早かったような、ゆっくりだったような、とっても悲しく声も出ない日が続いたような、そして少し柔らかな笑顔がもどってきたような、複雑な一年であった。というのが、単的な正直な感想である。
何を語っても何を思い出しても、あの日を、あの3月11日を境に、思考回路はつながらなくなり、しゃべることさえ大きな声は憚られるような日々を過ごした。
遠く離れたこの地で、震災には直接被害もありはしないのに、気持ちの落ち込みはこれまで感じたことのない大きさであったことを改めて思っている。
だからこそ、一瞬にして全てを失われた被災者のお気持ちや如何に、と考え続けた一年であったと思う。
その一方で、相も変わらず二足も三足ものわらじを履いたような忙しさに追われ、気持ちの奥底にある悲しさや空しさを乗り越えて、充実した後半を過ごした感覚はある。
趣味の世界であったり、ボランティアの会であったりその内容は幅広い。そしてそれぞれに全力投球であったような。
なんだかんだ言いながら行きつくところ、孫と言う宝物が次々に繰り出す笑いの元をしっかり受け止め、自然に頬緩む和やかさを身体いっぱいに感じていられたことは有り難かった。どれほどのエネルギーになったことか。
この冬休み、5年と3年の兄ちゃん二人は、4泊5日という長丁場、大山でのスキー合宿に出かけた。最初は遊びのスキー教室くらいに思っていたらとんでもない話。
高校・中学も含めた中級以上の強化合宿だという。とたんにジジの心配は倍に膨らむ。
無事に帰ってくることを祈る思い。
当人たちはケロッとした顔で何事もなかったように帰ってきた。「面白かったよ」口をそろえる頼もしさ。心配したジジの立場がない。
一番印象に残ったこと「猛スピードでゲートをかいくぐる気持ちよさ」と兄ちゃん。さすが生真面目な本格的アスリートの卵か?次男カー君は「大山の高いところから真っ青い海が見えた、きれいじゃった、あれは忘れられん」やはりそうか。なんとなく納得の答えが。
そして三男坊は、お風呂に入ると湯気を見て「鬼が出てくるかね」という。お神楽のステージで、鬼が出てくるときには煙がもくもくとわく。相変わらずお神楽が頭から離れない悠雅君。こんな3人に囲まれ今年は暮れた。
さて来年、大きく変わることもない一年かもしれない。
それでも精一杯あれこれやって、やっぱり面白い一年であったと振りかえりたいものだ。