「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「睦月つごもり」

2025年01月31日 | 季節の移ろい・出来事

                        

「あ~あ」と思うのか「やり切ったぜ」と思うのか、「もう一つだったね~」と思うのか、人それぞれに色んな1月が往った。
まさに足早とはこんな季節の流れを言うのに違いない。お正月の里帰り接待や、接待のない家では自分たちを接待するために旅行に出かけたり、遠くの神社に初詣に出かけることで正月がすぎてしまう。

そんなこんなで正月をやり過ごし、ふと我に返って正月のバタバタで手抜きになった家事を取り戻すべく努力する。それに疲れてひと休みするころには成人式という月半ばになっている。1月には1月中にやらなければならないことがある。星まつり表を見て「今年は凶年だ」とばかりにお祓いに神社詣で。

我が家では、通院の予約を忘れんように、スマホ予定欄に目を通しながら互いに車の使用を確認し合う。小学校の応援と言う地域活動も1月からガッツリ組まれている。ときに新聞投稿エッセイもダメモトで書いてみる。あそこが痛いここが調子よくないと言いながら83歳の誕生日を迎える。カミさんは免許証切り替えのための認知症試験の、絵柄思い出しテストに悩む。予定欄はしっかり書き込まれた予定を追いかける。あれよあれよと言う間の1月。

睦月つごもりの今日も主治医の言いつけによる「心肺負荷耐性検査」で、体中にセンサーと機器を張り付け、トレーニング用ウオーキングマシンを歩き続けるテスト受けて来た。その結果「体制に影響のない不整脈が見られる。心臓CT検査を受けることになった。自覚症状はなく大丈夫とは思うが、また新たな検査である。  石橋をたたいて渡る睦月かな。駄作!

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「春めく」

2025年01月30日 | 季節の移ろい・出来事

                     

少し早いかなと思いながら使っている「春めく」という言葉。
今日まとめて届けられた各種案内状を目にするとき、自分の中で最初に頭に浮かんだ春の近さを実感させる言葉。それが「春めく」である。
各種案内その1、最も早いのが2月12日(水)。Iグラウンドゴルフ定期総会、昼下がりの約2時間程度。
  〃 その2、3月13日(木)Iグラウンドゴルフ協会、〇〇大会 Y河川敷運動公園 9:~14:。
  〃 その3、4月5日(土) I工場定年退職者の会、お花見歩こう会、9時集合 15時解散。
  〃 その4、4月12日(土) Yグラウンドゴルフ協会 △△大会 y運動公園。

ゴルフ協会の総会を除いては春風の中、アウトドア―で普段鍛えた腕を競う協議会や、永年の仲間として共に頑張った友と交わす旨酒。
全てに参加したい。そのためにはゴルフは練習しておかないと。歩こう会は体調万全で望まないと。

実は1年前のこの時期は、4カ月目を迎えた帯状疱疹の痛さに耐えかねて、いささか落ち込み、身体を動かさないまま旺盛な食欲に推されて体重は増える一方。その上に前立腺癌手術にむけてホルモン治療で益々意気消沈であった。
そんな経験を踏まえて、寒さに凍えるのは仕方ないとしても、少しでも春を感じさせる色んな案内状に少し気分を高ぶらせている。
その上でいつもの通り、地域活動の広報発行の準備もおさおさ怠りなく進めている。

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「復活の予感」

2025年01月29日 | 宴会・会食

                

少なくとも5年、どうかすると6年くらい無沙汰が続いた、名付けて「美男美女の会」略して「美々の会」。名前からしてあまり謙虚なタイプの集まりではないのが伺い知れる。
元同じ釜の飯を食って某製紙会社岩国工場を支えた、と本人たちは思っているちょっと厚かましい会でもある。
厚かましかろうが謙虚さに欠けようが、それぞれの職場で持ち場で、間違いなく大切なポジションを経験した強者の男子4人と女子5人。今日はこれだけしか集まらなかったが、他に数人の男子が名を連ねる気の置けない仲よし会である。

