「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「梅雨の晴れ間の」

2014年06月29日 | つれづれ噺

  

夏至から1週間を過ごした今。
すでに沖縄は梅雨明け宣言が出され本格的な夏を迎えた。
ここ岩国は、目下梅雨のど真ん中。とはいえ、やりきれないほどの大雨もなく、今までのところ適度な雨量で推移している。
それも降ったりやんだり。そんな梅雨の晴れ間、102歳の叔母のお見舞いかたがた田舎道を走ってみた。

遠くの山並みは今にも降り出しそうな、もやがかかっていて、眼を休めるには絶好のロケーションである。手前には、しっかり根付いた稲が青々と成長している。棚田というには少しおこがましいような気もするが、山肌の急斜面には、人の手により汗と脂で築き上げられた段々畑が、秋の取り入れを予感させている。
特にこの季節には何度か通ってみたい、爽やか田舎道ではある。

先日の同好会席上で、「雨」という字の付く文字を並べる話題になった。
それも、前日に東京都心で「雹」(ひょう)が降って被害が出たという話から発展したものである。
雲 霞 雫 需 震 雪 霜 電 雰 霧 雷 零 霊 露 霸 霍 雹 霄 霆 霓 霎 霑 霏 霖 霙 霤 霪 霰 霹 霽 霾 靄 靆 靈 靂 靉

・・・ ・・・パソコンの力を借りて、ざ~っと並べただけでも35はある。
よほど暇人か、格別な興味か、それとも必要に迫られない限り、全てを掌握するのは至難の業の一つかな?
そんな中から「雹」という字を、書いたり読んだりするのは、手書きでは困難である。
その割には、雨冠(あまかんむり)のつくりの部分の字を追うことで、ある程度意味が読める。そこが何とも痛快なところでもある。
ましてや、人の知らない字を得意げに書いて解説するのは一種の快感をおぼえる。

こんな、鬱陶しくて蒸し暑い中、何でそんなややこしいことを考えるのか・・・というご意見もあると思うが・・・。
そんな時こそ、ちょっと足を延ばして、爽やか田舎道を走ってみると、濃さを増した青葉若葉が、思いがけない癒しをくれる。
そして、この段々畑が一気に崩れるほどの大雨にならないこと、雹の被害などないことを、天に祈る。

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「訂正とお詫びを・・・」

2014年06月24日 | 趣味・・エッセイ

                  
                                            梅もぎよりカタツムリが大事な悠雅君

同じように剪定をし、同じように肥やしを入れ、同じように2回以上の下刈りをして待った梅の収穫。
なんとまあ、これまで経験したことがないほどの不作。昨年の7分目ほどしか実が付いていなかった。
昨年同様気負って、幼い助っ人二人を伴って出かけたが、残念!惨憺たるありさま。
助っ人たちも早くからそっぽを向いて、カタツムリを追いかけたり、カジカガエルを求めて川に降りたり・・・。

やっぱり、何年やっても、同じように収穫を狙う作業を繰り返しても、自然の力には全く歯が立たない。
何がどうしたのか、全く心当たりなどありはしない。
花の数も例年より少しばかり少ない感じはあった。でも、途中で実生りを確かめたら、さほど貧相には見えなかった。
なのに現実は現実。例年のような青梅外交もオジャンとなってしまった。

来年こそは・・・と鬼が笑うような話をしてもね~と思いながらも、早くも気持ちは来年に向かっている。
間引き剪定を心がけ、枝の広がりを支える、杭の打ち込み場所も早くから決めておこう。

ところで、梅の季節を迎えた今、このブログ読者に、訂正とお詫びをしなければならないことに気付いた。
およそ6年前のこの時期、新たな梅干しの作り方について、いっぱしの解説をした。
このURLを参照していただけると有難い。 

http://blog.goo.ne.jp/yok1sioka/e/d5a44d533b59647dabf68c3e3ed67129

つまり、梅干しは太古の昔から塩漬けにするのが本来の姿であった。それに赤紫蘇(アカシソ)を詰めて、鮮やかな色を付けていた。
ところが、近年の料理開発で、ラッキョウ酢にによる梅干しが美味しいことが証明されたので、「我が家の保存食」として、ラッキョウ酢漬け梅干しを推奨した。
これは間違いなく絶品であることに変わりはない。子供たちがつまんで食べるほどの柔らか酸味である。

