「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「去りゆく月」

2015年03月31日 | 季節の移ろい・出来事

                     
                               見ごろを迎えたイトスイセン

速い、実に速い。あれこれ言っても仕方がないが、正月を迎えてからの3カ月は瞬く間に過ぎゆく感がある。
なんともはや弥生つごもり。明日からは新年度を迎えることになる。
自由気ままなサンデー毎日の暮らしではあるが、年度が改まると、やはりなんかしら気分もなんとなく改まる思いがする。

見上げて楽しむサクラの向こうを張るように、見おろして愛でてもらおうと、庭の片隅のイトスイセンが鮮やかな黄色の花を付けて存在をアピールしている。
香りもいい。人間の鼻に向かっても「ちょっと足元を見てごらん」と、呼びかけるように咲いている。

3月中に仕上げておきたかった諸々が、かなりな部分4月回しになったこともあって、なんとなく重い気分で4月を迎えることになりそう。
カー君との小学校卒業記念の宮島弥山登山や、大きなグループ小さなグループで決めた花見も待っている。
それらを全て楽しんでクリアーする中で、期限までには、いや期限少し前までには予定の作業を済ませたいと思ってはいるのだが。

お天道様も無粋なことをするもので、桜が咲く今の時季に散々いいお天気にしておいて、肝心な桜が咲いていざ花見という頃になって、4日も5日も雨続き予報を出している。
いくら忙しくても何があっても、予定したお花見などはちゃんと楽しんでこそ次の作業に移れるのであって、楽しみが雨で中止になった時間を喜んで作業に充てるほどの野暮でもない。いうなればよく遊びよく仕事もするがまた遊ぶ。

兎に角3月予定の作業がはみ出した。4月も上旬に山場を迎える。グズグズ言う間に一つでも片づけなければ。
誰に言うわけでもなく、自分の不甲斐無さに自分で腹を立ててりゃせわーない。

今一度、『 気は長~~く 心は丸く腹立てず 人は大きく 己小さく 』 を思い起こそう。

そして、五葉松の葉陰でも精一杯咲くイトスイセンのような心意気を見習うか。
ま、元気だからできることもある。まあまあ健康だから任せてもらえることもある。
明日から始まる新年度。どんな年にしたいか、などという大それたことではなく、穏やかにまろやかに、ときによそ見をしながら。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「梅も桜もツツジも」

2015年03月29日 | 晴耕雨読

               
                      3本のうち、1本は今が満開梅の花。   

ここ2・3日の陽気に誘われて、さくらのつぼみも一気に膨らんで、間もなく花見のお酒がおいしく頂けるようだ。
今年は、というわけでもないが、4月の初めだけは毎年花見ラッシュに浮かれてしまう。

昨日は、とんとご無沙汰になっている例の里の梅林を訪ねた。
これから実を付ける古木に、せめてもの肥やしを撒いておこうと。そのついでに、あまり伸びないうちに春の草刈もしておきたかった。
3本あるうちの2本は花の盛りを過ぎていた。ところが1本は、まさに今が見ごろと咲き誇り、香りもいい。
この香りを台無しにするのは野暮かな、と思いながらも、持って行った鶏糞をそれぞれの木の根っこや周辺に撒いておいた。

海沿いにあるわが家と比べて、この梅林は山間部なので梅の開花も随分と異なるものだ。
そのかたわらでは、ソメイヨシノに先駆けて、真白い枝垂桜が枝先に花を咲かせている。
山肌を見上げれば、山ツツジの見事な鮮やかピンクが、「私も忘れないで」と催促するように咲き誇っている。
ひと汗を覚悟で梅林の手入れに行ったつもりが、梅の花に桜花、そしてツツジとそれぞれにおもむきのある花を愛でさせてもらった。

桜の満開を前にして、えらいお天気続き。広島東洋カープ開幕3連戦は好天に恵まれて大入りの大盛況で、めでたしめでたし。
ただこの後のお天気が気になる。咲き始めに雨のないお天気が続くと、肝心なお花見時分に雨が降る。これが困る。
予定していても、青天お花見はたちまち中止となる。なんとか部屋を確保して、全天候型に備える手立てもないわけではないが・・・。

