
咲き乱れる紫モクレン
食卓を彩った小松菜も、今では塔が立って菜の花の色どりを
またまた一人の日本人の行動が世界の注目を集めている。誉れある行動なら幾つあっても気にならないが、偉大なる成果を見せつけた人物のそば近くに働いていて、よきパートナーとも噂され、信頼関係で結ばれていたかに見えた人物が、肝心な偉大な人の名誉を傷つけるという、なんとも心無い行為にうんざりである。
プロ野球の本場アメリカン大リーグで、投手と打者の二刀流として数々の歴史を塗り替え、伝説の野球人ベーブルースのスーパー記録を全て塗り替えた、ドジャース大谷翔平選手。チーム移籍の契約金総額でも、世界の度肝を抜いた、日本が、岩手県が世界に誇るプロ野球選手である。そんな彼の通訳としていつも側にくっついていた水原一平氏。スポーツ賭博にはまり込んで、お金の価値を忘れてしまうほどの賭博依存症になっていたとは。
人間の信頼関係なんてほんとに脆いというか、危ういという一面を改めて思い知らされた。
何やってんだよ~、自身の特技を生かして、世界の注目の中で押しも押されもせぬ地位を得て、生活や収入なども超一流であったはずである。それがどうだ!弁解の余地もない悪行発覚。これは水原一平一人の罪悪ではなく、大谷選手にも疑惑の目が向けられ、捜査の手が伸びることである。450万ドル、6億8000万円を掛け金として振り込むとはいったいどういうことよ。貧乏人のこちとらには想像さえつかない大金である。
それでなくとも人と人の関係が希薄になり、信頼などという言葉が死語になりそうである。
外にはお彼岸を過ぎたのに春雨と呼べないざーざー雨が降っている。気温も低いが心も寒いニュースである。
秋に植えた我が家の水菜。いつしか菜の花盛りに
書かなければ、思いを伝えなければ、と思っていた一通の手紙をやっと今日書き上げた。明日投函しよう。
交通事故で突然84歳の命を絶たれた私の実の姉には、二人の息子がいた。私にとって可愛い甥っ子であった。
二人とも高校を出ると九州と東京の大学を出てそのまま都会に居ついてしまった。
母親が急逝したため故郷の家を守るなどの話が出来ないまま、ふる里への思いを残したまま都会の生活に馴染んでいった。特に長男の方は「母ちゃんが苦労して建てた家に住む」といって、定年退職後家族を都会に残し単身故郷に戻って来た。近くに住む私たちは何がしかの応援をした。
そのうち、長男君が思いもかけない重篤な病に襲われた。八方手を尽くしたが改善がみられないまま、ふる里の家を売却して都会に帰らなければならなくなった。弟の方はそれより前に、もらった家をさっさと売却処分して都会に帰っていた。兄の方は一人での田舎暮らしも長かったので、叔父、甥の関係も深化していった。そんな可愛い甥っ子の長男の病は命に関わるため身体の一部分を切除という一大事に至った。
それからしばらくして私自身も、「オーイ、元気か!」などと軽く言えるような状況ではなくなった。
しばらく音信がとだえたまま、互いが相手を思いやって静かに暮らしていた。が、私の方は五体満足、若い彼は障がい者となっている。電話をかけるのは忍びない。生の話を聞くのも辛い。せめて手紙で彼の胸の内を確かめたかった、そんな少し気の重い手紙であった。書くのが苦手ではないが、こういった手紙は難しいね~。
1年間の下積みを乗り越え、春に向かってやっと咲いたイトスイセンの黄色
雪が積もって凍るような土の中からスッ、スーっと針のような芽を出し、一生懸命頑張って冬を耐え、ようやく訪れた春の風を感じたイトスイセン。鼻をくすぐる芳香を放ちながらまっ黄色な可愛らしいを風に揺らせている。今日はお彼岸の中日、玄関に国旗を揺らし、予測もなく氷雨のような小雨が降るともなしに降るなか、お墓参りだけは済ませた。何故か、気持ちがすっごく落ち着くものを感じている。
そして今宵は、お彼岸の中日に合わせたものかどうかは定かでないが、おとなり韓国で、アメリカンプロ野球のペナントレース開幕戦「あのドジャース対パドレスの試合が行われる。これは面白いと思う。久しぶりに、プロ野球に燃えて熱くワクワクしている。今は試合開始直前である。さて試合の行方は。
今宵ばかりは何をつぶやいても、オータニさんの陰におしつぶされるのでもうやめた。野球をゆっくり見ましょう。
山間の静かな集落、住環境と生活環境の矛盾に悩まされている。
我が家から車で60kmばかり走った山間の静かな集落にある、娘の嫁ぎ先を久しぶりに訪れた。お舅さんの病気見舞いである。
娘夫婦は早くから我が家から10分のところに居を構え、孫が三人いるわけで、遠かろうが近かろうが関係なし普段から行き来しているが、私たちにとっては、あの曲がりくねった山道の長距離運転は何かの必要がないと、なかなか思い腰が上がらない。
今日は、お舅さんが心臓疾患でペースメーカーを装着して退院された話を聞いてお見舞いに訪れた。
小一時間話をする中でもほとんどがお互いの病気の話。イヤだねーと思いながらも次から次へ、痛いの痒いの入院中の待遇がどうの、病院食がどうの、コロナで面談を認めるところと一切認めないところがあって・・・などと話は尽きない。
本当は、夢も希望も満載の孫三兄弟の話で盛り上がるはずが、病気の話で盛り上がってしまった(苦笑)
私より6歳年上の米寿。幸い病気の峠は越えたということで、頭脳も言葉も昔と変わらぬお元気さで一安心。すると、すぐ我が身と比較して、私もあの年になったとき、お舅さんのように元気に笑っていられるじゃろうか、などと思ってしまう。
家の玄関を出れば広大な農地が広がる。向こうには一面黄色を競う菜の花畑が広がる。山高く空高く空気は澄み、鳥は鳴き花は咲き乱れる。そんな住環境はまさに人間にとって楽園の感も確かにある。しかし、本当の生活環境としても楽園だろうか。そうではないようだ。
年々歳々空き家は増え人口は減る。商店など成り立たず、買い物は遠く晴れた隣町までクルマで出かけるしかない。生活弱者と呼ばれるのを甘んじて受け入れるしかない集落の現況である。
住環境と生活環境の、あまりにもかけ離れた現実を目にするとき、かつて地方の元気を支えた農業や林業が忘れられようとしている。
ちょっと違うんでないかな~。国土の大半は山また山に囲まれて耕作面積は極めて少ない。それに輪をかけて、耕作する労力は年老いて干上がる寸前。なんとかしないとまさに、熊・猿・イノシシに蹂躙されてしまいそう。飢えを凌ぐために、大量の食料を有するどこかの国に勝手放題に乗っ取られのではないか。今の中山間地を見ていたら、そんな「おとろしさ」を感じてしまう。
これも、お見舞いの話の中で深刻に盛り上がったテーマの一つなのである。