その説明に問題があった。 梅酢に漬けてから食べ始めるまでの保留期間が味の決め手となることである。
「漬けこんでから4か月もすれば美味しく頂ける・・・」この一言が問題である。
本当の美味しさ、まろやかにしかもコクのある美味しさは、4か月では無理なことであった。つまり、1年近くの保留期間が与えられれば、それはそれは美味しい新たな梅干しの誕生である。

4か月くらいで試しに食べてみたら、やたら酸っぱくて、口の中を刺すようなケドイ味が広がるではないか。
まさに熟成不足の若い厳しい味になっていた。それを通り越して、10か月から1年置いてもらったら能書き通りの味になる。
このことをいつか言っておかなければ、と思いつつここに至ったことをお許し願うしかない。

今漬けた梅を1年後に食しなさい、とは無理な注文かも知れないが、そうしていただくと味に保証ができまする。
ここに改めて、お詫びして訂正を致しまする。

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「またその時季が」

2014年06月23日 | 季節の移ろい・出来事

               

種のできないアサガオの花。昨年の根っこから新たな芽を出す、いわゆる宿根の琉球アサガオ。
今年も見事に咲く季節がやってきた。数日前、最初の一輪が咲いた。
昨日も今日も二輪ずつ咲いていた。今に、毎朝道路に落ちた花弁を掃きとるのが日課となる日がやってくる。

アサガオが咲き始める時季に合わせて、ジャガイモの収穫も終えた。もちろんタマネギも。
植えた苗の値段に負けないような、値打ち物の収穫があったのは間違いない。

この時季に咲く花は、菖蒲にしても、アジサイにしても、そしてアサガオも、どちらかというと雨がお似合いの花である。
ということは、人間からは鬱陶しがられる梅雨とのセットが似合うことになる。
NHKニュースのトップに出てくるような大雨はお断りしたい。ましてや、「崩れた土砂に列車が乗り上げて・・・」などの悲惨なニュースが放送されない穏やかな梅雨を願いたいものだ。

個人的には、めまぐるしいまでに重なった、6月20日までの諸々が片付いて、ホンの一息深呼吸。
肩の力が抜け落ちるとともに、身体全体の力も抜けて、束の間の放心状態。なんとも心地よい時間が流れている。
この瞬間が過ぎれば、またあの暑苦しい夏がやってくるように、汗と脂にまみれる時間が待っている。

何かに付けて、あまりボ~~っとした時間を持てない性分で、自分で自分を追い詰めることが多かったような今まで。
このままでは少しきついな・・・と思い始めたところに、実年齢という自然の摂理が隠されているのだろうか。
「もう歳だから・・・」という言葉だけは絶対使わない、使いたくない、と思ってきた。
そんなものは、口に出したって仕方がない。どっちにしたって1年たてば1歳増えるのだから。と思ってきた。

そんな芸当がいつまで続けられるか分からないが、自分自身が年齢に圧倒されないように、出来れば歳を忘れて、ごく普通に、今自分にできることをやってのけるまでだろう。そこに精一杯の情熱を込めて。・・・ ・・・このように思うこと自体、肩に力が入っちょるね~と言われるゆんかな~。 間もなく暑い夏が来る。

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「振り返れば100色の足跡」

2014年06月22日 | 趣味・・エッセイ

                                          
                   
                        本当は、美男美女の集まり。わざとボカしてあります。悪しからず・・・

60歳の定年退職を迎えた後に、自らが求めて足を踏み入れたグループ活動。
最も長く続いているのが、「岩国エッセイサロン」という、気ままな短編エッセイを書く仲間の集いである。
月に一度の例会が、今月で100回目という大きな節目を迎えた。

あまり器用ではないのであれこれ首を突っ込むほどではないが、他にもいくつかのグループ活動や、単独で趣味のかたわらとして取り組んでいるものもある。が、それらはいずれもこの「エッセイサロン」が根幹であったり、枝分かれしていったものもある。しかも、これ以上に長く続いているものはない。
100回目を迎えたサロンだが、私個人は12回目からの参加で、丸7年と少しになる。

