「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「豆台風」

2008年09月30日 | 家族・孫話
夕方5時。二人の孫が我が家に揃う。
おやつを始め、ジジ・ババのコーヒー受けのケーキから、日によっては夕飯のお惣菜まで、口に入るものはペロっと平らげる。さながら、頭の黒い大食ネズミに襲われた様相である。

お腹がくちたら、眠くなる場合と正反対に元気百倍になる場合がある。今日のように雨が降って外に出られない日に、元気百倍になられたらそれこそ大変。一階はもとより二階まで大嵐となる。季節柄、豆台風が荒れ狂う。

ベッドはトランポリン代わりに跳びはねる。オルガンキーボードは伴奏付きでボリューム上げて気ままに音を出す。
パソコンには我が物顔に手を出す、マウスは動かす……。
静寂だった午後が嘘のように、修羅場に変わる。

日が長い西日に照らされ、汗を流した散歩コースが懐かしい。彼らも、あれをさわって怒られ、これをやれば叱られるより、小えびやカニを追っかけて小川を駆けめぐる方が楽しかっただろう。

そろそろ、本格的に家庭教師の役割も果たさないといけないのかなー…などと思ってはみるが、せいぜい物語の読み聞かせくらいしか出来そうにないなー。
へたに教え込もうとすると、二度とじいちゃんの顔を見るのもイヤになられてはこちらが寂しいし…。

やはり孫もペットも、小さくて従順なときがいいなー。
でもやはり成長してくれないと、もっと寂しい思いをするだろう。よーし、一丁やったろう。明日から10分間だけは読み聞かせの時間を作るぞー。
向こうもメイワクならこっちだって迷惑な話だ。メイワクと迷惑をぶっつけて、負けられないがまんくらべだ。
また一つ仕事は増えそうだ。アーア…。

       ( 写真:雨の日の荒れる豆台風 )

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「粋な計らい」

2008年09月29日 | 趣味・・エッセイ
9月19日、「敬老の喜び、再び」をブログアップした。
100歳を迎えた母へ贈られた、内閣総理大臣及び山口県知事さんからのお祝いが、9月15日の敬老の日ではなく、4日遅れで届いた…という内容であった。

釈然としない気持ちが残っていることを、毎日新聞「はがき随筆」に投稿した。
本日掲載されたので、二番煎じながら再度ブログアップする勝手をお許しいただきたい。

 
 「9月19日、内閣総理大臣と山口県知事さんから、長寿の「祝い状」と「銀杯」 などの記念品が届けられた。
 
 母100歳のお祝いである。思いがけない行政の計らいに感謝し、改めて長寿の貴さを実感した。
 
 15日敬老の日。近くに住む子や孫が集まってお祝いをした。
 
 その日から4日遅れの贈り物。ありがたい感謝の気持ちに変わりはない。が、手遅れの感は否めない。
 
 敬老に日に間に合わせてこそ「粋な計らい」であり、血の通った行政だと評価される。
 
 いただいた銀杯も、それ以上の輝きを増すに違いない。」

           2008.9.29 毎日新聞「はがき随筆」 掲載

     ( 写真:母の枕元に「祝い状」と「銀杯」を並べて お祝い )
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「広島市民球場」

2008年09月28日 | スポーツ・観戦
プロ野球広島東洋カープのホームグラウンド、広島市民球場。
2008年9月28日(日曜)対ヤクルト戦をもって、51年に及ぶ公式戦の歴史に終止符を打った。

父親に連れられて、最初のプロ野球を見に行ったのが、小学生高学年の頃だったと記憶する。当時は、広島カープというプロ球団はあっても、ホームグラウンドを持たない頃で、確か段原中学校の校庭に、外野席には荒縄を杭で引っ張って観客席としていたように思う。

それから、ナイター設備のない広島県営球場。そして1957年、昭和32年に現在の広島市民球場が、ナイター設備を備えて登場した。

やはり父親に連れられて、最初にナイターを見に行ったのが高校生になった頃。レフト側外野スタンドの入場門から暗い通路を抜けて、最初に目に入ったカクテル光線に映えるグリーン一色の芝生のコントラスト。あの美しさと圧倒されそうな威圧感は今でも鮮烈に脳裏に焼き付いている。あれから何度市民球場に足を運んだだろう。

昭和50年、初優勝を決めた10月15日の5日前には長男が無事誕生した。セガレの年を数えるとき、必ずカープの初優勝がダブる。
幼かった子供達にも、自分が味わったカクテル光線の強烈な印象を味合わさせようと連れて行った日には、試合途中であいにくの雨に見舞われ、コールド負け。
寒さを凌ごうと、バックスクリーン裏のカープうどんを買いに行けば長蛇の列。おまけに数人前で売り切れ……。