まあ花見は元々青天に舞う花びらを盃に受け止めるのが風流というもの。
雨に逆らってまでお花見することもないか。これこそ運を天に任せて、花見ができればやる。雨なら中止。これもまたよし、とするか。

個人的には、梅も桜もツツジまでも同時に眺める幸運を得た。
カープは辛うじて2勝1敗で開幕3連戦を終えた。さーこの春も忙しくなりそう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「プロ野球、開幕!」

2015年03月27日 | スポーツ・観戦

  

「球春」と呼ばれる、選抜高校野球は3月21日に幕を開けた。
1週間を戦って、勝ち残った学校は早くも2回戦に進み、連日熱い戦いを繰り広げている。
まさに野球の季節の先鞭をつける高校野球。ではあるが、残念ながら中・四国勢は早くも姿を消した。今頃は夏の大会に向けて余念のないことだろう。

そんな中、一足遅れではあるがいよいよプロ野球公式戦が始まった。
闘いを前にした、各チームの監督や代表選手の話を聞くと、まさにどのチームもみんな優勝しそうな勢いである。
そのために、昨年のペナントレース終了から直ちに、新たなチーム作りを目指して補強や有望新人獲得にしのぎを削ってきたのだ。

今年のストーブリーグの話題沸騰ナンバーワンは、なんといっても我が愛する広島東洋カープであろう。
その中心にいるのが、ニューヨークヤンキースから古巣の広島東洋カープに凱旋復帰した、黒田博樹投手である。
年俸20億円をあっさり蹴って、4億円の広島復帰劇。そのシナリオや日本人好みの男気など、一連の勇気ある決断はお見事という他ない。
艶消しな話になって申し訳ないが、黒田の昨季の年俸20億円に対して、今年の納税額は11億円とも言われている。ということは、実質7億円のマイナスを決め込んでの日本球界復帰である。やはり、文句なし感動せざるを得ない話ではある。

そんなこんなをひっくるめて、兎に角今年のプロ野球公式戦が始まった。
長年見放されているリーグ優勝を是非、という気持ちは十分に持っている。がその前に、如何に嫌らしく点を取り、如何に玄人っぽい野球をやるのかじっくり見て行きたい。目先の一勝にこだわるもよし。相手の意表を突く作戦もよし。兎に角、意外性を含めたオモロイ野球を期待したい。
そこにこそ、結果はついてくるし笑顔がグラウンドに弾けるプレーになる。観客席から怒涛のうねりのような声援が送られるというもの。

これまで長い間地元での開幕戦を迎えることのなかったカープ。
なんと13年ぶりの地元開幕戦。今シーズンから監督となった緒方孝市指揮のもと、満を持してのエース前田健太を立てて緊張の船出となった。
野球をよく知っているヤクルトという、いやらしいチームが相手。初回から押されっぱなし。
延長戦になったのだから互角の戦いのはずなのに、内容的には優勢に立てないままついに結果は開幕戦敗退。

これが今年を占う実力などとは思いたくもないが、若いチームだけに敗戦の連鎖を早く断ち切らないとヤバいことになる。
チームを引っ張るイヤラシイ男が出てこないものか。出てきたら強くなれるのだが。31600人のため息が聞こえるのは淋しい。
ただ、今日は終わった。また明日から出直そう。明日は勝てよ、我らがカープ!!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「締切前夜」

2015年03月24日 | おせっかい

                 
                  返信はがきのファイル。欠席の方が分厚くて…  

桜咲く時季を狙って計画した「中学校同期会2015」。返信はがき締切がいよいよ明日に迫った。
昭和32年3月15日というから、1957年つまり今から丸58年前に卒業式を迎えた中学校生活。
その58年間が長かったのか短かったのか、人それぞれに大きな違いがあるのだろう。

早くに故郷を離れた友は、こういった同窓会などを懐かしんでくれるむきがあるようだ。
そこには、ご無沙汰した故郷に対する哀惜の情や、元気なうちに多くの同級生と会ってみたいという回顧の情が働くのだろうか。
一方で、たった1年余りの単身赴任生活以外地元を離れたことのない私をはじめ、地元定着の多くの友は、必ずしも故郷に対してさほど大きな感情を持ってはいないような気がする。何の苦労をしなくても、周りにいる多くの同級生にいつでも会える、という気安さがあるのだろう。同窓会などに対する思いは割と淡白な傾向にあるような。

