「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「葉月つごもり」

2021年08月31日 | 季節の移ろい・出来事

                                 
                                     朝顔の 藍の時間に 刻合わす  ”    五六歩

嘆き節を口ずさむような猛暑・酷暑に始まった8月。途中から、命を脅かせる猛烈な雨が連日続いた。
それでなくても、コロナ感染は拡大の一途をたどり、医療は崩壊寸前、入院診療不足等々、気持ちは沈むことばかり。朗や明を求めて立ち上がろうとしても、目に見えない抵抗に悩まされたり、手応えのなさに途方に暮れたり。そんな8月が往こうとしている。思えば、長く息苦しい夏であったような。

季節を色で表すなら「白」といわれる秋。今年はどんな秋になるのだろう。確たる根拠のないまま季節の移ろいによる変化に淡い期待をしてみたくなる。
そんな秋の訪れを先取りしたわけでもないが、この夏は文庫本にホンのちょっとだけ親しんだ。飛行機事故による突然の死から40年という節目を迎えた、向田邦子作品を今一度ひもといてみたくなった。

その中で言い得て妙と思わせる、こんな一節に出くわした。
『偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・新しもの好き・体裁屋・嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ・・・・・・。きりがないからやめますが、貴男はまことに男の中の男であります。私はそこに惚れているのです。』と。

随分並べられたものである。小癪な!と舌打ちする前に、「ウ~~ン図星!アタシのこと、よく見てますね~」素直に脱帽!!せめてもの反論は唯一「風呂好き」だよ~ん。くらいのもんだ。さていったい貴男は、この中で「そりゃぁアタシにゃ関係ね~よ!」と言い切れる言葉がいくつあるでしょう。

これだから向田作品は面白い。しばらくは買い置きで間に合いそうだが、邦子さんの妹向田和子著なる「向田邦子の恋文」は手に入れたい一冊である。

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「智辯が勝って智辯が・・・」

2021年08月29日 | スポーツ・観戦

数えて 103回目となる「全国高等学校野球選手権大会」は、開催か、2年続きの中止か、 議論の分かれる中で今年は開会に踏み切った。
全国3603校が、普段の練習の成果をぶつけ合う県大会予選を戦い、その最後の優勝一校を決める決勝戦が今日甲子園球場で行われた。
試合開始前からテレビ前の我が指定席に陣取り、珍しく必死になって両校を応援した。というのも、関西勢同士しかも兄弟校でもある智弁和歌山高校と、智辯学園の戦い。どちらにも全くしがらみも何もない、フラットな感覚で観戦できるのが実に気楽であった。                 

    
両チームともに白のユニフォーム、胸に赤い大きな「智辯」の文字。赤のアンダーシャツ、赤いストッキング白いスパイク。帽子も同じ白に、アルファベットCの字を横に長くした、あの広島カープと同じCを付けている。何となく親しみの湧く徽章ではある。
智辯が投げる、智辯が打つ。智辯が走ると、智辯が守る。智辯が得点すれば智辯が追いかける。どちらの智辯も智辯らしい野球を見せてくれる。     
    
   
それでも勝負事は非情である。智辯が笑えば智辯が涙する。智辯が抱き合って喜べば、智辯が泣き崩れる。そんな結末を迎える。
そうしてこうして最後に深紅の優勝旗を手にしたのは、智辯和歌山であり奈良県の智辯学園は捲土重来を期する結果となった。
それにしても、奈良と和歌山にある兄弟校が、高校野球の聖地甲子園球場で優勝を争うとは、珍しくもあり興味を引く対戦でもあった。

それと今ひとつ、今年の特徴とも言うべき点は、関西勢の勢いと頑張りであった。
ベスト4に残ったチームは、なんと甲子園のある兵庫県を囲むように、滋賀県、京都府、奈良県、和歌山県という珍しい現実であった。
近江高校・京都国際・智辯・智辯。いずれも卓越した指導者に率いられるチームである。やがて甲子園ボーイを目指す世の少年たちにも、良き指導者との巡り合いがあることを願いたいものである。

