何かと動きの多かった4月がつごもりを迎えたことで、また一つ時の流れの速さを思い知らされている。
何かと動きの多かった4月がつごもりを迎えたことで、また一つ時の流れの速さを思い知らされている。
GWの今日はお父さんと中3の孫君二人だけの釣り行。季節的に、ブリ、ハマチなどの大物ではなく、タイやメバル、キスなど、帰ってきたらすぐ口に入れられる小物狙いだという。
1年の中でも、私的にイチオシの季節と感じているのが、花水木の咲くころである。同じ季節の表現でも、もうちょっと昭和風に表現するなら「青葉若葉萌え出る季節」というところか。春が往き初夏が来るそんないっときの季節表現とでも言おうか。
まあどっちにしても大きな違いはないが、中学3年生の青春は短い。青春と言う表現に問題があるとするなら、クラブ活動の中心選手として活躍する選手生命が短いという方が正しいのかも。
レギュラー選手となった3年生の1学期から遅くとも夏休み半ばまでに、中学校部活は終わる。そこからは高校お受験生となる。
と言うことは、1学期の今行われている、中学校部活としての県体予選や部活以外の地区のクラブチームとしての全国大会出場を賭けた県大会予選など、公式試合が目白押し。野球少年の孫君とその家族も応援に追われるが、追っかけ爺もそれこそ大忙しである。
こちらの条件を満たすためには、普通車では購入代金が膨らむ。かといって安全性能は維持したものに。結局落ち着いたのがスズキのスペーシアカスタム。思いのほか新車代金を弾んでしまった。そんなこんなであっという間に1年過ぎた。今日1年目の点検とオイル交換などをしてきた。
また明日から、他人に迷惑かけないよう、今しばらくオーナードライバーでいたい。心身共に健康に。
不肖わたくしめは、タイトルの通り ❝いい加減にして!❞ と叫びたい。
世の中のリーダーと名のつく人たちの、果てしもない上にショーもない権力欲・曲がりくねった名誉欲・人の命の尊厳などハナから眼中にないような自己主張。
明日は久々のいいお天気。絶好のG・ゴルフ大会日和。仲間とつるんでお弁当食べて遊んで来ようっと。早く寝るに限る日もあるね~。
背中より大きい、重いランドセルを背負って、笑顔や半ベソの学校生活を始めたピッカピカの1年生。
あれから2週間がたった。我が家の孫さんも含めて、どんな成長を見せているのだろうか。
ランドセルから必要品を取り出し、先生の説明の通り、机の上や引き出しにちゃんと整理出来ているだろうか。必要品を取り出したランドセルは、後ろの棚に自分の手で納められているだろうか。
登校時のルールには慣れたろうか、通学路のややこしい箇所や、危険個所は頭に入ったろうか。
我が家の孫さんは遠距離通学のため、路線バスを利用する。これはこれで色んな制約や危険も伴う。但し、5年生になったお姉ちゃんがいてくれる。これは有難いことである。本人はもちろん安心して通えるし、親も安心して送り出せる。そしてもう一つ、5年生になったお姉ちゃんにとっても、後輩と接するいい学習材料になっているのだと思う。姉妹の小競り合いなどしている場合ではない、ということを一つ勉強してくれると有難い。
私たちの地区には、二つの小学校一つの中学校、それぞれに学校運営協議会という、校長先生をはじめ多くの先生と、地区の代表的な数人が協議会を作って、常に学校支援の方法を考え、1年生対象の昔遊びや、読み聞かせなど、色んな活動をしている。それとともに、地区社会福祉協議会が「竹細工教室」「しめ飾り教室」などを計画実践している。
地域の高齢者パワーの活用や、様々な余力を十分に活用する地盤が整っているのかな。そんな地域の余力によて、ピッカピカの1年生が、それとなく学校という生活に馴染んでくれたらいいね。
方向性だ決定される今日と言う日は、今年の初めから「予定通りにいけば」という条件付きながらほぼ決まっていた。
4月22日の今日、予約通り、元国立病院改め国立病院機構岩国医療センター泌尿器科化に出向く。先ずは全身麻酔による長時間の手術に耐えられる身体かどうか、各部位の検査の一環である心エコー検査。特に問題なし。
次にがん発生の前立腺の大きさ、輪郭を検査するという。手慣れた看護師さんは、こうしてああしてこのようにしますからここに横になって、と言われるまま横になると「お尻に注射させてください」と。痛~~い皮下注射を一本。次の検査はもっともっと痛かった。
尿道に麻酔薬を流し込んで5分待ち。「では始めましょう」の医師の掛け声が聞こえたとたんに、仰向けに転がされた宙ぶらりんの両足が、思わずぴくんぴくんと跳ね上がりそうになるのを必死にこらえて、ひたすらがまん。「けっこう大きいね」、エッ何の話??と思ったら「前立腺が大きくて広がっていますが、手術は出来るでしょう」との判定が出た。これで大方の前検査が終わったみたい。いよいよ手術日程の話。こうなったらもうしゃーない。まな板の上の鯉ゃ、好きにして~ とは喚かないが5月末の手術日程がきまった。
先ずは元気に戻ってきて、さらに元気になって、もう少しあれこれやりたいこともある。本格的な終活とやらも試みておきたい。
今日の内視鏡による尿管奥の検査の痛さや、術後の病棟での過ごし方など詳細を聞かされと、少しブルーな気持ちにさせられる。ま、40日先の話だ。ぼちぼち行こう。「健康イチバン!!」。気持はこれしかない。
萌え出る新緑の色を増すための優しい春雨。春に三日の晴れ無しと言われる通り、新芽を吹く草木に寄り添うように降っている。成長する春ジャガの花芽に雨粒が宝石のように光っていた。そんな春ならではのひとコマをお見せしたかったのに、もっと大画面にしなけりゃ繊細な雨粒は見えないね。残念!
