「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「如月お終い」

2019年02月28日 | 季節の移ろい・出来事

                              
                                       春浅き田んぼの中にお月さま

わりと温かく過ごせた今年の冬。こんなことを言えるのは、気候温暖なこの地方だけのことかも。
メダカの火鉢に薄氷が張ったのもわずか2度だけ。なんとか大きな風邪も、インフルエンザにも罹らないまま、如月つごもりを迎えた。
お遊戯会も済んで、少しは幼稚園を休ませてもいいだろう、ということで突然里帰りした希さん一家。

お楽しみの、じいちゃんと朝のお散歩で「田んぼの中にお月さまがあるよ」と希さんが指をさす。
目をやれば、水を張ったレンコン用の田んぼの真ん中に、まさしくお月さまが浮かんでいる。薄雲の上から淡い光を放つ太陽が、水鏡に映えるという田舎道ならではの光景に遭遇。改めて春近しを感じる。

  わが肩にふれたる枝の芽ぐみたる     青邨

2月の終わりから3月の初めごろは、木芽時(このめどき)といって、木も草も一斉に芽を出し、春の開幕を告げる季節である。
「芽ぐむ」「芽ざす」「芽ばる」「芽だつ」「芽吹く」「芽ばえる」などと、植物が春に目覚める表現をするいろんな言葉がある。しかも、「芽ぐむ」「目ざす」は木の枝先にそれらしいものがちょっと現れた状態をいうのだそうだ。「芽ばる」「芽だつ」は、その芽が大きくなった状態を言い、「芽吹く」とは遠くから見ても梢一帯がボォッと青みを帯びている感じを言う。とモノの本に書かれている。

たったこれだけのことをみても、日本人の季節に対する感性の深さ、細やかさがうかがえる。
だから、奥行きの深い本当の日本語を習得するのは随分難しいということにもなる。

耳タコほど聞かされてきた、1月は往く。2月は逃げる。3月は去る。の言葉通り、正月以来バタバタと時間だけが過ぎて、アッと言う間に3月を迎える。ただ今年の3月はここ数年とはひと味違う感覚がある。明日ついたちは孫兄ちゃんの高校卒業式である。初めて抱いた孫という存在が、大きな夢に胸を膨らませて高校を卒業する年になった。はるか遠い昔のその時の気持ちを、ちょっと思い出している。

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「高校卒業を控えて」

2019年02月25日 | 家族・孫話

            

60歳の定年退職を迎えたとき、満1歳になったばかりで扱うのに苦労した思い出のある、孫三兄弟の長男君。
私たちにとっての初孫であり、そりゃぁもう可愛い可愛い孫兄ちゃん。この1月の誕生日で満18歳となり、高校を卒業することになった。
進学も決まり、卒業式を控えて島根県の高校寮から実家に帰省している。

「じいちゃん、これおみやげ」と言って、今年のインターハイで行った秋田県鹿角市の名産を手に、ぶらっと遊びにやってきた。「オー!久しぶり、大きゅうなったのー」。あいにくカミサンは留守でじいちゃんのお出迎え。
「コーヒー飲む?」「じいちゃんの淹れる
コーヒー飲みたいね~」などと男同士の話が始まる。

高校生活3年間が、彼にとって非常に充実したものであった様子が、言葉の端々にうかがえる。そなるとこちらも訊きやすくなる。
質問して人にしゃべらせるのは得意中の得意。次から次へ話は弾む。
よく考えてみると、自分が高校を卒業する前後に、高校生活を振り返って本音で色んな話をした相手がいただろうか。足を悪くして寝たきりの母方のばあちゃんが一人いただけで「じいちゃん」という存在は子どもの時分からいなかった。
自分でも素晴らしいと感じて来た高校生活をちゃんと話す相手はいなかったな~。

そういう意味では、孫とジジという近しい関係ではあるが、男が男に自らの生きざまを話せるというのは、ある意味幸せなことかも。
などと思いつつ、ジジの存在を売り込み過ぎないよう気を付けて、あれこれゆっくり話した。

