「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「往く年くる年」

2016年12月31日 | 季節の移ろい・出来事

            

泣いても笑ってもあと数時間で今年、2016・平成28年が終わろうとしている。
ご来光の撮影で、例年とは異なるアングルを求めて、近くの山道を走り回ったあの日から、366日目。
うるう年で1日多かった今年も、ついに大晦日を迎えた。

振り返ると、毎年のことではあるが、喜怒哀楽ひっくるめた色んなことが身の回りで起きては消え、消えては起こる、そんな1年であった。
心の琴線に触れる感動や、思いがけない嬉しさに浸った思い出など、どちらかというと幸せ感の方が少しだけ勝ったのかな?
などというと自慢話のようで気が引けるが、いい方の星のめぐり合わせであったような気が、少しだけしている。

理由の一つに、能動的に動いたという思いがある。その結果、‟まだまだいける” などと自信につながった部分も。
その第一がクルマの長距離運転にチャレンジ。覚悟して出かけた3回。いずれも順調に目的を果たし、いい気分を味合わせてもらった。
次に、感動に胸震わせる多くの手紙を頂いたこともその一つ。その返信として気持ちを込めて精一杯筆を動かした。
特に、中学時代の恩師が二人も旅立たれた件に関して、ご遺族から丁重な感謝やお褒めの言葉を頂いたことは、まさに感動を通り越すほどの有り難さであった。それも小生に対してではなく、同窓生に対して頂いたもので、返信にも力がこもった。

また、災害被災地への応援などという力仕事のボランティアとはまるで異なるが、地域に密着したボランティア活動には、多少の愚痴をこぼすことも無いとは言わないが、こちらも自分にできる力を尽くしてきた……と、自分では思っている。
幸いにして健康な身体ゆえに、少しでも具合の良くない同級生などに積極的に声をかけてきた。
病に負けそうな友には、病気を深刻ぶらずに笑い飛ばす手助けもしてきた。そういう意味では面白い一年だったな~と思う。

そして忘れてならないのが、我が愛する広島カープの大躍進。25年ぶりのリーグ優勝という興奮に浸りながら、気をよくして益々積極的に動き回る意欲を掻き立てられた。そんな一つの社会現象も見逃せない。『サイコーで~~す』にあやかった点多分にある。
それと同時に小学1年生の孫君が、一丁前にユニフォームを着て背番号12を付けてソフトボールに打ち込む姿を目の当たりにし、彼の練習相手が勤まるよう体力を維持しなければならないという、現実を突きつけられたことも一つの発奮材料となった。

そんな1年間の思い出を、一晩のブログにまとめようなどとは大胆にもほどがあるというもの。
また改めてその折々に思い出をひもとくとして、往く年からそろそろ来る年に話題を変えてみようか。

などと思ってはみても、数字に表したり、一つに絞り込む目標などといった具体的なものが見つからない。
敢えて言うなら、家族や周囲に心配をさせないよう、「健康体を保ちたい」ということくらいか。
家族や周囲の人のためだけではなく、自分自身の幸せにつながる基本みたいなものだ。
健康こそ何物にも代えがたい大きな大きな財産であることを、しっかり意識して新しい年を迎えることにしよう。

この一年も、拙い思い付きブログに辛抱強くお付き合い頂いた奇特な「あなた」に感謝申し上げます。
来る年もまた、大きく変わらない小理屈を並べる「世の中ちょっとやぶにらみ」をご愛顧のほどお願い申し上げます。

どうぞ皆さま、佳い年をお迎えください。

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「二日遅れのXマス」

2016年12月28日 | 家族・孫話

                             
                                       1年の成長を物語る餅の揉みよう、希さん

内孫の希さん本人が少し解りかけて来た、クリスマスというイベントとサンタクロースの存在。
ジジババサンタは早くからプレゼントを買って、里帰りするのを待っていた。
お父さんの勤務に合わせた里帰りは、クリスマスから二日遅れの昨夕であった。