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「行く道かも」

2021年08月27日 | つれづれ噺

            
                  イメージ写真

午後1時半、雲の多い空から時折覗く太陽が暑い。熱中症に注意だね~と思いながら庭に出たところ、
この暑さに帽子も被らず、ステッキも持たない高齢男性が家の前を通りかかった。かつては国会議員から市会議員に至るまで、選挙という選挙では必ずやって来て「〇〇党の△△さんを是非お願いします」と、それはそれは熱心に組織選挙の応援を依頼されたこともある人で、顔なじみである。実年齢は知らないがおおよそ同年配であろうと思っている。

「暑いですね~」声を掛けながら近づくと、何かしら落ち着かない様子、おまけに眼が泳いでいる。普段は奥さんと二人連れが多く、独りの行動はあまり見たことがない。ピンと感じるものがあった。そういえば彼の奥さんから、それらしい愚痴を聞かされたことがあったのを思いだした。

「今日はどちらへお出かけ?」「友達のところへ行こうと思う」「友達はどこにおられるの?」「すぐそこの団地」「家はわかるの、一緒に行こうか?」そんな会話の後、いきなり話題が変わった。

「私はここに2千円持っとるので預かっといて下さい」と、ポッケから千円札を間違いなく2枚取り出して「頼みます」と。お金の預かりは丁重にお断りして、このまま行かせては危険極まりない。「奥さんはどこにおられるの?」「ありゃ仕事」素っ気ない返事。奥さんは仕事をとっくに辞められている。こりゃ益々独りにはさせられんと、段々こちらの動悸が激しくなる。カミサンを呼んでうまいこと話をさせて「家に帰りましょう」と家まで送らせ、奥さんに渡した。「ちょっと叱ったから機嫌をそこねたんよ」と割と淡泊に。何はともあれ、何事もなく一件落着。

たまたま庭に出たタイミングで彼が通りかかったからいいようなものの、1分もずれていたら彼のお友だちの家探しは果てしなく続いたのではなかろうか。やがて防災スピーカーから「行方不明のお尋ね」などと放送されることになっていたかも。

そこで思うのは、明日は我が身とならない保証はない。こればかりは本人は気を付けているつもりでも、病気が正気を失わせるという始末の悪さ。付ける薬もないようだ。何か歯止めになる要素を見つけたいな、なんて今は真面目に考えるのだが。止めた止めた、そんな先のこと思ってみるだけ先細りだ。
ケーセラセラ~と言う言葉が一時流行ったよね~。

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「晩夏の大汗!」

2021年08月26日 | 晴耕雨読

7月下旬から8月上旬のあのやり切れないガンガン暑さには、生きる気力さえ失せそうであった。なのに、畑作物にとっては貴重な太陽の恵みとなったようで、我が家の小さなスイカ畑も大賑わい。ひと夏の喉を潤すには十分な収穫であった。但し、その後がいけなかった。雨雨雨、いつ降りやむのだろうか予想がつかないほど連日連夜の雨続き。ちょっと畑に出て夏草を取る暇さえ与えないほど降り続いた。スイカの弦はいつしか夏草に埋没し絶滅。畑は生い茂る草で覆いつくされた。

  
              ビフォー                   アフター
  

吹く風に秋の気配を感じる夕暮れ時、「今やっておかなければ」と仕方なし昨日今日二日続きで、晩夏の汗を流した。
草さえ取ればすぐにでも秋冬用の野菜が植えられる。誰がやるの?あたししかおらんじゃろう。いつやるの?今でしょ。自問自答しながら三種類の鍬を振って、見事に畑をよみがえらせた。

シャワー浴びて体重計に載ったら、700グラム減っていた。ということは、昨日も同じかそれ以上の汗をかいたので、思いのほかダイエット効果が?? 別にダイエットが必要なほどの体型でもないが、体重が減ると言うのは気分いいものだ。などと喜んでいると肝心要のお腰が悲鳴を上げている。立っても座っても少しの違和感を覚えながら、上手に付き合うしかない。ひとつ何かをやればひとつ何かが付いてくる。これもまた浮世の真理ではある。

でもまあこの気力と、そこそこの体力を維持しようと思えば、汗と腰の痛さには耐えないとね。まだまだ70代なのだ。野菜を作って、孫君や孫ちゃんの親を喜ばせるのだ。いつまで続くやら。

