「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「弥生つごもり」

2017年03月31日 | 季節の移ろい・出来事

                   
             青空に映えるハクモクレン

トンビのくちばしを思わせる、固く尖ったモクレンのつぼみ。いつしかふくらみ、一つまたひとつ花開いていく。
あの真っ白い大ぶりな花弁が木全体を覆うようになると、三月も終わりを告げる頃となる。
今年もあちこちで見事な満開のハクモクレンを堪能させてもらった。

そうして迎えた今日弥生つごもりは、朝からあいにくの春雨である。
それも「・・・濡れていこう」などという風情のある雨ではなく、屋根を叩く音がするほどの大雨。
これじゃぁ名前は同じ春雨でも、可愛げがない。それでも、せっかくの桜が咲いたとたんに降る冷たい花散らし雨よりは少しはましか。

個人的には、気鬱になることの多い三月であったような。一日も早く4月を迎えたい、そんな弥生三月を過ごした。
それもそのはず。10歳違いの姉を交通事故という突然の出来事で失ってからまだ4・七日しかたっていないのだ。
気持ちの整理をつけるには今少し時間が欲しいような気がする。

通院が続く耳鼻咽喉科のその後の経過も、イマイチすっきりしない。
CT検査や内視鏡の映像などは「限りなくクロ」である。手術を覚悟するのが、完治への一番近道のようである。
ここ数日の夕方に現れる自覚症状を思うと、手術やむなしと結論せざるを得ない。まあ何とかなるじゃろう。

そんな中で、偶然にも同級生が急きょ夜の駅前に呼び出してくれたり、サークルの仲間と「かんぽの宿」で昼間の宴会を楽しんだり。
結構色々やってはいるのに、4月の訪れが待ち遠しいというのは、ある種の贅沢かもしれない。

春休みの真っ最中で、三兄弟も揃っているが、三男だけは決まったように毎朝やってくる。
遊びのあれこれには閉口するが、体を動かすという点では、運動不足のこの身に彼の存在は、救世主のようでもある。
いずれにしても明日から4月。また色んなこととの出会いを感じながら、春を楽しめたらあり難いのだが。

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「待望の春休み」

2017年03月27日 | 季節の移ろい・出来事

               
                  春休みをじいちゃんに付き合う悠雅君          お城山の桜のツボミ。麓よりもやや固いような

本格的な春休みに入った。
孫三男の悠雅君は、二人の兄と同様に、朝8時15分には我が家にやって来ることになっている。
大好きなばあちゃんが仕事に行っている午前中は、仕方なくジジと二人っきりで過ごすことになる。
お天気さえよければ、野球道具一式を提げて団地公園に行けば、2時間は十分に楽しめる。
ただ、団地公園も2年生になる悠雅君には段々窮屈になってきた。打球がフェンスを越えて隣の墓地を転々とすることもある。

こと野球に関しては素直なもので、ジジの言うことを一々もっともらしく聞いている。
時には生意気なことを言い募って、ジジのげんこつを進呈すると、倍返しで応えようとすることもある。
我が家にやって来た初日の今日は、珍しく神妙で素直。「じいちゃん、お城山登りたいじゃろ?」などと聞く。
「悠雅君も登りたいんか?」「ウ~ン、ええよ」。こんな会話の後、急いでご朝飯を食べさせそそくさと出かけた。

4月2日の会社OB会「歩こう会」では、颯爽と城山に上る姿を皆さんに披露しなきゃならない「男の見栄」の練習でもある。
「じいちゃんゆっくりじゃね」と、足の運びを小ばかにされながらも、久しぶりのお城山を味わった。
一方で「坂道で 耳を澄ませば 鳥の声」(一部ジジが補正)などと、しゃれた一句を口ずさむ7歳児。
お城近くの数寄屋で、ポテトチップスやジュースで休憩して、模型飛行機で約1時間。午前中のノルマを終えてや~~れやれ。

などと言えばいかにもジジにとって厄介者のように聞こえる孫守りだが、実際はそんなこたーない。
城山に登ったり、グラブでボールを追いかけたり、海の公園を延々と散歩したりする格好の相棒でもある。
気分転換や、運動不足の補いをつける意味でも、春休みを待っていたのはほかならぬこのジジかも。

