「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「遠足」

2009年02月28日 | 季節の移ろい・出来事
2月も早最終日。昔から言われるとおり、1月2月の過ぎゆく速さは格別な感じがする。
今日は、我ら岩国エッセイサロンの月例会。本来なら中央公民館の一室で、ひたすら真面目に? エッセイの評価・書き方などについて、頭を抱える勉強会の日である。

代表の粋な発案によって、2月度例会は場所と雰囲気を変える勉強会にしよう…ということになった。
総勢17名クルマ5台に分乗。走ることかれこれ1時間半。目指すは、水仙の群生が見事な「上関(かみのせき)」普段の室内勉強会では、控えめでおとなしい人もそうでない人も、一様にテンション高く遠足気分。

目指す水仙は取り敢えず置いといて、「腹が減っては戦にならず…」先ずは昼食会。
全員同じものを注文する見上げたチームワーク。そこは「同じ釜の飯を食う仲間」を地で行っている。
腹を満たしたところで、上関の歴史散策。

ご存じの通り、山口県には海峡に面して3つの関がある。世界的に有名な下関。次いで、軍港・商港として整備された三田尻中関(現在の防府市)。そして、今回の水仙が群生する上関。古来、「竈関(かまどがせき)」と言われ、瀬戸内海を行き交う船が、風待ち・潮待ちのために立ち寄り、港は大変な賑わいだったという。

歴史散策はこれまで。いよいよ目指す水仙鑑賞。その名も「上盛山(かみさかりやま)展望台」。「水仙はもう盛りを過ぎたんじゃない…?」と、盛りを過ぎかけたオジサン・オバサンが登っていく。 着いてみると、盛りを過ぎるどころか、我々と同じ人生真っ盛り?を思わせる薫り高い水仙の群生。 あー来てよかった。

そして帰りがけ、麓にある城山(じょうやま)歴史公園へ。ここでは見事な河津桜(かわづざくら)のお花見に酔った。ちなみに、河津桜は、静岡県河津町原産で、「寒緋桜」と「大島桜」の自然交雑種と言われているそうな。 季節を先取りした思わぬ桜のお花見にご満悦。

なんだか遠い遠い昔を思い起こす遠足気分に浸った。これに気を良くしてまた明日から、しっかり画面とにらめっこ。スイセンされるようなエッセイ作り目指して、ガンバロー!!

        ( 写真: 見事に咲いた、今を盛りの河津桜 )
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「インターネット」

2009年02月27日 | ニュース・世相
我が家の書斎にパソコンがドデンと座って10数年。インターネットなるものに手を染めて10年は優に越えた。 その間、まさに世界が広がり、見たいもの・知りたいこと・改めて確認したいことなど、多くをネットの画面に頼ってきた。言ってみればネット依存症の一人かも知れない。

メール交換によって国内はもとより、遠くアメリカのお友達とも瞬時の意志交換が出来るという便利さ。
さらにブログ発信に至っては、それこそ多くの見知らぬ方々との交流が可能になる。しかも、直接の面談や言葉の交換ではなく、はっきりとは見えない相手の輪郭・お人柄など、ほのかに想像しながら文章によって意見交換する、秘めたる楽しみ。

これは間違いなく、人生の大きな広がりとなり、人の世の広さと狭さを痛感したりしながら、結局ハマってしまう。使い方によってはそれはそれは楽しい日々となる。その一方で、中毒症状を起こす恐れのある安定剤に似たところもある。

このネットも、所詮人間が考えついたものであり、情報交換の一つの手段であることに変わりない。言ってみれば、便利な便利な道具の一種である。使いこなすのも人間、振り回されるのもまた人間である。

太古の昔、人間が火を使うことを発見。道具を使うことを発案。それらを色んな場所で、色んな方法で使いこなす知恵を身に付け、大きな大きな進歩を遂げて来た。

ところが、火によって火事が起こり生命・財産が失われる。のこぎりで木を切ればいいものを、使い方を誤って足を切ったり手を失ったりする。 このように道具などというものは、上手に使えばこれほど便利なものはない。しかし一歩間違えばたちまち命取りになりかねないリスクを背負っていることを忘れてはならない。

高校生が、クラスの仲間が気に入らないから、爆弾を作って危害を加えることを計画。その製造方法をネットで詳細に知り得る恐ろしい現実。 誹謗中傷の書き込みなどによるブログ炎上なども後を絶たない。
道具や一つの手段である以上は、個人が勝手に使用する範囲を制限するのは難しい。が、“ほとんど野放し”状態にあるネット社会の現状に問題なしとは、どう考えても行き着かない

