツダスタジアム、カープ生観戦・生応援のチャンスを得た。
相手は、目下8連勝で貯金2と波に乗る読売ジャイアンツ。迎えるカープは阪神相手に3連勝を逃し、2勝1敗で迎えた9連戦の4戦目。
まあ勝つに越したことはないが、負けたってさほど影響はない、という多少のゆとりある試合ではあった。

6時の試合開始時刻にはほぼ満席。三塁側ビジターパフォーマンス席を除いてほぼ赤一色に埋め尽くされる。
ライト後方のカープパフォーマンス席からは、休場全体を覆うようなトランペット・鉦・太鼓とうねりを上げる怒涛の声援。
相手チームはやりにくいだろうなーと思わせるオラがカープの応援方法。
でもこの一糸乱れぬ応援方法を真似て、今やどこの球場でも地元側はほぼ満席になるほどの入場者が熱い声援を贈るようになった。
ある意味、プロ野球観客動員の起爆剤として大きな効果を挙げており、今や一つの社会現象ともいえる状況である。

そんな中で始まった試合。案の定、いきなり打ち込まれて2回表が終わった時点で早くも3対0。ジャイアンツの打棒炸裂。
と、相手に敬意を表するのはここまで。後は立ち直ったカープの先発中村祐太が6回までスイスイ。
その間カープは2本の連続ホームランを含む大逆転。大声出して声援を贈った甲斐があったというもの。

珍しく最後のお立ち台、ヒーローインタビューまでじっくり見て帰った。
台上には俊足巧打、3安打猛打賞の野間と、勝利投手の中村祐太。
二人とも、インタビュアーから誘いをかけられても非常に冷静で謙虚である。特に、昨年のMVP丸選手の負傷欠場の代役として活躍した野間選手の、喜びを爆発させない大人しい受け答えが印象に残った。「ウンウン、それでいいのだ」と妙に合点がいく。

1試合2試合結果を出したからと言って、ヒーローとしてはしゃぐのは10年早いよ、と戒めを贈りたいのである。
丸の代役と言える活躍を誰もが認めるようになってから、台上で思いっ切り両手を広げて欲しい。
そして、野間に打たれた相手投手のことも慮って、敬意を表することも忘れてはならない。そうするところにこそ、大打者への道は開ける。

まあややこしい理屈は抜きにして、人並みのゴールデンウイークの一日を最高に楽しめた。カープのお陰か??
また明日から、抱えている作業に没頭かな?? いやいや、野球の始まる時間に合わせて一日のスケジュールが決まるのだ。

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