この春は「はさみ将棋」や「本将棋」も教えたいのだが・・・。
あまり欲張ると失敗しそうなので、先ずは、野球の基本動作を叩き込む方がいいのかな。

お城近くの桜のつぼみは、ふもとに比べるとまだ固いようであった。
少しのズレはあるのだろうが、やがて咲き誇るに違いはない。少し気長に見守る寛容さを思い出さされる。

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「早くも三・七日が」

2017年03月25日 | つれづれ噺

                                                                    

思いもかけない姉の交通事故から三週間。仏教でいう三・七日(みなのか)の金曜日を迎えた昨日。
事故現場に花のお供えに出かけたら、くだんの横断歩道に、今もたくさんの花束に沿えて、飲料水のペットボトルも置かれていた。
ご近所の方のお心遣いなのか、姉の友人や知人のお気持ちなのか、はたまた事故の加害者となった人の気持ちなのか。

いずれにしても、「あまりにも突然に襲った姉の不幸」に対して弔意を見せられるのは、弟として誠に有り難く感謝あるのみ。
こういった様子を見せられると改めて、姉の無念さや、もう少し生きたかったであろう、もうちょっとやり遺したことがあっただろうという思いがこみ上げる。でも今はただ手を合わせて冥福を祈るしかない。

手塩にかけた二人の子どもは、東京と奈良に住んでいる。
それぞれに家庭もあり仕事もあるのだから、葬儀を済ませ、一通りの段取りを整えて、それぞれに戻って行った。
次に家族連れで帰るのは四十九日法要の時である。そのころにはこの横断歩道の花束はどうなっているのだろう。

今我々に出来るのは、狭い歩道の通路をふさがないよう、古い花束を処分し、新しいものと入れ替える作業くらいのことである。
迷いの世界で何度も生まれ変わることを『輪廻転生』というのだそうだが、出来ることなら迷いのない世界に再び生まれ、迷いの少ない人生を全うできたとしたら、あの世で再会するであろう両親に顔向けできるというものか。さてどうなんだろう。

 

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「CTに押されて」

2017年03月22日 | つれづれ噺

                           

昨年の暮れから始めた蓄膿症の治療。当初は2月の終わりごろには完治の予定でスタートした。
ところが、桜の開花予想が取り沙汰される今を迎えても、スッキリ改善の様子が見られない。
そこで、耳鼻科の医師としては「古い蓄膿症だし、レントゲン結果では顕著な改善が見られない」ことから、別の病院でCT検査を受けることに相成った。

CT検査とは(Computed Tomography)の頭文字を取ったもので、コンピューター断層撮影というのだそうな。
それは、X線を利用して身体の内部、つまり断面を画像化する検査。という説明がされている。
画像処理を行うことにより、身体の細かな情報を得ることが可能になるという。

早い話が、首から上の断層写真を撮ることで、鼻の横に溜まっている必要ない濃がはっきりと映し出される。
それは見事なまでに良くない側と、異常のない側との差を歴然と示す。こういった断層写真を見せられて、医師の説明を聞かされると、これからの先の治療方法をどう選ぶか、小生自身の判断材料にはなる。

耳鼻科の医師も、現在の年齢や、他に病気らしい病気も持っていないこと、さらには現在の元気さなどを総合判断して「手術」という方法を大きな選択肢として勧めてくれている。
『医療の発展で、以前のような大掛かりな手術ではなく、大きな病院で全身麻酔による患者の負担を最小限にとどめるものになっている』但し入院は1週間程度は必要、との説明もあった。

あと1週間、点鼻薬の治療を施す間に判断してください。と、鼻に点下する薬液をもらってきた。
手術と言えば、盲腸に始まって扁桃炎の除去。椎間板ヘルニアの大手術など、何度か経験している。
だから怖くないか?と訊かれるとそうでもない。でも必要とあれば致しかたない、と開き直る部分は大いにある。

あのCTの画像を見せられて、まだまだ若いのだから手術を、と勧められるとね~ どのみち放っておくわけには行かないのだ。
とすれば思い切るしかないのだろうな~ 桜の季節を前にいささかの迷いを・・・・・・。