石に上にも三年、とはよく聞いてきたが、100か月ということは、まさに丸8年4か月という長さであり、根気の要ることである。どのようなサークルでも、同好会の仲間でも、リーダーの存在は欠かせない。
私が、ここまで飽くこともなく根気よく続いたのも、強力なリーダーがいて、同じ方向を向いた仲間がいたことである。
回数を重ねたからと言って上手くなったのか?と聞かれれば、「ほんの少々」と答えるしかない。
それほどに遅々とした進歩ではあったが、辛抱強いリーダーと仲間に恵まれた幸せを今感じている。

100回という節目に当たって一番感じているのは、感謝という言葉である。そんな気持ちを少しまとめて、新聞に投稿したのだが、掲載に至るほどの文章力でもなかったようで、ボツとなった。
でも、今一度自分の正直な気持ちをここに記しておきたいと思う。

毎日新聞、「男の気持」 『面白きかな人生』 サロン代表へ感謝の言葉。

 『毎日新聞「はがき随筆」を中心に、月に1度開かれるエッセイ同好者の集い「岩国エッセイサロン」が、今月の例会で100回目を迎えた。
大手企業を定年退職した一人の男性が、「面白きこと」を求めてあれこれ模索するうちに目に止まったのが、各新聞社の読者投稿欄である。自らの思いをほのぼのタッチで252字にまとめるはがき随筆など、何度か投稿し掲載されるうちにその魅力にはまっていった。「岩国にも同好会を立ち上げたい」と一念発起。2006年3月に同志5人で「岩国エッセイサロン」を旗揚げし、代表に就任。会員は年々増えて、今では男女合わせて17人。平均年齢は60代後半で豊富な人生経験が定例会をにぎやかに盛り上げている。

 振り返れば8年4か月。毎日掲載されるはがき随筆を1日も欠かさず切り取り、山口県版月刊賞入賞10編と支局長や選者の評論を貼り付けて資料作成。毎月異なる視点のエッセイ上達のワンポイントも添付する念の入れよう。会員のレベルアップに多大な貢献をしてきたと思う。さらに、各新聞に掲載された作品1年分をまとめたエッセイ集「花水木」を編纂、昨年分で第8号を数えた。

まさに超人的な努力と根気そしてご苦労に対して、我々会員がどのような謝意を示すのか。「そんなものはいらんよ」。シャイな人だけにそう言われるに違いない。

彼と出会えた私の後半の人生は、華やかに彩られている。感謝。』

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「不本意なお泊り」

2014年06月21日 | 家族・孫話

                 

地元で所属する活動の月に1度の理事会を、準備万端整えて済ませたのが木曜日。蒸し暑い夜道を帰って、先ずは一風呂。
続くちょっと一杯を、今夜は控えて明日金曜日の大仕事に向けて、頭の中を整理しておこうと、自作のメモを確認しかかったところへ、娘婿から緊急電話が入った。

「女房が、頭が割れるように痛いというので、国立医療センターに駆け込みます。三男坊を預かってもらえないか」と。
えたりかしこし、孫の対応はお手の物。それよりなにより、嘔吐を伴う頭部激痛という状況に、私たち夫婦は肝を冷やした。
まだ様子が呑み込めていない三男坊は無邪気にはしゃぐ。

夜も11時を回ったころ、遊び疲れてソファーの上でいびきをかき始めた。そのころに婿殿から状況報告が入った。
兎に角安静が必要で緊急入院。全てが娘の状態に合わせた緊急対応。三男坊も木曜日の夜から三晩連続で不本意なお泊りを強いられている。
これまでは、母さんと一緒か少なくとも和兄ちゃんと一緒でないとお泊りすることはなかった。
一度は、一人でお泊りしかけたが、夜中になってお母さんが恋しくなり、連れて行ったこともある。

そんな彼にしては、思いもかけない事態で一人お泊りとなってしまった。不本意であったに違いない。
金曜日の朝、しばらくは普通通りに遊んでいたが、「おんぶして・・・」とジジに甘えてくる。普段ならなんとかかんとか断るのだが、昨夜からの事情を考えて「いいよ!」。おんぶして畑に出る耳元で「かあさん、死んでないよね」とささやく。
ドキッとする言葉であった。彼は彼なりに、訊いていいのかどうか迷ったに違いない。
でも本当は訊きたい。答えを聞くのが少し怖い。そんな思いであったろう。

