「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「これがアタシの…」

2009年06月23日 | 旅行・レジャー
ある時は観光客の多い吉香公園のベンチで、またあるときは運動公園の数寄屋のテーブルで……。
時も場所も状況もなんのその、息を殺して半分目をそらし、臭いをこらえての「オムツ交換」。時には指の先にチョコッとくっつくこともある。躍起になって水道さがし、小脇に抱えて走り出す…。よくやったよなー……。孫守…。

そのお兄ちゃんが今や3年生。弟カー君が1年生。 悠雅君の宮参りに合わせ親の肝煎りにより正装の記念撮影。やはり可愛く凛々しい。“惚れた目で見りゃ アバタもえくぼ……” ときたもんだ。
これがほんとの、マゴ(馬子)にも衣装……?オット違った、孫にも衣装…か。

この最近は、母親が育児休暇で家にいるために、学校からの帰りが直接自分の家に直行となる。がぜんジイちゃんの家の周りの散歩回数も減る。淋しい限り。

ところが、自分の家にはそれぞれ宝物がいっぱいある。お兄ちゃんは、「お父さんが買ってくれた…」といって川釣り用の釣棹を出し来て、すぐ近くの小川にハヤを釣りに行こう…とせがむ。

2回に1回は付き合う。一段と逞しくなった兄ちゃんは、目の色変えて準備する。エサは?「パンでもいいよ…」。食パンの半切れを持っていそいそ出かける。当然カー君もついてくる。 カー君はついては来るものの、ハヤ釣りにはあまり興味がない。ジイちゃんに持たせたエサのパンをかじって食べる。兄ちゃんが怒る、またかじる。また怒る。

そんなタイプの違う兄弟ながら、こうしてちゃんと写真を撮ると、ジジの欲目ながら何かを予感させる。
やっぱりこいつらには、とびっきりのお土産を買ってこよう。たかが10日顔を見ないだけで忘れはしないだろう。

ところで、このブログ、ホンのしばらくお休みです。 また必ずや、拙文をお目にかけます。 お付き合い頂いている皆様、どうぞ、「もう忘れたよ…」などと言わないで、またのお付き合いをよろしくお願いする次第です。

頭の中をスッカラにして…(いつもそう??)遊び呆けて来たいと思います。

          ( 写真: 2009.6.6撮影。これがアタシの・・・・)
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「飛翔」

2009年06月22日 | つれづれ噺
最初に気が付いたのが3月24日。窓の向こうに見えるアオサギの巣。
2羽の親鳥が交互に卵を抱く姿を確認。巣を架けたその頃の栗の木は、まだ冬枯れたまま。あんなヒョロヒョロっと伸びた枯れ木に巣を架けて……と心配した。

いつしか青々と新芽を吹き、やがて栗の花が咲いた。花は散り、生い茂る緑の葉っぱがアオサギの巣を覆い隠す。外からはほとんど見えなくなった。人間の知恵を遙かに凌ぐしたたかさ。ヒナが孵り成長する頃には、栗の木も青々と成長する。そんなこたーハナから計算ずく…と言いたげである。

そのうち、夕方それも日が暮れ始めるころになると決まったように、巣の周辺が賑やかになる。
3羽のヒナが孵っていた。夕ご飯の餌を持ち帰った親鳥を、待ちこがれていたように騒ぐヒナの鳴き声。

抱卵から丸3ヶ月。長い長い子育てがようやく終わりを告げる日が近い。
羽ばたきを始めたのが2週間前。恐る恐るゆっくりな羽ばたきだったのが、今ではまさに飛び立たんとする勢いで、大きくバタバタやっている。それも3羽のヒナが交互に練習している。

卵からヒナが孵った頃、我々夫婦も飛び立つ計画を練り始めた。元気に飛べるうちに……と、思い切ってヨーロッパへ飛ぶことにした。 こちらの出発は明後日早朝。出来ればアオサギの巣立ち・大空への飛翔を見届けたかった。
残念ながら未だ飛び立たない。しかし向こう4・5日の間に飛び立つだろう。その頃には我が家は留守だ。

