「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「石の上にも」

2016年09月30日 | 趣味・・エッセイ

                    

定年退職を迎えて5年を経過したある日、ふと目に留まった新聞の一隅に「エッセイ同行会」の会員募集記事があった。
早速電話したところ「今までに新聞投稿の経験はありますか」「いいえ、新聞に投稿経験はありません」などのやり取りの後、
次の定例会の日程を教えてもらった。そうして当日出かけたのが2007年2月23日のことである。
その時初めて「岩国エッセイサロン」というグループがあることを知り、代表は創設者の「O・Yさん」であることも知った。
以来9年半、三歩下がって師の影を踏まず、足を引っ張らないよう努力しながら濃密なお付き合いを続け、今日に至っている。

おっかなびっくりの及び腰で初見参に及んだ岩国エッセイサロン。
その時名刺代わりに持参したのが、中国新聞に初投稿初掲載された例のエッセイである。
この一編によって、なんとなくその気になって励んだことを昨日のように思い出す。
そして、多くの入れ替わりはあったが、その後の会員みんなの努力が実って、このたび投稿掲載総数が1000編に達した。

まさに「石の上にも3年」をはるかに超える辛抱と努力が、数字となって表れた今回の快挙。
誰あろう、創設以来長年にわたって代表としての役割を、完璧なまでに全うされた「O・Yさん」の功績として讃えたい。
そして、会員一人ひとり努力の結晶として、みんなで喜びを分かちあいたい。

いつも言われるように、日々の暮らしの中で如何に視野を広げ、いかに感性を磨いていくか。
そしてそれらを如何に正確に、面白おかしく書き上げていくか、そんなことを念頭に、今後さらに内容を充実させたいと思っている。

さていつまで書いていけるのやら。
代表のモットーである「お金を掛けず、他人に迷惑をかけず、自分が楽しみ人を楽しませる」エッセイライターを目指して。

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「訃報のはがきが」

2016年09月27日 | つれづれ噺

                         

お元気だろうかな~と気にかかっていた矢先の訃報はがきであった。
格別に暑さが厳しかった今年の夏。ご高齢の先輩にとってはさぞかしこたえたのではなかろうか、心配していた。
「父〇〇が、9月某日、△△の病で永眠いたしました。91歳でした……」という報せが。

続けて、「本来なら直ちに逝去の連絡を差し上げるところ、遠方よりお運び頂くのは申し訳ないことで、敢えて遅らせてご連絡申し上げました」と添えられていた。差出人はご子息であろうと思われる。
行き届いた訃報連絡に、改めて先輩の律儀なお人柄や、温かい家族模様が見えて、さぞかし佳いお参りであったのだろうと想像する。

会社生活最後の5年半在籍した職場で、大変お世話になった先輩である。
特殊な技術者として、定年延長が伸びたため、結構長いお付き合いとなった。その間色んなことを教わった。
退職後は故郷の埼玉に帰られて、悠々自適の生活であり、今年の年賀状も交換していた。

どちらかというと寡黙で、冗談も少なくぶっきらぼうな感じもあったが、職場柄そんな姿がしっくり来ていた。
QC活動や、改善提案制度にも協力いただいて、報奨金を忘年会費に回させてもらったこともある。
91歳の逝去が早いのか遅いのか、遠く離れているので断言はできないが、ご本人の与えられた命を全うされたということだろう。

それにしても、気の利いたご子息をお持ちである。この一点を見てもお幸せな晩年であったと想像できる。
亡くなられた後、すぐに生前の住所録を探し、遠い昔の付き合いの私ごときに迄連絡を頂いたことに敬意を表したい。
振り返ってわが身はどうだろう。倅夫婦がこういった気配りを見せてくれるか、どうだろう。

それは、まだ元気な私がいる今は気づかないことなのかもしれない。
だとすれば、ここ数年の間に、「気の利いた息子夫婦がいて、幸せな老後じゃったろう」などと周囲から言ってもらえる関係を築き上げなければ。
早すぎることはないだろう。そろそろ準備を。こんな生きた教材に恵まれたのだから。  合掌

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「季節の色」

2016年09月25日 | 季節の移ろい・出来事

  
   白いソバの花を見下ろすような、ヒガンバナ         秋を代表する色、真っ赤に咲く曼珠沙華

日本の四季を色に例える多くの言葉や文字を、これまで目に耳にしてきた。
それぞれに少しずつ趣きが異なっていたり、解釈が少し違っていたりして、意外に興味深い。
そんな過去のイメージを考慮したり、勝手な思惑を挟んだりして、自己流の四季の色を考えてみたくなった。