母親の意向にも合わせて、購入先はおもちゃ屋さんではなく本屋さん。探すこと選ぶことに小一時間かけて入念にチェック?
結局、面白味のある中で、少し頭の体操になるような内容を選んだ……と、贈る側は思っているのだがさてどうだろう。
どっちにしても、リボンのついたプレゼントを受け取ったときの瞳の輝き、一気にハイテンションに。
中味を見て黄色い声を張り上げる喜びよう。この一瞬で、選ぶ苦労も出費の多寡も全てが帳消しとなる。

開いては閉じまた開いて絵の数を数えて数字を大声で叫ぶ。
離れないようにじいちゃんに体をくっつけて、彼女なりの嬉しさを表現する。ジジにとって心地よい二日遅れのクリスマスとなった。
こんな感覚は、これまでの三兄弟との付き合いでは感じられなかった新たな発見である。

一方外孫の三兄弟は、遠方へのスキー合宿にお出かけ。出発に合わせて「お小遣い」と称して、わずかではあるが現ナマを。
こちらは、男の子でもあり、形のない贈り物だけにクールな反応を見せる。

そして今日は、姫孫を中心としたお餅つき。彼女にとって今年が2回目の体験だけに、興味の対象が幅広くなっている。
「これはなに?」「あれはなに?」「どうするん?」の質問攻めから「のんちゃんがする・・・」と自己主張も。
小さな希さん餅を、小さな手でまん丸に揉みあげる仕草も、間違いなく女の子らしくて柔らかい。
兄弟が小競り合いをしながら、そこらじゅうを真っ白くしていたのも迫力あったが、静かな餅つきもまたいい。

暮れも押し詰まってからの耳鼻科通院、姉の入院手術の立ち会い、そして昨日の地域活動騒動の顛末・・・と。
何が何だか分からんようになりそうだった節季師走が、二日遅れのクリスマスと餅つきで、ようやく本来の自分に戻れたような。
あと3日で今年も終わる。

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「信頼と迂闊と」

2016年12月27日 | 地域活動

                            
                   超近代的な印刷機

師走も押し迫った今日、とんでもないハプニングが舞い込んで、顔面蒼白、「信頼のもろさと己の迂闊さ」に嫌気がさすような一日となった。

所属している地域活動で、事務局と広報を任せられている。誰かがやらなきゃ始まらないことは、誰かが引き受けなければならない。
そんな理屈を地で行くように、二足のワラジで結構忙しい思いをしている。
そんな中で広報部は、部員7人が足と時間と頭を使って、地域活動の様子を年3回、広報誌として発行している。
Aー4版4ページ。1面と4面がカラー刷りという豪華版である。

今回は平成29年1月1日発行第38号に向けて、8月以降11月末日までに、地区内で行われた事業や活動をまとめて編集と校正を重ねて来た。数回の校正を経ていよいよ原稿が完成した。各戸配布の開始に完全に間に合うタイミングで印刷屋へ発注した。
1回の発行に当たって、取材から写真編集、ゲラ刷り、校正に次ぐ校正。それはそれは素人にとっては大変な作業である。
……と、ここで暗に広報部員の労をねぎらっているわけである。

印刷屋さんは、約束通り5000部を印刷して、納入期限を守って、納入してしてくれた。ここまでは何の変化もないルーティンワーク。
いよいよ配布という段階で、大きな大きな印刷ミスに気付いた。考えられないようなミスであった。
1・4ページは今回の原稿通り完璧に仕上がっていた。ところが二つ折りにする2・3ページには、過去の発行済みページが印刷されているではないか。「なんとしたことだ!!」印刷屋に抗議して直ちに印刷やり直し。
しかし時すでに遅し、印刷やり直しのタイミングでは1月1日配布には間に合わない。結局1月15に配布ということになった。

な~んだ2週間遅れるだけじゃないか・・・というごとではあるが、我々担当者は「1月1日に配布」という使命感を持ってやったきた。
それが、このような形で水泡に帰すというのは辛いものがある。
冒してしまったミスを上げつらっても仕方がないが、そこには我々と印刷屋さんの深い信頼関係が成り立っていたということ。
その信頼が覆されたことにやりきれない思いが残る。

