「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「大変な事態に」

2020年02月29日 | ニュース・世相

                             

世はまさに異常事態に陥っている。
新型コロナウイルス騒動は、あれよあれよという間に世界中に広がり、人々を恐怖のどん底に落とし入れている。
負けてなるか!と対抗しようにも、今ひとつ決め手に欠ける現状では、守勢に回らざるを得ない。

そんな中で、一挙に大量感染を防止する観点から、色んな方策がとられている。
多くの人が一カ所に集中するような大きなイベントの中止要請。それに呼応して、サッカーJリーグは全試合の延期を決めた。
プロ野球オープン戦も無観客で試合を行う。JRA公営競馬も観客なし。前代未聞の出来事が続いている。

そしてこのたび、大きな影響を及ぼすのが教育界である。
晴れの卒業式を目前にして、突然の臨時休校を余儀なくされた。これも集中的に人が集まる集団感染リスクを抑える、という大義名分の前には逆らえない感染症対策の一環ではある。ただし、卒業式の中止までには至らず、規模の縮小。たとえば会場集結の人数を可能な限り縮小する。
完全マスク着用義務づけ。会場入り口に消毒液を設置する。など、いくつかの方法は考えられている。
そういった工夫や個人個人の努力で、感染リスクを抑えて、なんとか卒業式を実行させてあげたいと思う。

かく言う小生は、母校の高校で卒業生に対する「同窓会入会式」の挨拶を仰せつかっていた。
182名の卒業生が参加する体育館。同窓会入会式の実施か中止かギリギリまで検討された結果、実施となり出向いて行った。
4~5分間の持ち時間の中で、卒業のお祝いと、同窓会入会歓迎の言葉を。そして何より、目下の情勢に対処する若者としての心構えを一くさり。

このような緊急事態こそ、自分の身体は自分が守る方策を模索する絶好のチャンス。あらゆる対策を実行して元気に生きること。それが、人生の鉄則の一つである。と強調しておいたが、効果のほどや如何に。

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「マメの花咲く」

2020年02月27日 | 晴耕雨読

                       
                  ラッパ水仙を思わせる、スナックエンドウの花

ここ数年連続で種から育てているスナックエンドウとグリンピース。
幸い、霜にやられることもなく、順調に成長している。今や、可憐なラッパ水仙に似た真っ白い花が無数に咲いている。
豆類は、おおよそ花の数だけ実が付く。といことは、今年も孫達のおやつに十分役立ってくれそうだ。

「まめに生きられるように」願いを込めてマメを植える。順調にいけば、ジャックと豆の木ほどではないにしても、グングン伸びて、オロギを追加しなければどうにもならないほどに、盛り上がっている。
割と簡単に育つのだが、一つ間違えると、それこそ箸にも棒にも掛からないほど、作業者にしっぺ返しする。
それは、畑を選ぶ、土を選ぶということ。昨年も植えた後に今年も植えようものなら、ハナから一切芽を出さない。

2年前に収穫した同じ場所でも、種からホンの少し芽を出すものの、10㎝も伸びたところで間違いなく全滅する。
それほど確かで、生産者の顔に泥を塗る作物も珍しい。これを「イヤシリ」といって、連作が利かないことを言う。

まめに生きる。つまり元気に息災に生きることを言うが、今年の場合はそんな呑気なことを言っている場合ではない。
新型肺炎の感染拡大防止に向け、政府は今後2週間をめどに多数の人が集まる全国的なスポーツ、文化イベントの中止や延期、縮小を求めてきた。これからの1~2週間が拡大抑止の瀬戸際になるとの、専門家の見解にもとづく要請だという。
こんな要請をちゃんと守っていれば、今後陽性が出ないということになれば有り難いのだが。

個人的には、2週間先に予定されていた「お褒めにあずかるイベント」が早々に中止となった。
50~60人が集まってのお祝いの式典がお流れになり、賞状などは郵送されるということに。まあ、ことがことだけに中止も郵送もやむなし。
無理をして多くが集結して、狭い会場で濃厚接触などと言われて、賞状を受け取るどころか、変な症状をもらったりしたら元も子も無い。

