「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「葉月つごもり」

2016年08月31日 | 季節の移ろい・出来事

                 

夏を代表する風物詩、青空を席巻するが如き入道雲、雲の峰、積乱雲。
その名の通り、大きな入道頭にまんまる目を剥いたような、如何にも大入道を連想させる雲。
「あの雲の下では大粒の雨が降っているのだろうか」などと子ども心に心配もしたあの盛り上がる雲。

そんな勇壮な入道雲も、8月も晦日を迎えるころには、少し丸みを帯びて優しく穏やかに見えてくる。
体感温度や汗の量は変わらなくても、季節の流れは確かな足取りで移り行き、秋を呼んでいるような。

連日の猛暑酷暑に泣かされた今年の8月。
振り返ると、これまでに感じたことがないほどホンの短い、アッと言う間に過ぎ去ったような気がする。
もう少し日にちがあれば、あれもこれも、もうちょっと欲張ってみたいような、そんな夏であった。

それもこれも、初めての長期夏休みを体験する悠雅君が、「放課後教室よりじいちゃんちがいい」と言い出したことに始まる。
そして今ひとつ、25年ぶりのリーグ優勝目指してまっしぐらに進む「カープの快進撃」がある。
その上に、8月5日から16日間は、リオオリンピックのメダルラッシュと、日本選手の活躍に涙した。
ほとんど時を同じくして、甲子園高校野球も熱戦を展開した。
もちろん、我が家ではお盆を迎えるにあたって、お墓掃除にも汗を流した。お仏壇へのお参り客も接待した。

それこそ数え上げればキリがないほど色んなことがあったことで、忙しく時間に追われながらも充実した毎日を過ごしたということだろう。
一つ動けば大汗が流れる今年の暑さでは、流した汗の量も近年まれにみる大量となった。
その分、疲れもあったのだろうか、明日の予定消化の気持ちの張りがあったのか、夜はしたたかに眠ったように思う。
疲れを翌日に残さないように、夏バテなどと思わないように、日々意識して動いた。言うなれば張りのある8月だった。

日本列島各地に大災害の爪痕を残した台風や局所豪雨も、今年に限ってはこの地方には雨さえも降らせない夏であった。
本当の夏バテや体調不良のツケは、これから10月にかけて出てくる。
今までは被害がなかった台風や局所豪雨も、これからが本番である。
どっちもどっちも、できる対策は講じたいと身構える。秋本番にそれなりの行動がまたいっぱい予定されているのだから。

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「ジジのノルマ」

2016年08月26日 | 季節の移ろい・出来事

     
             似た者同士、浅い川床の小さな魚を探しておおはしゃぎ

いよいよ小学校の夏休みも大詰めを迎えた。
最初は7月の間だけ、1年生の悠雅君の面倒見てくれないか、という話で引き受けた。
野球好きの悠雅君は、ジジが野球練習の相手をしてくれるのが楽しみになって、8月になっても放課後教室よりジジの家がいいと言い出した。仕方なし、夏休みの間は、土・日と母親の休日以外は全てジジの家に、朝8時15分にやって来ることになった。

退屈をさせないように、ジジとの時間が嫌いにならんように、日替わりメニューの遊び方を工夫した。
今年の暑さにもめげず、午前中にお城山登りも、目的や内容を変えながら何度かこなした。
海の公園、由宇のカープ二軍戦、同じく由宇の潮風公園、あっちの公園こっちの遊び場をハシゴした。
主に午前中にジジと二人で汗をかき、午後は仕事を終えたババに預けることで役割分担した。

最後に残されたジジのノルマが、ハヤ釣りと川遊びに連れていくことであった。
予定した日の前夜に倅夫婦が帰ってきて、希さんも行きたいと言い出して、おさな子二人を連れて、ジジとババが錦川上流を目指した。
悠雅君はお父さんに連れられて何度も海釣りを経験しているだけに、初体験のハヤ釣りも上手。すぐに10尾あまりを釣った。

その後は、きれいな浅瀬にゴーグル付けて小魚を追いかける悠雅君。
希さんはまだ水に顔を漬けることはできないので、水面を見て喜んでいる。ゆっくり遊んで昼ごはん食べて。
「さあそろそろ帰ろうや」と言い始めてからも長い長い時間をかけて帰り支度を。
          

希さんは悠雅君と一緒を大喜び。悠雅君は自分の思い通りに冒険ができないし、ジージも希さんに注意が行くので少し不満が残る。
そんなこんなで何とか今年の夏の川遊びをさせられた。これでジジ・ババのノルマを果たした。
ノルマという言葉をよく調べてみると、「勤務や労働の最低基準量」とある。

こちらとしては精いっぱい尽くしたつもりでも、最低限のことをしたのに過ぎないとは、ちと辛いね~
結局は、やはりこちらが上手に遊んでもらったということになるんだろうねー。

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「25年という歳月」

2016年08月25日 | ニュース・世相

            おめでとうマジック点灯。先は見えたぞ!!