そして次は自らの迂闊を責めることになる。完成品が出来上がってきたとき、すぐに全ページの出来栄えを確認しなかった私自身の責任の重さは逃れられない。時は12月下旬、年賀状作成や諸々が重なって多忙を極め、完成品として持ってきた品物の受け取り直後の確認を怠った。言ってみればこれが致命傷だったのかもしれない。という自責の念はたぎる。ただその向こうには、「まさかこんな失態は印刷屋がしないだろう」という甘い信頼があったということ。

部員7人のせっかくの苦労が普通通りに報われなかった責任の半分は、部長という立場にある。
退任を迫られても仕方ないところだが、二度とこのようなことが起こらないよう、不測の事態に対応できる体制を立て直すことをもって、今回の責任の取り方としたい。 ” 懺悔の値打ちもないけれど・・・” リバイバルソングが耳に痛い。

 

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「暮れも押し詰まって」

2016年12月24日 | 季節の移ろい・出来事

                                      

クリスマスイブ・・・と言っても、孫君たちのいない我が家は、まるでサイレントナイト、静かなものだ。
孫の兄ちゃんは高校スキー部の合宿で、あの大河ドラマ「真田丸」の真田幸村を育てた信州上田。つまり長野県上田市の菅平高原に行っている。
弟のカー君や悠雅君は、両親に連れられて今朝早く広島空港を飛び立ち、50年ぶりの大雪に見舞われた北海道へ、28日までのスキー三昧にお出かけ。

希さんは、お父さんの勤務の関係で来週火曜日に里帰りする。
まあ云ってみれば、孫ご一統様襲来の谷間のような、ちょっと間の抜けた静けさではある。
年末の慌ただしさの中で、マゴマゴせずにひたすらやるべきことを、追いかけている。

そんな追いかけなきゃならないことの一つが、こともあろうに病院通いとは、またしても鬱陶しい話ではある。
今回捕まった病院の診療科目というのが、どこからか湧き出てくるような患者ゾクゾクウヨウヨの耳鼻咽喉科である。
前回が初診、今日が2回目でお鼻洗浄治療。朝7時に起きて予約電話を掛けれど書けれど、ウンもスンもない。

ふてくされて35分後にやっとつながった電話で「今日の電話予約は打ち切りました。窓口で直接予約をしてください」という。
この程度のことで半日潰してなるものか、兎に角押っ取り刀で馳せ参じてみると、鼻洗浄の人数はわずか、1時間も待たないうちに終了。

なんでこの期に及んで耳鼻咽喉科に捕まったのか。原因は自分でもよくわからないのだが、「蓄膿症」と診断された。
X線検査で明らかに患部の曇り具合の違いが解った。納得の診療継続と相成った。全治まで約2カ月はかかりそう。
何故、耳鼻科に行くことのなったのか。予告なしに流れ落ちる鼻水。その匂い。
それらが決め手となって、周囲から背中を押され、引き気味の腰を前に押し出して診察を受けることになった。

心配した大きな病気の予兆ではなくて一安心。暮れの押し詰まったこの時期に、鼻の奥が詰まった話で申し訳ない。
ただ、普段から自らの体調には観察力が要りますよ~ 異常を感じたら早めの診察ですよ~ また一つ悟りを開いたという次第。

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「一陽来福」

2016年12月21日 | ニュース・世相

                                           

12月21日は、「いよいよ本格的な冬に至るのだから、心して寒さを迎え、風邪など引かないよう体調管理に気を付けなさいよ」
という戒めの意味も込められているのだろうか、冬に至ると書いて「冬至(とうじ)」と言われている。
理屈をこねるまでもない、24節気の一つで、正月明けの「小寒」までの期間を、冬至と言うだけのことである。

この日は、一年で最も昼間の時間が短いと言われている。今日を境に明日から、畳の目ほど日が長くなっていくという。
このように、冬至を境に徐々に日が長くなることから、「悪いことが去って、いいことが巡ってくる」という意味を込めて、「一陽来復」とは冬至を表す言葉とされている。