お腹が減っていては持ち上げにくいほどの重さ4㎏の広辞苑。何かにつけて頼りになる古い百科事典・現代用語基礎知識。このような分厚い参考書の代わりに、右手人差し指1本で大半が解決出来るネットの力を、今後も上手に大いに活用して楽しいネット付き合いをしていきたいなー…。

          ( 写真: 4㎏もある広辞苑・百科辞典など、ブログ必需品 )
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「忘れもの…」

2009年02月26日 | つれづれ噺
何か普段と変わったことをするときや、慣れないことに手を出したりするときは、あれこれ計画を立てる。
旅行などするときは、旅行本番が楽しいのは言うまでもないが、準備の段階であれこれ計画を立てたり、あそこもここも欲張って手を広げたりするのがまた楽しいひとときとなる。

そして、周到な計画を立てたつもり、お土産リストも完璧なつもり、で出かける。
帰ってみると必ず一つや二つの忘れものに気が付く。お土産も足りなかったりする。アーア…後の祭り…。

先だっての、「孫に引かれて東京見物」 も大事な大事な忘れものをしたことに、今頃になって気が付いた。
“東大・赤門” をくぐらせるのを忘れた。
但し、こればかりは、出発の前から予定にも入っていなかったし、ハナからじいちゃんの眼中になかった。

この頃になってカー君が、実際に自分の目で確かめた東京タワーや国会議事堂・富士山などを改めて、写真や形として見たがる。 古い蔵書の「日本の旅」全14巻のうち、東京と関東を引っ張り出して見せる。 感動がよみがえるらしく、一段とテンションが上がる。

何気なしに横から見ていると、東大赤門の写真も載っている。そこでハタと気付いた。 シマッタ…何はともあれ、6歳の将来ある若者にあの赤門をくぐらせておくべきだった……と。

別に赤門や安田講堂が全て…などと考えるほど野暮なじいちゃんではないが、今なら堂々と赤門を通過できる。将来は果たして…。せっかく上野・不忍池近くまで行ったのに惜しいことをした。

指折り数えて12年、その可能性を楽しめるわけだが…。 とはいいながら、旅行の予定にも入れるのを忘れ、実際に赤門に連れて行くのも忘れるようでは、所詮、赤門通過は夢だろうなあ……。
第一、それを見届けるまで、こちらがこの世にいるやらいないやら……。

         ( 写真: 今頃になって思い出した、東大・赤門 )
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「マイ・ペット」

2009年02月25日 | つれづれ噺
ひと頃の指先も凍るような寒さは峠を越したのか、なんとなく気持ちもゆるんでくる。
寒さがゆるむと、けたたましいおしゃべりと、甲高い小型犬の鳴き声が交錯する、ペットのお散歩が華やかになってきた。 寒さのピークの頃は、その姿が半分ほどだったように思う。
マイ・ペットといっても、洗剤のお話しをするわけではない。

それでなくても、小さな団地の割には、隣近所との交流が途絶えがちな現代。ペットを介して、ペットがいる家同志だけでもつながりが保てればまあいいか…とペットの集団散歩をヨシとする。

ところがこれが大変。おしゃべりが忙しく、ペットの排泄に気付かないのか、気付いても集団意識で放置するのか、現行犯目撃ではないので一概には言えないが、兎に角あちらこちらフンだらけ。
しかも、団地をホンの少し外れて、田んぼや小川が流れる絶好の人間散歩コースがペットにも使用される。

我が家のじいちゃんペットは人間である。大事な大事な孫である。小道の真ん中や端っこの草が盛り上がったところを踏もうものなら、先ず間違いなく転がっている。フン害に憤慨する。などと古い洒落を言っている場合ではない。孫の靴に粘り着く。

ヤダヤダ!せっかくクルマもほとんど通らない静かな田園の散歩道。独特の感性で色々話してくれる言葉をさえぎって、一々草むらをよけて通るよう声を上げなければならない。楽しいはずの夕方散歩が、とんだマイ・ペットのお陰で艶消しになってしまう。

県や市の迷惑防止条例がもっと定着されないかなー…。お巡りさんもそこまで手が回りかねるだろうしなー…。 学童の登下校の安全を守るように、ペット散歩のマナーアップを巡回してもらおうかなー…。
ちょっと考えてよ…、子育てが終わったオバちゃんたち…。

        ( 写真: 飼い主に愛想を尽かしたワンちゃん )
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「おくりびと」