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「我が家にも球春が・・・」

2017年03月19日 | 家族・孫話

                                
             試合開始前の、監督を囲む全員ミーティング

大相撲の春場所は初日から中日まで連続の満員御礼というほど、新横綱稀勢の里人気が沸騰している。
テレビや新聞のスポーツニュースを、大相撲が独占する勢いである。そんな中でもプロ野球は、WBC(ワールドベースボールクラシック)で、侍ジャパンと呼ばれる日本チームが、世界の頂点を目指してし烈な闘いを繰り広げている。
愛する我らのカープは、チャンピオンフラッグの下で、ペナントレースに向けてオープン戦に余念がない。

そして甲子園球場では、まさしく『球春』を告げる全国高校野球が開幕した。こちらも目が離せない。
時を同じくして、我が孫悠雅君が所属する少年ソフトボールも、春のリーグ戦が始まった。今日はその開幕新人戦大会で一日つぶれた。
朝6時に起きて、8時から始まる試合に間に合うように出かけるのは、何となく気忙しい。

などと見物する立場では呑気なことを言っているが、彼らや親は朝6時にはもう家を出て、途中の集合場所で落ち合っているのだという。
まだ7歳の1年生にとっては、5時半に起こされ、眠い目をこすりながら試合前練習は辛かろう……などと思ってはいけないようだ。
レギュラーになって、7番セカンドでスタメンを張るからには、上級生並みのスタミナも努力も要求される。

そのうえ、今日のように午前中のリーグ戦で好成績を残せば、午後からの決勝トーナメントも戦うことになる。
昼ご飯を食べて少し休憩。すぐに試合前練習へ。あの小さな手に大きなソフトボールは、握力もままならなくなりそう。
体の動きも午前中と比べるとシャープさに欠ける。でも試合となれば真剣勝負。コーチの叱咤激励に応えようと努力する。

考えてみれば、こうして鍛え上げられた大勢の中から、一人か二人の甲子園ボーイが生まれるのであろう。
これからは、試合だ練習だとジジもグラブを使う時間も増えそうだ。となれば、やはり気力体力が求められる。
他にもすることはいっぱいあるが、我が健康と、孫の将来に夢を馳せて老体をムチ打つしかない。

ジジにとっては、おおいに楽しみでもありちょっと厳しい球春の訪れである。

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「二匹目の泥鰌(どじょう)」

2017年03月17日 | 趣味・・エッセイ

                               
            「第4回 わたし遺産、受賞作品集の表紙の一部」

昨日の夕方、ピンポーンと共に吉報が届けられた。郵便局セキュリティサービスというラベルが貼られた分厚い封筒。
品名の欄には「商品券」と書いてある。もちろん、受領印を押してうやうやしく受け取った、とカミさんが云う。
小生は、地域の野暮用で真剣な会議を進めている時間帯であった。

中からいろんなものが出て来た。先ずは3月9日付朝日新聞。10ページ全面広告に「わたし遺産」第4回結果発表の記事が。
上段には横位置3等分で大賞受賞作品が、筆者の写真と共に大きく掲載されている。その下に選者の評文が。
さらにその下に小さな文字で、準大賞受賞作品、タイトルと筆者の名前が書かれていた。
虫メガネとまでは行かないが、目を皿にして探すうちに「天国からの出席者」のタイトルと、見覚えのある名前があった。

そしてメインは、A-4版18ページに及ぶ、大賞3篇、準大賞20編、そして学校賞3篇を載せた冊子である。
そこには全国から8236編の応募があったこと、学校一括応募は98校であった、という数字も添えられていた。
これだけの作品を一通り読み通すだけでも、それ相当の時間を要するだろうし、読み分ける審査員のご苦労も分かるような。

昨年10月に、パソコンに入って来るCMメールで知った、三井住友信託銀行「わたし遺産」への応募投稿以来、「あなた様の作品が審査員にピックアップされています。ついては以下の事項にお答えください」と、完全に自作品であるか、フィクションは含まれていないか、事実を証明できる何かがあるか」などの問い合わせを何度か受けていた。
今年2月に入ってからは、「準大賞に選ばれました」との「あらかじめのお知らせ」を受け取ってもいた。
でもやはり正式な発表で自分の名前を確認しないことには始まらない。間違いでも夢でもなく、準大賞を頂いた。