そんなこんな数々の思い出を秘めた一つの遊び場が姿を消す。
しかし、寂しいばかりではない。来シーズンからは新たな球場でまた新たな広島野球が楽しめる。

カープの球団経営に貢献するほどの入場回数ではないが、いつも必死に応援するファンの一人には違いない。
月並みだが、有り難う市民球場。ご苦労様市民球場。一つの時代が終わった。

       ( 写真:テレビに映し出されるファン作成の感謝横断幕 )
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「秋の色」

2008年09月27日 | 季節の移ろい・出来事
春の桜に対して、秋の桜といえばコスモス。色鮮やかに咲き誇っている。
春には春の色があるように、秋には秋の、春とはひと味異なる色んな色がある。
目に入る周囲の山肌を、やがて赤や茶色に染めていく紅葉。これは別格といっていいほどの、秋の色の代表格である。

もう一つの秋の色。今でなければ・この時期でなければ見られない色があちこちに広がっている。
黄金色である。真夏の灼け付く太陽の恵みを受けてしっかりと株を張り、二百十日の大風にも見舞われず、順調に育った稲穂の色である。

幸い今年も豊作のようだ。こればかりは自分で耕作したことがないだけに、天候や気象に一喜一憂するほどでもないが、出来映えに対しては毎年目が行ってしまう。

大きく太ったワラの先に重たそうな穂が実る。黄色から黄金色に変わる。そうすると段々穂先を下げてくる。
“実るほど こうべを垂れる 稲穂かな” 

生まれてこの方60数回、毎年この景色を目の当たりにしてきた。そして毎年、この教訓を胸に刻んで来たと思う。なのに、どうも自分の中では実践されていないようだ。

ちょっといいことがあったり、褒められたりすると、お山の大将になって、この世の中で取りあえず自分が一番賢い…などと思ってみたくなる甘さを禁じ得ない。
修行が足りぬ。まだまだ。

世間では、農薬やカビに汚染された事故米の食用転化問題が、次から次へと露見されている。こういう悪事に手を染めた人間に限って、出来立て・取れ立ての美味しいお米を食べているのに違いない。
そして社長と名の付くトップが、簡単に頭を下げて白々しく「申し訳ない…」と言う。

本当に頭を下げるのは、成熟して実った田んぼの稲穂なのだ。
実ってもいない、欲に固まった頭を何回下げられても、生きる参考などには全くならないことを、暗い部屋から四角い窓を眺めながら反省してほしい。事故米と知りつつ、黄金に目がくらんだことを心底謝りなさい。
「黄金色の稲穂さん、申し訳ない…」と。

        ( 写真:実るほど 頭を垂れる 稲穂 )
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「脇役の主役」

2008年09月26日 | 季節の移ろい・出来事
天高く… 食欲… 燈火親しむ… いずれも秋の季語であり、秋を象徴する言葉である。
暑くて寝苦しくて、やたら水分を欲しがった夏をやり過ごし、ようやく迎えた絶好のシーズン。ついつい食べ過ぎる癖に注意しなければならない季節でもある。

遠い昔から守り伝えられてきた我々日本人の舌の感覚。つまり、微妙な侘びや寂びを味わう味覚を大切にする心意気は今なお健在である。
特にこの時期、海の幸・山の幸全てが競うように最高の味をもたらす。つい普段より多く手が出たとしても不思議ではない。

サンマ・ふぐちり・きのこ、などなど。それ自体でも十分な美味しさ・季節の味を堪能させてはくれる。なんせ素材がいいのだから当然といえば当然。

ところが、これら旬の素材に今ひとつ手を加えることによって更に美味しさが数倍に跳ね上がる薬味の登場が、「カボス」であり「スダチ」であり「ゆず」などである。

暑い真夏に食べる流しそうめんの喉ごしは格別である。ところが、8月半ば以降に薬味としてプラスされる、ゆずのみじん切りが加味された頃からが本当に美味しい食べ頃なのである。

秋も本番に近いこの頃では、カボスやスダチが巾を利かせるようになる。
果汁は豊富な酸味と独特な香りが、刺身にも、煮魚にも、鍋料理のポン酢としての役割も果たす、大切な味付けの主役を演じるようになる。

本来は、取れ立てサンマやキノコが主役のはずなのに、薬味が舌鼓を打たせる主役になったりする。どっちが主役でどっちが脇役か分かりにくくなることさえある。

ということは、詰まるところどちらも主役で、お互いの持っている味を引き立たせ合うところに、本当の美味しさが生まれてくるのであろう。カボスやスダチが単に味付けや隠し味という陰の存在ばかりではなく、いい食材と絡まると主役を演じることも出来るのだ。

活きのいい食材という主役の友達や多くの人と交わって、時に主役と呼んでもらえるような、カボス人生も悪くはないかな…。身の丈に合った脇役人生・時々主役…が性にあっているようだ。