2009年02月24日 | ニュース・世相
映画界最高の栄誉とされる、アメリカ映画芸術科学アカデミー賞で、日本映画「おくりびと」が外国語映画賞に輝いた。さらに、短編アニメ賞を「つみきのいえ」が獲得した。なんと二部門制覇は半世紀ぶりだという。すっごいことである。
個人的にはあまり貢献していないが、日本映画文化も決して廃れていない。むしろ世界に誇れるのは嬉しい。

今回の受賞作「おくりびと」とは、亡くなった人とその家族との最後の別れ目となる、遺体をお棺に納める専門職の人を言う。つまり、医師や看護師に次ぐ、場合によってはそれら以上に、遺体との接触の多い職業である。それだけに、その一挙手一投足に、遺族親族のシビアな目が注がれる。

実は私自身、納棺師という職業のあることは知らなかった。 なにせ、我が家からお葬式を出すのは35年ぶりである。その頃にはまだこの職業が存在しなかったように思う。

昨年11月、母の葬儀に際して、それまで知らずに過ごしてきた葬儀全般の多くの知識を注入した。その中の一つが、納棺師つまり「おくりびと」という職業である。

枕勤めをして一晩我が家に泊めた翌朝。専用道工具一式を積んだワゴン車が横付けされる。男女のペアーが慇懃な挨拶の後、テキパキと部屋に防水シートを張り巡らし浴槽を搬入。ふすまを開け放った隣の部屋の遺族親族に完全公開で湯灌が始まる。
湯灌は「逆さ水」といわれるように、お湯の温め方も、水にお湯を足して温度調節をする。遺体に浴びせるお湯も、必ず足下から胸元へひしゃくでかけて上げる。通常我々が、お風呂で、肩や胸からお湯を浴びるのとは全く逆な方法を取る、これが逆さ水なのだという。

そうして遺体を生まれたままの素っ裸に一度戻す。この一瞬が非公開。真新しい下着、こちらの希望で最も新しいお気に入りの和服を着させてもらう。頬紅の色・口紅・指先の化粧にに至るまで、一つ一つサンプルを見せられながらこちらが色を選ぶ。その手際たるやお見事!の一言に尽きる。そして納棺。

これから永遠の別れとなる人に、まさに新たな命を吹き込んで、紅さす顔に微笑みまで浮かべて旅立たせる見事な演出。おくりびとの役割は、死者を送るのではなく、遺族親族にその永遠の人間としての姿を焼き付かせてお見送りさせる介添職人さんなのだと気付いた。 

このように完璧なまでに、死者を見送る日本人の心根、優しさ、死者を弔う文化、みたいなものが、映画を通して世界に受け入れられたのだろう。 もちろん、制作・出演ほか多くのスタッフの力が結集した結果であることも間違いない。

        ( 写真: アカデミー賞で手にする、オスカー像 )
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「田舎ドリーム」

2009年02月23日 | 家族・孫話
前日の華やかなアメリカンドリームから一転、かなりかけ離れた“田舎ドリーム”のお話し。

定年退職時が満1歳になったばかりの初孫。半年余りすぎた頃から、あっちの公園・こっちの遊園地と、ジイちゃんの暇に任せて、公園をはしごする日が始まった。生来の運動神経のよさに加えて、全く物怖じしない怖いもの知らず。 自慢のペットとして連れ歩いた。様々な遊具もあっという間に使いこなした。 これは無理かな…と思う芝生の傾斜も難なく、車輪のついた新幹線おもちゃにまたがって滑り降りる。

そんな性格を父親が見逃すわけがない。自分たちが遊びに行くところには全て連れて行った。北海道トマムのスキーツアーは4歳頃だったろうか。 それから毎シーズン何度かスキー場通いをして、1年生になった昨年から、大会にエントリー出来るまでに成長した。

小さな大会ではメダルをゲットするが、本場の大きな大会になるとなかなか…。1年生~3年生までが小学低学年の部としてひとくくり。地元の鍛え上げられた3年生にはまだまだ勝てない。 一昨日は、島根県飯石群飯南町の「ことびきコレストパーク」の大会出場。メダルには届かなかった。

それでも、成年男子と全く同じコース。全長750㍍・標高差170㍍・最大斜度24%・平均斜度19% を47秒そこそこで滑り降りる。時速56㎞にもなる。思いっきりのいいストックさばきで疾走するビデオを見せられると、抱き締めてやりたくなる。かっこいい。