彼を大きく成長させたな~と思わせる要素はいくつかある。それらは本人もジジも同じ価値観で捉えているところに値打ちがあるようだ。
島根県の雪深い田舎の高校で完全寮生活。コンビニに行くのに自転車で片道30分。実家とは比較にならない不便さ。先ずそれらを、関東以西から集まった色んなふるさとを持つ仲間と友達になって乗り越えたこと。学校の制度として3年間は、周辺の農家の一軒と里親契約をして、農繁期やお祭りの手伝いで村の事業に貢献したこと。「トラクターにも乗ったし田植えもした。猪肉のご馳走を何度も頂いた」と笑う。

幼稚園から始めたスキーのお陰で、3年連続インターハイに出場。国体も高校選抜も常に県代表として、東北・北陸の有名なスキー場はほとんど行かせてもらった。「これは他の誰よりも大きな体験をさせてもらった」と喜ぶ。「ただ、戦績は東北勢にはね~」と苦笑い。
そんな充実した高校生活は、希望する大学の推薦入学という結果となり、充実の春を謳歌している。

結局はジジバカ丸出しの孫自慢になったが、それでいいのだ。
これから新たに未知の世界に踏み出そうとする若者を、気持ちよくさせて送り出す。これぞジジの役目だと信じている。

かけがえのない楽しいひとときをプレゼントしてくれた孫兄ちゃんに感謝!

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「いよいよ球音が」

2019年02月24日 | スポーツ・観戦

          

2月も下旬半ば。プロ野球はキャンプでの練習を続けながら、その成果や個人の持っている力を試す時季に入った。新戦力の加入やドラフトによるチーム内の顔ぶれの変化。サラリーマン社会でいう人事異動である。そこでどれほどの力を発揮するのか、自己能力を如何にアピールできるか、選手個々の力量が問われるオープン戦に突入した。

セリーグ4連覇を狙うオラがカープも、固定の3番バッター丸が抜けた穴を、誰が、どうやって埋め合わせするのか。個人の活躍はもちろんであるが、首脳陣の選手を見る目の確かさも試される。2年連続でMVPを獲った選手の抜けた穴は大きい。4連覇と日本一を狙うには果たしてどうなのだろうか。

但し昨年までも、開幕した当座はカープがさほど強いとは思わなかった。ただ、ミスが少なくてスキのない野球ができる選手集団であることはよーく解っていた。つまり、カープが強いと感じる前に相手チームがずっこけて勝たせてくれる試合も少なくなかった。その点では、今年は相手となる全てのチームが、昨年までのカープのような野球をやってきそうである。楽観は許されない。

カッキーンとバットとボールがぶつかる乾いた音とともに、「今日のカープはどうじゃった??」と気をもむ毎日が始まりそうである。今年初のオープン戦の横浜DeNAとの戦いは、取り敢えず4対4のドロー。観るべきところは幾つかあった。新戦力の活躍。9回に登場した抑え投手の山崎から、若手が作ったチャンスにベテラン松山が確実なタイムリーヒット。その裏に、守備のまずさもあって同点に追いつかれたのはご愛敬というところか。

何かと忙しい中に、カープの応援という新たな楽しみと苦しみがプラスされる季節間近。
やっぱり熱くなったり、冷ややかに嗤ったりしながら、カープの応援は続くのだ。

 

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「にんにんにん」

2019年02月22日 | 季節の移ろい・出来事

           

今日は2月22日。にんにんにんと2並びの日。それに引っ掛けて「忍者の日」と呼ぶのだそうだ。
伊賀の里、甲賀の里、など忍者発祥の地はこの日は格別な賑わいを見せるようだ。
このように、同じ数字が3つ並ぶ日は、1年間でたった3日しかない。1月11日。2月22日。11月1日。
してみると、案外珍しく意外に目出度い日なのかもしれない。などと今さら悟ったようなことを考えている。