小生にとっては思いがけないラッキーで、柳の下に二匹目のドジョウが待っていてくれていたような気分である。
このところいささか下向きだった気持ちを上向きにさせてくれる、カンフル剤になってくれるといいのだが。

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「肺炎球菌予防接種」

2017年03月15日 | ニュース・世相

                        

「65歳以上になると、免疫をつかさどる細胞の数が減少し、免疫力が低下するため、どんなに元気でも肺炎球菌による感染症にかかるリスクが高くなります。」「65歳を過ぎた方には肺炎球菌ワクチンによる予防が勧められています。」という、半ば脅し文句に乗せられて、何年ぶりかの予防接種、ワクチン投与に行ってきた。

訪れたかかりつけの内科クリニックの受付で「これを読んでください」と渡された予防接種説明書には「肺炎球菌は莢膜(きょうまく)という厚い膜で覆われた細菌で、鼻やノドの奥につきやすい細菌のひとつということです。健康で体力のある状態なら免疫力が十分あるため、感染症を引き起こすことはありません。しかし、体調をくずすなど何らかの原因で免疫力が低下したり、風邪を引いた後などに、肺炎球菌による感染症つまり肺炎、髄膜炎、菌血症、中耳炎などを発症することがある。」と書かれてあった。 

接種後のこまごまとした発症事例を聞かされ「何か異常があったらすぐに病院にお越しください」と念を押された。
その発症事例のひとつに「風邪を引いたように、微熱が出たり、体のあちこちが痛む人がいる」と言われたのをなぞるように、微熱が出て来た。体の節々が痛み始めた。接種した左腕は腫れて、上げ下げできない痛み。寝返りもままならず悶々とした一夜を過ごした。

今朝の起き掛けは心配した症状もかなり収まってくれて、クリニックへ駈け込むこともなかった。助かった。
他でもないが、昨年暮れから治療を続けた「蓄膿症」の経過が、意外に芳しくない様子との宣告を、耳鼻科の主治医から受けた。
あれほど、鼻洗いアレルギーで高熱を発症したり散々苦しめられた挙句、「完治の様子が見られないので、念のため「CT」検査をしましょう。」と言われて、いささか気落ちしているところへ、くだんの肺炎球菌予防接種。やたら不安ばかりが先に立つ。

今年の3月は、のっけからいいことに恵まれなかった。
それでも、病気になってしまったら、その病気を撃退するよう闘うしかない、という持論で今まで過ごしてきたが、柄にもなくちょっとした弱気に襲われそうな自分がそこにいる。な~~に、まだまだ若いんだから……と言い聞かせる声に力を込めたいと思うのだけれど。

早く、花咲く陽春が待たれる弥生半ばではある。

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「突然の訃報に」

2017年03月12日 | 家族・孫話

                         

それは3月4日土曜日の21時50分、信じられない展開がスタートした。
「〇〇さんですか?」「はいそうです」「こちらは警察署ですが、△△さんをご存じでしょうか?」「△△は私の姉です」
そんなやり取りの後「すぐに国立医療センターにお越しいただけますか?」「何事でしょうか?」「実はお姉さんが交通事故に……」

何はともあれタクシーを呼び、すっ飛んで病院の救急センターへ。
そこには交通課の警察官ではなく「生活安全課」の警察官3人が待っていた。「お姉さんに間違いないか確認をお願いします」と言う。
暗い面持ちの当直看護士さんの挨拶を受け、診察室へ。途中で「意識はありますか」と尋ねてもはっきりした返事はない。
診察室のベッドには、静かに眠っているが如き言わぬ姉が横たわっていた。すでにこと切れていた。