拙いブログではあるが、「これは書き留めておきたい」と思い立つネタがたまにある。
多少なりとも他人さまに目を通して頂くブログ。飽くまでも、個人的なメモ書きや日誌に終わらせないように心掛けている。
取るに足らないネタだな~と思いながらも、アップするからには少なくとも書き手の考察や思いを込めたいと思ってはいるのだが。

特に今日の場合、「これは絶対に書き残すべきだ」と自らを発奮させるネタである。
アツク・熱く・厚く・暑く応援してきた、我が愛する広島カープが優勝へのマジックNo20を点灯させたことである。
それもなんと25年ぶりという、長き低迷を乗り越えての快挙である。
小生一人ならず、カープファンはもとより、プロ野球ファンが賞賛を送る出来事だと思う。

まだ優勝が決まったわけではないのだから、こんな話は時期尚早と嗤われるかもしれないが、カープファンの気持ちを代表して。
あの人類初の原爆投下で荒廃した広島に、プロ野球チームを創設したのが昭和25(1950)年である。
球団存続のギリギリの憂き目をみながら、歓喜の初優勝を成し遂げたのが昭和50(1975)年、10月15日である。
創設から初優勝までの期間が25年。負けても負けてもファンは必死に声援を送り続けた。

全盛期を経て最後に優勝したのが1991年。あれから25年。リーグ優勝を待ち望んだカープファン。
奇しくも、創設から初優勝までの期間と同じ期間を要した今回の、マジック点灯。
どんな言葉を使っても、この胸の感動は言い表せないくらい、複雑で奥が深いような。

25年といえば、まだ現役バリバリ50歳。「自分のために、会社のために、社会のために」、などと肩ひじ張っていた時代。
定年退職、サンデー毎日などという大きな転機を経て今74歳7か月。
たかが小生如きの道のりを振り返っても、25年は長いし、数多くの歴史が刻まれている。

ましてやプロ野球という華やかな勝負の世界。勝つときはいい、負けが続くと周囲の冷ややかな対応。
それら厳しい世界の中で「いつかはきっと」と待ち望んだカープファンが熱望する歓喜の胴上げに向かって、今ひた走る。
1日も早いマジックゼロを目指して、今夜も、明日からの名古屋3連戦も、フレーフレーカープ!!

ちなみに、優勝マジックNo20とは。
カープにとって、残り26試合のうち20勝すれば優勝が決まるという数字。
たとえば、巨人戦直接対決5試合に全敗しても、他チームに20勝すればいい。
今日以降、カープが一つ勝てばマジックは一つ減る。巨人が一つ負ければ同じくマジックは一つ減ると、いう仕組み。



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「夢に向かって、笑顔と涙と」

2016年08月23日 | ニュース・世相

                            
                  新聞1面、トップ見出し

あの派手派手陽気でセクシーな、リオのカーニバルでおなじみの、南米ブラジルリオデジャネイロで行われたオリンピック。
夢に向かって、限界に挑む努力を重ねたアスリートたちによって、連日連夜迫力ある熱戦が繰り広げられた。
熱闘の17日間は、開会式に勝るとも劣らない賑やかさの中で閉会式が行われ、東京への大会旗渡しで幕を閉じた。
次の会場となる日本から、地球を貫通するトンネルでリオに到着した、安倍首相扮するマリオネットもよかった。

今回のオリンピックは、28競技、306種目にわたって行われたという。
世界から205の国と、10500人に及ぶ選手が集い、国家と個人の名誉を賭けて、熱い闘いを繰り広げた。
日本からは、男子174人、女子164人の338人が27競技に参戦した。

金メダル12。銀メダル8。銅メダル21。合計41個のメダルは過去最多となった。
国際大会の最高峰であるオリンピックでの、日本選手の躍進はなんとも心強い。今後に益々夢を抱かせる。
多くの場面で感動の勝利者の涙が、応援する者の胸を熱くする大会でもあった。

一発勝負で勝者と敗者に分かれる個人競技は、身にまとった運・不運も勝敗を分ける大きな要素になることもある。
そういう意味では、勝っても負けても、死力を尽くして練習に練習を重ねたプロセスにこそ、大きな値打ちがあると思う。
みんなそれぞれに多くの人に支えられ、目標を掲げて、血のにじむ練習を積み重ねてきたのだ。

