「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「1月が往く」

2014年01月31日 | つれづれ噺

           
                         薫り高きロウバイが見ごろ 

何をしたのかよくわからないまま1月が往ってしまう。
季節を確実にとらえる植物は、寒さボケした人間に時の流れを態度で教えてくれる。
我が家の庭にはないが、どこからともなく芳香が漂ってくる。
市報を配るために我が受け持ちの班を一回りしたら、そのうちの一軒に見事なロウバイが今を盛りと花開いている。鼻をくすぐる。
肖像権の許可を得ないまま、パチリ、1枚拝借。

1月と言えば、おっと!忘れちゃ困る大事があった。いやいやそれほど大事でもなくなったのかもしれないねー。
午年当たり年と何度か言ってきたように、干支6周りの誕生日があったのだった。
7か月を過ぎた孫娘の手形を押したオリジナルカードをぶら下げた清酒を、せがれの嫁さんが届けてくれた。美味しくいただいている。
干支6周りも一つの通過点。無事に72歳を迎えられたことを、そ~っと喜ぼう。

わりとのんびり過ごした1月が往くと同時に、降ってわいたような大仕事が舞い込んだ。
明日2月ついたち。 午後6時。勝負服に身を包み、下ごしらえした資料を引っ提げて、某ホテルの大広間、120人のお客さんを前に、マイクの前に立つ。
久しぶりの武者震いにも似た緊張感をおぼえる。背筋を伸ばすのにこれ以上の刺激はない。のどの調子を整えて・・・。

 少しだらけていたら、胴回りとともに気持ちの方もたるんできたみたい。
こりゃいけん、明日の緊張感を起爆剤に、身も心も少し引き締めにかかってみるか。
お城山も恋しくなってきた。春は目の前だし・・・ ・・・。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「横断幕」

2014年01月27日 | 家族・孫話

 

      
                   国道そばの大型スーパー入口に掲げられた横断幕

冬休み返上で北海道夕張市に、スキー強化合宿に赴いた孫兄ちゃん。
その効果があったのかどうなのか、今年も全国大会へ出場することになった。
小学校5年が長野県菅平。6年が新潟県。中学1年生になった今年は群馬県片品村だという。

冬が来ると、週末には近くのスキー場に練習に出かける。シーズン本番になると合宿に試合の遠征に・・・と遠出が続く。スポンサー役の親は大変な思いをしている。ついでにジジババもホンの少しだけつらい思いをさせてもらっている。

小学校と中学校では、スポーツ選手の扱いも基本的に異なっている。
小学校では、登校日の遠征などで学校を休めばすべて欠席扱いとなる。しかも、担任によっては「いくらスポーツとはいっても欠席が多いのは問題」という感覚もあって、当人も親も、この点では大いに悩んできた。
中学生になったら、ウイークデーの試合遠征などで、授業が受けられなくても欠席扱いとはならないのがありがたい。

中学校は全員クラブ活動参加制度が打ち出され、体育会系文科系にかかわらず、なんらかのクラブ活動入部を奨励している。その結果、公式な試合出場などは原則として欠席扱いにならない。
しかも、OBや地元有志で作る、中学校体育文化後援会があって、クラブ活動の用具・器具の補助や、ともすれば遠征費の一部も援助するという、ありがたい外部組織が作られている。

このたびのように、中国大会や全国大会出場となると、オリジナル横断幕をこしらえて、交通量の多い国道筋などに掲げることで、選手の意気を高揚させ、熱く応援していることを選手自身が実感するシステムもある。
ジジの中学生のころには考えも及ばない地域の応援体制が整えられている。もっとも、当時そのような制度があったとしても、そんな恩恵に浴すほどの力も体力も持ち合わせていなかったに違いない。