久しぶりの招集なので「どんな内容にしよう?」という相談を受けていた。ご無沙汰以前は間違いなく夜の会であった。が、皆さんご高齢の仲間入り、そろそろ宗旨を変えて昼間の招集にしようと。「先ずは久しぶりの集いなので昼食会」とし、アルコールは個人の判断に任せることにした。本音は、たとえ昼間でもアルコールは要るんじゃない?。まさしくその通り。ビール目当てでクルマは乗らずに参加スっる人。クルマで来た一人はノンアル・ビールご所望。これでいいのだ、別に酒類を抑えるのが趣旨ではない。但し、話題の主流はやはり健康状態。病気のこと、ワクチン接種のこと、主人の体調、奥方の体調などいやが上にも話は弾む。これでいいのだ、これが自然の流れなのだ。

長く途絶えていた美々の会を取り敢えず復活させた。約2時間半に及ぶ食事会でお開きか、と思いきやさにあらず。近くのカラオケ店にいち早く、二次会担当が交渉して流れ込む。結局全員が5時間近く、粉雪舞う駅前を闊歩して解散。「次回は最初っからカラオケ店がいいね」と言う提案まで承った。
また一つ楽しみが増えた。しかも夜のお出かけは憚られるが昼間なら、ヨッシャー!である。
「どんどん楽しいことを見つけて積極的に」と言われるペインクリニックの医師の言葉を忠実に守っている。

断っておきますが、不良老人の徘徊などでは決してありませぬ。それもいうなら健康老人の健全集団活動である。

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「静かなスタート」

2025年01月28日 | 今が旬

             静  謐(せいひつ)

一人では生きて行くのが難しいと感じた82歳の一年間であったような、昨日まで。
口では今までと何一つ変わらず、夫唱婦随を通して来たし、今日からもこのまんまで行くのだ、と自分に言い聞かせてはいるつもりなのだが、新たな病気診察や医師の注意事項の早口説明には、一人では付いて行けていないものを感じる時がある。どんな説明だったのか、どんな指示を出されたのか、後で復習するときにこの耳とババ殿の耳とでは大きな開きがあったりする。

それでもオレが所帯主で、遠く深い思考と判断力は、経験の深さが違う。などと、別に威張るわけではないがその立場を続けさせてもらっている場合もある。飽くまでも「そんな場合もある」であって、いつもかつもそうばかりではないこともある。少しずつ自信喪失が押し寄せているというのが現実かも。

それにしても何にしても、昨年の誕生日から無事1年を過ごし、次なる誕生日を先ず先ずの元気さで迎えられたことは、考えてみればこれ以上目出度いことはない。
何かと生きづらい世の中ではあるが、生かされている以上もっぱら生きるのが人間というもの。

静謐とは、静かで穏やかな時を言う。どなたかの誕生日の祝い言葉にあったように、これからの日々、一つでも多くの楽しいことを見つけながら、穏やかにゆったりと、やり残している自分のことに時間を向けて行きたい。そんなたわいもない83歳の初日である。

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「一区切り」

2025年01月27日 | 今が旬

                    

若い時にタバコを吸っていたころ、紙巻タバコを6・7分目吸ったらもみ消して間もなく新しいタバコに火を点けていた。給料日前になると段々タバコ代まで逼迫してきた。そんな時、ホンのちょっと一服するだけなら紙タバコでなくていいんじゃないか、などとケチな知恵を絞ったことを思い出している。
一息か二息軽くニコチンを吸い込んで気持ちが休まるのなら、年老いた伯父がたしなんでいた「きざみタバコ」で十分じゃないかと思い立って、古びた銀ギセルを見つけ出しきざみタバコを吸っていた。

ホンの一息、いまそんな心境である。
もし今もタバコを吸っていたら、おそらく銀ギセルを探し出して、きざみタバコを詰め、着火マンで火を点けているのかもしれない。あいにく、タバコを辞めて22年になる。ホンの一息もミカンを相手じゃね~。

何がホンの一息なの? 昨年の1月28日から数えて365日目の夜を迎えている。
俗にいう早生まれとか七つ上がりとか言われた1月生まれ。多くの同級生より一つ年が若いという自慢にもなんにもならないことを無理やり話題にしたりしている。82歳も大過なく?過ごしたということにしておこう。なんてったって今を生きている。この1年、不具合も幾つかあったが先ずは生きている。病院に行く回数は多いが元気である。なんの不足があるものか!贅沢言えばキリがない!ちょっとリキんでみる。