「あきらめなければ夢は必ずかなう」と言えるのは、ホンの少数である。
あきらめずに夢を追っても、歯を食いしばっても、どこかで誰かが勝者になると、それ以外の人は敗者となる。
勝者と敗者は紙一重である。『勝者たりえずとも必ずしも敗者ではない』

こんな理屈は、勝負の世界では通用しないのかもしれないが……。
夢はかなわなかったが、あきらめなどしていないアスリートは五万といるはずである。また明日に向かって努力を!!

暦は「処暑」で、暑さも和らぐころという。
オリンピックに向いた眼を、プロ野球に戻して、処暑どころか熱いアツイ戦いを繰り広げるカープに声援を。
♪♪ 勝て勝てカープ ガンバレカープ カープカープ われらのカープ!! ♪

 

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「アツイ、熱い、暑い毎日」

2016年08月20日 | ニュース・世相

                         
           男子400mリレー、世界の2位、銀メダル獲得

相変わらずギンギラ日照りの暑い暑い毎日。
大雨洪水被害が出ている東北・北海道の方々にはお気の毒で仕方がない。
できるものなら、雨が欲しい、涼しさが欲しいこちらの日照りとミックスしてくれると有り難いのに。

そして今ひとつ、日本列島を熱く盛り上げている「Rioオリンピック」のメダルラッシュ。
笑顔あり、努力が報われた勝利の涙あり、積み重ねた経験と実績が実を結ばない悔し涙もある。
いずれも見守る人の心をアツくさせる感動のドラマが、クライマックスを迎えようとしている。

男子400mリレー決勝戦。まさに手に汗握る4年に1度の世紀のレース。
100m、200mの世界の覇者、ボルトが率いるジャマイカが隣のレーンに。
濃いオレンジユニフォームの我ら日本チームは、100mを9秒台が一人もいない4人だが、バトンリレーの精度は世界屈指。

山県亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥。一人ひとりの努力が結集した晴れ舞台。
ヨーイ、スタート!!懸命な走り、懸命なバトンリレー。最終走者はケンブリッジ飛鳥。左隣には長身のボルトが。
一直線に前を向いてひた走る。歓喜の2位でゴール。日本初の銀メダルを獲得。胸が熱くなる、目頭もアツイ。

陸上競技トラックレースで銀メダルは初という日本陸上界。世界を驚かせる結果を得た。
ということは、明日からは打倒日本という意識が世界に起きるのだろう。
4年後の東京を目指して、追われる立場でのさらなる精進を積み重ね、喜びを再現させて欲しいものだ。

勝負の世界は言うまでもなく厳しい。倒さなければ倒される非情な個人競技には、ドラマが付いて回る。
こちらが勝てば相手は敗者の涙を流す。相手が歓喜の涙ならこちらは悔し涙となる。
解り切った自然の理ではあるが、精一杯応援する裏に「よくがんばったね」という慰労の気持ちをいつも持っている。

最後にもう一つ、アツイ熱い戦いを繰り広げているのが、プロ野球広島カープ。
夕方6時以降は電話もカミさん任せにし、テレビの前に陣取って、一人勝手に燃え上がっている。

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「相手変われど」

2016年08月18日 | 季節の移ろい・出来事

          
     希さんと約束の、海の公園にお付き合い        ちっちゃなスイカと大きなスイカ

夏休みに入って毎日のようにやって来る悠雅君。
その上に、周期的に里帰りする希さん一家。
悠雅君と希さん二人が重なると、受け入れのジジババは大変。精一杯相手を務めるが、まさに多忙を極める。
半端でない今年の暑さも、子どもたちには気にならない様子だが、ジジババにとってはしんどいものがある。

とは言いつつ、見るたびに成長を見せる希さんから「おねがい」と耳元で囁かれると、「ウンいいよ」と言わざるを得ない。
ガンガン照りも厭わず、というか暑さ日焼けを覚悟の上で、海の公園の白い砂浜へ。
きれいに澄み切った海水に、浮き輪を付けてはしゃぎまわる声は、つい暑ささえ忘れさせる。

引き潮の軟らかな波に漂う小さな体。一瞬も目を離せないジジも、膝までは水に浸かって水温を感じながら監視を。
ちょくちょく声をかける「お茶タイム」は素直に応じる3歳児。休憩用の数寄屋に二人並んでごっくんゴックン。
お茶タイムには素直に応じるが「そろそろ帰ろうか」には拒絶反応。かれこれ2時間半。