一日も早い収束を願って、只ひたすら防御専一に、おとなしく過ごすのが賢明なようである。

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「沈丁花の季節」

2020年02月25日 | 思い出話

             

庭の一角に佇む沈丁花。時季を得て見事に花開いた。
あの、たおやかな女性の白粉を思わせるほのかな香り。幾つになっても、この季節ならではの芳醇な香りはハナの奥をくすぐる。

この沈丁花の香りに乗って、不特定多数の人の目にさらす随筆なるものに手を染めたのはいつだったろう。
誰の目にもさらさない、自分だけの日記や、随想、随筆といったものは、中学時代から勝手に書き殴ってきた。
それが、ひょんなことから、勤務先の工場ニュース編集担当者の勧めに乗っかって、怖いもの知らずの若者が、臆面も無く書き始めたのが、ちょうど沈丁花真っ盛りのころだった。

思い起こせばあれから43年の歳月が流れたことになる。
沈丁花にことよせて、大学受験合格発表の校庭に見せる、受験生の悲喜こもごもを「春の断面」と題して書いたのを覚えている。
どれほど回数を重ねても、何年たっても、元々の素養がない悲しさはどうしようもなくつきまとう。

書き始めたころに必死になって読んだ、司馬遼太郎「竜馬が行く」の一節。
「世の中の人がなんとも言わば言え、我がなす道は我のみぞ知る」。坂本竜馬の座右の銘とも言うべき言葉を、畏れ多くも勝手に自分の都合のいいように解釈して、今もボチボチ書き続けている。
愚かしくもあり、ホンの少しの生真面目さもあり、同情すべき点多々ある我がエッセイ人生ではある。

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「颯爽・巴御前」

2020年02月23日 | 家族・孫話

              
                 制服姿で華やかに歌い踊る年長さんの演技でスタート

初めて体験する姫孫の「幼稚園卒業記念のお遊戯会」。新型コロナウイルスの蔓延で騒然とする世の中。
大勢人が集まるイベントの開催は危ぶまれたが、なんとか無事行われた。「開催か中止か、関係者と相談の上こうして開かれる運びになって、大変嬉しく思っています」という園長の挨拶は真に迫っていた。
入場者は完全にマスク着用義務付け。1・2階のいい観客席は園児各家庭3席まで。あとは、先着順に3階の自由席へ。なかなか手厳しい。
時間と旅費をつかって遠くから駆けつけたじじばばであろうとなんであろうと、条件は一緒。一目散に3階席へ。

これまで見てきた3人の孫はみんな男の子。我が家からも極めて近い幼稚園であった。規模の小ささから、講堂も狭い。それでも譲り合って床に直に座って声援を送った。男の子の演目は「クック船長」や「ハリマ王」など勇壮で、荒々しくも稚拙であった。でもそれはそれなりに楽しかった。
今回は初めての姫孫の、それも幼稚園最後のお遊戯会。華やかさと可愛らしさに期待して、電車で2時間の呉まで出かけた。
伝統のある幼稚園で、園長の肝煎りも並大抵ではない、という嫁の話を聞いていた。
まさにその通り。オープニングは年長さん総出で華やかな唄と踊り。そして最後を演目は。
年長さくら組36人を男女別、6・7人のグループに分けて、「颯爽・巴御前」「鞍馬の牛若丸」「少年黒田節」など、演じる子ども達は知らないであろう、日本の歴史を彩る古式ゆかしい6演目。時代錯誤などと言うなかれ。歴史をひもとくことも大切なのだ。
衣装は幼稚園の財産として受け継がれているらしい。巴御前を舞った希さんも素敵なお着物着せられて、えり抜きも玄人を思わせる着付け。華やかな帯で締め上げられている。頭は朝から美容院でセットしてもらったお姫様の髪型。鉢巻きキリリと、大なぎなたを振りかざす。
戦国絵巻の木曽義仲を守らんとする女武者を彷彿とさせる。