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「哀愁のコロナ禍!」

2021年08月25日 | スポーツ・観戦

           
昨日開会式を終えたパラリンピックは、早速手に汗握る熱戦を繰り広げている。一方甲子園球場では最後のベスト8進出に向けた高校野球の熾烈な闘いが繰り広げられている。しかし、これほどの大きな大会でありながら、どちらにも立ち込める暗雲を乗り越えたことで、今こうして歓喜の熱戦を展開出来るという過去を持っている。

パラリンピックは開催が1年延長された。オリンピックもそうであるが、開催日時に焦点を合わせて仕上げの調整をしてきたアスリートにとって、1年間先延ばしになることで、再調整にどれほどの努力を必要としたか計り知れない。高校野球に至っては、昨年は地方大会はじめ、夏の全国高等学校野球大会そのものが中止に追い込まれた。全国の高校球児に与えた失望感と悲哀は計り知れない。それもこれも全てが「コロナ感染症対策」いわゆるコロナ禍が諸悪の根源である。

そんな1年を経てオリンピック・パラリンピックは開催されたが、昨年3年生を迎えた高校球児にとっては、取り返しの付かない、泣いても泣ききれないコロナショックであったに違いない。こればかりは補いの付けようがないのが気の毒である。と思い返していたら・・・・・・。

ついに我が小6の孫君にも、似たような泣くに泣けない事態が訪れてしまった。
本来は5年生以上で編成される少年ソフトボール選抜チーム「灘オールスターズ」に、監督推薦で特別練習生として4年生から入れてもらい鍛え上げられた彼。6年生になった今年から背番号10をもらい、キャプテンとなって汗水流して練習してきた。この28・29日に島根県である中国大会はじめ、県内地区大会ほかいくつかの公式大会が組まれていた。

ここ数日のコロナ感染者数の増加によって、それらの公式大会の全てが中止となってしまった。特に直近の中国大会は相手が広島県のチームでもあり、相当な意気込みで練習に打ち込んでいた。野球シーズンとしては残りわずかな小学生活を謳歌するはずであった。まさに「哀愁のコロナ禍」。如何せん逆らえない事象で、ただただ涙を飲むしかない。口も利きたくなくなるほどのショックを受けている。もちろん、島根県であろうがどこであろうが、応援に駆けつけるつもりでいたジジにとっても、憤懣やるかたないコロナ禍である。こんなことにならないよう、ワクチン接種はもとより、人一倍感染対策に気を付けてきた者にも襲いかかるコロナ悲哀である。

医療体制逼迫とか、自宅療養とか、コロナに犯された後の心配をする前に、なんとしてもコロナに罹らない個人の自粛行動を心掛けたいものである。無責任な「私ひとりくらい・・・」などといった甘えた行動やいい加減な行動が、善良な小市民に迷惑をかけることになる。そこんところを解って欲しいね~。
さて明日から、孫君をどうやって慰めてやれるのか、今一度野球への情熱をかき立たせるのか、ジジの出番かもしれないねー。役に立つといいのだが。

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「TOKYO2020パラリンピック開幕」

2021年08月24日 | ビッグニュース

TOKYO2020オリンピックに続いて、TOKYO2020パラリンピックが開幕した。
その開会式の艶やかさ、賑やかさ、誇らしげな笑顔。障がいを持つ人の集団などではない。まさに世界の人々を笑顔でつなぐ健康的で明るい雰囲気に圧倒されそうであった。

開会式の模様を、テレビ画面を通した絵で開会式を追ってみた。そして我が生涯2回目のTOKYO開催のパラリンピックを記録として残しておきたいと思う次第。

  

  

  

   

  

いつも思うのだが、不自由な肉体を不自由とも思わせず、自らの選んだ競技に向かって、ありとあらゆる能力を使って世界の檜舞台に立つ。そして狙うは金メダル。この執念にも似たエネルギーはどうしたら生まれて来るのであろう。我々というか、私などには遠く及びもつかない、強力な信念に基づいたものであろうと想像するばかりである。兎に角、胸を震わせて応援したくなるパラリンピックではある。

オリンピックの世界で、言葉にならない努力の結果金メダルを手にする人に対しても、ものすごいことをやってのける人だと感動の拍手を贈る。尊敬もする。パラリンピックにはまたひと味違った大きな感動をもらい、拍手を贈りたくなる。その裏で、自らの怠け心を叱る自分がいることに気付かされる。
明日からの12日間、折に触れ時に触れて、色んな種目の応援をしたい。ガンバレニッポン!ガンバレパラアスリート!!