2回目のトイレ休憩に水から上がったところで、ようやく納得の水遊び打ち切り。
着替えを済ませて「さー帰ろうか」「まだダメ!」。遊び馴れた海の公園のあっちこっちを散策にもう一汗。

夕方になれば団地公園が日陰になるのを知っている悠雅君の、野球練習のお付き合い。
じいちゃんを守らせ、自分で打つノックの勢いもずいぶん鋭くなってきた。あっちこっちに打ちまくる。
走ったり歩いたりしてボール拾いにまた大汗。

相手変われど主変わらず。どうかすると一日中、体のいい遊び道具として重宝されてしまう。
少しは体重がいい方向に?と期待して体重計に乗ってはみるが、これがなかなか。
早く終われよ夏休み・・・などと半分希望しながら、今この時間は大切だねーなどと思う、主である。

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「全国戦没者追悼式」

2016年08月15日 | ニュース・世相

             

8月15日。「平成28年神宮館福寳暦」によると、「月遅れ盆」「終戦記念日」「全国戦没者追悼式」とある。
戦後71年の今年も「全国戦没者追悼式」が日本武道館でしめやかに執り行われた。
武道館正面には特設祭壇が設けられ、天皇・皇后両陛下からの献花が供えられていた。

全国一斉に黙とうを捧げる正午の時報に合わせるように、追悼式はち密な進行であった。
天皇陛下のお言葉に続いて、三権の長も追悼の言葉を述べて、不戦の誓いは日本国中に伝播されていた。
ここ岩国市でも、防災スピーカーでサイレンが吹鳴され、正午に黙とうを捧げた。

もう一つの8月15日は、靖国神社に誰が参拝した、首相は参拝しなかった、などと報道陣はこぞって靖国神社のニュースを取り上げる。
まるで中国や韓国のご機嫌を伺うような報道が目立っているような気がする。
我が国の首相がどこに参拝しようと、閣僚がどうしようと、党派を超えた議員団が参拝しようとすまいと、我が国内の報道機関がそれほど騒ぎ立てる必要があるのだろうか。

靖国神社の性質上問題ありとするなら、戦犯を分祀する世論を盛り上げ、実行に移す報道はできないのだろうか。
戦争で亡くなられた多くの御霊に、哀悼の誠を捧げる最善の方法を、新聞各社が提案してはどうだろう。

8月15日の今日、韓国は国会議員団が「竹島」に堂々と上陸した。
尖閣諸島では連日、中国の威嚇行為が横行している。
世界平和を脅かしかねないこのような、中国の横暴や、韓国の動きを大きく世界に向けて報道すべきではないか。

いずれにしても8月15日終戦記念日。戦没者を追悼し、不戦を誓う気持ちを新たにして、世界平和を祈りたい。

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「祥月命日」

2016年08月14日 | 思い出話

                            
            暑さを避けてツバメが9羽、軒下で羽を休める

8月14日は父の祥月命日。
43年前の1973年は、今年と同じように、夕立を待って待っても一粒の雨の恵みもない、暑い暑い夏だった。
「ちょっと風邪を引いたような」と、勝手な自己診断を下し、頑として病院に行かなかった父。
わずか1週間の煩いで一気に衰弱し、往診の点滴注射も手遅れで、足の親指の先から冷たくなっていった。

大げんかをしてでも無理やり病院に担ぎ込めば、快復という道はあったかもしれない。
ただその当時は、今のように救急車を利用する習慣もなければ、救急車そのものもいない時代。
どうかすると、リヤカーに乗せて近くの開業医へ家族の手で担ぎ込む、というのが当たり前のお粗末な救急態勢。
本人が積極的にならなければ、病院搬送も実現はしない。

そんなことで一気に逝ってしまった父は、享年74歳であった。まさに今を生きている小生の歳と同じである。
なんやら尻がくすぐったいような、オレもいつお迎えが来てもおかしくない歳なのか……などとふと思う。
特にこの夏のように、逃げ場のない暑さはもうたくさん、などと思ってしまう。

『明治32年に生まれ、昭和48年8月14日を一期に74歳の生涯を閉じた父。
その時31歳だった私が今、父の享年に並ぶ74歳の夏を迎えている。
同じ74年の生涯でも、生きて来た世界や世の中のありようが大きく異なるので、
同じ土俵での比較はできないと思いながらも、あの旺盛な生活力や波乱に富んだ父の生き様には遠く及ばない気がする。
今のところ病気もないので、生きた長さだけは父を超えるのは間違いなくなった。
今日は祥月命日。こんな倅の生き方の評価を、墓石に尋ねてみるか。それとも自分の胸に手を当ててみるのがいいかな。』

