それなのに、高齢者なのだから「インフルエンザも、コロナワクチンも」と尻を叩かれて接種したら、今朝がたから身体全体の節々が痛い。間違いなく風邪症状の初歩の微熱感覚。だるかった。
それなのに、高齢者なのだから「インフルエンザも、コロナワクチンも」と尻を叩かれて接種したら、今朝がたから身体全体の節々が痛い。間違いなく風邪症状の初歩の微熱感覚。だるかった。
隠れ紅葉の名所と勝手に名付けて、紅葉見ごろを狙って毎年訪れてきた。腕前はともかく、カメラは上等品を引っ提げてささやかながら拙ブログの読者に見て頂こうと、自称最高のアングルから最高の写真を撮ってアップして来た。
隠れ紅葉ではないがもう一つ、作家宇野千代さんの生家で例年通りのお茶会が催されたがそれも、他の予定と重なって、結局今年の地元紅葉見物はあきらめた。
そしたらなんと、これからの日本は四季ではなく、二季になるよと興味深い話を小耳にはさんだ。暑い暑いと嘆く夏が半分で、後の半分は寒い冬で、中間の花咲く春や、お月見や紅葉の秋はなくなるのだという。ウ~~ン、確かに心配になるほどの異常気象連続の昨今、あり得ない話ではないのかなと思わせる。
そんな異常中の異状を待つことなどあり得ないが、いつの時代も、漫画のような話がやがて現実となることが多い世の中。まるで絵空事では収まらないだろう。そんな恐怖が現実となる前に、世界の冠たる指導者は、我田引水、自らの欲得だけに走らないでなんとかせ~よ。でなかったらもろ倒れの敗者になることに気付くべきじゃないのかねぇ。
先日のいい夫婦の日(11月22日)の方が少しは文学的な匂いもするようだが、まあどっちにしても11月は頭に「いい」と言う二文字から始まるから何かにつけていい記念日になりそうな気がする。
先ずは風呂の水くみの話。我が家の井戸が枯れてしまって隣りからのもらい水。それもうまくいかなくなったら今度は、少し離れてはいるがおふくろの仲よしおばさんの家のもらい風呂。小学校4・5年生だったろうか、何かにつけて恥ずかしさを覚える頃のもらい風呂は、風呂上りから戻る道すがら冷えるのなんの、もらい風呂の哀れさと貧乏が身に沁みた思い出がある。
児童は既に講堂に集まっていた。登校班の地区ごとに別れて、寝っ転がってリラックスしている子、せわしげに宿題ノートに消しゴムを走らせる子、様々に「保護者が迎えに来るのを待つ」という共通の目的の中で自由に時間を過ごしている。
この小学校には、写真を一切撮ってはいけない生徒がいるのを知っている。
しかも、児童にはそこまでの意識はないと思うのだが親の意思というか、何かの都合で児童をカメラから断固守っている。だから、この学校では「竹細工教室」をやっても「しめ飾り教室」をやっても、作業を頑張っている児童の姿はもちろん、後ろ姿もカメラに入れてはならない。ひいては、集合写真も撮ることができない。広報担当としては実に切ない思いをさせられる。
たとえその子は撮らないとしても他の子は嬉々としてピースサインを送って来るので、地域活動の記念撮影はすることになる。一人の子のために集合写真や全員の記念撮影が許されないという事実。世の中って難しいね~。校長先生も教頭先生もそのことは十分ご承知だが、なんともならない現実を眺めているしかやりようがない。
初冬の朝早い川風を心配して少し重ね着で出かけた河川敷運動広場。岩国のシンボル錦帯橋の上流200m。見上げる目に飛び込む岩国城という素敵なロケーションのもと、少年ソフトボールに取り組む近郊の20チームが参加する大きな大会に来賓と言う形のご招待を受けた。
しかし、寒い暑いなどと言ってる場合じゃなく、火の玉のように孫の背中を押しまくって応援したのはたった3年前の話である。先発投手とショートストップの二刀流でジジを満足させる大活躍であった。いま3年前の後輩たちが6年生レギュラーになってがんばっている。そんな6年生が私の顏を見ると「〇〇君のジイちゃん」と寄ってきてくれる。
これだけの子どもたちが集まるためには何人の大人のパワーが注ぎ込まれているのだろう。お父さんもお母さんも祖父母も必死である。このように親子の共通した目標があって、一緒に過ごす時間が持てることは、今どきの子どもには必要な気がしてならない。小学校では1年生から全員がタブレットを使って学習する時代である。何がよくて何がよくないのか判然としない時代背景の中で、少なくともこういったスポーツ少年の中からは、ホワイト案件の誘いに乗るようなことがないよう祈りたいものだ。
「今年も晩秋を迎え隣の空き地のピラカンサが見事に熟した」と表現しようか、「初冬の吹き抜ける北風の中で、隣りの空き地を真っ赤に染めるピラカンサ」と表現するか。