2並びの季節の風物詩と言えば、3m四方の四角い網を川土手から川底に沈めて、産卵のために上流を目指すシロウオをすくいあげる、一種独特の川漁の光景が目に浮かぶ。

そこでちょっと気になるのは、これから旬を迎えるこの5cmそこそこの、透き通った細い魚を漢字で書くと「白魚」である。ある放送局のアナウンサーがニュースで「白魚」を「シロウオ」と読んだ。そしたらエライ権幕で「あれはシロウオではない。しらうおと読むのだ。アナウンサーにしてこれだから最近の日本語が乱れるのは当たり前だ」というお叱りがあった、というお話は先刻ご承知であろう。

これは飽くまでも白魚と書いて文字通り「しろうお」である。元気に泳いでいるヤツを4・5匹すくって酢醤油に泳がせ、ピチピチしたままを喉に通す。これすなわち「踊り食い」の贅を味合う魚である。
一方関東方面には「白魚・素魚」と書いてシラウオという別種の魚がいる。だからややこしくなる。結論は、踊り食いするあの透き通った小魚はシロウオが正解である、というな~~んでもない話。

但し、こんな小さな体ではあってもれっきとした成魚であり、産卵もする。だから人間が摂って食する。すぐ近くの川でも、四手網のシロウオ漁はお目にかかるのに、実際に踊り食いを体験したの40歳過ぎてからである。そして今まで、ホンの数えるくらいしか喉を通していない。それほどに貴重な、高価な旬の味ではある。

こんなブログの縁で、踊り食いの味を思い出させてくれる奇特なご仁は、いるわけないよね~。

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「待たれる春」

2019年02月21日 | つれづれ噺

           

お正月を迎えることを「新春」「初春」「頌春」など春という字でお祝いする。
新しい年の初めを寿ぐにはふさわしい言葉であり、なんとなく目出度さも漂う心地よい語感がある。
でも現実には、そこから本格的な冬を迎え、雪に埋もれる地方も少なくない。雪に埋もれることはなくても、まだまだ寒い日が続き、本当の春の訪れが待たれる。

春の訪れには三つの呼び名があるという話を小耳に挟んだ。
一つ目は「光の春」。一日ごとに少しずつ日脚が伸びて、昼間の時間が長くなる。明るさも強さを増す。
二つ目は「気温の春」。気温が少しずつ上がり、気持ちもだんだん前向きになる。
三つめは「音の春」。鳥のさえずりが聞こえ始め、人々の動きも活発になり、いろんな音が混じり始める。

なるほど、言われてみればいずれも、フムフム、納得の春の表現ではある。
その昔子どもの頃には、「田んぼ一面に咲くレンゲの花」で春の訪れを肌で感じたものだ。
やがて菜の花が咲き乱れ、ゴリ釣りに精を出す。そして海へアサリ堀に出かける。
季節の変わり目をちゃんと肌で感じながら、その時にしかない行動が体を突き動かしたものである。

火鉢の水槽の下の方に潜って、姿を見せなかったメダカ君たちも、表面に浮いてきて姿を見せるようになった。
春はもうすぐ、と思いたい。なんとか風邪も引かずインフルエンザにもかからなかった。
元気で春を迎え、桜咲く4月3日の晴れ舞台を待ちたい。
ちなみに今日はパーフェクト! 1枚のみの返信が「出席」に〇がしてあった。V!

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「こころ模様 Ⅰ」

2019年02月18日 | おせっかい

           

喜寿同窓会案内状発送からかれこれ2週間。
7人の幹事団を含めて50枚を少し超えた返信ハガキが届いている。それに宛先不明の返却が4通。
そこでクイズを差し上げたい。2月18日(月)の時点で、出席率何割でしょう。そんなもん分かるわけないか。

細かいパーセンテージまでは、現時点であまり意味がないので控えるが、返信率で言うなら3割に到達したことになる。
返信率はともかく、問題は出席者の数である。今日までのところ恩師1人を含めて19人が出席予定。
といことは、悲観も楽観も必要ないのかな。成り行きをそーっと見守るだけかも。