特に「秋半ば」という今の季節を一つの色で例えるとすれば、いったいどれがふさわしいのか、迷ってしまう。
秋を代表する色といえば、先ず思い浮かべるのはあの波打つ黄金色の稲穂であろう。
そして黄金色絨毯を縁取るように、田んぼのあぜ道を真っ赤に染めるヒガンバナ。

となると秋という季節は「黄金色、つまり黄色」そして「赤」ということになろうか。ちょっと待てよ。
田んぼの脇の畑には、真っ赤なヒガンバナが見下ろすように、一面の真っ白いソバの花が咲いていたな~。
暦の中には秋の24節気を表す言葉として「白露」と「霜降」がある。これは紛れもなく「白」をイメージしている。
かの有名な「この道」や「待ちぼうけ」といった童謡詩人の名前にも、秋に白の字がくっついて「北原白秋」と名付けられている。

それに赤はやはり「灼熱の太陽」「真赤な太陽」を連想させる夏が似合っているのかな、などと思う。
ならば春は、萌えいづる新芽の色、つまり緑か若草色がいいのかな。それとも「春は桜」の薄桃色かも。
そうすると冬はやはり、寒さに耐えてうつむき加減になってしまうことから、灰色か黒が似合うのかな。

我が独断と偏見に満ち溢れているとしても、浅学菲才勉強不足であるとしても……。
今この季節の色は「白」と結論付けたい。
ちなみに、春は「緑」。夏は「赤」。冬は「黒」とさせていただこう。
別に何色が良くて何色が良くない、などという色ランクを付ける気などさらさらない。
飽くまでも勝手気ままな思惑の、季節の色分けを試みたものである。

ご賛同いただけるご仁がおられるや否や。まあいい、物思いが似合う秋の日にちっくとモノ思ってみたまでである。

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「もうひと手間」

2016年09月23日 | 晴耕雨読

                     
             9月14日、タネを蒔いたタマネギの苗

秋も深まり、冬野菜の畑づくりや種まきにいそしむ頃となった。
あの暑かった夏が遠い日のことのように感じさせる、急な秋、急な涼しさの訪れ。
よそ見しがちの家庭菜園愛好家には、畑づくりや種まきなどに追い立てられるような、心落ち着かない日々。

どんなことになるのかよく分からないが、まあ一度はやってみればいいじゃないの?という軽い気持ちで。
初めてのタマネギの苗づくりに挑戦してみることにした。
昨年はあのタマネギの全国的不作の中で、我が家もご他聞に漏れず、大枚払った苗代の元がとれたのかどうか。

そんな反省もあって、今年は発奮して自前の苗づくりに手を出してみた。
種と苗床容器と苗床砂を購入。それでも2000数百円は投資した。
しかし、やってみるだけのことはあった。種まきしてからちょうど10日。
見事に芽を出したタマネギの苗は、爪楊枝にも足りない細くてひょろひょろだが、5・6cmに伸びている。

こうなると愛着がわくものだ、水やりを忘れず、日当たりを考え、どうかすると1日に2・3回起き場所を変えたり。
そうして毎日数度声をかけて応援している。確実に成長している。
まるで慣れない手つきで赤子を育てているようなおもむきがある。

大切に大切に1か月あまり見守り、作り上げた畑に苗を移植する。その時が楽しみでならない。
見よう見まねではあっても、新しいことに挑戦するこのワクワク感は、何かしら笑顔にさせる魅力を秘める。
誰もがやっていること、なのかもしれないが、それはそれで結構。自分にとって初めての試みにときめいて。

菜園の世界は奥が深い。未知の世界がいっぱいある。ホンのわずかな安らぎと実益を求めて・・・・・・。

 

 

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「あさつゆに似て」

2016年09月21日 | つれづれ噺

                   

このところの台風による大雨は、各地に大きな爪痕を残したが、一先ずは去ったようである。
我が住むここらあたりは、本当にお天道様に感謝しなければバチが当たりそうなほど、ほどよい雨が畑を潤してくれた程度である。
タネを蒔いて、ホンの可愛らしい芽が出かかった、大根・カブ・ホウレン草・ミズナなどが、一生懸命生きようと小さな双葉を伸ばしている。