       ( 写真:味覚の秋を演出する カボス・スダチ )

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「その前に」

2008年09月24日 | 季節の移ろい・出来事
秋分の日が過ぎて、本格的な秋が目の前にやってきたようだ。北海道大雪山系からは雪の便りさえ届くようになった。
それに合わせるようにあちらでは、木々の葉っぱが色づき始めているのだろう。

やがて紅葉前線が南下して、我が住む町岩国も色鮮やかに染められるに違いない。
特に、天下の名橋「錦帯橋」の奥座敷ともいえる、もみじ谷公園周辺の紅葉は、是非一度お目に掛けたい静かな秋の風物詩である……と私は思っている。

京都・東福寺。安芸(広島県)の宮島。九州・耶馬渓など、全国ネットのメジャーな庭園や渓谷美ではないが、西の小京都と呼ばれるにふさわしい岩国吉香公園・もみじ谷は、心安らぐ“隠れ紅葉名所”の一つかも知れない。

紅葉の本番になればまたその時に、色鮮やかな写真と共に周辺の紅葉風景をブログアップすることだろう。

その前に、紅葉を始める前の青々としたモミジやイチョウを紹介しておきたくて、秋分の日の昨日、午前と午後に分けて、光線の加減を見ながら写真を撮ってきた。
この青く生い茂る木々が、本番を迎えた紅葉の時期に、どのような絵になる光景を見せるのか楽しみにしていただきたい。

出来れば多くの人に、木造建築の粋を集めた錦帯橋を歩いてもらって、紅葉のもみじ谷公園をゆったり散策していただける旅行計画でも立ててもらえると嬉しいな…と、観光協会会長の弁を借りる次第です。

     一度はおいでよ 岩国へ
       人情あふれる 城下町
      肩を寄せ合い 二人で歩く 五連アーチの錦帯橋に
       舞うはひとひら あー花もみじ

                2008.9.24  by yattaro-

         ( 写真:まだまだ青く茂るもみじの木 )
 
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「おはぎ」

2008年09月23日 | 季節の移ろい・出来事
秋分の日、官公庁・学校はお休み。企業も休日とするところが多くなった。
ただ、学校や仕事が休みというだけでなく「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」という趣旨で国民休日の一日に制定されている。
古くは秋期皇霊祭と呼ばれる祭日であったことを知る人も段々少なくなった。

一方で、暑さ寒さも彼岸までという言葉を頼りに、暑さに耐え、体力を維持しながら涼しくなる秋の訪れを待つ。自然も心得たもので、今年の暑さはまさに半端ではなかったのに、彼岸の中日、つまり秋分の日を迎える頃にはそれなりの秋を確かに連れて来てくれる。

手作りのおはぎを美味しくいただいて、お墓参りをするのが恒例行事となっている。仏壇に供えたおはぎも入れると、どうかすると三日連続で食べさせられるくらい大量に母が作っていたのを思い出す。今は代が変わり、必要最小限の製造で、一度か二度食べたらなくなる。だから美味しさもひとしおなのか。

そこでいつもの話題、おはぎとぼたもち。もともとは同じ作り方同じ内容のものが、その地方の表現や季節によって呼び方が異なってきた、というのが通説である。つまり、秋の彼岸に備えるのを「萩のもち」これを御萩(おはぎ)と呼ぶ。

春の彼岸にお供えするのを、花の牡丹になぞらえて「牡丹もち」これをぼたもちと呼ぶのだそうである。

古典落語の一節。突然に宿を頼んできた旅人を、老夫婦が如何にしてもてなそうか…と相談するうちに、「手打ちにすべーか、半殺しにすべーか…」というセリフが聞こえて、旅人は夜中に血相変えて出て行ったという話がある。ここでいう手打ちとは「餅」半殺しは「おはぎ」だった。このように地方によって随分呼び方が変わっているという。

先祖をうやまうためにお墓参りをしたからといって、棚からぼたもち…などという甘い期待をするようでは、まだまだおはぎを食べる回数が足りないんだろうなー。

       ( 写真:夕食のテーブルをにぎわす、手作り「おはぎ」 )
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「運動会」

2008年09月22日 | 家族・孫話
昨日の無情の雨とは打って変わって、これぞ秋の空という快晴のもと、小学2年生の孫の運動会が行われた。
運動場の表面を覆っていた水も完全に渇き、代わって子供達の躍動する影が地面を駆けめぐる。運動会はこう来なくっちゃ-。

水浸しの泥んこを跳ねながら競技したダルマ運びも、今日は気持ちよくレースに臨めた様子、女の子とのコンビネーションもよく楽しそうだった。
もちろん、かけっこは断トツ!自慢じゃないがこれだけは、じいちゃんの血筋ではない。自信を持って言える。