まあいい、この3ヶ月、抱卵からヒナへ、ヒナからの成長を双眼鏡越しにしっかり楽しませてくれた。
大きく羽を広げた勇姿も何度か見せてくれた。お互い時をほぼ同じく大空に飛び立つのも何かの縁。元気に成鳥となって、再び向かいの栗の木に巣を架け、楽しませてくれると有り難い。

そのためにも、我々も無事に飛翔を終えて元気に帰ってきたいな……。

     ( 写真: 大きく羽根を広げ飛翔の練習余念がないアオサギ。右の翼の下にもう1羽の頭が見える )
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「祝杯…」

2009年06月20日 | 趣味・・エッセイ
年に一度の気持ちを込めるイベント。主演を演じるわけでもなく、メガホンを振る役回りでもない。
しかし、みんなで創り上げるその仲間の一人として、目標に向かい手を携えることの楽しさを、改めて味わった一日であった。

同好の士が集うエッセイ作りの勉強会。
我々岩国エッセイサロンが主催する「エッセイ教室」今年で3回目を数えた。内容が特に大きく変わるわけではない。が、仲間の資質が目に見えて向上しているところに、一つの自信も生まれるし「オレだってやりゃー出来るのかな……」なんて暗示をかけられる。

特に我々が今重きを置いている、毎日新聞はがき随筆252文字は、その歴史の長さと奥行きの深さで、なかなか追い付けない部分がある…と勝手に思ってきた。ところが月一回の定例会・年一回の講師を招く教室など繰り返すうちに、優秀作品の輩出が夢ではなく、極めて身近に現実味を帯びてきている。

華々しい受賞実績を残す女性軍にやや押され気味ではあるが、男性も見捨てた物ではない。
とまあ、ちょっと粋がりながら、裏方に徹したり、エッセイ教室の盛り上げなどにひたすら汗をかいている。

そして何より特筆すべきは、主宰するO代表の軽妙な語り口に乗せられると、誰しも上手なエッセイが書けるような錯覚を起こさせる。そんな人物評は我々仲間内だけにとどまらない。
今日の教室では、毎日新聞山口支局長が、岩国エッセイサロンの充実振りを評価して、代表に「感謝状贈呈」という予期せぬ嬉しいサプライズ付きで、ひときわ盛り上がった。

優秀作品の発表・手話による優秀作品朗読など…多彩な催し。どちらかといえば固くなりがちな雰囲気を、少し和らげるアシストするのがせめてものyattro-の出番。エッセイと同じくらいに長いもう一つの顔で、笑顔のスタートを演出出来たことに、自ら祝杯を挙げた。 たとえようのない充実の一日に“カンパイ”!!

         ( 写真: 第3回エッセイ教室、半分真剣・半分??風景 )
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今年も豊作」

2009年06月19日 | 晴耕雨読
大きなテーマを抱えたまま、一汗かこうと、例年の作業である梅もぎに精を出した。
我が家から35㎞近く走るクルマの中、頭の中を駆けめぐるのは明日のエッセイ教室進行表のことばかり。

しかし、梅林に着いて、水量は少ないが清く流れる川のせせらぎ・カジカの声を聞くと、世の中の雑事を忘れるほど穏やかな清々しい気持ちに戻る。渦巻いていた明日のことが少し薄れる。

梅の実りは…と見れば、やはり手をかけ汗をかいた努力が報われるほど、それはそれは見事な生り具合。文字通り「たわわ」に実っている。
したたる汗をも顧みず、ひざまずいたり背伸びしたりの1時間45分。3人で100㎏近くをもいだ。

そっくりそのまま持って帰った。さてどうするか…後処理が大変。今年は、ゆっくり梅の加工品製造に充てる時間がない。出来れば青梅のままの養子口を探す。出来れば保存食品として有効活用して欲しいと、生産者は願う。なかなか見つからない。