そんな畑のすぐそばで、つゆ草が所せましと群生し、優しい青色のちっちゃな花を誇っている。
眺めるのには可憐な愛らしい小花ではあるが、ここまで群生すると畑まで侵略されそうで、少しご遠慮願いたくなる。
今日は刈ろうか明日まで待とうか、思案の日々であるが、ついに草刈り機の出番がやってきたような。

そこで、刈り取ってしまう前に先ずは記念の1枚をパチリ。そして、つゆ草談義をひとくさり……
つゆ草の名前の由来は今さら言うまでもなく、先刻ご承知ではありましょうが、復習のつもりでまあ一通りを。
「朝咲いたあの小さな花が昼にはしぼむ姿が、あさつゆを連想させることから「露草」と名付けられた」というのが定説である。
またその特徴的な花の形から、ほたるぐさや帽子花(ぼうしばな)、花の鮮やかな青色から青花(あおばな)などの別名もあるらしい。

いずれにしても、あまりにも大きな集団を良しとせず、地味でもいい、個を重んじる小さなかたまりもまた個性的でよいものだ。
つゆ草に限らず、何事もはびこりすぎると飽きられる。やがては疎ましくなり刈り取られる運命をたどることもある。
つゆ草の群生から、なんかしら人間臭い話になったが、実際の人の世とはえてしてそういったものなんだろう。

スイカ畑からサツマイモの根っこ、トマトやピーマンの野菜類の根元にはびこって、本来育てたい野菜を弱らせてしまうほどの繁殖力を持つつゆ草。オットリした野菜は圧倒されてしまうので、これまでも畑の中では嫌われ者として抜かれて来た。

つゆ草に罪があるわけではない。問題は時や場所、つまりTPOを考え、KY空気を読む客観性を身に付けると、あの小さな花が一段と愛おしく見えてくるのであろうが。

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「早くも紅葉??」

2016年09月18日 | 季節の移ろい・出来事

           
             今年の暑さと水不足で熱中症にやられたヒノキ

一足早い紅葉かな?などと呑気なことを考えていたら、とんでもない話であった。
窓越しに見える隣の空き地のヒノキが枯れた。
地主夫婦が苗を植えてかれこれ20年。高さ約8m、幹の直径は30cmにまで成長していた。
天辺はヒヨドリの展望台兼見張り台に、茂った枝葉はスズメの避暑地となり、他にも多くの小鳥たちのサロンになっていた。

連日の猛暑に加えて、極端に雨が少なかった今年の夏。元気盛んなヒノキの若木さえも、熱中症に侵されてしまったようだ。
苗を植えた当時は地主夫婦も元気で、時々は耕運機で雑草を取り除くなどの手入れをしていた。
そんな地主夫婦も今は亡く、後継者のいない600㎡もの土地は今や荒れ放題となっている。

これまでヒノキの成長を楽しみ、優しい緑に目の保養をさせてもらったお礼に、新たな苗木を植えて小鳥たちのサロンを取り戻そうか、
などと考えてもみるが他人様の土地では手を出すこともままならない。
とはいえこのまま放置して荒れすぎると、害獣も住み着くことになりそうだ。速やかな対策を行政にお願いする一方で、向こう三軒両隣が協力して、空き地被害を食い止める方策を講じる必要がありそうだ。

ただ、空き地に接する7軒のうち、1軒を除いては紛れもない高齢者ぞろい。自衛活動も思うに任せない。
それでも、自らの安心安全を守るためには、住民同士の協力体制を作り上げ、その上で行政との協働体制を構築するのがいいのかな、と思うのだがさて、どうしたもんじゃろーのー。

いずれにしても、熱中症は怖いものである。あの元気盛んなヒノキさえ枯らしてしまう威力を持っている。
家の内外、昼夜を問わず、適度な水分補給と、涼しさは欠かせない。峠を越した暑さだが、ゆめゆめご油断召さるなよ!