       

                 
6・7分のステージは息が切れそう。舞い終わって大きな拍手で幕が下りる。さぞかし安堵したことだろう。
このような素晴らしい体験を積んで、いよいよ4月からは小学1年生。
大きな大きな思い出を作ってもらった園長先生はじめ教職員のみなさん。そして頑張った本人、そばで必死に応援した両親にねぎらいの拍手を贈りたくなる。そんな孫娘6才のお遊戯会であった。堪能させてもらった。

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「フィッシング」

2020年02月20日 | ニュース・世相

          

ついに来た! 招かざる客が我が家の奥座敷にも無遠慮に入り込んで来た!!
「フィッシング」、といっても釣りの話でもなんでもない。個人のカード情報を盗み取り、銀行口座から財産を釣り上げて自分の懐に入れようという、とんでもない輩の、最近の詐欺の定番手口である。。

数日前からパソコンに不審なメールが何度か続けて入って来た。
「あなたのカード情報が盗まれた可能性があります。至急こちらへ連絡を」という情報詐取の誘導メールが。
放っておいたら、次はAmazon payという発信で「Amazonお客様、大切なお知らせです。至急ご連絡下さい」という、如何にもあなたのためよという、おためごかしのメールが届いた。
以下の通り、まことしやかな文面である。

「お客様のアカウントは強制停止されています。アカウントで不審なお支払いが検出されました。取引注文を防ぐために、個人情報を確認する必要があります。Amazonログインしてください」としてある。
さらに、クレジットカードでのご入金頂き、誠にありがとうございます。
処理日  〇月〇〇日 1:19:17
購入額  26万?千??円
お支払い方法 クレジットカード
AmazonPay 注文番号・・・・・・・・・

いつ、だれが、どこで、何を買ったのか、単価がいくらだったのか。そんな情報は全く書かれていない。
ただ、問合せ先として、「販売事業所のお問合せ先 ・・・・・・・」と、全く身に覚えのない会社名が書いてある。これはおかしい。しかも26万円もの買い物をカードで処理することはない。第一買った覚えがない。

指定の関係先とは一切のかかわりを持たず、先ずは消費者生活センターへTEL、詳細情報を提供した。
お若い女性で、少し頼りない感じではあったが、指定の連絡先へ当たりを付けてもらったところ、限りなく黒に近い灰色。一切個人的連絡を取らないように。との話。

翌日、アマゾンカード発行元の大手銀行から書面が届いて「明らかなフィッシング詐欺」と判明。
小生のカード情報が、全く知らぬところで何者かに盗まれ、悪用されているという事実が。
「直ちに処置をします」ということで、カード情報を抹殺削除。被害の拡大を最小限に食い止め一件落着した。

この情報は、14~17日の間に発生した事案である。にもかかわらず、今日も上記と全く同様のメールが入っている。たとえ対策をとった相手にでも、このように執拗に波状攻撃をかける詐欺グループの手口。
冷静に対応し、こちらは痛い目に遭わない。彼らに甘い汁を吸わせない努力が肝要かと。蛇足ながら。

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「11年の歩み」

2020年02月18日 | カープ一喜一憂

              

2009年3月。ひょんなことから大手ローカル紙「中国新聞」のタウンリポーターのお誘いを受けた。
紙面の地方版に"タウンリポーター発”というコラムがあって、読者が投稿しているらしいことは知っていた。飽くまでも外観だけで、内容についてはよく知り得ていない。「タウンリポーター」って何じゃろう、何をするの?といった疑問符ばかり。

引き受けることが決まって岩国総局長との面談。さまざまな説明の後、中国新聞タウンリポーター要項を渡された。
「資格・待遇」「取材要項」「記事の作成と出稿」「注意事項」「個人情報保護」など、かなり厳しい縛りがあることに少しびっくり。
兎に角慣れることが第一、と自らに発破をかけてスタート。おっかなびっくりながら、気持ちだけは燃えていたね~。