急斜面を、100分の1秒を競って猛スピードで滑降する。転倒と完走と紙一重のギリギリに挑む難しさ。
多くは語らないが、何度か転倒でリタイヤを余儀なくされた経験も持っている。どうかするとうまく終点を迎えるために途中のスピードが落ちることもあるようだ。当然順位は落ちる。

色々あるさ。でもね、最初はお父さんにすすめられて始めたが、今では自分で挑戦したくてやっていること。
何があろうと、その思いをすべて雪面にぶつけてチャレンジしてほしい。それだけでいい。
小さな故郷ではあるが、横断幕まであつらえて、君を応援している人々がいてくれるのだから。

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「老い方色々」

2014年01月24日 | つれづれ噺

        

年齢は?と聞かれると、「71歳」と答えられるのは残りわずかな日数となった。
だからまた一つ年を取る・・・とか、冥土の旅の一里塚が一つ減った・・・などと考えるわけでは決してない。
それどころか、まだ見ぬ次なる年齢の生活がどう変わるのか、全く何も変わらないのか、興味がわく。
ただ、74歳で逝った父の年に近づくことで、なんかしら緊張する気持ちもないわけではない。

母は100歳7ヶ月を生きた。母より4つ下の妹、つまり我々の叔母さんは、正月3日に満102歳の誕生日を迎え、特別養護老人ホームでの生活ではあるが、個室に入って、文字通り悠々自適の生活を楽しんでいるように見える。
認知症の症状も見られず、頭の回転は鋭くて速い。記憶力も確かなものである。そういった意味では、足腰こそ年なりに弱ってはいるが、新聞も読めるし、世界のニュースを追いかける元気な102歳である。

ひとり息子が遠くに住んでいるため、長年の独り暮らしの習慣が身についている。そんな生活の中で培った旺盛な生活力が今の元気さを支えているのであろう。
しかし、いつまでも独りっきりの生活を強いるのも危なっかしい、ということで一昨年秋、特別養護老人ホームに入所して今に至っている。

私たち夫婦がたまに顔を出すと、それはそれはこぼれんばかりの笑顔で迎え、時事ネタや世間話で大いに盛り上がる。
もちろん耳は少し遠い。それでも聞く力 も解釈する力も十分備わっているので、当意即妙のやり取りができる楽しさがある。
お見舞いの品は、私たち仲間の書いたエッセイ集や、軽めの文庫本などを喜ぶ読書好きでもある。

これまでの長き人生の諸々を優しい笑顔に包み、「ようきておくれたねー、ありがとう、ありがとう」と何度も手を合わせて拝まれると、一瞬仏に祀り上げられたような優越感を味あわせてもらう。
どうかすると、見舞いに行ったはずの私たちが、102歳の叔母さんの元気をもらい、若さと勇気を授けられて帰る始末。

できるならこのような老いの道をたどりたい。そうはいってもね~。
書いたり読んだりの、せめて活字とともに過ごす余生が送れたら最高であろう。
「生きるお手本」ここにあり。母の姿がダブる叔母さんを大切に見守っていけたらいいな・・・と。
母や叔母さんの年まで30年。これは無理としても、せめて喜寿まで・・・ちょっと欲が少なすぎるかな?

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大寒」

2014年01月20日 | 季節の移ろい・出来事

                      
                                     今年頂いた年賀状     

厳しい寒さはあまり有難くないが、季節は確実にめぐってくる。
今日から暦の上では『大寒』。やがて訪れる春立つ日、『立春』までが最も寒いといわれる季節。
手垢にまみれたことわざではあるが、「冬来たりなば春遠からじ」。耐えて待つとしよう。

今年も数多くの年賀状を頂いた。
昨日、年賀はがきお年玉抽選会があった。偶然にもテレビ画面に映し出されていた。
何はともあれ当選番号をメモした。 ・・・ ・・・などと書くと、この後に「いいものが当たった!!」と続くのが普通であろうが、世の中そんなに甘くない。一等や二等ははるかに避けて通る。
三等賞、切手シートがやっとこさ3枚当たっていた。三等賞でさえ確率1.66%。100枚頂いても1.5枚当たるかどうか。こういったくじ運には強くない自分をよく知ってはいるのだが・・・。