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「秋 その気配」

2021年08月23日 | 季節の移ろい・出来事

        
                    花はまだ十分に見られるが                              茂りの内側には黄色い葉が目立つ 
                                      
                                                               舞い落ちる病葉

そこここに小さい秋の気配を感じるころとなった。それもそのはず立秋から数えて14日目。二十四節季の一つ「処暑」である。文字通り、暑さが少し和らぎ夏が徐々に遠のいていくころ。というのが通り相場なのだが、今日の暑さのぶり返しはどうだ。再びタオルが離せない陽射しが戻ってきた。この陽ざしこの暑さが、外出したがる人を少しでも家庭に押しとどめて、人の流れを抑え、コロナの蔓延防止につながればいいのに。

初咲きの一輪を見せたのが6月18日であった我が家の琉球アサガオさん。その頃はまだちらほら数えるほどの咲きようであった。徐々に生い茂り、鮮やかな「花すだれ」と呼べるようになってから2ヶ月あまり。ペットを散歩させる人の足を止め、短い世間話も交わす、ご近所友好グッズの役目も果たしてくれた。そのアサガオの元気さ加減が少しゆるくなってきた。

天辺部分には「まだまだ元気よ」と咲いている。でも生い茂る葉の内側には色づいた葉が多く見られ、真っ黄色になってハラハラ舞い落ちる病葉も多くなってきた。
あの猛暑酷暑にもめげず、心胆寒からしめる豪雨にも負けず、ただひたすら花を咲かせ続けてきたその努力は見上げたものである。実はその陰に、朝な夕なに水やりをした努力も見逃さないでね(笑)

そうしてこうして時節を経て処暑を迎え、少々お疲れが出てきたのかも。アサガオの茎も疲れる、木も疲れる。やがて気疲れとなってストライキでもないだろうが、古い葉っぱを落として疲れを訴えかけてくる。よく頑張ってくれたアサガオではある。そしてさらに時季が来たら完全に根っこだけを地中に残し、また来年のお楽しみに取っておく。その間も時々の水やりは欠かせない、愛ある作業は続くのである。

季節の移ろいが目に見える頃を迎えようとしている。

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「色あせぬ珠」

2021年08月22日 | 思い出話

            

1982年、昭和56年の今日、憧れを抱いた作家向田邦子さんの、突然の訃報を耳にした日である。
正直「遅かったか」と嘆いた思い出が、今も少しだけ気持ちの片隅にある。
あれから40年を経て尚、作品の多くが色あせぬまま、輝きを失わず人々から愛されている。存命なら御年92才。返す返すも惜しい早世の人ではある。

そこにもいるここにもいる、そんな普通に生活する人々の日々の営みや哀感、迷ったりあがいたりする家族の絆や大人の恋を、限りなく明るく描いた数々の名作を世に送り出した。「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「阿修羅の如く」。どれも名作で、彼女独特の視線と鋭い洞察力、温かなまなざしは、いまも多くのファンを引きつけてやまない。テレビドラマ全盛期の陰の主役であったような。視聴率も高かった。何を隠そう小生もそ大ファンの一人である。

その経歴たるや蒼々たるもので、1970年代には「倉本聰」「山田太一」と並んでシナリオライター御三家と呼ばれていた。彼女の作品が最初にNHKで放映されたドラマが「桃から生まれた桃太郎」だったという。こればかりはあまり印象に残っていないので、彼女の手によって小説出版されたようだから、なんとか手に入れて読んでみたいものだ。

遠く及ばない思い出話なので少し小さい声で言うが、何かのコラム欄に載っていた彼女のエッセイやテレビドラの面白さに魅せられて「オラTOKYOさ出て彼女に弟子入りするだ。カバン持ちでもいい。」という儚い夢を持ったことがあった。が、行動も何も起こさないまま消えた単なる夢だから話にもならないが、「すごいな」と思った作家が、没後40年の今も皆さんに愛されているのは、なんかしら嬉しい気がするもんだね~。おそまつさま。