あの小さな胸で、最愛のお母さんの容体をどれほど心配したのか。5歳児の重い体をおんぶする手に力が入る。
「大丈夫よ、色々検査をしたけど何もなかったし、元気でいるから心配いらんのよ」。ジジの言葉ながら嬉しかったと思う。

自ら申し出た一人お泊りではない。が、幼稚園から帰ったら手放せない「抱っこまくら」にくるまって眠るあどけない顔。
母親の緊急事態とはいえ、一つ大きな試練を乗り越えたのだと思う。
これは三男坊に限らず、中1も小6も同じように、三兄弟が一つの現実に直面したことと思う。
母親の大切さは十分知っているとは思いたいが、こういったアクシデントで改めて知る母の有難味であろう。

明日日曜日の午前中の様子を見て、異常なければ退院という朗報も彼らを喜ばせた。
ジジババも取り敢えず、胸をなでおろしている。

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「ひと回り」

2014年06月16日 | つれづれ噺

 

長年勤めた工場の、年に一度の大イベント「定年退職者の会」に参加した。
この会ばかりは、何年たっても駆け出しの域を抜け出せない。それほど先輩の顔ぶれがそろう。
右を向いても左を見ても「あの時世話になったな~」「あの頃いじめられたな~」「オッ、この人は随分若いな~」と、ひとり一人にまつわる思い出が頭の中を駆け巡る。

それでも、定年退職して丸12年。後輩も少しずつ増えて、やっとこさ中堅どころにさしかかったようではある。
ということは、自分の居場所が確保され、先輩諸氏から一定の存在感を認知された感はある。

入社して7・8年たった頃。仕事もおおよそ習得して怖いもの知らずの生意気盛り。
職場がら、工場内全域を監視の目で歩き回り、どうかすると大先輩であっても、品質アップに向けた操業上の意見の違いなどでぶつかる場面も多かった。
「この若造が、俺たち熟練の腕に文句を付けるか・・・」という居丈高にたいして「出荷出来んものを造っても仕方がない・・・」などと口角泡を飛ばした相手も、今は柔らかなお年寄りとして参加している人もある。

一方で、独身華やかりし青春の真っただ中。高校卒の初々しい女性の登用が始まりだした。
室内で分析業務をすることの多い我々の職場は、特に男子から女子に移行する対象職場となったようだ。
6人も7人も同時に配属された中には、見目麗しく情けありそうな女性がいなかったわけではない。

それはおいといて。それからしばらく毎年、新入女子社員を迎えた。もちろん男子も数人迎えた。
あるとき新入社員に干支を尋ねたところ、小生と同じ干支の新人さんがいた。
ナヌッ!こいつらオレとひとまわりも違うのか、あ~なんといつの間にか年を取ったものだ、と自分の年に愕然としたのはあの時が最初であった。ビックリしたなーもー・・・。

そして今年の定年退職の会。あのときのひと回り違いで初々しかったお嬢さん方が、それなりの年輪を重ねて新入会員として総会の一角を陣取っていた。またひとつ「青春は遠くなりにけり」の反面、「オーかつての初々しい面々に囲まれて、また青春を取り戻せたような・・・」そんな淡い錯覚に浸る一日を過ごした。
もちろん、「元気じゃったかい」などと声をかけながら、彼女らの席を「ひとまわり」することを忘れてはいない。

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「あれから1年 Ⅱ」

2014年06月11日 | 家族・孫話

 
         あれから1年、満1歳の誕生日を迎えた、初姫孫の「希(のぞみ)」さん

もう一つのあれから1年。
倅の第一子誕生は、帝王切開という一種の難産であった。嫁さんがよくがんばった。
・・・ ・・・というほどのことではないのかもしれないが、お産をしない男にとっては、通常分娩以外は異常分娩、すなわち、難産という言葉に結びつく。

ちょうど1年前の今日6月11日。
逆子が治まらないまま出産予定日を迎えたため、親せきでもあまり例を見ない帝王切開での、直系初孫の誕生となった。
「案ずるより産むがやすし」の言葉を地でいくように、周囲の心配をよそに、無事元気な赤ちゃんを産んでくれた。