萌え出る新緑を助ける春雨が一方では、楽しみにしたプロ野球を中止に追い込んだり、孫君の企業冠野球大会も中止になり、予選リーグを勝ち抜いた4チーム全部が優勝という、へんてこりんな結果を招いたりする。今日は普段より早めに起きて、遠くの球場に出かけ、孫君の雄姿を追いかける追っかけ爺のはずであった。雨には勝てない。こちらも残念!!
芽を出せ、萌えあがれと応援してくれる春雨を尻目に、今年はタケノコが出ない。なんでや、と思って近くの竹やぶを歩いてみるがこの目に止まらない。多い年は少し藪を歩けばあちこちで躓きそうなほどなのに。竹やぶと言えば、いつもいつもお世話になる同級生がいる。この季節は何度か声を掛けられてタケノコを掘り、大きな釜で茹でる、それを大量にもらって帰る。娘やご近所さんにもお裾分け。タケノコ外交をしたものだ。
タケノコはイノシシ君にとっても大切な春の食料であり、今年生まれたウリ坊を育てる栄養源のはずである。それが今年は極端に少ない。土の中にあって芽を出さないタケノコを臭いで見つけ出し、掘り上げて食ってしまう。イノシシに付かれた藪では、人間さまに一本も食わせないほど、地面に出る前に全部食ってしまう。イノシシ君にとっても厳しい春を迎えている。だからと言って、また人間の領域にむやみに入り込まないでね。
すぐ近くに住んでいた私のすぐ上の姉の三回忌法要を無事に執り行った。
若くして都会に出て色んな仕事をする中で、良縁に恵まれ結婚もした。しかし、結果的に破局となりその後長いおひとりさま生活が続いていた。故郷に戻ってからも気が向くままの優雅な生活であったが、身寄りといえば私と妹、姪っ子などで、葬送などを仕切る親族には恵まれなかった。
2年前の急逝のときにも触れたが、文字通りの眠るがごとき往生で、周囲に何の迷惑も負担もかけない、まさしく一人で生きて、周囲の多くの人に見守られ可愛がられた挙句は、たった一人で静かに旅立った。最後の最後までおひとりさまを通した一生であったのかもしれない。そんなことを思いつつ、葬儀告別式、四十九日法要、納骨、新盆供養、一周忌そして三回忌法要という一連を、喪主という形で無事に済ませて、大いに肩の荷を下ろした一日でもある。
若くして創価学会の信者となっていたため、学会の法式にのっとって全てを進めた。お陰で、という言い方が正しいかどうかは別としても、すべてが一連のルールとマニュアル通りに進行されるので、にわか喪主にとっては有難い葬送儀式の一式であった。何はともあれ三回忌法要を済ませられたことは姉にとっても私たちにとっても一つ安堵を頂くことになる。
今回携わった姉の見送り一連の中でつくづく思うのは、人の一生はまさに千人千通り、万人には万通りの生き方があるのだと改めて感じたことである。そしてどれが正解かなどというケチな話ではないということ。つまり、人の一生において不正解などというものはない。それを判定する役割を持つものもいない。ただ一つあるとすれば、その一生を生きた本人だけが良し悪しを決めること。つまりは万人すべからく幸福な一生だったといえることだと思う。言葉足らずをお叱りあるな。死生に関する個人の感情天井なし。
名もない公園の白い藤棚
早春に始まって中秋までの半年間、143試合を戦うNPB日本プロ野球。
昨日現在で16試合を戦った愛しの広島カープさん。ロケットスタートとはならなかった。
あの昨年最下位の中日に3試合連続無失点という記録的な大敗や、あの巨人に3連敗と、序盤から2カードの3連敗が響いて大きく負け越している。
あ~それなのに、そんな今の成績をがっかりしたり、今シーズンの行方を悲観するなどという気持ちに全くならない。なんでじゃろう。指揮官の、長丁場を見通した確かな意図が見えるからである。選手に対して試合への出場権は横一線。出来る限り多くの選手にチャンスを与え、その中で調子のいい選手を使う。とっかえひっかえして使うことでどの選手も燃えに燃えている。当然、いまは調子が良くない選手も「いつかスタメンを」と意欲を掻き立てる選手起用が、どの選手にも浸透しつつある、タネ蒔き指揮官の様相が見えるからである。
しかも一瞬のチャンスを確実にモノにする選手の特性を生かした選手起用。走攻守の三拍子が必ず揃ってはいなくても、足の速さ、闘争心を秘めた投手、粘っこくしつこいバッター、そういった個性を尊重した野球をして、相手に嫌がられる野球理論を展開する指揮官に引っ張られるチームは面白いし、夏場の戦いにも期待が持てる。貧乏球団なのだから、高額な外国選手はなかなか連れてこられない。やっとこさアメリカ在住のスカウトの努力で連れて来た外国人選手二人とも、故障離脱で四番打者候補不在のまま、純血オーダーで負けが込む中でも期待の膨らむ野球を追及している目下の広島カープ。今に見ておれ・・・となる日を待ちながら。
この春孫兄弟が同時に社会人として世間に出て行った。色んな上司、色んな仲間と色んな日々を送る中で、しっかりと自分と向き合う心構えや、自分の個性をゆるやかに発揮して、全員野球を目指すカープの一員に似たに活躍、下積みの大切さを体験欲しいものである。