まあ、お年玉の当たり外れはこの際脇に置いといて。
年賀状が届いてから20日。そろそろはがきフォルダーに仕舞い込もうか、という時期に改めて年賀状をじっくり読み返す気になるのは、このお年玉抽選のお蔭なのかもしれない。
そう考えると、日本郵政グループ、日本郵便株式会社も粋な計らいをしているのかな。

元旦の昼前に届く年賀状の束。初詣や年始の来客などに備えて、慌ただしく目を通すのでは、大まかな消息や動向をチラッと把握するだけ。ところが、ここにきて改めてゆっくり1枚1枚めくってみると、そこにはそれぞれの生き方や心境の変化、といった「今」が透けて見える思いがする。これが年賀状の醍醐味であり、たとえ年に一度の便りでも、なぜか心ウキウキするものを感じる。

寒い寒いと縮こまってばかりではもったいない。
年賀状の文面に励まされたからというわけでもなければ、センター試験に挑んだ若い人たちの努力に刺激されたわけでもないが、目の前に感じられる春を期待して、ちょっと背筋を伸ばしてみよう。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『天皇杯、男子駅伝」

2014年01月19日 | ニュース・世相

      
            天皇杯、広島男子駅伝 スタート   2014.1.19.午後0時30分 

12月の、皇后杯、京都女子駅伝に次いで、天皇杯、広島男子駅伝を、テレビ桟敷に陣取って、時々居眠り付きで優雅に見守った。
各県の代表として、出身地の名誉をかけてタスキをつなぐ選手や、今年一番の冷え込みの中、沿道で声援を送る応援団のみなさんには誠に不謹慎な話で申し訳ないが、正直なところ、このような形になってしまうのをお許しあれ。

 
       しばらくは集団で大移動             やがて徐々に縦長に

そうは言いながらも、一団でスタートした一区の選手たちが、前後左右、脚が絡みそうになるほどの集団で移動するうちに、徐々に縦長にばらけてくるのを見ると、走るかっこうのいい選手にはもちろん、半ば口を開いて苦しそうに走る選手にも、背中を押してあげたくなる優しさも秘めて、結果的には必死に応援しているのである。

 
    結果は、実力者長野県の危なげない優勝         2位争いのデッドヒート

途中で何度も入れ替わる順位を、できるだけ記憶に残しながら、ユニフォームの色とゼッケンナンバーで「抜かれるなよ~」「もう一度抜き返せ」「ここをがんばらないと・・・」などと、結局は身体を揺するほど一生懸命になっている自分がおかしくなる。されど、お目当ての山口県はなかなか画面に表れてくれない。

結果的には、過去に4度も優勝経験を持つ強豪長野県が優勝した。アンカーの力強い走りは、それはそれは見応えがあった。
それに続く2位争いのデッドヒートも見応えがあり、九州勢で一番だった長崎県に注目したが、わずかな差で4位。それにしてもよく頑張った。

日本全国47の都道府県の名前が、これほど何度も呼ばれる報道番組は多くない。
そこへいくと、近々訪れてみようと予定している県の名前や、つい最近この足で訪れた県の名前などが連呼されると、妙に親しく感じられて、いろんな思いが頭の中を駆け巡る。もちろん、恩師の住まいであったり、大変な目にあった東北各県であったり、お世話になった方や友の存在も、しかと思い出されて、一瞬自分の世界に浸れる。これもまた全国都道府県駅伝のテレビ桟敷の面白さでもある。

ちなみに、我が住む山口県は25位。開催地広島県は14位。さてあなたの意中の県は何位?