これから厳しい冬の寒さを迎えるというのに、「いいことが巡ってくる」と考えるのもちょっと違和感はあるが……。
人間の心理を逆手に取って、厳しい寒さに向かう折だからこそ、いいことが巡って来るという励ましの暗示をかけているのかも。
昔の人が考えそうな、逆説的ではあるが奥行きのある言葉として「一陽来復」を受け止めるとしよう。
そして今一つ言うなら、タイトルに敢えて書かせてもらったように「一陽来復」の「復」の字を『福』の字にしたらどうだろう。

とにかく、今日からまた一つ季節は変わる。
そのために、「ユズ」を浮かべた熱い湯に入って、心身を温め、ゆーずー(融通)の利く人間になるようになりたいものだ。
そうして温まった体を維持しながら、無病息災、元気でお正月を迎えたいと願っている。

少しでも日が長くなるのを心待ちにしているのは、誰あろう、このジジなのかもしれない。
放課後教室から連れて帰ったころはすでに夕闇。悠雅君とキャッチボールの一つも出来はしない。
それでなくても運動不足で縮み込みがちな老体は、固くなるばかりである。「じいちゃん、野球やろう」と誘ってくれたら、「じいちゃんも忙しいんよ」と言いながらも、いそいそと団地公園に出向くためには、日の長さが絶対条件である。

野球選手としての契約金1億円を狙うわけでは決してないが、ジジの運動不足解消の片棒は担いでほしいものだ。
鉄は熱いうちに打て!さてどうなることやら。早く日が長くなって二人の練習再開が楽しみな、一陽来福である。

 

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「師走の風物詩」

2016年12月19日 | 季節の移ろい・出来事

 

悠雅君が、すぐ近くの民家に輝くイルミネーションを、「ペッカペッカ見に行こう」とおねだりしていたのは4年前。
その後も毎年、その家にはこうして華やかに飾られてきた。が、悠雅君が「行こう」と言わなくなってからは、わざわざ寒さを冒して見に行くこともなくなっていた。男の子だけに、こういうものから卒業するのは早いような。

そんな悠雅君に代わって、新たなお客様が表れた。姫孫希さん3歳である。
こちらは女の子、こういった華やかさ、美しさには目がない様子。コートを着せマフラー巻いてお手てつないで見学に。
もうあれから4年か~ という感慨と共に、悠雅君の頃の方がもっと華やかであったな~などと無責任な感覚も。

兎に角、歓声をあげて喜ぶ希さん、云わずともカメラを向ければ勝手にポーズをとる。
言葉も交わしたことのない人様の家の前で、ポーズをとったり写真を撮ったり…、いい気なものではある。
でもその前に「ワ~ なんときれいね」と大きな声で何度か言っておく。これが入場券代わりみたいなものだ。

飾りつけする方も、器具を揃え、高いところに登ってセットしそのうえで高い電気代を払って楽しんでいるイルミネーション。
外部から「ワ~きれい」と見に来る人がいてくれる方がやり甲斐があろうというものだと思う。
クリスマスを前にした、1年間の中のホンの短い師走の風物詩である。4年ぶりに堪能した。

一度は正面切ってご挨拶して、お褒めの言葉一つもかけて上げた方がいいだろうな・・・と思うのだが。
これがなかなか実現しなまま今に至っている。
世の中には、自分が楽しむためにやっていることに、他人の介入を喜ばない人も多いということが解っているだけに
敢えて疎遠を装っている。これが、昼間で気安く顔を合わせられるのならまた別な話だろうが。

いずれにしても年末恒例、つかの間の風物詩を味わった。ちっちゃなお手てのぬくもりに、気持ちまでホッコリ!。

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「これもお付き合い」

2016年12月18日 | 地域活動

         

我々の社会福祉協議会エリア内には、県立高校と市立中学が一校ずつあり、市立小学校が二校ある。
地域協育ネットとか、学校運営協議会、コミュニティスクール、などと色んな呼び方をされながら、地域住民挙げて学校の支援活動が活発に行われている。それはそれは、自分で言うのもおかしいが、「献身的」という言葉が当たっているほど、学校と地域が密着して健全育成に当たっている。

そんな中の活動の一環というか、お役目柄のお付き合いというか、高校吹奏楽部の定期演奏会への招待を受けた。
校長直々にチケットを渡され「生徒たちの頑張っている姿を見てやって下さい」とのこと。行かずばなるまい。
我が孫のこととなると、長距離運転も厭わず頑張るじいちゃん。今日の場合は我が家の孫とは縁のない話ではあるのだが。