何故そこまでして、この忙しい時に梅もぎなの??
梅には梅の命がある。7月3日までこのまま放置したら大半の実は落ちてしまう。来年の実生りに影響する。
ましてや、せっかく大きくたわわに実ったものを、そのままにしては生産者のメンツが廃る。やはり何があろうと、実らせたからには最後まで責任を取らねば……。

とは言え、明日を含めた4日間、旅立ちの準備の方が遙かに大切な今、さーどうするんだろう。
3年連続の豊作。今年の豊作ほど悩ましい豊作も珍しい。さーどうしよう……。

          ( 写真: こぼれんばかりに実った、たわわな梅の実 )
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「そこのけ・そこのけ……」

2009年06月18日 | 季節の移ろい・出来事
歩いて20分ばかりのところに郵便局がある。
手紙や葉書の投函は出来る限り、この郵便局のポストから発信することにしている。

ウオーキングにほどよい。 どちらかというと短いくらいの距離。クルマで行くより遙かに、世のため人のため・自分のため。郵便局だけに、表通り・国道沿いに位置している。ウオーキングに国道は必要ない。あちこちの中通り・裏通りを歩いてみる。

一歩表通りを外れると、そこには色んな表情がある。花も色んな人の庭先に咲いている。農業用の水路もある。
水路で盛んに動く物がある。ふと見ると、3羽の生まれて間もないヒナを連れたアイガモ親子が泳いでいる。

実に愛らしい。 サンサンと降り注ぐ太陽の光線を避けるように、日陰を選びながら、見るからに特には目的のない、午前中のお散歩コースのようだ。 たちの悪いネコなどに遭遇しなければいいが……と大きなお世話に思いが行く。
それにしても、アイガモなんぞは強いと思う。卵から孵って何日たったのだろう。羽根だって生えてはいない。大きさも親の20分の1くらいしかないが見事に水面を滑るように動き回る。もっとも、彼らにとって動きが止まることはすなわち死を意味する。厳しい現実がある。

こんな小さなアイガモさえ、けなげに自分で水をかいている。人間がわずかばかりの距離を歩くのは当たり前…と叱咤される思いがする。出来るだけ多くをこの足で移動するよう心がけなければ。

それにしても裏通り。都会なら屋台や赤提灯でひしめくのだろうが、こんな田舎では、あいがも親子が悠然と真昼のお散歩と洒落込んでいる。 出来るだけ裏通りを興味を持って歩いてみよう。表通りは、今まで散々歩いてきた……のかな?

         ( 写真: 精一杯水をかく、アイガモ親子のお散歩 )
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「花の盛り」

2009年06月17日 | 季節の移ろい・出来事
6月に入って何かと慌ただしく日が過ぎていく。月末の1週間分を、何もかも事前に処理してしまおうという焦りがあるからか。確かにそれもあるが、何かしら現役の働き盛りを彷彿とさせる気持ちに駆られるこの頃ではある。

その一方で、運動旁々汗をかきたくてお城山に登ったり、わざわざ、盛りを過ぎようとする花菖蒲の写真を撮りに行く。
まあ言ってみればこれは、ブログネタを探す、身に付いた取材行動の一つになってしまったのかな…などと思う。

そして、こちらがどんなに忙しかろうと、気持ちが焦ろうと、花の盛りはこちらのペースに合わせてはくれない。今が盛りなら今見ておくしかない。見逃せば1年先になる。やはり今年の花は今年見ておかなければ……。

ついつい、観光客の少ないウイークデーに吉香公園を覗いてみる。
くどいようだが、今の時期を盛りとして咲く花菖蒲やアジサイは雨がお似合いである。このところの雨不足で、特にあじさいにいたっては、水を求めてあえいでいるやに見えたりする。

遠い昔を偲ばせる、お城を守るための池やお堀をめぐらす武家屋敷配置。今やお堀は、鯉や白鳥の遊び場、そして手塩にかけた花菖蒲の群生。

特にこの時期、佐々木小次郎の銅像を前面に、遠く岩国城、手前に咲き乱れる花菖蒲の三点セットはお勧めスポットとして、発信してみたくなる風景ではある。
数少ない観光資源、小出しながら、ホンの一瞬でも岩国を味わってもらえると嬉しいかな……。