記念すべき初取材は、2009年3月28・29日に行われた、宇野千代顕彰会主催「薄墨の桜を愛でる会」であった。
写真をどのアングルにするか、参加者を如何に多く見せる写真にするか。先ずは報道カメラマン修行。次いでレポート記事を書く。これがなかなか厄介。飽くまでも、主催者や参加者の意向、感想を第三者の感覚として冷静に捉えること。取材者自身の感想などは極力差し挟まない。
人数表記は「〇名」ではなく「〇人」。植物は原則カタカナ表記で、料理など加工したものはまた違ってくる。たとえば収穫したばかりはダイコンで、料理すれば「ふろふき大根」になる。などの表現方法や手法を叩き込まれながら、ヨチヨチ歩きで。

あれから11年。「日の当たらないところで地道に活動している人たちの努力にスポットを当てたい」というコンセプトを持ち続けた。
あちこち走ったな~ 数え切れない多くの人との出会いがあったな~ 助けてもらったな~ そうして歴史を刻んだ11年。400本のレポート。感慨は尽きない。快く取材に応じ、素人のリポーターを育てて頂いた皆さんに、心からの感謝を申し上げたい。
そしてこのたび、現岩国総局長の肝煎りで、いつもは取材をする側の小生にスポットを当て、「取材される立場」に立たせてもらった。

辛抱強くお付き合い頂いた歴代の総局長の懐の深さと、長く続けさせてもらったことにただただ感謝。
そしてついでに、「自らのボケ防止」と称しながら、この広い岩国市の東西南北を走り回った11年間を、少しだけ褒めてやりたい。
出来るなら、これも一つの通過点と心得て、さらなる皆さんの笑顔を求めて駆け回りたいものである。

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「もう一つのバレンタイン」

2020年02月14日 | 趣味・・エッセイ

              

2月14日、バレンタインデー。
浄土真宗の門徒であり、一応仏教徒を自認する小生なので、バレンタインデーの本来の意味とか習慣には、正直言って余り興味はない。
その昔から、職場で後輩の女子から「チョコレートを渡される日」といった程度のイメージしかない。
これは、モノをご存じの方には怒られることなのかもしれない。

今年もご多分に漏れず、グラウンド・ゴルフに行けば、ラウンドの合間に、同年配や少し先輩の女性からチョコを二粒三粒渡された。
家では、悠雅君のお母さん、つまり娘からや、希さんのお母さん、つまり倅の嫁さんから、豪華なコーヒーセットなどが届いている。
有り難いと思いつつ、さほど裕福でもないのに無駄遣いしなけりゃいいのに・・・などと思ったりする。夢のない話かな~。

でも1年のうちで、何かをきっかけとしてこうして贈り物をされるのは、うれしいし、季節の移ろいを感じさせる時計の役目にもなる。
そんなバレンタインの今日は、今ひとつ嬉しい贈り物を頂いた。食べるものでも飲むものでもない。

趣味の一つとして長年続けている、毎日新聞はがき随筆の世界で、少し褒められたというおまけを頂いた。
はがき随筆とは252字以内で、その時々の思いを書き留めて新聞社に投稿する。先ずは掲載されること。次いで月間賞、年間賞、年間大賞などのランクがある。
昨年6月に投稿したものが、山口県の年間賞の一つに選ばれたという新聞発表があった。大賞でも準大賞でもない。
中位の入賞ではあるが、年間賞に入れたのは、やはり小さくエッヘンかもね。久しぶりだね~このフワ~~とした思い。
何年か前の初受賞の時も嬉しかったが、今回の場合もその時と同じかそれ以上に、なんかしら心を揺する。

「それがどうしたん」と言われればそれだけの話である。
ちなみに、年間総投稿数が1900~2000編。そのうち掲載されるのが約750編。そして年間賞が15編。
狭き門といえば狭い。広いと言えば広い。まあ書く者にとっては、楽しみな世界ではある。今夜は少し眠りが深いのかな??