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「涙の初打席から」

2016年08月13日 | 家族・孫話

                    
           すっかりチームに溶け込んで

持ち前の負けん気で、好きで好きでたまらない野球にどっぷりハマった悠雅君。
チームの練習日には必ず参加して、監督・コーチに鍛えられ、少しずつではあるが確かな進歩を見せている。
バットスイングも早くなってきた。

あの公式戦デビュー、「涙の初打席」からおよそ1カ月。何度か公式戦の機会はあったが、出番の声はかからなかった。
そして一昨日。18チームが集まる地元での大会が開かれた。
リーグ戦で、全チーム3試合を行い順位を決める。当然ながら得失点の差も問題となる。

そんな大会で、悠雅君所属のチームは優勝候補の一角。人数こそ少ないが少数精鋭。特にピッチャーがいい。
第1試合は10対0の圧倒的優位で進んだ。試合終了間近、「代打、ユウガ」監督が審判に告げる。
思い切りのいい素振りをくれてバッターボックスへ。涙の初打席の雪辱なるか。

そんな甘いものではない。雪辱はお預けの三振。でも今回は涙はなかった。もちろん笑顔もない。
そのわけは、結果は三振だがそのうちの1球はバットをこすった。もう1級はファールと、バットに当たったのだ。
そして最後の3試合目、再び「代打、ユウガ」の声と共にバットを立てて身構える。

3球目、見事にセンター前ヒット。あの小さな体から生み出された初ヒット。勢いよく一塁ベースに駆け込む。
チームメートや監督から喝さいを受けた。相手チームからは「???」、笑顔と拍手が贈られた。
本人もびっくりしたのか、一塁ベース上でどうポーズしたらいいのか迷っていた・・・と、お父さんから聞かされた。

間の悪いことに、教え子の初ヒットを、ジジはこの目で確かめてはいないのである。
1試合目の打席は終わったころに会場に着いて間に合わない。
3試合目の打席は、昼食を挟んだ午後となり、ジジは昼食の持参もなく、しかも炎天下、熱射病を避けて家に帰った後だった。

惜しや惜しや、こんな素敵なシーンを見損なった。悠雅君も、ジジに見てもらいたかったのに違いない。
まあいい、一度この味を覚えたらまた近いうちに次のチャンスはあるだろう。その時までジジからの拍手はお預けだ。

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「新たな祝日」

2016年08月11日 | 季節の移ろい・出来事

                           

今日は「山の日」。今年から始まった新たな国民の祝日のひとつである。
山の恩恵に感謝し、自然に親しむ祝日として、2014年に制定された。そして今年2016年から施行される。
8月に祝日が設けられるのは初めてで、これにより国民の祝日は年間15日から16日に増える。との注釈が付く。

自然に親しむという風潮は、かなり以前から定着してきており、いわゆるアウトドア派が急増している。
もう一つの、感謝するべき「山の恩恵」とはいったいどんなことなのだろう。

昔は家を一軒建てるためには、山から切り出す木材や竹などがその原材料の全てであった。
かつて、織田信長の居城を築く「火天の城」という物語があったが、あの城郭の芯をなす柱の、調達から製材そして建築へと。
これらの例にもみられるように、山の恩恵は、私たち人間にとって切り離しては考えられない、深い結びつきがある。
時代の流れとともに少しずつ様変わりして、家を建てるのも山の恩恵ばかりではなくなったのも事実である。

もっとも、山の持つ偉大な力から言えば、木材を切り出すという恩恵は、ごくごくわずかな一部分にすぎない。
人も動物も、すべての生き物の『命』を守り育ててくれるのが山であり、山が含む水の力であろう。

近年山を守る人が少なくなった。というか、山の近くに住む人たちの高齢化が進み、山を守れなくなった。
山が荒れ、人間の住む領域と、野生動物の領域の境界線が見えにくくなっている。
だから危険な害獣もエサを求めて人里まで降りてくる。突然山が崩壊して人命を奪う災害も起きる。

今年からスタートした祝日「山の日」を本当に生かすのは、山の荒廃を防止の国家予算を組むことではないか。
そうして道路の整備や、海岸防波堤の整備と同じくらいの投資で、治山治水に取り組むべきかな、などと。
身近にある里山にしても、一旦荒廃したものを整備するのは至難の業である。荒廃させない取り組みを是非。

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