「私の姉に間違いありません」という言葉でようやく身元が判明。事故発生から4時間近く経過していた。
警察の説明では、国道の横断歩道を渡っていた姉が、18時52分、乗用車にはねられた。
救急搬送された病院で19時52分臨終を迎えた。乗用車の運転手は76歳の男性で、自動車危険運転防止法違反で現行犯逮捕。
そんな説明を受けたが、姉が息を吹き返すことなどありはしない。
悲しみを感じる余裕もないほど突然の身内の最期。何も考えられない空白の重たい時間が過ぎる。

兎に角、姉の親族へ連絡しなければ。遠くに住む息子二人に連絡を付けたのは日付が変わるころだった。
彼らにとってはまさしく寝耳に水。降って沸いたような突然の悲報。伝えるこちらも辛いが、受け取る方はもっと驚いたし辛かったことだろう。明朝一番で帰って来ることを約束。そこから本格的な叔父さんの出番が始まる。
深夜の葬儀屋との折衝。遺体の引き取りなどを一通り終えて、床に就いたのは午前3時。
翌朝も早くからお寺さんとの時間折衝。その結果を葬儀屋に報告して斎場の手配を。親戚への訃報連絡に追われる。

涙も忘れて、若い不慣れな兄弟の代理として、あれこれを。
一通りの儀式を終えて、取り敢えず兄弟は自分たちの生活に戻って行った。
ようやく気持ち的に少し落ち着いて振り返ったら、あっと言う間に一週間が過ぎていた。

享年85歳。年に不足はないと言われても仕方ないところだが、足腰はもとより、気持ちも頭もしっかりした元気印であった姉。
まだまだ意欲的にあれこれ手がけたこともいっぱいあったのに。
いきなりの事故によって即お浄土への旅立ち。理不尽と言うより他に言葉がない。
旅立ちへの予備知識など全くない今回の出来事。受け入れ難いが現実として受け入れざるを得ない。辛い。悲しい。

今少し時間が欲しい。そのうち今よりは整理した気持ちが取り戻せることだろう。
世の中ってほんとに一寸先は闇。色んなことが待っているようだ。         合掌

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「次の一歩へ」

2017年03月01日 | ニュース・世相

            

弥生3月のスタート。弥生とは、冬を耐えた草木が、春に向かって生い茂るさまを言うようである。
「弥」は「いよいよ」とか「益々」という、ある種の期待を込めてその時を待つ修飾語として使われてきたらしい。
「生」は文字通り、生きることを意味し、昂じて生い茂ると使われるようになってきた。つまり今まで以上に生い茂る季節。それが弥生3月なのであろう。そう考えると、如月から弥生へと続く季節の流れも呼び方もしっくりくる気になる。

そんな弥生ついたち。高校を中心に全国各地の学校で卒業式が行われたようだ。
かくいう私も例年通り、礼服に身を包み心地よい緊張の面持ちで母校の卒業式に参列した。
昨日の「同窓会入会歓迎の言葉」に続いて、2月末から3月頭の予定が無事消化できたことを喜んでいる。

こういった晴れやかな場でも、女性の力強さを見せつけられる思いである。
在校生代表の送辞も女性なら、卒業生代表の答辞もまた女性である。
男子にもっと奮起してもらいたい気持ちもあるにはあるが、感極まって涙声に詰まる一瞬の間は、女子ならではの味でもある。

答辞の終段にもってきたのが「明日という字は明るい日と書きます」というフレーズで、上手に膨らませた心地よい答辞になっていた。
今日を境に、まさしく明日へ向かって次の一歩を踏み出す瞬間である。明日と言う日が字の通り「明るい日であって欲しいものだ。
と、正直に思うのだが、現実を長く見て来たこの身には、「世間はそんなに甘くないよ・・・」と無粋な注文を付けたくなる。

でも、卒業生の数より多い保護者の出席は、やはり時代の流れを感じさせる光景ではある。
少子化の中で大切に育てて来た子供の晴れ姿を、椅子から伸び上がるようにしてビデオカメラを操るお父さんお母さん。
やはり大きな節目の一つの高校卒業式。親の気持ちが手に取るようで、緊張の中にも微笑ましさが勝っているのは嬉しい。

その時その時を大切に一生懸命生きてこそ、「人生今が旬」の連続となるのであろう。フレーフレー フレッシュマン!!

 

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