お宮参りや初節句など順調にクリアー。病気らしい病気もなく、今日丸1年の6月11日を迎えた。
たっぷりの母乳で順調に生育。手も足もくびれている。
可愛らしい女の子の服を着させてもらっても、どうかすると「男の子?」と聞かれそうなので、髪にリボンを付けて、女の子をアピールしているのだと、嫁が笑う。 端で見ていると、まるで嫁さんのペットのようである。

ジジとてもそんな気持ちは全く同じ。少々ご機嫌斜めでも、ジジとお風呂に入るときは嬉々とした笑顔に変わる希さん。
一大スポンサーの心証を悪くしないすべも心得ているかの如き振る舞い。
目が合えば、必死に這い寄ってきて抱っこをせがむ姿に、笑顔がこぼれぬわけがない。

同級生の初孫が横浜にいるという。「幼稚園のお遊戯会を見に行くのに、新幹線を使ってホテルに2泊。夫婦二人で10数万よ~、高いお遊戯会や運動会だ・・・」と笑っていた。
幸い倅たちは広島県在住。彼らほどの経費は掛からないが、時間は丸々一日仕事か二日がかりになりそう。
ああしてみると、近くに住んでいる娘方の孫には感謝せんといけんのかも。但し厄介も半端ではないが・・・。

当面1歳の誕生日は無事に迎えた。これからも、順調な日々であることを祈るばかりである。
今日は、お父さんの勤務の都合で里帰りはなく、親子三人水入らずの誕生祝いの写メを送ってきた。
今週末には、手作りの一升餅をかつがせて誕生日を祝う。また物入りが増えた。

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「あれから1年」

2014年06月07日 | 家族・孫話

 
   大きな口をあけ、身振りもまじえて大声で(中央)       口を真一文字に、堂々と椅子に座った1年前

年少さんから年中さんへ。さくら組からパンダ組に進級した、孫三男坊の悠雅君。
昨年のこの時期と同様、小さな音楽会が幼稚園の講堂で繰り広げられた。
自信満々にこやかな笑顔と、大きな声で歌いながら、観客席後方から入場しステージに上がる。

身振り手振りも華やかに、声は人一倍甲高い大きな声で歌う。安心して見ていられる。
カメラのシャッターを押す指にも力が入ろうというもの。

振り返ると、丸1年前の6月1日。悠雅君にとって、初めて体験する幼稚園という集団生活。その中で初めての音楽会というステージ体験。気おくれがあったのだろうか。
音楽会前夜、急に足首が痛くなった。当日朝も足首が痛くて歩けないという。
お腹や頭が痛くなるのはよく聞く話であるが、足首が痛いとはねー。半信半疑で母親がおんぶして幼稚園へ。
兎に角「足が痛い」の一点張り。ステージでは椅子に座ったまま、口は真一文字。ひと声も発しない。
ありゃいったいなんだったのだろう。

三男坊として生まれて1年間は育児休暇の母親とべったり。1歳の誕生日を迎えるや、母親の勤める職場の保育施設へ。
そこは少ない人数で、思うが儘に遊ばせてもらう、割と自由な施設で2年間。
そうして4歳になって、人数も多い、カリキュラムもしっかりした幼稚園生活。それが馴染めなかった・・・とは思わない。
が、虫のいどころが悪かったのか、へそが横に曲がったのか。椅子に座ったまま。それも堂々としている。

その後、得意のアウトドアーで園長先生とサッカーしたり、運動会は何をやらせてもダントツ。
そして迎えた今日2回目の音楽会。頭の飾り鉢巻もピンクから黄色に変わった。
講堂中に響き渡る大きな声で歌う。身振りも先生に教わった通り、ちゃんとこなす5歳児である。

あの1年前がなんだったのか分からないが、今は自信復活。何をやらせても人後に落ちない。
彼らにとって1年の成長の大きさは、計り知れないものがあるようだ。
これからも気長に、彼らのペースに寄り添って、応援団長を続けて行くことになりそうである。

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「おもてなし」

2014年06月06日 | つれづれ噺

               

満開の桜の時期に、少人数での飲み会が約束されていた。
ところが、メンバーの一人が急に腰椎圧迫骨折となって、ゆっくり座って飲むのは無理だという話になった。
仕方なくその時は「治ったら快気祝いをやろう・・・」ということで、一人少ないメンバーで花見の宴を持った。