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「25年ぶりのセレモニー」

2016年09月15日 | スポーツ・観戦

                                   
              
セリーグ、チャンピオンフラッグを手に優勝セレモニー

2016年9月10日。セントラルリーグ優勝を果たした広島カープ。
その歓喜の胴上げの場所となったのは東京ドームである。
マツダスタジアムを真っ赤に染める地元に凱旋し、25年ぶりの優勝をファンに報告をするセレモニーがやっとこさ、開かれた。

今宵も超満員にふくれ上がったマツダスタジアムに巨人を迎え、5対0で勝った後の優勝セレモニー。
いやがうえにも盛り上がる。
先ずは優勝ペナントとトロフィが、緒方監督の手に渡された。

「25年間、お待たせいたしました。ファンの皆様、優勝おめでとうございます!!」
緒方監督の大きな声が球場にこだまする。改めて目頭が熱くなる瞬間を味わった。
全国どこに行っても、カープファンの声援はものすごいものがあるが、それでもやはり地元である。
一段と大きな声援と、並み居る報道陣のフラッシュを浴びながら、ゆっくりとグラウンドを1周する。

どの顔も一様に満面の笑顔。黒田・新井らベテランが後に続き、大活躍した若い選手にペナントを持たせる配慮も。
ここにも、若手とベテランがうまく融合して、勝利を収めた軌跡が覗えて頼もしい。
つぎなるはいよいよCS、クライマックスシリーズ、そして日本一をかけた日本シリーズである。
これほどぶっちぎりで優勝したカープが、日本一になるのが最もふさわしい。と、ファンなら誰でも思う。
ただ、簡単にはそうもいかないのが厳しい勝負の世界。慎重に大胆に戦って、自らの手で勝ち取って欲しいものだ。

カープ一辺倒で綴ってきた拙ブログも、地元ファンにペナントを披露し、優勝セレモニーを終えたところで一段落としたい。
正直なところ、カープの話題から離れたいと思わないこともないのだが、今日この日まで、お付き合いあれ。

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「駆けめぐる想い」

2016年09月13日 | スポーツ・観戦

  
25年ぶりの優勝に男泣きのベテラン二人     カープ栄光の原点。1975年10月15日、念願の初優勝

広島カープ25年ぶりのリーグ優勝を決めた9月10日から、3日目を迎えた今も、報道や商店街はお祭りモード一色。
それほど待ち焦がれた熱狂的なファン。これほど長く待たされたファンの喜びの結晶とでも言うのだろう。

必ずしも熱狂的とまでは行かず、どうかすると冷めた中で色んな思考をめぐらしながら、結局は熱く応援していた。
そんなヘンテコリンなファンの一人ではあった。でも負けたときは原因をつぶさに検証する熱心さも秘めていた、ややこしいファンの一人としては、色んな想いが頭を駆け巡るが、今年の場合、なんだかんだ理屈を並べることはない。
ダントツ!追随を許さない、ぶっちぎりの優勝なのだから。

長男が誕生して5日目のことだった。産後で横たわるカミさんや赤子をしり目に、カープ初優勝にうつつを抜かしたあの日。
『時あたかも1975年10月15日午後2時。今この東京後楽園球場の観客席でマッチを1本すれば、たちまち紅蓮の炎が燃え上がりそうなほど真っ赤に染まった満員のお客様の前で始まる、悲願の初優勝をかけた、広島カープと巨人の一戦をお送りします……』
今もこの耳に焼き付いて離れない、RCC中国放送ラジオ実況担当の「上野隆弘」アナウンサーのイントロ。

あのカープ球団創設以来26年目の優勝を飾ったのが、東京後楽園球場であった。
その時のカープファンの気持ちやシチュエーションが、どこか似たような気がする今回の優勝である。
あの時は、山本浩二、衣笠祥男という二大スター・二枚看板がいた。

今回の二枚看板というか、若い選手を背中で引っ張ったのが、あの優勝の瞬間、二人の大男が抱き合って感激の涙を流し合った、黒田博樹と新井貴浩ということになる。そして、巨人相手に敵地東京ドームという組み合わせも、初優勝時と重なる。

2年前。「野球生活の最後は広島のユニフォームで」とメジャーリーグから凱旋した黒田投手。ファンの誰からも大歓迎された。
同じように、阪神から戻ってきた新井選手は、気持ちの中ではどうしても許せない何かがくすぶっていた。
「何で出戻り新井が4番なの?他に選手はいないの?」という緒方監督不信に陥りかけた時期もあった。

そういった批判を覚悟の上で、黒田・新井のベテランが優勝に大きく貢献したところに、プロ野球の面白さ、スポーツの世界の醍醐味といったものを見出した。必死な、がむしゃらな姿で泥まみれになる新井選手を、いつしか「可愛い男だな~」と思えるようになった。

かくして、25年ぶり優勝の原動力になった二人の「涙の抱擁」は、これから先永遠に目に焼き付く光景であろう。

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「カープ、念願の胴上げ!!」

2016年09月11日 | スポーツ・観戦

、強い強い広島カープ。歓喜の胴上げを見た。25年ぶりのリーグ制覇。
2016年9月10日(土)2位巨人を相手に東京ドームで、横綱相撲の強さで優勝を決めた。
そんな感動や、思い入れなどなど、文章にするのは後程に、先ずは文章のない、ドキュメント写真ブログにお付き合いを!!