短距離レースは、当日お腹が痛くなるほどの不得手だった。たいていの場合、みんなの背中を後押ししながらつつましやかに最後にゴールしていた。体調不良者が多く出て、最後の組が3人で走ることになった。その時2着に入ったのが唯一生涯の?いい思い出だ。だから短距離をあきらめ長距離に挑戦した。市内一周駅伝が行われた時代で、試走に出るまでの努力は認められたが、本番は伴走声援者に回された。田舎相撲で大関を張った勝負強い父親に、ついに親孝行らしい姿を一度もみせて上げられなかった不忠を、運動会シーズンになると思い出す。

そこへいくと、隔世遺伝などとかっこいいことは言わないが、この孫は婿殿の鍛え方がよかったのだろう、じいちゃんを楽しませ、夢をふくらまさせてくれる運動神経を持っている。
来年からの運動会は、二人の孫を応援することになる。大いに楽しみだ。

口の悪い友達から何と言われようと、ジジバカを罵られようと、バカ丸出しで応援するぞー。
間もなく20号となる孫新聞のネタの提供者であり、じいちゃんブログの優秀特派員の二人なのだから。

          ( 写真:ダルマレースに興じる子供達 )
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「無情の雨」

2008年09月21日 | 家族・孫話
10日くらい前から指折り数え、楽しみにしていた小学校運動会。
今年は2年生として、やや落ち着いたファイトを胸に待ち構えていた。
ばあちゃんは朝4時に起きて、好物のイナリ寿司をいっぱい作って、応援態勢も万全。孫のやる気を精一杯後押しを……。

7時過ぎから強烈な雨が降り出した。間もなくテレビ画面に「岩国地方、大雨洪水警報発令」というテロップが流れる。
娘からは、中止の連絡が入ってこない。8時過ぎ、雨降る中をお弁当・コーヒー・椅子・傘など準備万端で出かけた。

運動場の表面は完全に水が浮いて、水面に影が映るほどの最悪コンディション。
そんな中、30分遅らせて開会式にこぎつけた。但し、子供達は控え室のテントの中。女性校長先生が、「明日月曜日はお仕事などで、見て頂くご父兄が半分になるので、出来れば今日、予定通り実施したい」旨の挨拶。兎に角スタートした。

校舎の窓には、「風になれ 優勝めざして かけぬけろ」との運動会スローガン。
赤白それぞれ応援歌も高らかに、競技開始。雨は降り続く。
かけっこ(徒競走)などはとても出来る状態ではない。プログラム変更。幸い、2年生のダルマ運び競争が最初の種目。孫が出場、応援した。写真も撮った。

雨降りやまず。開始から1時間足らず、ついに中止宣言の時が来た。体育担当の先生が雨に濡れながら「中止順延宣言」。
我が家に引き上げ、お弁当開いてビールも開けて、孫が主役のの昼食会。これも悪くはないが、出来るなら一日運動場で過ごしたかった。

無情の雨に泣かされた。でもこれはこれで意外な思い出を残すことにはなるのだろう。

       ( 写真:雨にたたられ、寒そうな運動会開会式 )
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「彼岸花」

2008年09月20日 | 季節の移ろい・出来事
今日は彼岸の入りだ。そう言えば黄金色に染まり始めた田んぼのあぜ道や、棚田の石垣の下などに、自由奔放に跳ね上がったような真っ赤な彼岸花が、今を盛りと咲き誇っている。間違いなく秋を象徴する花の一つである。

葉が出る前に先ず花が咲く。「先ず咲く」「真っ先に咲く」などの音に、仏教用語の「曼珠沙華」の文字を宛てて「まんじゅしゃげ」とも呼ばれている。

ほかにも色々、地方地方で呼び方も変わり、全部で50種類くらいの名前があるそうだ。
中には薄気味悪い呼び方があったりして、子供心に近寄りがたい花だった印象もある。

母を見舞った帰りの田舎道、あまりにも見事に咲いているので、ついクルマを停めてカメラにおさめた。
ちなみに花言葉は「情熱」「悲しい思い出」と、ものの本に記されている。
情熱と悲しい思い出がどう結びつくのか分かりにくいが、花言葉はこのようになっている。
つまり、情熱をもってアタックしてはみたが、結果的には悲しい思い出しか残らなかったという悲恋物語を想像すれば、つじつまが合うのかな。

そう考えてみると、色は情熱的な真っ赤っか。花弁は奔放に伸びて、お世辞にもしおらしくは見えない。生半可な情熱を示したくらいではハナであしらわれるかも…。

秋の夜長とはいえ、明日は楽しみな上の孫の小学校運動会。彼岸花にこだわってはいられない。
とはいいながら、蝶を愛で花を愛するこの身には、季節の移ろいを教えてくれる大切な花の一つではある。

         ( 写真:見事に咲いた「彼岸花」 )
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