そんな中で、欠席ではあるが男子の一人から封書が届いた。
「体調不良で出席できない。出来たら当日のアルバムを送って欲しい」との手紙に千円札2枚が添えられていた。
当日の集合写真はもちろん、スナップを網羅して、と言っても過言ではないくらい、大小織り交ぜたスナップを寄せ集めて、一冊の記念アルバムに仕立て上げる。

同窓会で皆さんと旨酒を酌み交わし、騒いだ直後から始まる幹事さんのもう一つの大仕事なのである。
でもそのひと手間が、出席者にとって永久保存版となる記念アルバム作成のエネルギーなのだと思えば、これまた手抜きのできない大仕事になる。それをやらずにはいられない気持ちのさせるのが、彼のように、出席は叶わないが当日の様子のアルバムが欲しいという貴重なご意見である。

来る日も来る日も、ワクワク感と落胆を味合わせてもらう幹事としての心模様が、「成功させたい」と願う原動力の全てなのだろう。
当面の目標40人。希望数値50人。最後の同窓会というプレミアム付きで55人。ささやかな願い、叶うかな?                                  

 

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「2・14」

2019年02月14日 | 季節の移ろい・出来事

             

2月14日といえば、云わずと知れたチョコを食する日。と、チョコレートメーカーが気色ばむ日である。
たとえ義理であろうと、などと言っても、アタシたちの年代が2月14日にチョコをもらうのは義理以外の何物でもない。ちょっぴり寂しい気もするが、今さら本気のチョコをもらってもね~ そんな心配はないから考えなくてもいいか。

それでも、幾つもらったか、お返しはどうしよう・・・などとちびっと悩んだ時代もあったな~。
それがどうだ、今年なんざー年老いた姉が届けてくれたのが唯一。まあ甘いものは体に毒だから・・・ということにしておこう。

そんな浮足立った話が横行する中で、ちょっと無粋かもしれないが。
2・14、つまり今日は「フンドシの日」とも言われているのをご存知かな。

設立された日は不明だが、一般社団法人日本ふんどし協会が「2(ふん)・10(ど)4(し)」にひっかけて、日本記念日協会に申請し正式に認定を受け制定した記念日。 とある。
2012年2月14日が第1回目の記念日にあたる。毎年、芸能人等から男女を問わず、ふんどしの普及に貢献のあった人物に対して「ベストフンドシスト」を選出し、表彰している。 のだそうな。
2月14日にはチョコではなく「愛する人にふんどしを渡す」ことを推奨している。ともいう。 

その昔から「褌祝(ふんどしいわい、へこいわい)」は、日本の一部地方で行われる、男子が成人になるための通過儀礼。第二次性徴期を迎える十代前半の男児が初めて「ふんどし」を締めて成人と見なされることに由来する。というれっきとしたお墨付きの日でもある。

ところで、「宿題サポート」という名のボランティア活動があるをご存知かな。
家庭で宿題をする環境にない子に、学校で宿題をやって帰らせるのを見守る活動である。
教室からやってきた子が「だれだれさんからチョコもらったよ」とニッコリ見せてくれた。「やるじゃん」と冷やかすと「お返しはあのメーカーのこういうお菓子が私は好きなんじゃけーね」と言われた、という。

さっすが、この年代は女の子の方が強いし、しっかりしている。
お返しを指定された上で、ちっこいチョコをもらって喜んでいる男の子ってかわいいもんだね~

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「権中納言定家」

2019年02月12日 | おせっかい

                                         

     ❞ 来ぬ人を まつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ ❞   権中納言定家(藤原定家)

この歌は、百人一首の97番目にある、権中納言定家作の恋歌である。
現代語訳すると、どれほど待っても来ない人を待ち焦がれているのは、松帆の浦の夕凪のころに焼かれる藻塩のように、我が身も恋い焦がれて苦しいものだ、という切なすぎる感もあるこの歌が、ふと頭をよぎる心境である。

喜寿同窓会案内状を発送して1週間。ちらほら返信が来ている。これまでは特に可もなし不可もなし。
まあまあこんなものだろうと、大きな喜びもなかったし、大きな落胆もなかった。
それが、三連休明けの今日は12枚の返信ハガキが届いた。ガックリッ!2勝10敗。大きく負け越しもいいところ。しかしその実態は、さほど落ち込むものではなく、まあこんなものかと、納得の大敗ではある。

過去7度案内状を出しても、ただの1度も出席したことのない面々ばかりである。よ~く考えてみると、過去に1度も出席しなかった人に、今さら出席を期待する方に無理がある、という思いに至る。
出席しないのは、その人なりに事情や思いがあるだろうし、旧き友との出会いを「楽しいこと」と思わない人だって当然いる。過去は過去でそーっとしておいてほしい人だって大いにいるということだ。

幹事の思いばかりを判断基準にしてはいけないのだ。なんて、そんなことは百も二百も承知の上で幹事を引き受けている。但し、喜寿という酸いも甘いも噛みしめた老境にある身。それらしい常識は守れよ、と忠告したくなるのは、なんとも淋しいものである。欠席に〇印を付けて他は名前だけ。住所も電話番号も無し。近況を記すなど飛んでもない、といった葉書の多いこと。この胸にしまい込むのも幹事ゆえの務めか・・・・・・。などと愚痴を言うなら、ハナっから引き受けなきゃいいのだ。

そんな中に1枚。昨年〇月△日に××で逝去しました。生前は大変お世話になりました。私は息子の〇〇です。という返信が混じっている。この1枚で、今日の鬱憤は忘れられる。それにまだまだ先がある。どんな人間模様が見られるのか、楽しみの方が多い。
来ぬ人を待ち焦がれる権中納言定家ほどの厳しい心境ではないが、一人でも多く出席してよ。ダメならダメでいい、返信だけは出してよ、と思いつつ、また明日の郵便配達を待つ

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「命を燃やして」

2019年02月10日 | 趣味・・エッセイ

                         

これは、うら若き青年が病魔に侵される直前まで、命を燃やして描き続けた、繊細な鉛筆画による壮大な物語である。

中学1年から描き始めて3年余。高校1年を終えた春休みに「脳腫瘍」という大病を発症。頭の中で描き続けた「アリの戦争」という物語は、その壮絶さゆえに完結をみないまま、あえなく絶筆を余儀なくされた。
そんな「松村大輝君の世界、作品展」に出会わせてもらった感想である。
志半ば、20歳の誕生日を目前にした19歳で、無念の早世となった彼の魂に先ず、合掌。

                         

その壮絶な物語の舞台は、孫三兄弟の三男が通う通津小学校のコミュニティルームに展開されていた。
地方紙のローカル版を飾るタウンリポートとして、過去何回か取材、掲載をしてきたご縁で、校長先生から「是非ご覧いただきたい」というお電話を頂いた。

部屋に入るなり、アッと声を上げるほどの、緻密で繊細、壮大な世界が広がっている様子に、驚くというより圧倒される思いに駆られた。
よく観ると、無数のアリがそれぞれの持ち場で懸命に働く様子が、A-3版用紙53枚連結で、長さ6m。高さ1,1mのアリの世界が広がっていた。

              
     

描くときはAー3版用紙でありながら、それは全てが完全につながることで、1枚の絵として物語が出来上がる仕組みになっている。しかも地上と地下に別れている様子も、住処を広げるための工事現場で、重機を使って働く様子もはっきりと見て取れる。
そこには約1cm前後の働きアリ5500匹が、持ち場持ち場でそれぞれの作業に精出している。それを攻撃してくる天敵のハチやアブなどに対しては、「アーリー」と呼ぶ、目の下にホクロを描いた特殊な47匹の軍隊アリがうまく配置されている。そのアーリーを捜すのも、見る人の興味をそそる仕組みとなっている。

当初は1cm前後だったアリが、病気の進行につれてだんだん大きな絵になっていき、1匹描くのに随分な時間が必要となって行った。そういった全てを見て来られた両親は、大輝君の努力を無駄にしてはならない、と一念発起。53枚を丁寧につなぎ合わせる作業こそが彼への供養となる。ということでこのような絵画展が開かれるに至ったというお話し。無駄にしてはあまりにも、もったいない。

「百聞は一見にしかず」である。ごちゃごちゃ説明するよりも、その眼で一度現物を確かめて頂きたい。そして、A-3版であと3枚描き上げたら、松村大輝君の想像した絵は完成するであったろうことを想像して頂きたい。
愛宕小、川下中といえば紛れもなく我が後輩である。それはともかく、この作品展は各地で開催するべきであると思っている。
ご両親にも呼びかけたい。

今回の通津小展示は12日を1日残すのみとなった。
しかし、今後も市内はもとより、多くの場所で『よみがえる大輝の世界展」が開催されることを働き掛けたい。最後に今一度、合掌!

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「ひと山越えたその先は」

2019年02月05日 | おせっかい

           

  ゛人の迷惑顧みず、半分義務で半分好きで・・・・・・今年もやります同窓会 ”

戦後の混乱が落ち着きを見せ始めた昭和29年4月、中学生になった。そして昭和32年3月、無事卒業。以来丸62年の歳月が流れた。4月になれば63年目を迎え、同級生全員が喜寿を通り越したことになる。
そんな記念に当たる年、と幹事一同の勝手な思い込みで、来る4月3日『喜寿同窓会』を計画した。
寄る年波で、今回を持って「おせっかい」の同窓会を最後としたい。悔いを残さないためにも是非出席を!と呼びかけたい。

会場を決め、会費を決め、諸々を相談しながら「案内状」「返信ハガキ」「個人の宛名シール」「返信ハガキ宛名シール」などなど全てをこの手で準備した。前回まで13人いた幹事が、諸般の事情で7人しか出席できない淋しい幹事会にもめげず、封筒詰めや確認作業など発送準備にいそしんだ。さらに我が家に戻って今一度、クラス別発送人数と封書枚数を精査して輪ゴムでまとめて準備作業完了。

今回の対象人数はジャスト160人。幹事を除いた153通を封書で発信。賽は投げられた。
今回を持って最後というアピールはしたものの、その気になってくれる人が果たして増えるのか。
それより、自身や家族を取り巻く「諸般の事情」が出席を阻むのではないか。など頭をよぎるのは負の思いばかり。集まった人だけで楽しめりゃそれで十分、と開き直りたい気持ちはあるが、やっぱり厳しい現実に引き戻されてしまう。損な性分ではある。
兎に角、元気で笑顔の再会を楽しみ待ちたい。かつては天国からの出席者もいた我々の同窓会である。

今ひとつ内輪の話で恐縮であるが、案内状は返信ハガキとの合計で一通144円かかる。受け取った人は、実質経費144円に対する最低限の義務として返信を寄越してたもれ、と声を上げたい。そして今回は「返信ハガキに忘れずに氏名住所を書いてよね」と申し添えた。出した枚数の返信が来ることを祈りたい。そして一人でも多くの出席を併せて祈りたい。

(・・・・・・前略)ここに、卒業以来62年ぶりとなる『喜寿同窓会』を企画致しました。
    思い起こせば平成4年、50才を迎えて『人生の小休止同窓会』。平成14年、
    60才の『還暦同窓会』。平成24年、70才の『古稀同窓会』。またそれら
    節目の合間に4回開催致しました。トータル7回の同窓会に多くのご参加
    を頂きました。そして今回、平成という時代の終焉と共に、私たちの同窓会も
    いよいよ最後を飾る、77才『喜寿同窓会』のご案内を差し上げます。(中略)
    最後の同窓会です。体調の許される方は万障繰り合わせて、是非ご出席ください。
     (蛇足ながら、案内状の抜粋)




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