もったいぶるわけではないが、その中味は3月14日の表彰式の後で、このページで紹介させて頂きたいと思っている。

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「ヒマワリと月見草」

2020年02月12日 | つれづれ噺

                                                   

こよなく愛したプロ野球の選手の一人、ノムさんこと野村克也さんが亡くなった。もちろん偉大な選手であることは、その実績や残された数字などで推し量られる。その上に素晴らしいと思って憧れるのは、指導者としての手腕、人を洗脳させる影響力。残された数々の名言。
どれをとっても、単なる野球選手、野球チームの監督、とだけでは済まされない、楽しさを秘めた偉大な先輩の一人であった。

名言・至言の数々は、綺羅星のごとく、次から次へ出てくる。そんな中でも、「ヒマワリと月見草」の話が強く印象に残っている。
それは、小生自身の過去においても、少なからず体験してきた「月見草」の思いが、身体の中に息づいているからかも。
言わずもがな、ひまわりは、プロ野球界のレジェンドとして君臨し続ける、王さん長嶋さんである。

彼ら華をを持つ二人に対して、自分はと言えば、実績や活躍度は彼らを上回っている。なのに、人気という点でなかなか人が付いてこない。
王・長嶋はセ・リーグ。観客動員数は明らかに多い。一方野村はパ・リーグ。いつもガラ空きのスタンドに観客はまばら。
野村選手がどんな大記録を立てる記念の試合でも、大阪は7000人そこそこ。王・長嶋の東京ドームは普通の試合でも4~5万人。
華やかさ、派手さと言う点では比較にならない観客動員数。それでも、選手としての力量は誰にも負けていない野村。

そこに、「王・長嶋は明るい太陽に照らされる白昼に堂々と咲くヒマワリ」。
自分は人目につかない夜にひっそりと咲く「月見草」にたとえた。まさに至言である。
目立って日当たりのいい場所を歩く選手が必ずしも実績を残すわけではない。人目につかなくても、ひっそりとでも、自らの役割を果たし、チームに貢献する実力者はいる。

なんかしら身に詰まされる話に聞こえてならないが、まあそれが世間というものならそれはそれで仕方ない。
ひっそりと咲く月見草でも花には違いない。ヒマワリどころか、月見草にさえなれない人が多いことも考えて、己を知る。身の程をわきまえる生き方も、不幸せばかりとは言えない。自分の心の持ちようが大事ということか。月見草人生、決して悪くはない。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
「人や集団を動かすものは言葉しかない。ほかに何があるんですか」 好きな名言をふたつ。

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「満開の白梅が」

2020年02月10日 | 季節の移ろい・出来事

          
                 落ちこぼれだった梅が、これ程に成長し見事な花を

何年前になるだろうか。手入れを続けてきたカミサンの里の小さな梅林ではあるが、60kgを越える豊作を見せたことがある。
知人友人やご近所さんにも配り、大変喜んでもらったことから、青梅外交と名づけた年があった。
そんな豊作だったから、ウメボシも梅酒も梅ジャムも、粒の大きな形のいい方から調理していった。
最後に残ったのは、虫が付きかけたものや選果から漏れた小さな梅ばかり。残ったこの梅はさてどうするか。

どうかすると持て余し気味のちっちゃい梅の実。それでも不作の年であったならこの梅の実も、本来の役割を全うできたのに。たまたま、余るほどの豊作の前では、隣接する広大な空き地に埋めるしかない。
決して最初っから落ちこぼれたわけでもないのに、当たった年が悪かったという不運である。

学校を卒業して就職を目指す若い人にとっても、この運・不運は必ずついて回る。卒業年次を迎えたとき、ほんの少し経済環境がよければ売り手市場になり、こちらが選んで希望を叶える場合もある。その逆だと、就職氷河期などと呼ばれ、完全な買い手市場で就職もままならない。
当人に関係ないところで、売り手市場だったり買い手市場だったりする。不合理というほかない。
幸いなことに、我が家の二人の子供は、先ず先ずの景気に支えられて、就職戦線を突破することができた。
しかし、ここにきて、大企業でさえ採算性最優先で、地方工場は閉鎖しでも、体力維持を図ろうとする。厳しい世の中ではある。