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「好きこそものの・・・」

2021年08月21日 | 家族・孫話
         
         夏休みに遊びにきてくれました音譜音譜音譜
         たくさん釣って、タノシんでましたYO
         また、釣ろうね〜😄          

お父さんと兄と三男坊、3人で遊漁船を借り切って魚釣りに出かけた昨日。
夕方、「じいちゃん食べて!」と大漁の魚を持ってきてくれた小6の孫君。氷で冷やした釣果ボックスを開けると、タイにハマチにイサキ、メバル、ギザミ、馬面ハギ、小イワシなどなどぎっしり。まるで竜宮城を思わせる数々の魚が、1mもあろうかという釣果ボックスに詰まっている。
 
とてもじゃないが、ご近所さんにお配りしなけりゃさばききれない量である。
グラウンドゴルフで顔なじみの、あの人この人、そしてあそこへ、悠雅君がさっさと配ってくれる。
話を聞いてみると、3分の2は自分が釣り上げたのだという。船頭さんといち早く仲良くなって、ポイントを教わり、次から次へと釣り上げたのに違いない。今回は60~70cmの大物はいなかったが、兎に角竿を上げるのが忙しかったろうと思わせる大漁である。
 
あの人なつっこい笑顔で船頭さんを取り込んでしまう。そんなウラ技も自然に身についており、竿を操り釣り上げるタイミングの良さを褒めて頂く。益々上手になる。好きこそものの上手なれ、とは言うが上手を育てるにも、褒め褒めシャワーが生きている。
 
ばあちゃんの里の川で、ハヤ釣りをせがまれていたが、今年の異常な夏はそういった子供の楽しみまですべて奪い去った。いくら彼の頼みで、ジジも慣れた川ではあるが、連日の大雨で水かさが増し、ハヤの定位置もことごとく洗い流されて川釣りどころではない。そんな窮地を救ってくれたのは、遊漁船を生業とする船頭さんと、思い切って出かけてくれたお父さんのお陰である。
 
今回の写真は、HP『遊漁船 さくら』を開設する船長さんのページから拝借させてもらった。
もしも興味のある方がおられたら、『遊漁船 さくら』をクリックしていただけたら、遊漁に関する情報をご覧いただけます。
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「キーパー!!」

2021年08月20日 | つれづれ噺

                 

キーパーと聞いて真っ先に思い描くのがあの、ゴールネットの前で身体を張って相手のシュートを阻止するサッカーやハンドボールのキーパーのことであろう。
この頃ではキーパーさんも多様化して、キーパーコーティングとかキーパー洗浄と呼ばれたり、ハンドルキーパー、ハウスキーパー、グラウンドキーパーなどと呼ばれる人が多くなってきた。一つの時代の流れなのだろう。

キーパーとは、守る人、番人、付添人、管理人、看守などと幅広い。いずれも主役というよりも脇役か裏方さんというイメージであることに気付く。
今ここで話題にしたいのは、グラウンドキーパーという、主に硬式野球のグラウンドを整備する人のご苦労に触れてみたい。

今、兵庫県甲子園球場では夏の全国高校野球大会の真最中である。今年の不順な空模様の中で、何日も順延になったり、雨による途中コールドゲームがあったり、選手はもとよりふる里の応援団にとっても、まさにいつ何が起こるか分からない中で、幸運を祈りながら応援するというのが現実である。

試合の途中に雨が降り始めると、それこそ大変な努力と正確な眼力で、部分的にあるいは全体的な応急補修を迫られる。長雨になればあの広い内野グラウンドを覆い尽くすほどのシートで雨よけを施す。逆に暑くて土の表面が乾きすぎて起こる凸凹に対しては、地ならしや適度な水分散布の水まき技術が要る。これらは機械や動力に頼れない。人の手による確かな感触が求められる。

およそ世の中の晴れ舞台とは、こういった守り人、管理人、付添人と呼ばれる人たちに守られていることが多い。何事にも感謝を忘れてはならないことを改めて思い知る。
そして相変わらず増え続けるコロナ感染者。この件に関しては、守り人も管理人もいてはくれない。全てが自分自身の意識にかかっていることを、今一度思い起こしたい。

最高の環境で野球が出来るのはグラウンド守り人のお陰。コロナを撃沈させて快適な生活を取り戻す守り人は、自分自身しかいない。

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