       ( 写真: 佐々木小次郎像の前に立って、眺める絶景の一つ )
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「梅雨?来る日も来る日も…」

2009年06月16日 | 晴耕雨読
今年も、福岡管区気象台による梅雨入り宣言がなされて10日以上になる。
その間、実際に梅雨らしい長雨が降ったのはわずか1日半。

来る日も来る日もギンギラ太陽が海から昇る。 たまに太陽が顔を出さないと思ってもせいぜい厚い雲止まり。
梅雨入り発表を待ち、しとしと雨を見越して、サツマイモの苗を植えたのに……。

一部、シャンとしていない苗が混じっていたのは知っていたが、連日の日照りで数本が枯れ果てている。本来なら梅雨のど真ん中であるはずのこの時期、早くもホースを引っ張っては水遣りしなければならない。
10日も留守をする今年は収穫は望み薄かな……。

5月下旬から咲き始める「卯の花」を腐らせてしまうほどの、シトシト長雨を「卯の花くたし」と呼ぶのはご承知の通りであるが、この頃では、卯の花くたしさえ降る量が減ったようである。

しかもこの時期の雨は、花菖蒲やアジサイにとっては、引き立て役なのである。しっかり脇役を演じてくれなければ主役が目立ちにくい。それどころか、アジサイにホースで水遣りする始末。艶消しだなー。
それに、毎年7月半ばにドライブする周辺のダム巡りで、水量の少なさに一段と嘆きの声がデカくなりそう。

雨も雪も日照りも、それぞれ降るときにはしっかり降り、照るときにはしっかり照って、ほどよいバランスをとってくれるのが有り難い。 それこそが個性の発現であり、各々の役割を果たすことになるのだと思う。 
人間が個性の尊重という名の下に、勝手気まま・我が儘放題まで許してしまう優柔不断が、気象状況にまで影響を及ぼしているのでは困ったものだが……。そんなこともないよなー…と思いたい。

        ( 写真: 東の海から昇る太陽。今日も晴か… )
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「OB会」

2009年06月15日 | つれづれ噺
吉香公園の花菖蒲が見事に咲き、「菖蒲祭り」が開かれるこの時期、年中行事のひとつとして会社のOB会が行われる。 正式には「○○岩国工場定年退職者の会」という、名前も長いが歴史も長い大切な会である。

会員資格を得るには一応基準がある。少なくとも、55才までは会社に在籍した人ということになっている。大半が資格を得て、OB会会員になるが、中には事情があって途中棄権する人も多く見てきた。

ならぬ辛抱するが辛抱(違ったかな)で、どうにかその権利を得て大きな顔をしてOB会に参加したのは、ついこの前のような気がする。資格取得と同時に、新潟の恩師の元へ定年退職報告旅行に飛んだのも、まだはっきり記憶にある。 と思っているうちに、随分後輩が増えてきた。あまり自慢にはならないが、中堅どころにさしかかっている。

風格が出てきたというべきか、単なる年をとったと言うべきか……判断は分かれる。
一応、厳しい就職戦線をくぐり抜け、大企業の一員になったわけだから、出来れば無事定年まで勤めて、胸を張ってOB会の仲間になりたい…という気持ちは、正直なところあった。

途中でケツを割ることはある種の恥辱…という意識もあった。只しがみついて来たばかりではなかったことも自身を持って言える。しかし、よくぞ耐えた…と、あの時ほど自分で自分に褒美をやろう、と思ったことはないほどの感慨であったことを思い出す。

そして今なお、誰に聞かれても何を聞かれても、指を折るほどのやることを持っている、やりたいことを持っているという気楽さがあるのは嬉しい。

会の冒頭で、過去1年間の逝去者への黙祷を捧げるシーンがある。出来ればもうしばらく、黙祷を捧げる立場でいたい。それには、やはり自分磨きで刺激を与え続けなければ……。