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新聞3紙」

2014年01月15日 | つれづれ噺

          

今年に入って新聞が3紙入るようになっている。全国版2紙、地方版1紙。
何故そんなに、家計を圧迫するほどの新聞購読なのか?
よくぞ聞いてくれました。 ンン?誰も聞いていない? そっか~。では仕方なく自ら事情の説明を、許される範囲で・・・。

早い話が、気の弱さと、ええかっこしいが災いしただけのことである。
とはいえ、さかのぼってあれこれ思うみるに、気の弱さとお人よしの部分は認めるが、ただ新聞勧誘員の強引さに負けて仕方なしに購読に至った・・・というだけではないことを釈明しておきたい。

1紙目は、早い話が数十年来の長い付き合いで、わが愛するカープのスポークスマン的な地方紙。さらに大きくて大切な理由もあって、これはなかなか外せない。
2紙目。これは趣味としているエッセイの同好仲間の動向を把握したり、時に参考とする作品に出合うことがあるのを楽しみにしている全国紙。こちらは購読歴4年。

問題はこの1月1日から入り始めた3紙目。決して好きではないジャイアンツのニュースを大々的に取り上げる全国紙。
何故この3紙目を購読に至ったのか。実はこの全国紙は本紙のほかに、ローカルに密着した「〇〇かわら版」という、小さな町の小さな人の動きを上手に取り上げて報道するミニコミ紙がある。
昨年のある時期、その「〇〇かわら版」に、小生の個人的な趣味の積み重ねが取り上げられた。
つまり、少なからず反響を得た。それに乗じて?知己の新聞勧誘員が、ここぞとばかりに売り込みに来た。断りきれなかった・・・ということだったような。

そんなわけで、朝食のテーブルには新聞紙がゴロゴロしてお茶碗が隠れてしまいそう。
その割に、じっくり時間をかけて読み込むのはどうしても1紙に偏る。さてそれはどれでしょう??
答えて頂かなくて結構ですが、あとの2紙は1~3面の見出し拾い読みが多くなる。

新聞を3紙も取っているのだから、もう少し賢くなってもよさそうなものだが、全く変化の予兆もないので、新聞の購読量と、知識取得量は正比例しないことだけは分かった。
そして、新聞社によって、日本国内の動向を常に批判的に眺め、反対意見を述べることが得意な社と、少し穏やかに、政治のありようを伝えようとする社との差が、なんとなく見えるような気になっている。

総理大臣の靖国神社参拝が、世界を敵に回すほどの悪いことなのか? 戦争の愚かさと悲惨さを思い起こし、戦禍に斃れた人の冥福を祈り、不戦を誓うのはいけないことなのか?
新聞によっても色々論調は異なる。ややこしや、ややこしや。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「重い腰を・・・」

2014年01月11日 | ニュース・世相

           
                 選挙カー日本列島を走る。

あれよあれよという間に今年も10日余りを過ごした。
その間いったい何をやったのだろう。それらしいことをしないまま時間だけが流れたのかな。
いやいやそうでもない、今年の一つの課題に向けて下準備に怠りはなかった…と言いたいところだが、他人に優しく自分に厳しい自己採点をしたら、はてさて何点?多分及第点までは届かないのだろう。

梅のつぼみはだんだん膨らんでくるこの時期は、一年中で最も寒いといつも思っている。
寒さに強くない小生、何かにつけて腰が引けてしまう。目標作業に向かって思い切って腰を上げるまでに少しの時間がかかる。決して歳のせいなどと安易な逃げは打たないが、重い腰が上がりにくいこの頃ではある。

そんな、やや自堕落な時間を過ごすお馬さんに、ムチの一つも当ててくれようという大きなニュースが日本列島を縦断し、ぼや~っとしている脳みそをいやが上にも引っ掻き回してくれる。まるで「世の中の動きをちゃんと注視しんさい!」と叱ってくれているような。
そう、重要な地方の重要な首長を選ぶ選挙が目白押しであるということ。