                 
さて、何年か前に調理の仲間から外されたちっちゃな梅の実は、隣の空き地に捨てられた。
この空き地は、今や地主さんが亡くなって荒れ放題。ここ数年草刈りの一度もされていない。どうかするとタヌキだって生息しそうな不気味さを持っている。迫り来る大藪を撃退するため、老体にムチ打って畑作りをしている。その向こうの藪の中に放り投げたあの青梅が、生い茂る草の中で、どうやって土にもぐったのか、根を生やし、何本もの若い梅の木が成長した。

密集して生えたのを植え替えてやったり、消毒もしてやった。そんな恩義を感じてくれたのか、今年で10数本が順調に生育した。
そのうちの1本は昨年から。他の3本が今年初めて見事につぼみを付けた。つぼみをヒヨドリやキジバトに食われることなく、これほどに花をつけた。カメラに収めるに十分な大粒の梅の花。見ごたえもあるし、芳香を放つのがいい。スコップ片手に植え替えるとき、この荒れ地を梅林にするのも悪くないなとふと思ったのは事実である。

その昔、水戸の偕楽園に梅見に行ったことがある。あの広さには遠く及ばないが、何種類かの梅を咲かせ、6月の梅もぎを楽しみにしようか。
それにしても、調理の仲間に入れなかったあのちっちゃな梅の実が、いまこうして見事に花開いている。
部分的に我が人生と重なる思いがして、真っ白く誇らしげに咲いている梅の花を褒めてやりたい。そしてありがとう。

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「2分の1成人式」

2020年02月06日 | 家族・孫話

         
                   開会宣言をする悠雅君たち

小学校の6年間で、最も問題多しとされる4年生。低学年を終え少し大人びて、でも高学年というほどの意識も薄い割に自我意識が芽生える。そんな宙ぶらりんな年齢が4年生の特徴らしく、小学校の教師も少し注意が必要な学年だという。
幸いなことに、体育会系の三男坊悠雅君は、地元のソフトボールチームの中で揉まれてきたお陰か、特に問題もなく4年生を通過しそうである。特に三学期になってからは、自ら宿題を手掛けるようになり、少し驚いている。

4年生は10歳を迎える。現在の成人式が20歳で行われるのに対して、ちょうど半分に当たることから名付けて「2分の1成人式」が行われた。二人の兄ちゃんの時も、決意表明するというので祖父の立場で学校に出かけた。
今回ももちろん、期待の星の悠雅君が決意表明するとあって、カメラを構える席を確保するため早く出かけた。

先ずは6人が前に出て「開会宣言」。赤い頬っぺを膨らませて大きな声で自分の持ち場をこなした悠雅君。
次いで生年月日の順にステージに上がり、練習に練習を重ねた「自分の名前の由来は・・・」「小さい頃の僕は、私は・・・」「大人になったら〇〇になりたい」と、3つの内容を発表する。最後に「お父さん、お母さん、いつも見守ってくれてありがとう」で締めくくる。肝心な我が孫君の決意は「野球選手になりたいです」であった。応援するからね。

女子の多くはパテシア、介護関連、美容師などが圧倒的。
男の子で一人だけ、「お父さんのようなトラック運転手になるために、体を鍛えています」というのがいた。実に面白いし頼もしい。それぞれの夢に向かって一歩ずつ、休みながらでいい、確実に前へ。人生は長い。

自分の10歳を振り返ると、とてもこんな夢を語るとか、決意を述べるなんてことはなかったし、考えもしなかったように思う。お幼いころの夢はなかったかもしれないが、成長とともに、経済の発展とともに色んな夢を見てきたな~。
大した夢でもなかったのだろうか、おおむね自分の思い通りに生きてきたような。問題ありとすれば、今か??

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