それと、何といっても中学校卒業から58年。みんな歳を取ったということか。体調不良を訴える人の多いこと多いこと。
中には「元気です、ボランティア活動をしています」と書いて、欠席という人も少なくない。地元にいて元気でボランティア活動などできるのなら同窓会にも出席して、人の話に耳を傾ける傾聴というボランティアもあるよ、といいたくなるところをグッと抑えて・・・。

前置きが長くなったが、早い話、今回の同窓会開催が間違いだったのか、と自問自答したくなるほどの低調ぶりである、ということ。
確かに、出席の常連と当て込んでいた数人が、病気などで欠席止む無しとなったことなど、目算が大きく狂った要因はある。
しかしその要因は我々の手で取り除けるのか。それは無理な話。病を押して出席をなど本末転倒も甚だしい。

それによーく考えてみれば、今回案内状を出した数から行けば、今日までの集計でジャスト3割の出席率である。
ということは、プロ野球の世界で言えば3割バッターは年俸アップの対象となり得る。つまり合格点ということだ。
自らに課した目標が高すぎたことをコロッと忘れていたようだ。

と、気を取り直して、人数の多寡に惑わされず、ひとり一人を歓迎し、目いっぱいの楽しいひと時を過ごせるよう頭を働かせる方が大切なようだ。
ついついグチの一つもこぼしたくなる弱い男の独り言か… ということでお聞き流しを。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あのカー君が」

2015年03月20日 | 家族・孫話

   
          「仰げば尊し」を大きな声で             最後の校舎        母親と手をつないで、在校生のアーチに送られて

あのカー君が、小学校を卒業した。
何事にもちょっと違った視点でものを見る。少し変わった角度から思考が入る。言ってみればちょっと理屈っぽい。
小学校入学を前にして、重いジジ・ババの腰を上げさせ、ついに東京タワー見学に連れて行かせた粘り強さも持っている。
そんなカー君が早、中学生になろうとしている。ここでまた、過ぎゆく月日の早さを改めて感じている。

スポーツはどちらかというとあまり得意ではないような。食が細く、好みも結構はっきりしていて身体的には小さ目である。身長ももう少し欲しい。
それに、スポーツマンに欠かせないファイティングスピリッツが乏しいのかな。オットリしているというのか、勝敗に執着を見せないところがある。
そうはいっても、スキー競技では常に表彰台を目指してはいる、と言う。が、結果が全ての勝敗の世界では華々しい成績を残してはいない。
表彰台常連の兄ちゃんにライバル心をたぎらせることもない。三男坊のように「いんたいする~」などとも言わない。

ところが、運動会の放送係でマイクを持つと人が変わるほどの流暢なアナウンスをする。「それはそれは一生懸命練習していましたから」と校長先生に言わせるほどの、陰の努力を惜しまない一面もあるのかな。
その他にも、ジジの目に映らない色んな所で色んなことを経験して、小学校6年間を過ごしたのであろう。
本人におめでとうを言うのはもちろんであるが、婿殿や娘に、「おめでとう、ご苦労さん」と、慰労の言葉をかけてやりたい。

どうひいき目に見ても、少し頼りないカー君ではあるが、ジジババにできる範囲のことをしながら、応援団をつとめるだけである。
中学校生活の厳しさからの逃げ場などと甘やかせる気持ちはないが、フッと息を抜ける木陰であったり、震える寒さに少しのぬくもりを与える、そんな存在として、くっつき過ぎず離れ過ぎず、ほどよい距離感で付き合っていくのだろう。
いずれにしたって、目だけは離さないよう心がけなければと、肝に銘じている。

小学校は卒業したものの未だ12歳。自分を自分でコントロールするには経験が足りない。そこにこの歳を重ねた世間を見る目が活かされるのかな。この世の出来事とは思えないような悲惨な事件などに巻き込ませないよう、霞みがちな老眼やメガネに磨きをかけて見張っていかなければ。

そしてやっぱり、精一杯のエールを送りたくなる。フレーフレー!カー君!!

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「束の間の快感を」

2015年03月17日 | 趣味・・エッセイ

                     

同じ趣味の人が集まる同好会。その仲間の一人として、毎日新聞山口版「はがき随筆」にいそしんでいる。
なかなかうまくは書けないのをじっとがまんして、あーでもない、こーでもないと、薄い脳みそと無い頭をひねりながら、仲間について行っている。

昨年1年間に寄せられた山口県内はがき随筆の、成績発表とも言うべき山口県大会が行われた。
なんと今年は、われわれ岩国エッセイサロンの仲間が県大賞に選ばれた。何年ぶりだろうか。これは掛け値なしに嬉しいことである。
同時に、これは頑張ったらひょっとしたらこのアタシにもチャンスはあるっていうことか?そんな証明をしてくれたことにもなる。
などと甘い考えが湧いても来るのも無理からぬ話。

確かに狭き門であることに違いない。されど確実に、毎年、誰かが選ばれているということ。
書かないのならともかく、書き続けて行けば、千に一つ、万に一つの間違いだって起こり得るかもしれない。ましてや、選者という名の人間が選考することである。大まぐれだってあるのではないか・・・と。

現にこんな私の作品だって、大賞とは程遠い距離ではあるが、1年間15人の仲間に入れて頂いた。
そんなこともあって、仲間の大賞受賞の拍手要員の一人として、また表彰者の末席を汚す一人として、厳かな表彰式に出席した。
というか、半分は招かれたのである。
そこはやはり、同じ目標を持って、いい物を書こうとする仲間の集まりである。書く者にとっていい雰囲気を味わえることに間違いない。

しばらく顔を出さなかった県大会。やはり冷やかしであってもいい、その他大勢であってもいい、やはり顔を出すことに意義があるような歓待を受けた。
大賞は68歳の女性。準大賞は56歳と90歳の男性。ということは、90歳までにはまだ17年もある。ということは、多少の進歩も期待できるということか。ただこの道は、歳を重ね、年数をかければうまくなるのか??そこが問題である。
まあいい、いつかはきっと・・・という心意気だけは捨てずに、また獲物を探す鋭い眼と、感じる力を錆びさせないよう、先を見据えて。

束の間の喜びがこれからのエネルギーになれば幸いである。

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「予約済み」

2015年03月14日 | 晴耕雨読

                   

孫君が競って食べるスナックエンドウを今年も数本植えた。
買ってきた種豆を、先ずは水に浸してふやかせる。少し芽を出し始めるころ専用ポットに植え替える。土から青い目が出るのをひたすら待つ。
5・6センチ伸びたころに畑に卸す。ここまででさえ結構時間と根気が要求される。
さらにそこからがまた大変。柔らかな新芽は寒さに弱い。霜にやられるとひとたまりもない。

霜よけカバーをして寒さ対策をし、日照りの時はカバーを外して日光浴、水やり・・・・
ようやく10数センチに伸びると、絡み付きやすい小さなおろぎを立ててやる。

こうして緑の葉っぱが春風にそよぎ、グングン成長して、6月後半から夏休みにかけて、スナックエンドウの塩茹でが、彼らのおやつに供される。
という筋書きで、成長を楽しみにしていた今朝早く。豆の小さなおろぎに黒い大きめの鳥が留まっているではないか。
「オヤッ!」くらいの軽い気持ちでガラス越しに見てやれば、なんとなんと、あのグロテスクなヒヨドリが青い柔らかな豆の葉っぱをことごとくついばんでいるではないか。
「ナヌッ?」こいつらはお腹が減ったら豆の葉っぱまで食い荒らすのか。意外性に驚きながら「シーッ!!」窓を開けると同時に威嚇する。
驚いて飛び去る。ウンこれでよし。それもつかの間、ちょっと新聞に目を落とすと再び、声もなく真剣に食い荒らしている。

「人の苦労も知らんでコノー」と誰に言うともなく、こちらも対策行動に打って出る。
「そうだ、使い古しのCDがいっぱい溜まっている、あれを使おう」。早速本格的な支柱を立ててしっかり土台を組み、それにCDをぶら下げた。
太陽を反射してキラキラ光りながら浅い春の風にユ~ラユラ。これでは、いくら空腹とはいえヒヨドリも近寄れないだろう。とひと安心。

でもまあ考えてみれば、我が家のクロガネモチも、昨年の剪定時期を誤ったばかりに、赤い実の一つも付けなかった。
ヒヨドリ夫婦にしてみれば、縄張りうちの我が家のクロガネモチは、自分たちのエサとして予約済みのつもりでいたのかもしれない。
それがなくなった腹いせというか、腹立ちまぎれと空腹で、豆の葉っぱをターゲットにへんこうしたのだろうか。でもね~。

このスナックエンドウは、孫君たちのおやつとしてハナから予約済みなんよ。あちらが先客なんよ。あきらめて他を当たっておくれ。
そして来年は、ちゃんとクロガネの実がいっぱい付くように、剪定時期を違えないからね。
ヒヨドリに分かるはずもなかろうが、彼らのエサもそれほどまでに逼迫しているということか。生きるって、難しい世の中なんじゃね~。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いんたいする・・・」

2015年03月11日 | 家族・孫話

            

この冬も、あっちこっち連れて行ってもらったスキーシーズンが終わりを告げようとしている。
スキー愛好者が遊びに行く分には、まだまだ雪そのものは残っているらしいが、大きな大会や競技はほぼ終わりのようだ。
そんな中、孫三兄弟も今シーズンラストを飾る「第28回 ミズホカップ」にチャレンジした。
それぞれがそれなりの成績を残したようだが、特筆すべきは三男坊「悠雅君」が、5歳のシーズンを終えた言動を記録して残しておきたい。
間もなく6歳を迎える彼らしい、小生意気にも怒りと涙と笑顔の小物語とでもいおうか。

3月8日の日曜日は、珍しく4月を思わせる朝からガンガンの日照り。スキー場も風がほとんどなくて温度も上がったようだった。
「雪が悪くて、板にくっついて滑れんのよ」とは、帰ってきてからの第一声である。

事前に、保育園・幼稚園の部へエントリーしてもらっていて、コースを何度か練習していよいよ本番に臨んだ。
コースそのものは、年齢に関係なく、勾配もカーブも旗門の数も一般の人と変わりなく、テクニックを要するのは言うまでもない。
練習では自信があったような。
ところがレース本番になると、少しでも早く、少しでも旗門で膨らまないように・・・と細心の注意で臨むのは、兄ちゃんたちと全く変わりはない。
それなりの意気込みで突っ込んだという。

スキーヤーにとっては有難くない好天に恵まれ、レース本番の頃には、太陽に表面の雪は溶かされ水分を含んだ重い雪質となった。
練習時の感覚とは異なり、優雅君もついに転倒の憂き目に。おまけに板も脚から外れて、起き上がっただけではすぐには滑れない。そこで投げ出して半べそで降りてくるのが普通の子。それを、先ずはスキー板を履き直して、うまく通過できなかった旗門までラッセルで後戻りして、やっとゴールを目指した。一旦飛ばした旗門まで後戻りすることは、兄ちゃんたちも大人も先ずはやらない。その時点でそのレースは終わり、のはずである。

そこまでして必死の形相でゴールしたのだから、意気軒昂かと思いきや、大粒の涙で「オレもうスキーはやらん!いんたいする」と周囲を憚らず大泣きだったという。
この「いんたいする」という言い草がなんとも悠雅君らしいところである。
何故「いんたい」なのか。練習で自信を得ていたのに、本番で転んで、表彰台に上がれないと自分で判断した故である。
ところが、10数人いた仲間が次々リタイヤして、結果的には3位に入賞。表彰台も賞状もゲットした。コロッとご機嫌がなおる・・・というほどアマではないが、取り敢えず「いんたい」はお預け。また来年も行きたいのだそうである。

良いか悪いか別にして、勝負にこだわり、思うに任せなかったらとんでもないことを言いだすとは。じいちゃんの血筋ではありませぬぞ~。
それにしても、おもろい三兄弟。これからもまだまだ抱腹絶倒のシーンが待っているのだろう。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「せわーない!」

2015年03月09日 | つれづれ噺

                   