東京都知事。沖縄、名護市長。そして我が住む山口県知事。
それぞれの事情を抱えた重要な選挙が待ったなしの状況となっている。
どうかすると、国政以上のウイークポイントを握るかもしれない選挙。つまり、我が国の安全保障政策や、エネルギー政策など、将来展望を左右しかねない選挙ということになりそうだ。

・・・ ・・・というようなことを見極める余力を確保しながら、我がなすべきことを着々と、こなしていくしかない。
これを政治家風に言うと、『国民の生命と財産、安定した生活を保障するために粛々と政務をこなしていく・・・・・・』という言葉になるのだろう。

寒い寒いとも言ってられないな~。少し動くことで、身体も頭も温まってみるとしよう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「少しの余裕を見せて」

2014年01月07日 | 家族・孫話

         
                 雪焼けした笑顔で到着ゲートへ。

12月25日早朝、北海道夕張市のスキーレーシングチーム合宿に向けて、広島空港を飛び立った中学1年の孫兄ちゃんが、少しの余裕を見せながら、雪焼けした満面の笑顔で無事に帰ってきた。13日ぶりの笑顔のご対面。何はともあれ一安心。

この笑顔を見たくて、出迎えに行くお父さんのクルマに便乗させてもらって、1月6日20時45分到着の、彼が乗った飛行機を待った。
定刻に無事到着。大きな荷物は宅急便で送った、と言いながらも大黒様のごとく、大きなバッグを背負い、もう一つのさらに大きなバッグと、スキー板2本入ったケースを、こともなげに引っ提げて、到着ゲートから出てきた。

          

弟カー君に何がしかのお土産を渡し、ツーショット。
「どうだった?」「ウン、まあまあ」。次に出てくるのは「腹減った!」。こんな会話で、取り敢えずお弁当買ってクルマへ。
ジジには分かりにくい専門用語でお父さんに何やら報告。お父さんも幾つか要点を質問。
会話が途切れがちになったなと思って見ると、弁当に少し箸をつけたところでもう爆睡。

帰省する6日も朝からゲレンデで最後の練習をして、千歳空港に連れて出てもらったらしい。
体力的な疲れもあろうが、精神的疲れも並大抵ではなかったろう。
静かに眠らせながら高速を飛ばして、午後11時ちょうどに我が家に着いた。

ジジとしての質問も幾つか用意して出かけたのだが、あの疲れようには、質問どころではなかった。
後日ゆっくり内容は聞かせてもらおう。そしてまた一つ声援を贈ろう。
確かに腕は上げているのだろう。それはそれで大いに結構。だが、それ以上の大切な実体験を積ませてもらっていることに、やはり婿殿に感謝する。半端な出費ではなさそうである。

今日は春の七草。小さいころ、おかゆを喜んで食べていた兄ちゃんに、七草入りのあったかおかゆが、ばあちゃんの手で振る舞われるのであろう。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「4日の縁日」

2014年01月05日 | 趣味・・エッセイ

    
                 見上げるような坂道を          息も絶え絶え。十九丁石

正月4日目を迎えた今日も、朝から暖かい日差し、風もない。
そうだ、「今日はお弥山さんのご縁日」を思い出した。
高校の同級生がお手伝いをする、あの阿品弥山に登ってみたいと思い立った。

そういえば2年前。ご当地検定試験の実施に燃え上がっていたころ、先ずは現地踏破という意気込みで、寒風吹きすさぶ雪景色の中を、代表に引っ張られるように登ったことを思い出した。
今回は急な思いつきで、相棒にカミサンご指名で、コンビニおむすびを買って二回目の挑戦と相あなった。