         ( 写真: 錦帯橋を望む大きなホテルで開かれた197名のOB会大宴会 )
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「因幡の白兎伝説」

2009年06月13日 | つれづれ噺
水が張られた田んぼに、初々しい早苗が風に揺れるのとは、まったく逆の現象のお話し。

孫との散歩コースの一つに、シーズンが来ればガマの穂が手に取れる、荒れ放題の田んぼがある。 今は、秋に色づくガマの穂の花が咲いて、黄色い粉が風に飛ばされている。
ご存じの通りガマの穂は、池や沼などの浅い水中に群生する。夏から秋にかけて、茶色の花穂が人目を引く。

丸っこい棒状の、まるでソーセージかフランクフルトみたいな形をしていて、散歩のたんびに何本か家に持って帰るのが日課の一つになっている。冬になるとこの花穂の中から綿毛がブワーッと出てきて飛散する。1本の花穂から出る綿毛には約10万個の種があるという。

それはさておき、このガマが群生するということは、せっかくの田んぼが有効利用されず、荒れ放題にほったらかされているということである。「もったいない……」と貧乏性が頭をもたげる。地主には地主の言い分があるのだろう。しかしその周辺は、今は可愛い手のひらサイズの葉っぱが伸び盛りのハス田が広がっている。

ならばいっそのこと、隣接の耕作者にハスを作らせれば良さそうなものを。そこは我々素人が考えるほど単純なことではないのかも知れない。 無責任ながら、孫との散歩にはこういった自然が、そのまま残されている方が、話題や悪さには事欠かなくて有り難い。しかし、本当にそれでいいのか…??疑問は残る。

目くじら立てるのもいいが、けがをした”因幡(いなば)の白うさぎ”は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の指示でガマの穂にくるまり、その花粉で止血して傷を治したらしい。などという昔話の世界に浸ってみるのもまたいい。

       ( 写真: 我が家のすぐ近くに群生するガマ )




















コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「薄桜忌」

2009年06月12日 | つれづれ噺
6月10日、時の記念日。 いつの日か、時間を余り気にせずゆったり過ごす日を迎えたい、時間に追っかけられない日々は素晴らしいだろう……などと思いつつ、ついには無い物ねだりでここまで来た。

ということは、常に時間にせかされ追い立てられ「…カネも要らなきゃ○○も要らぬ、アタシャもう少し時間が欲しい……」などという、ゆとりなき生き方をしてきたのか…と反省する。

言ってみれば、ボーっと過ごす時間が怖くて、いつも何かをしていなければ生きている気がしない…、生きている甲斐がない…、与えられた時間はわずかなのだから……などという、単なる貧乏性だけのことかも知れない。

さて、岩国で6月10日と言えば……? 知る人ぞ知る……果たして何人が覚えているんだろう。
錦帯橋の奥座敷、川西に生家を持つ、ふるさとの文豪『宇野千代』の祥月命日「薄桜忌」である。

生家と同じ通りにある、1592年に寺号を頂かれた由緒あるお寺の、本堂前に安置されたお墓の前で法要が営まれた。 宇野千代を顕彰する会のメンバー20人が焼香した。業績の割には淋しい命日法要ではある。
小さな地方都市の、数少ない偉大な文化功労者だと思うが、行政の姿勢・経済力などで、埋もれてしまうには惜しい気がしてならない。

細々ながら、誰かが力を寄せ合って、文化遺産・業績を顕彰して行かなければならないのだと思いつつ、わずかな手を差し伸べている一人である。

それにしても、時間に追われるのも事実ではあるが、「時の記念日・薄桜忌」も二日遅れのブログアップじゃ説得力には欠けるよねー…分かっちゃいるけど、取り上げたいネタなんですよ。お察しくだされお友達のみなさん!!

ちなみに、淡墨の桜をこよなく愛した宇野千代の生前を偲んで「薄桜忌」と名付けられている。

           ( 写真: 6月10日、降り続く雨の中で行われた「薄桜忌」墓参 )
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい