静 謐(せいひつ)
一人では生きて行くのが難しいと感じた82歳の一年間であったような、昨日まで。
口では今までと何一つ変わらず、夫唱婦随を通して来たし、今日からもこのまんまで行くのだ、と自分に言い聞かせてはいるつもりなのだが、新たな病気診察や医師の注意事項の早口説明には、一人では付いて行けていないものを感じる時がある。どんな説明だったのか、どんな指示を出されたのか、後で復習するときにこの耳とババ殿の耳とでは大きな開きがあったりする。
それでもオレが所帯主で、遠く深い思考と判断力は、経験の深さが違う。などと、別に威張るわけではないがその立場を続けさせてもらっている場合もある。飽くまでも「そんな場合もある」であって、いつもかつもそうばかりではないこともある。少しずつ自信喪失が押し寄せているというのが現実かも。
それにしても何にしても、昨年の誕生日から無事1年を過ごし、次なる誕生日を先ず先ずの元気さで迎えられたことは、考えてみればこれ以上目出度いことはない。
何かと生きづらい世の中ではあるが、生かされている以上もっぱら生きるのが人間というもの。
静謐とは、静かで穏やかな時を言う。どなたかの誕生日の祝い言葉にあったように、これからの日々、一つでも多くの楽しいことを見つけながら、穏やかにゆったりと、やり残している自分のことに時間を向けて行きたい。そんなたわいもない83歳の初日である。
無事に83歳のお誕生日を迎えられて、一安心ですね。歳を取ると、一年一年が尊く大事になりますね。
来年は生きて居られるだろうかと、考えます。
私も2月で後期高齢者、保険証も来ました。
周りの同年代がポツポツと亡くなったり、介護状態になったりしますから心細いです。
yataro-さんは私などよりお元気そう、ますます頑張ってください。
奥さんのいう事を聞いていれば間違いないと思いますよ(笑)。
元気を頂きました。
どちらかというと、あまり深刻に考えないようにしている楽天家です。なるようにしかならん!!
でもたまには落ち込むこともあります。生身の人間んですから(笑)
後期高齢者入門、まだまだお若いです。
その情熱を地方行政に反映させてくださいね。