明日は明日の風が吹くのだろう。せっせと病院に通える元気さを維持しながら、ちょっと一服を繰り返しながら。  生きている限り、 「我が人生今が旬である」。

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「市民活動カフェ 2025」

2025年01月26日 | 地域活動

           

何年振りだろうか「市民活動カフェ」に出かけた。岩国市の中央公民館を拠点として活躍するボランティア団体や、グループで立ち上げた独自の活動を紹介しPRするという、1年に1度の大切な発表会である。市民活動支援センターが音頭を取り、会場を設定し、各グループがそれぞれのブースを設けて、それぞれの活動に興味を持つ人を誘い込み、活動の輪を広げようといった意味を持っている。もちろん音楽活動などもその仲間であり、大切な発表の場でもある。

コロナ禍以前のタウンリポーター活動華やかりし頃は、ほぼ毎年出かけてはその年の目を引く活動や、努力の跡が伺えるグループを取り上げ、新聞紙上に載せ、それぞれの活動に光を当てる応援団の役割を担った者としては、全体的な活動の盛衰や個別活動の数の動向も気になるところである。そこは、支援センター職員皆さんの努力で、増えることはあっても減ることはない現状に意を強くして見物できた。

点訳ボランティアを長く続けておられるY先生(先生と言わないで下さいと優しく叱られる)。郷土の作家宇野千代さんを長年にわたって顕彰する会のメンバー。岩国ユネスコの会。TeToTeTo子育てサークル。子ども食堂「とまと」などなど40団体近くがブースを並べ、子ども連れや買い物客との会話が大声になる。一方ステージでは一生懸命練習中の管楽器演奏など多士済々。こちらが歳を取ったせいか華やぐ若さと賑やかな会場に少し圧倒され気味。それでも昔の顏なじみと先ずはハイタッチ、それから少しの昔話、その後の経緯など内輪の話も聞かせてもらって、気持ちほんわか素敵な時間をすごさせてもらった。

91歳で「エッセイを書いている。これからも同行の士を見つけて互いを高め合うグループが出来たら有難い」とおっしゃる大先輩に巡り合えた。こんな偶然に巡り合うこと自体、もう少し頑張ってみよ、ということなのかな。しぼんではいられないね~。

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「No1・・」

2025年01月25日 | ビッグニュース

  

❝ ァメリカン ファースト ❞ ❝ ァメリカン ナンバー1 ❞ とリーダーが叫ぶ。
熱狂的な支持者は半狂乱で USA・USA・USA と息もつかずに連呼する。
そんな自らの声と支援者の声に押されて、これまでの大国アメリカの全てを否定するかのような、自身が考える大統領令にサインする。そしたらそれがアメリカ合衆国の大義となって世界に発せられる。

国境を接するメキシコに対してもカナダに対しても、アメリカの利益に反する行為の全てが敵対行為と見なされる。文句があれば云ってみろとは言わない。従わなければ自国製品をアメリカに輸出する物品全てに、これまでにはなかった関税を課せ、アメリカ国内での価格を引き上げなければならなくして販売能力を下げる。そうしておいて自国の製品の販路を確保しアメリカ人を守る。
何が何でもアメリカ第一主義と言う横暴。どこまで通用するんだろうか。但し、じっくり聞いてみると丸っきり駄々っ子のたわごとばかりではない。なるほどそうなのか、という話も中にはある。

日本に対する基地問題や日米同盟などはどうなるんじゃろうか。それでなくても「日米同盟」と言う名のもとに大きな自制も犠牲も強いられてきたニッポン。その分、他国からの核攻撃は核をもって守ってくれるはずの核の傘下という理屈。
本音を言わせてもらえるなら核の傘は要らん。それより核戦争と言う地獄を絶対に起こさないリーダーシップを取って欲しい。そうしないと地球の破滅は目に見えている、と思いませんかねートランプさん。

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「返信の要る郵便物」

2025年01月23日 | つれづれ噺

                

昨日は郵便事情で少しいい思いをさせてもらった話をした。続いて今日も郵便にまつわる話である。郵政省という親方日の丸時代から、企業体へと民営化されて久しい郵便事業の回し者ではありません。ただ一つ、日本郵船という昔から耳に馴染んだ株価がえらい暴落している。余ったお金があれば「買い」なのだろうけど、惜しいかな資金がない。