行くと決めたらいそいそと。同じような年配ご夫婦も多く見られた。あれはお孫さんの応援に違いない。
客席を埋める多くは、初々しいセーラー服が目立つ。よく見ると、いろんな中学校から女生徒が集団で来ている様子だった。
かつては一緒に中学校吹奏学部で競い合った先輩の応援に来ているのだろう。

部員の人数こそ多くはないが、まとまりのある素敵な演奏と、彼女たちがプロデュースしたのであろう、入れ替わり立ち代わり順番に曲の紹介を兼ねて司会役を務める姿に、微笑みと苦笑を交えながら見守った。
最後のクリスマスメドレーでは、10数人のOBも演奏に加わり、それはそれは聴きごたえのある見事な演奏であった。

世の中は相変わらず、タチの悪いいじめが横行する学校という現場。
子どもたちが安心して通える学校にするためには、教職員や教育委員会の力量を過信してはよくない。
そのためにも、地域の人が徒党を組んで教職員と一体となって、生徒を見守り、陰湿ないじめの芽を感知する役には立たないだろうか。

などと大げさなことをチラッと考えてみるが、所詮地域住民はあくまでも地域住民。どこまで教育現場に踏み込めるのだろ。
そんなことを解っている中で、やはり健全な学校生活を送って欲しいと願う、小・中・高の孫を持つジジである。

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「オーサムッ!忘年会」

2016年12月16日 | 宴会・会食

                              
                 カンパーーイ!!

この冬一番の冷え込みの中、予定通り、長い付き合いの気の置けない仲間による忘年会に出席。
あれだけ気を付けていたにも関わらず、2日前から微熱が出始めた。
午年生まれは、体調の変化に対して何かと大げさに反応すると言われてきたが、今回もひょっとしたらそうかな?警戒した。

二晩続けて、少し濃いめの玉子酒の助けを借りて爆睡に次ぐ爆睡。これはよく効いた。
若干の鼻声は残ったが、楽しみな忘年会を控えるなどという選択肢など思いも付かないまま、元気回復した。
但し、肌着から気を配り温かいものを選び、アスコットタイの上にマフラーも用意し、マスクはポッケに忍ばせて。

周到な準備をしようが何をしようが、出かけられるのは体調良好な証拠。
行ってみたら、二人も風邪によるドタキャンが出ていた。いつもより少ない人数にはなったが、その寂しさも最初だけ。
肝いり幹事さんの「カンパーイ」の声で、後はもういつもの人数と変わらぬ賑やかさ。
その気になって二次会カラオケでは、今年の全てをぶつけるように、3曲は熱唱したのかな、人の迷惑顧みず……。

欠席せざるを得なかった一人は、この日のために精一杯の努力をして恢復に努めたのだが、どうしても治らなかったらしい。
こんな状態で自分が無理して出席して、友に感染させたらそれこそ大きな迷惑をかける。欠席するのが友情!!
と、涙を呑んで欠席を選んだ、という話を宴会の途中で耳にして、「オレも参加しちゃまずかったかな?」とチラッと思った。
が、すぐに忘れて大はしゃぎ。最終電車の時間まで楽しんだ。ということは、アタシの風邪は、他人に悪影響を及ぼすほどではなかった、
ということなのだろう。自分の存在が場を盛り上げているなどと自惚れてはいるが、実際には何の影響力もないアレとよく似ている。

そこでまた、おふくろの置き土産を一つご披露しよう。
「風邪の神さまは茶碗の陰におわす」のだそうな。風邪を早く撃退する方法の一つ、食欲がなくても無理してでも、「食べる」こと。
だそうですよ。風邪気味のご同輩。

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「いつまでも安全運転を」

2016年12月14日 | つれづれ噺

  

「高齢者講習修了証明書」なるものを頂いて来た。
「道路交通法第108条の2第1項第12号に掲げる講習(認知機能検査の結果に基づいて行う講習)を修了した者であることを証明する」
といういかめしい名前の講習を受けた。これで、大きな問題がなければ、明年1月28日までに自動車運転免許更新の申請権利を取得したということである。