1年で1億円稼げるスポーツではない。お金にならなくてもいい。精一杯の努力をして欲しい色のメダルゲットを目標に「田舎ドリーム」を目指してくれたらそれでいい。 ビデオ鑑賞会と次回の健闘を祈り、我が家でシシ鍋晩餐会。 ジジ・ババの夢が広がる。次回は兄弟が出場という。現場に応援かな・・・。

           ( 写真: かっこよく疾走する、兄ちゃん )
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「アメリカンドリーム」

2009年02月21日 | スポーツ・観戦
華々しくデビューした、日本ゴルフ界の若きヒーロー、はにかみ王子・石川遼。
若干17歳。いよいよアメリカツアー初参戦。文字通りアメリカンドリームへの挑戦、夢が広がる。

考えてみれば、これまでの人生で、スポーツと名の付く色んなことに手を出し、首を突っ込んできた。そのたびに大なり小なり、それ相応のお金も注ぎ込んだ。

しかし、何故かゴルフだけには手を出さなかったし、ビタ一文のお金もかけなかったなー。これは自分でも珍しい現象だと思う。元々「お金持ちの暇つぶしの遊び」などという曲がった先入観で接していたため、はまったらお金がかかる…という貧乏人の被害妄想が邪魔をしたのであろう。
それに、若くして痛めた腰痛再発を怖れる、肉体的要因もあった。

そうはいっても、クラブを一度も振ったことがないとか、ボールをひっぱたいたこともないというわけではない。 会社の打ちっ放し練習場の網の中で、お昼休憩時間に、借り物ドライバーで半年くらいクラブを振ったことはある。才能も力もないことにいち早く気付いた。

それだけに、「15歳で日本ツアー最年少優勝、16歳で最年少プロに。17歳で獲得賞金1億円突破の最年少記録、等々の実力を見せつける、若い力には大いなる魅力を感じる。

そして彼の遙か先には、2歳の頃からクラブを振り始めたという、現役プロゴルファー最多獲得賞金王の、世界のタイガーウッズがいる。目標には事欠かない。
ウッズ33歳、石川17歳。師匠とするには絶好である。何かをやらかしてくれるのではないか…期待を持たせる。

そこには、日本のマスコミや彼を取り巻く環境が問題となる。あまりにも持ち上げすぎると、自信過剰が、伸び悩みの原因となる。 そう言う意味でも、野球のイチロー選手の謙虚さを学んで、大物に育って欲しいな……

今の世の中、他人事ながら、明るい話をアメリカンドリームにでも託してみたくなる。

( 写真: フロリダに建つ、ディズニーの世界を思わせる、タイガーウッズの豪邸。43億円とも……)

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「酒なくて…」

2009年02月20日 | ニュース・世相
酒なくて 何のおのれが 桜かな……
我々の普段の生活とお酒について少し考えてみたい。 下戸の戯れ言と笑われるかも知れないが……。
一日の呑む量は別として、昨年秋頃から晩酌なるものを始めて、今では夕飯前にホンのわずかながらでも、お酒と名の付くものを口にしないと何故か夕飯の収まりが悪いような気がしてきた。

これがいわゆる晩酌というものの味か…と今更ながら、ゆっくりと味合う心境になっている。
1.8㍑のお酒が、カミサンと二人で12日も長持ちするのだから、推して知るべしの量ではあるが、まるっきり呑まないとなると、何故か口寂しさをおぼえる。

古今東西、お酒のない国、お酒のない歴史は存在しないと言うくらい、人間とお酒のご縁は深い。それだけに多くの逸話・挿話が残されている。 お祝い事には先ずお酒・嬉しければお酒・悲しければお酒・別れの杯などなど。普通の生活の中でも切っても切れないお友達である。

いくら下戸とはいえこれまでの人生で、お酒にまつわる色んなエピソードは当然ながら抱えている。 忘れもしない、いつまでたっても自分の中で時効にならない、人に語れない思い出の酒もある。 これだけは胸にしまって持って行くことにしよう。

最後の将軍となった徳川慶喜が、薩長連合軍に押されて幕府の屋台骨が危うくなった頃に、将軍職に推挙された。その前後のいきさつの中で、薩摩・島津、越前・松平、宇和島・伊達、朝廷・中川の宮らを前に、自らの置かれた立場、先の見えた幕府の頭領への不信感、ありとあらゆる論理を展開して、目の前の酒肴の膳に突っ伏して、「酒の上のことだから…」とうまく逃げた。 こちらはお酒の力・酔いの勢いに乗って、言いたい放題・思いの丈を述べた…(言ったもの勝ち)という逸話を思い出す。 昔だから通用した。

