手作りしめ縄(注連縄)が玄関を飾る。 ちょっと自慢げにアップして・・・。
一夜飾りは忌み嫌うと言われることから、今日午前中に玄関にしめ縄を飾った。
これまでもずーっとこういったお飾りごとは、暮れの30日に間違いなくやってきた。なのに何故今年に限ってことさら話題にするのか。ちょっとした訳がある。
昨年に引き続き、今年も三地区の小学校や公民館活動で行われる、しめ飾り教室のカメラマンやお手伝いをしてきた。昔取った杵柄、実技指導もしてきた。
そんないきさつから、我が家のしめ縄を買うことに抵抗をおぼえた。ヨシッ!自分で作ろう!!ワラもウラジロももらってきている。ということで手作りしめ縄に挑戦。
こちらは、小学生並みのものとは訳が違う。親父がその昔商売にしていたプロのしめ縄作りの腕を見てきただけに、中途半端には出来ない。と思って、やり方そのものは真似をしたのだが、実際に出来上がったのはご覧の通り、自慢にも何にもならない代物ではあるが、兎に角を久しぶりにこの手でこしらえた手作りしめ縄を玄関に飾った。
小学生などの体験教室では、しめ縄を飾る由来、縄は左縄、ウラジロは、ユズリハは、ダイダイは・・・などなど一通りのウンチクを説明することになる。
そして最後に一夜飾りはしないのよ・・・という結論に達する。
そこで、ついでながら「何故一夜飾りを忌み嫌うのか」ちょっとだけ知ったかぶりを。
「お正月の歳神様をお迎えするのに、たった一夜の飾りでは誠意に欠ける」とか、「葬式の時の『一夜飾り』になる為それに通ずるから避けた方がよい」という説などいろいろ言われてきた。が、本当の意味は「新しい年の歳神様が三十一日の早朝に、その家に来られるのだから、三十一日の昼間や夜に飾ったのでは、歳神様のお迎えに間に合わない。せっかく訪れた歳神様が、門松もしめ飾りもない家には『この家には、神を迎える意志はないのだな』と家の前まで来ていてもそこから家の中へは入らずに、Uターンしてお帰りになってしまう」ということらしい。神様にもそれぞれ言い分はあるというものだ。まあ真偽のほどは、信ずる者こそ救われる。と言うことにしておこう。
兎にも角にも今年に限っては、手作り尊重、自家製のしめ飾りを堂々と玄関に掲げた。
「手作り」という意味では、今年はすごく大きな成果を上げた、と我ながら感激する事柄がいくつかある。一つは、10人のメンバーが情熱を傾けて取り組んだ岩国検定テキストブック『いわくに通になろう』を創刊させたこと。そのテキストを元に、第2回岩国検定試験を無事やり終えたことも、大きな大きな「手作り」の二つ目であると自負している。
更に今ひとつ言わせて頂くなら、古稀を迎えた記念に、これまで書き貯めてきたエッセイやブログの一部をまとめて、まさに手作りのエッセイ集「我が人生 今が旬」を自負出版した。それらのどれを取り上げても、自分一人の手で作り上げられたものはない。全てにおいて、友であり仲間である人達の手を借り、共に携えてこのような晴れがましい成果を生み出したと言える。
かけがえのない友、素晴らしい仲間に恵まれたお陰で、自分には無い大きな力を得て素敵な1年を過ごさせてもらった。ひたすら感謝。