幸いなことにその人がこのところ少し塩梅がいいから・・・と。
改めて少人数の気の置けない仲間で快気祝いの美酒に酔うことになり、刺身のうまい小料理屋の座敷を予約した。

予約の時には、意外にも小生の配慮不足で、「掘りごたつ式の足を投げ出せる部屋」と念を押すのを忘れた。
いよいよ明日という日になって、メンバーの年齢や、病み上がりの人に思いがいたり「しもうた!」と気が付いた。
兎に角お店に電話して、「掘りごたつ式の部屋を確保」しなければ、世話役の面目がつぶれる。

「先日予約をお願いした〇〇ですが・・・」。間髪を入れず「◇◇会社OBの〇〇さんですね、毎度!」。と名前も会社名も思い出してくれた。というか、予約メモにそのように書かれていたのかもしれない。
実はしかじかで、このような部屋をお願いしたい、と言い終わると同時に「〇〇さん、お任せください。ご希望の部屋に取り換えておきましょう」という心強い返事が返ってきた。

なにっ!普通の部屋がとってあったのを、わざわざ掘りごたつの部屋に取り換えてくれるのか・・・と思わせる店長の言葉。
お客であるこちらが思わず「有難い、面目を施した」と思ってしまうような話術である。
本当は最初っから、掘りごたつの部屋がとってあったのかもしれない。そうでなかったのかもしれない。
いずれにしても、歯切れのいい言葉でこちらの言い分を聞いてくれたような好印象をお客に与える。

これぞ「お・も・て・な・し」の心意気なのだと、今さらながら商売人の舌先三寸に舌を巻く。
悪いことをしたわけではなく、おべんちゃらを言ったわけでもないのに、相手を喜ばすこの巧まない話術。
取り入れたいものである。まだまだこれから先、人と接する機会の多さを考えると、ちょっとした配慮と気の利いた言葉づかいで相手を喜ばせるテクニックが身に付くはずである。 オットット、テクニックではないのだ。テクニックは相手の心にまでは届かない。誠意をもって発する言葉、これこそが相手を納得させるのであろう。

お店に行く前から、すでにおもてなしを受けた気分になって、気持ちよく、美味しいお酒が飲めそうである。

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「6月は・・・」

2014年06月03日 | 季節の移ろい・出来事

                          

6月の声を聞いたとたんに梅雨入り宣言の山口県。
これから梅雨の湿っぽさを乗り越え、真夏の暑さを迎え討ち・・・。
まさに雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さにも負けないで、丈夫な体を保ちながら11月までの半年間、色々時間に追われる日々となりそうな予感。

苦しいこともあろう。しかし逃げ出せはしない。逃げ出そうとも思わない。
それは、自分で乗っかった船であり、楽しみという裏打ちがあるのだから。それにやると決めたからには、思いっきり楽しめる方向で、楽しめるネタを探しながら進む方が、疲れも少なくてすむというもの。

・・・ ・・・などと考えること自体、プレッシャーを感じているではないか、というご意見もあろう。
もちろん、プレッシャーを感じている。感じていればこそ、ワクワク感もついて回る。そこにこそ本物の楽しさがついて回るということ。
なんのプレッシャーも抵抗も不安も感じない楽しみなど、ホントウの楽しみと言えるのかどうか。

いつもながら思う。頭が下がる友の存在を。
時には頭を下げて、というか実際に頭を下げないまでも、気持ちの上で頭を下げて相談を持ちかける。
こちらの意向を半分伝える程度で、おおよそを飲み込んでもらえる。
時には意見の衝突も対立もある。そりゃ人間同士だもの。

それでも、議論を通り越してしまえば、やることなすこと全てに頭の下がる結果を残して目の前に出される。見せられた方は舌を巻く。
そこで「頭を下げる」と、「頭が下がる」について今一度考えてみる。同じようであってまさしく大きく違うことを。

ともすれば頭を下げることはよくあるが、頭が下がる・・・とはなかなか言ってもらえないこの身。
ガンガン照りの太陽に脳みそをやられる前に、梅雨空の雨に多少の涼しさを感じながら「・・・を下げる」と「・・・が下がる」について、しっかり考えてみよう。
何故かしら、個人的にはすでに今年の後半に入って行くような錯覚をもっている6月ではある。

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