我が家に来て10数年、初めて今年花をつけたアジサイ
8年前に亡くなった母が、まだ元気でなんでも自分でできるころ、東京の兄嫁さんから母宛に色んな花が送られていた。
母の日であったり、誕生日であったり、お歳暮や中元あったり、年に数回届くこともあった。
そんな中の一つが、普通のアジサイと、「墨田の花火」という粋な名前のアジサイである。
しっかり花を楽しませてもらった。
せっかく東京から箱入り娘として送られてきたのだから、花を楽しむだけではもったいない気がして庭先に挿し芽をしておいた。
普通の種類、墨田の花火、両方ともうまく根付いて枝葉を広げていった。
墨田の花火の方は花の付きがよくで、3年目くらいには咲き始めた。
ところが、「手まり咲き」と呼ばれる普通のアジサイの方は待てど暮らせど花を付けない。
植木職人さんに尋ねたり、調べたり、友達から情報得たりしてあれこれ手を尽くした。
毎年の剪定も、言われる通り忠実にやってきた。それでもこちらは全くつぼみすら付ける兆候がない。
昨年は剪定をやめた。このままほったらかしで6月を待つことにした。それで咲かなかったら掘り起こそうと……。
そんな覚悟のほどが聞こえたのか、地に卸して10数年、待ちに待った大輪の花を、今年初めて付けた。
NHK大河ドラマ「真田丸」の豊臣秀吉のように「咲かせてみせよう」とはいかなかったが、「咲くまで待とう」の徳川家康の真似は出来た。
下手をすれば「引っこ抜いてしまえ……」の信長方式になるところであった。
手まりアジサイから得た教訓は、自然の流れに逆らってまで「咲かせよう、咲かせてみせよう」などとシャカリキにならないこと。
自然のまま、ありのままの成長を見守ることの大切さをチラッと……。
ちなみに、アジサイの花言葉は「移り気」「高慢」「辛抱強い愛」なのだそうな。
土壌の質によって花の色が変わったり、咲き始めから徐々に色を変えていくから、という意味らしい。
10数年ぶりのアジサイ、楽しんでいる。そんな5月も今日が晦日。