♫ 出ん出ん虫ムシ コタつむり おまえの頭はどこにある・・・♬
この季節になると、里帰りする姫孫たちが真っ先にするのが、まぁるいホーム炬燵に潜り込んで、カタツムリならぬコタつむりを決め込むこと。顔半分まで炬燵布団をかぶって、ちっちゃな体ながら二人が炬燵を占領する。
結果的にはどっちであろうとも、長い間引き受けて来た広報担当という仕事上、手元には莫大な写真集が残されている。
活動20周年記念の大型写真パネルを作成するという話にれば、横を向くわけにもいかない。
コンサートなどで「最後の一曲となりました」と言われ、その曲が終わったら一旦幕が下りる、のではなく緞帳ともいう豪華なカーテンが閉められる。とたんに観衆が立ち上がって拍手を送り続ける。するとほぼ間違いなく再び幕が開き、ではなくカーテンが左右に開き、観衆の拍手に応えるようにもう一曲サービスで聞かせてくれる。
今どきアンコールと言う言葉はあまり使わなくて「カーテンコール」というのよと誰かが教えてくれた。
我が定年後の人生を「自分のアンコール人生」と思って来た。つまり60歳で一つの幕が下りる。そして新たに始まるおまけみたいな定年後人生こそがアタシのほんまもんの人生だと、少し突っ張ってきた。というか、現役時代ほど周囲に気を使わなくてもいい、少しは横柄でもいいんじゃないの、などと思いあがった部分はある。
ましてやカーテンコールとは、お客様からの拍手で再び迎えられることを言うのならば、アタシの場合、誰も拍手などで迎えてはくれない。だからアタシはアタシ自身が拍手してアタシ自身がカーテンを開いて再び登場して、アンコール人生と呼んでいるだけのことである。
思い切って憂さ話が出来るのは有難いチャンスだったのかも。よしまた近いうちに昼飯を誘おう。夜の幹事はもういい。昼間ならいつでもOKよ。
今日は地元小学校2年生の授業の応援に駆り出された。
図工の学習の一つで、カッターナイフを使って洋紙に書かれた図案の線に沿って、物差しで押さえカッターで切れ目を入れ、立体図型を作り出すという学習である。
要するに、物差しで用紙を抑え、指を切らないようカッターの安全な使い方を監視するといもの。
幸いにも私は、紙とカーターナイフの切り方・使い方についてはプロフェッショナルである。
かつての職場は、大手製紙メーカーの技術課、いわゆる紙製品の品質をチェックする試験課が長かった。ひと巻きが7トンも8トンもあるジャンボ巻取りの一部を切り取って、厳しい製品スペックに合致しているか否かの判定をする、試験官と言う立場で、現場の生産担当者からは嫌われる存在であった。
検査をするためには、1日にどれほどの紙を断裁して坪量(適正な重さを保っているか)・平滑性(なめらかさ)・光沢(艶・照り)・カール(曲がる度合い)などありとあらゆる形に紙を切ることで飯を食って来た。そこには厚さ50mm以上のステンレスかアルミ製の専用カット板が置かれていた。
急ぐために物差しなど当ててカッターを使ったら始末書ものである。
今日はまあ、小学2年生の授業でもあり、カッターを使って紙を切る作業に慣れるという目的なので竹製の物差しで紙を切っても仕方ない。ただ怪我をさせないよう、カッターを使う姿勢には厳しく目を向け、少しの注意もした。
問題は、小さな子供に、なんでもかんでも既製品の出来上がり品を与えるのではなく、時には自分の手で作るプラモデルなど、手先を使う作業をさせておく方が間違いなく、子どもの将来のためになるのではないか。あまりにも稚拙で、たった30人の児童ではあっても、先生二人だけには任せられない授業となってしまう。一朝一夕にうまくはならないが、少しずつ少しずつ鍛えておくのが親の愛かもね。
Closeup 現代
我が家のテレビはおおむねNHKが流れている。
何故か? 格別な事情があるわけではないが、強いて言うなら今日一日の動きが、世界中から我が住む県内に至るまでの幅広い情報が入りやすいという単純な発想かな。
兎に角、これみよがしに個人を売り込もうとする民間のバラエティなるものに辟易している、というのはある。
特に今宵のクローズアップ現代、身に詰まされましたねー。
入れ替わり立ち代わりして、電話や直接訪問。最初は耳に優しい話で認知症検査をしてカモかアヒルか確かめる。一旦カモと決めたら、寄ってたかって吸い上げられるまで吸い上げる。手口は千差万別。相手の認知度によって使い分ける。
どこかに司令塔がいて、情報を共有し、ターゲット絞り込んだらたらいまわしをする。
日本中を恐れさせるあの広域強盗一味とあまり変わらないのかも。
持って行かれるお金などありはしないが、その代わりに命を持って行くと言われるのも辛いね~。