  
 試合経過を見守る、先発黒田投手   4回表、鈴木誠也、同点アーチ25号    続く松山、勝ち越しの10号ソロ
  
この日2本目、鈴木誠也2点HR     満を持して抑えの中崎、救援に    9回ウラ、代打片岡を空振り三振。1アウト

  
 重信を見逃し三振に、2アウト    亀井をショートゴロに打ち取る。ファースト新井がっちり受け止め、試合終了                       

 
33セーブ目を挙げ吠える中崎投手。ここで、カープの優勝決定。 マウンド付近で、歓喜のもみくちゃの選手団

  
    東京ドームを真っ赤に染めた、熱狂的カープファンの笑顔と歓声   親子で涙を流し、優勝の一瞬に歓喜

 
黒田が、新井と抱き合って感極まる号泣。    5度6度7度。宙に舞う緒方監督の胴上げ  

 
  監督に次いで黒田の胴上げ    新井も気持ちよさそうに胴上げに歓声  なかなか涙が止まらない、黒田投手


 
大活躍の鈴木誠也にも笑顔がこぼれる  緒方監督、ファンに向けて感謝の言葉  観客席とグラウンドが一体となって 

 
報道陣に優勝の感想を述べる、監督と主力選手。さーて、いよいよビールかけが    先ずは酒樽の鏡開きから

  
   ひっちゃかめっちゃかのビールかけは、1時間そこそこで4000本のビールをカラにした


 
黒田が 丸が、新井が、放送局アナに呼ばれて、インタビューに応えるのだが、次々にビールをかけれて


守りのかなめ、キャッチャー石原も笑顔。松山が女装してパフォーマンス 。黒田の言葉で、ずべて終了。お疲れ様

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「キター! 王手!!」

2016年09月09日 | スポーツ・観戦

 

ついに来た。広島カープファン待望!25年ぶりの悲願達成の瞬間が、目の前にやってきた!!
あと1勝。セリーグ優勝に文字通り「王手」をかけた。
「まだ決まったわけじゃないのに……」という声も、今この期に及んでは雑音にしか聞こえない。この余裕が嬉しい。

数字的なことを一応復習しておくと、カープが残り13試合を、仮に1勝12敗した場合、2位巨人は残り17試合を全部勝っても、カープの勝率には遠く及ばないという、確かな現実があるということ。
つまりカープが1勝するか、巨人が1つ負ければ、その時点で、カープ緒方監督の胴上げとなる。

国政選挙の夜8時、開票速報番組が始まったとたんに「当選確実」の名前が連ねられる。実際に開票は始まってもいないのに。
政局の情勢や、出口調査などによって細かく分析され、的確な判断のもとに発表される予測である。
今回のカープ優勝の確率は、そんな国政選挙の当確の比ではない。もっともっと現実味を帯びた高い優勝決定確率である。

本来なら、阪神に頑張ってもらって、せめて地元甲子園球場で、今シーズン初めての巨人に一矢報いる根性を期待した。
そこで、カープがマツダスタジアムで歓喜の優勝の瞬間を見たかった。
しかし、一度崩れたチーム状態を立て直すのは至難の業であることがよくわかる。
あのかつての名選手、金本 知憲監督をもってしてもしかり。もっとも、名選手必ず名監督に非ずともいうが。
他人事ではない。この24年間、常に後塵をかぶり、辛酸をなめ続けたカープの昨年までの姿がそこに見えるのだから。

まあ色々あるが、今年に関してはただただ優勝の美酒に酔うことだけを考えりゃそれでいい。
広島市内のホテルはいずれも満室だという。試合観戦のチケットは手に入らないが、優勝の瞬間の町の様子を見たくて、わざわざ都心周辺から広島にやって来る人が多かったのだそうな。
そういえば、カープのユニフォームを着た関西方面の多くのファンが、甲子園球場の巨人戦で、阪神に大声援を贈ったニュースもあった。

今夜のヤクルト対巨人戦も気になるところ。今日がダメなら、明日こそ自力で巨人を倒し、明々白々の胴上げを!!!

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