「酒の席のことだから……」「酔いが残っていたから……」一切理由にならない世の中であることを今一度確認しておきたい。 お酒で身を滅ぼす人の少なくなった近代国家で、一人の不注意な深酒で世界に恥を曝す愚行は、何とも寂しい。お酒の上のセクハラでクビになるのも後を絶たない。

次回の総選挙当選者には、資産の公開と共に、お酒の飲める量の公開も必須とすべきである。その量によって、大臣適任か否かの判断材料にするのも、一つの方法では……。

        ( 写真: 買ってきたお酒を保管する壷と、お猪口と杓子 )
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「春闘はじまる」

2009年02月19日 | ニュース・世相
労働者の賃金見直し・ベースアップ・労働条件改善、等々を目標とした春闘が、昨日から始まった。(1955年以来、毎年春に、賃上げ要求を中心とした労働組合が全国的規模で一斉に行うわが国独特の共同闘争。)

経営者側の発表によると、軒並み赤字転落。中でも50年ぶりの大幅な収益赤字を見込むトヨタ自動車を中心とした自動車労連や連合が、4000円程度の賃上げ要求を掲げて、今春闘がスタートしたという。昨年実績は1000円程度の賃上げであった。

「賃上げこそが、購買意欲の増大を図り、景気回復の原動力となる……」という労働側の主張。
理解出来ない中味ではないと思う。
しかし、長年、労働組合員経験者の目から見ても、今の状態・この不況にあえぐ現状で、大企業だけが賃上げ要求を掲げて闘うことに大義名分が立つのか?いささか疑問である。

何故、昨年・一昨年の景気横ばい状態の中で、血の出るような交渉をせずに、今、中小企業含めて生存そのものが危ぶまれている中での4000円要求なのか。
企業をつぶしては、元も子もないことは百も承知のはずである。もっとも、企業はしたたかで、簡単にはつぶれはしないのだろうが。

それにしても、今は、大企業の従業員擁護ではなく、ワークシェアリングなども積極的に取り込んで、幅広い労働者全体を救うべき時ではないのか…と単純には思う。
ひと頃流行った 「KY」 会社をつぶすかも知れない危険予知・世の中の空気が読めない……二つのKYを犯している気がする。

今は、我慢の時。その代わり、V字状とは行かないまでも、「収益向上の暁には間違いなく、従業員福祉最優先に取り組む」、という約束を取り付けるくらいの、太っ腹な労働側の交渉態度を見てみたいものである。
みんなが貧乏になれば貧乏は目立たない。それが格差社会の軽減につながるのでは……。

        ( 写真: 春闘交渉スタートのテレビニュース )
         
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「確定申告の教え」

2009年02月18日 | ニュース・世相
いよいよ2月16日、所得税・贈与税の確定申告が始まった。
年間の一大行事である。 給与と公的年金所得があるだけで、特に悩むこともないはずなのに、出来れば納税額を少なくしたい…などという愚かな欲が絡むばかりに、何となく煩わしい作業に思われてならない。

それに、「国民健康保険、後期高齢者医療保険の保険料は、申告された所得額などをもとに計算します・・・*申告がない場合、無収入または遺族年金、失業給付金などの非課税収入のみの人であっても、保険料の軽減の適用ができません。」と、市報に書かれたりすると、何となく強迫されているような被害者意識が頭をもたげる。

初めての確定申告は、友達と二人で恐る恐る税務所の2階で、ややこしい説明を聞きながら、計算機片手に全てを手書きしたものだ。翌年から「確定申告恐るるに足らず…」という大らかな気持ちでこの時期を迎えられるのも、ホンのわずかながらパソコンを扱える身の有り難さではある。

それに家の中のことは、そのほとんどをカミサン任せ。郵便物も目を通せば、保管はカミサンの仕事。ところが、10月頃から1月半ばにかけて配達される、申告がらみの郵便物は確実にこちらが管理する。そうしないと、あれが足りない・これを知らないか……と2月戦争が起こりかねない。それ一つをとっても現役時代とはえらい変わりようである。と自分で思う。

完全障害者の母と同居であったお陰で、今年もわずかながら還付される。
所得税という国税は納めない身ながら、税金の使い道には目を向けて監視しなければ、国民としての役割を果たせないのだろう。

そしてこの一連の作業が終わると、本格的な畑作業に精を出す春が間近いことを実感する。
ネコの額の半分にも満たない畑の割に、言うことはデカイ…  明日から畑を耕すぞー…。

( 写真: 確定申告、パソコン入力画面。)

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