早い話が、いつまでも安全運転を続けるために、ハンドルを握る者の義務として、健康状態をチェックされる講習会である。
「講習予備検査(認知機能検査)結果通知書」も頂いて帰った。
その総合点によると、自慢話になって恐縮ではあるが、満点に近い点数であった。ウッシッシ!
ということは、ことクルマの運転に関しては、記憶力・判断力に心配はありません。という評価で、まだ1人前扱いということだ。

ちなみに、総合点とは次の三段階に分けられている。実に大まかではあるが、一応このようになっている。
49点未満・・・記憶力・判断力が低くなっています。
49点以上76点未満・・・記憶力・判断力が少し低くなっています。
76点以上・・・記憶力・判断力に心配ありません。 

自動車学校の担当官が、マニュアルに沿って器具や資料を使って検査するものであって、医学的価値がどの程度のものかは定かではない。
そうはいっても、やはり49点以上の方が嬉しいし、76点以上の方が自信が湧いてくる感じはあるというもの。
いずれにしても、悲惨な交通事故の加害者にならないことは言うに及ばずだが、被害者にならない努力を続けなければ、と改めて思う。

じいちゃん、ばあちゃん、と寄って来る孫たちをクルマに載せて、まだまだ遊びに行きたいところはいっぱいある。
衰えがちな動体視力を、気配りと安全意識でカバーすることは不可能かもしれないが、せめて交通マナーはこれまで以上にアップしなければ。
そういった、現在の己の運転技術の実態を知るための講習会であったと思えば、効果的であったな~。

「自分の生命身体は自分で守る」のは、自信や津波災害に限らず、自動車運転にも通じている。

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「チラッと振り返って」

2016年12月12日 | ニュース・世相

                                         

今日12月12日は、平成7年、1995年に日本漢字能力検定協会が制定した記念日「漢字の日」である。
なんで12月12日が漢字の日となるのかって?? それはね、
12月を「いい字」と読み12日を「いち字」と読む。つまり「いい字いち字」となる語呂合わせにちなんで決められたのだそうな。

そして漢字の日の今日は、毎年、京都清水寺管主さんによる、今年の世相を表す漢字一字が発表された。
『金』の字。あれこれ幅広く今年を思い返す漢字として『金』の字の投票が多かったということであろうか。
確かに、リオオリンピック・パラリンピックのメダルラッシュを思い起こせば、妥当と言えるようだ。
一方で、手垢にまみれたお金の使い方で奈落に落ちた人も数多く見て来た。その最たるスキャンダルがお隣り韓国であろう。

世相反映の漢字は「金」と決まったが、アタシ個人の漢字一字とはさてなんじゃろう。
今年1年を、本気で振り返るのはもう少し先の話として、今はチラッとだけ振り返っておきたいのだが……。
そのチラッとでさえ、この身にはよくも悪くも「金」という字にはあまり縁がなかったような。

人それぞれに色んな想いが交錯する師走半ばではあるが、思い当たる一字を……と探してみる。
敢えて取り上げるなら「笑」わらうであろうか。
どちらかというと、もっともっと笑えることが多かったと思うのに、意外に笑わなかったな~という思い。

何のことはない、苦労性、貧乏性が故に、笑いを抑えたというか、もっと笑って過ごせたはずなのにあまり笑わなかったということか。
そんな気持ちの代表格が、広島カープ25年ぶりの優勝である。
神ってる若手が活躍して、ベテランが背中で引っ張る、そんな理想的な戦いの中で11連勝もして大いに笑わせてくれたはずである。
それなのに、ああそれなのに、11連勝したということは11連敗だってあるはずだ・・・などと笑いを少し控えた。

そしてやっぱり最後にリーグ優勝で笑った。クライマックスシリーズは正直笑いっぱなしだった。
ところが日本シリーズは、第3戦目まで半信半疑で薄ら笑いを浮かべた。そして最後は、「やはりそうか」と嘆いた。

兎に角、この1年を振り返るのは、もう20日を過ごしてからにしよう。

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