今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」。
今さら言うまでもなく、明治維新の先駆けともいえる、長州毛利藩、萩の吉田松陰の妹「杉 文」の生涯を描く物語。
封建国家の行く末を案じ、幕藩体制を早く民主国家に切り替えないと、外国の植民地とされる危険に立ち向かう、多くの血気逸る志士を輩出した、吉田寅次郎率いる松下村塾を舞台に、ドラマは展開されている。
私の頭の中にある松陰像とは異なって、「ちょっと食い足りない」という不満な部分も無きにしも非ずだが、これから先の長い物語に期待して、兎に角必死で見ていることに間違いない。

そんなわが故郷山口県のPRにはもってこいの全国ネットの大河ドラマ。経済効果も徐々に表れているという。
ヒロイン文の母親を演じているのが、少し頼りない感じでおっとりタイプの壇ふみさん。
あの激動時代の萩で、下級武士とはいえ「海防指南役」の吉田寅次郎の母親としては、大丈夫かいなと思わせるがどうだろう。

そんなおっとり母親の口癖みたいになっている言葉がある。一種のキャッチフレーズにもなっている感じのひとこと。
それが『せわーない』である。 何かことが起こりそうな不穏な空気の中で発せられる「せわーない」と一言、そしてニコッとする。
それまで緊迫していた空気が一気に和み、なんかしらいい方向に向かいそうな、確証はないがフッと息の抜ける安堵感がただよう。
言ってみれば、山口言葉の神髄ともいうべき、柔和で角の取れた優しい言い回しである。

この「せわーない」は、元は「世話はない」ということだったのであろうと思う。
何事があっても「世話はない」、つまり、さほど大袈裟に心配することではない。あまり心配しなさんな。なるようにしかならんよ。
などと意訳すれば、全ての場面で納得のいく、安堵のひとことではある。

それが今に伝わって、広く使われている。ただし、「せわーない」とはっきりは言わない。
「せやない」と少し略されたうえに、早口にしゃべられる。つまり「フ~~ン、そうかね、せやないせやない」と、どちらかというと相手の心配な部分を振り払って楽にして上げようという、楽観ムードを作り出すときに使うと効果抜群の一言でもある。

「書きたいことがあるのになかなか表現がうまくいかなくて・・・」「せやない、せやない、今夜一晩おいて明日の朝もう一回考えてみんさい」
こんな会話にごく自然に使われる。
・・・ ・・・などと解説めいたことを言ったが大丈夫じゃろうか。「せやない、分かる人には分かってもらえるいね。」
ということにしておこう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「咲き乱れて」

2015年03月06日 | 晴耕雨読

                
                            今年も咲き乱れた「寒アヤメ」

季節を端的に表現する言葉の代表格といえば、俳句でいうところの「季語」がある。
冬から春にかけて使われる季語の中でも、「啓蟄」といえば、本格的な春の訪れを最も代表する季語と言えるのではないか、などと勝手に思っている。

今日は、そんな二十四節季の一つ「啓蟄」である。
まさに冬眠していた虫たちが活動を始めるという頃合い。わが家の庭では今年も、今を盛りに寒アヤメがわが世の春を詠っているような。

そろそろ里芋の植え付けが近い。そうだジャガイモも植えなければ・・・ということで、日差しがあったりなかったりの寒い中、思い切って畑に出た。先ずはサトイモ植え付け用畑作り。鶏糞を入れ、ひと鍬ひと鍬耕し、草を跳ね、均して仕上げ。
ジャガイモの畑は完璧にでき上がっているので、買ってきてある種イモを、大きいやつを半分にして・・・と、植え付けの準備を頑張っておいた。

それもこれも、2月から3月にかけて抱え込んでいた一連の作業がひと段落。気分が軽くなっている分、身体も動かしやすくなっているということか。
なんだかんだ言いながらも、季節は待ってはくれないので、その時々にやるべきことはやっておかないと、収穫時期を迎えたときに、手抜きや、おサボリの結果をもろに目の前に突き付けられる。

冷たい北風の中の畑仕事。汗が大量に出るわけではないが、帽子のしたの額はウッスラ。
このウッスラ汗が、キューりやトマトの色付きに上がる孫の歓声に変わる。そして「やっぱり家で獲れたものは格別おいしい」・・・などの評価に変わるようだ。さ~腰を伸ばして・・・、うごめく虫たちに負けんようにこちらも動き始めんと。 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい