春浅き田んぼの中にお月さま
わりと温かく過ごせた今年の冬。こんなことを言えるのは、気候温暖なこの地方だけのことかも。
メダカの火鉢に薄氷が張ったのもわずか2度だけ。なんとか大きな風邪も、インフルエンザにも罹らないまま、如月つごもりを迎えた。
お遊戯会も済んで、少しは幼稚園を休ませてもいいだろう、ということで突然里帰りした希さん一家。
お楽しみの、じいちゃんと朝のお散歩で「田んぼの中にお月さまがあるよ」と希さんが指をさす。
目をやれば、水を張ったレンコン用の田んぼの真ん中に、まさしくお月さまが浮かんでいる。薄雲の上から淡い光を放つ太陽が、水鏡に映えるという田舎道ならではの光景に遭遇。改めて春近しを感じる。
わが肩にふれたる枝の芽ぐみたる 青邨
2月の終わりから3月の初めごろは、木芽時(このめどき)といって、木も草も一斉に芽を出し、春の開幕を告げる季節である。
「芽ぐむ」「芽ざす」「芽ばる」「芽だつ」「芽吹く」「芽ばえる」などと、植物が春に目覚める表現をするいろんな言葉がある。しかも、「芽ぐむ」「目ざす」は木の枝先にそれらしいものがちょっと現れた状態をいうのだそうだ。「芽ばる」「芽だつ」は、その芽が大きくなった状態を言い、「芽吹く」とは遠くから見ても梢一帯がボォッと青みを帯びている感じを言う。とモノの本に書かれている。
たったこれだけのことをみても、日本人の季節に対する感性の深さ、細やかさがうかがえる。
だから、奥行きの深い本当の日本語を習得するのは随分難しいということにもなる。
耳タコほど聞かされてきた、1月は往く。2月は逃げる。3月は去る。の言葉通り、正月以来バタバタと時間だけが過ぎて、アッと言う間に3月を迎える。ただ今年の3月はここ数年とはひと味違う感覚がある。明日ついたちは孫兄ちゃんの高校卒業式である。初めて抱いた孫という存在が、大きな夢に胸を膨らませて高校を卒業する年になった。はるか遠い昔のその時の気持ちを、ちょっと思い出している。