そんな話じゃなく、今日は珍しく郵便物が5通も届けられた。いつものけたたましいバイク音が間違いなく我が家にも止まり、慌ただしく走るように配達員さんがポストに投げ込んでまた慌ただしく隣に行った。お昼前と言う早い時間は珍しい。どうかすると日の暮れ時分にようやく葉書1枚が届くこともある。

届けられた内容は、これまた珍しくレターパックが1通、Aー4版封書2通、普通の封書と葉書がそれぞれ1通。中でも間違いなく返書を認めなければならないものが2通もある。特にレターパックは、自作の短編小説を読んで感想を聞かせて欲しいというものである。私よりかなり年上で、同じように大企業で物づくりのチームを経験された、謹厳実直、年齢とは関係なく真面目に世間を見られる方である。

私などが感想を述べさせて頂くなどおこがましいが、私の小作品も読んで頂くうちに、何となくウマが合い、互いのカメラで撮った写真を交換したりするうちに、「実はね」という話になり、何篇か貯まったら読ませて頂いている。しっかり読み解き、隠された意図を見つけ出して、私なりの読後感を述べる。周囲を見回しても数少ない「モノが書ける方」である。この年でこんな出会いがあり、長く続いているレターパックの主に、敬意と感謝を捧げ、後を付いて行っている。

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「お目こぼし」

2025年01月22日 | つれづれ噺

                 

遠くに住む友から電話があった。「〇〇ちゃん、あなたからもらった年賀状で切手シートが当たったよ!有難う。ところで私が出したのは当たってなかった?」と言う。「エッそうなの、当選発表はいつだったの?」などのやり取りがあって、まあダメで元々、パソコンで当選番号をチェックして、いざ照らし合わせ。

そう云えば、大晦日の昼に発表があった年末ジャンボ宝くじも、神棚に挙げたまま年が明けてからゆっくり丁寧に、慎重にチェックしたのを思い出した。何故発表と同時に飛びついてチェックしないのか。それほどガサついても仕方がない、それより鷹揚に構えて「当たってくれ」と願う心の内を見透かされないように・・・などと男の美学を洒落込む癖がいつしか身に付いていた。但し、年賀状の当選発表はほんとに知らなかった。ま、どうせ当たりゃせんじゃろうという先入観のなせる業か。

友からの電話に触発されて、一応チェックしてみた。案の定1等2等などかすりもしない。結果的にはそれほど必死になって細かくチェックいたわけですよ。おまけともいえる3等の切手シートが4枚当たっていた。
年賀状100枚買って8500円。切手シート4枚で780円分が戻ってくる計算である。これはなんと9.3%に当たる還元率である。なんてケチな計算しているようじゃ大成はしないね。

友の電話から思わぬ拾い物。ただ彼女からの葉書は外れだった。それにしても斜陽の年賀状産業に対して100枚せっせと書いた律儀を神様が認めてくださって、籤運の悪い男へのお目こぼしを頂いたと喜んでおこう。

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「小学1年生と共に」

2025年01月21日 | 地域活動

三学期を迎えて随分逞しさを増して来た小学1年生を対象に、昔の遊び体験授業のお手伝いをした。
コマを長い紐で回すなどの遊び、古くなった自転車のリムからタイヤ・チューブを外して遊び道具にした輪回しなどは、私たち世代が全盛期だったのではないかと思わせるほど流行りに流行った遊びだった。            
             コマ回し
     輪回し
                  たこ揚げ
                                                      
さらに、家を一歩出たらそこには至る所広っぱがあって、たこ揚げなんてのはどこででもできた。そんなのどかな昔に戻るわけには行かないので、せいぜい学校の運動場を使うくらいが精一杯である。
そんな世知辛い現在と、遠い昔を交錯させながら、目を丸くして挑戦する1年生に丁寧に教える立場も、我が孫に接するのとはまたひと味違った面白さがある。

こんなところにも、ジジババが近くに住んでいる子は、どことなく抜け目がない。ほんの少し手先が器用で、年よりの扱い方を心掛けているのがわかる。これも面白い。
こういった遊びは年に1回の地域活動であるが、新任の若い先生方にとっては意外に有難い授業なのかも、などとちょっぴり自画自賛の一日となった。        

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