一回目よりは二回目の方が慣れているだろうと、少し高をくくって出かけた。もちろんトレッキングポール引っ提げて。
ところが山の自然は何も変わらず、ゴツゴツしたむき出しの岩道や、木の根道をエッチラオッチラゆっくり上る。
一定間隔で、高さと行程の道しるべとなる丁石と呼ばれる石碑が建てられている。一丁石、二丁石あたりは難なく通過。
徐々に坂道が急になる。急こう配の見上げるような獣道を、一歩一歩着実に。汗が流れる。それほどに日差しが暑い。
頂上の長楽寺の鐘の音が段々近くに聞こえてくる。途中何度か立ち止まりながら、やっとたどり着いた十九丁石。間もなく見上げる先に長楽寺の本堂が。


                         

遠くかすむ山並みを、ややもすると見下ろすほどの絶景。思えば遠くへ来たもんだ~
同級の友が詰所に陣取っている。予期せぬ来訪に笑顔の歓迎。次いで熱々の焼き芋を手渡され一服。
汗を拭き、手水を使い、身づくろいを整えて参拝。なにかしら、お正月にいいことをしたような気分に浸れる不思議な瞬間を味わう。
山頂には、赤崎神社・日宛神社と長楽寺、二社一寺が祀られており、それぞれの地元の人たちに守られている。ねんごろに参拝。

さすがに正月四日のご縁日。参拝者は途切れもなく、獣道派や車道派など次々に訪れる。
わずかな滞在時間にいったい何人の知り人に会うのだろう。こんなところこんな人に・・・という懐かしい出会いを含めて、多くの人と改めてご縁を頂いた思い。これだけでも充分価値のあるお弥山詣でであった。

さて帰ろう。登ってきた獣道をそのまま戻ることにした。見下ろせば、子ども達でさえ慎重に足を踏ん張る急な坂。
    
若いときに痛めた膝に声をかけながらゆっくりゆっくり。なんとか無事に降りた。
登り45分。下り50分。頂上で軽い食事をとったりしゃべったり、貴重な4時間を体験。
大きなご利益は求めない。少しでいい、気持ちの安らぐ安穏な日の多くあることを、手のひらに載せて柏手を打つ。

お正月も終わった。いよいよ本格始動。気合を入れ過ぎず、漂々たる一年を目指して・・・。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「午年、神頼み」

2014年01月03日 | つれづれ噺

 

正月三が日が、珍しいほどの暖かさと穏やかな好天に恵まれた。
干支でいう午年の今年は、6順目の当たり年。何はともあれ初詣に出かけた。
混雑するであろう元日を避けて、二日の初詣ではあったが、長蛇の列は避けられなかった。

恩恵が末端までは届き切っていないと言われるアベノミクスであるが、何かしら景気回復を予感させる世論に後押しされるのか、人々の神頼みには続いていた。

かくいう小生も、72歳の誕生日を前に、少しでもいいことがあるように、当たり年の神頼み。
お札(おさつ)で神棚に祀るお札(おふだ)を授かってきた。そしてちっちゃなお馬さんのお守りもゲット。
別に何をどうというわけではないが、年の初めの験担ぎ。先ずは自らの健康を願い、家内安全や孫たちの息災に何らかの貢献ができるよう、欲張った二礼二拍手一礼を神前に捧げてきた。

振り返れば、午年に生まれたこの身ながら、必ずしも干支の通りにはいかなかった。
そんな反省も踏まえ、元旦に向けてこんなことを考えてみた。恥を忍んでご披露しておこう

 『 お灯明を上げ、打つ柏手になぜか例年以上に力の入るお正月。
  賀状には様々な表情のお馬さんが新春を祝っている。
  ここにも一人、干支6順目を迎えたお午さんがいる。
  高らかなファンファーレに乗って登場し、大観衆の前で
  G1レースを駆け抜けるサラブレッドにはなれなかった。
  白い息を吐きながら雪深い山で働く木こり馬ほどの馬力もなかった。
  華やかさや力強さとは縁遠い、地道でたおやかな生き方ではあったが、
  二人の子供を授かり、4人の孫に恵まれた。
  今年も無病息災を神頼みしながら「無事これ名馬」といわれる生き方を目指して。 』

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい