「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「神無月つごもり」

2022年10月31日 | 季節の移ろい・出来事

          
            晩秋の陽に黄色と赤のグラデーション          目を射るような鮮やかな黄色

早10月もつごもりを迎えた。庭の片隅にひっそりとうずくまる感じのツワブキが、我が世の春を謳うかのように、目を射るような鮮やかな黄色が笑いかけてくる。すっかり色付いた南天の赤い実が、黄色を見下ろして見事な晩秋、神無月つごもりを演じている。お見事!!

凌ぎを削ったプロ野球日本シリーズも、予想通りなのか予想をに反したのか、兎に角「オリックスバッファローズ、26年振りの日本1」で決着をみた。
野球界はすでに来シーズンに向かう準備に余念がない。ドラフトやトレードなど、新入団を喜び会う歓喜の裏では、解雇通告や新たなオファーを待ちながら、再挑戦のトライアウトに挑むという選手の明暗が浮き彫りになっている。これほど明と暗が激しく交錯するのがこの季節の特徴でもある。

そして今日の話題として今ひとつ。
10月31日のハロウィンというお祭りが、アメリカやヨーロッパから世界中に広まった。元々、11月1日にキリスト教諸聖人に祈りを捧げる日として始まったのが、時の流れや人々の価値観などで段々様変わりして、現在の仮装舞踏会であったり、若者が集まって大騒ぎをする日みたいになったようだ。
つまり、キリスト教信者の聖なるお祭りのはずが、信教を越えて大々的な世界中のお祭りに発展したということなのだろう。

楽しく遊ぶお祭り大いに結構。日本各地でも大々的に行われる秋まつりの賑わい大いにやるべし、と思っている。
それが、昨夜の韓国の大惨事のように異常な大発展をしてしまうと、せっかくの宗教行事のはずがとんでもない不幸と深い悲しみをもたらす。子にも孫にも絶対に参加してはならないと厳しく言いたくなる結果を招いたことは、何とも言いようのない悲嘆にくれるばかり。そも腹立たしさを伴って。

起きてしまったことは仕方ないでは済まされない、二度と起こしてはならない人的災害である。大事な大事な世界の若者を、本来は神事であるはずの祭りで失う損失は計り知れない。ロシアの独裁者も特別徴兵などと、若者を戦場に駆り立てて若い尊い命を無駄にする愚かしさに一時も早く気付くべきである。侵略する相手が抵抗するのだから仕方がない・・・などと自分勝手なことばかり言っていると、若者がこの世から減ってしまう。みんなで考えたい事柄ではある。

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「丹精と静寂の世界」

2022年10月30日 | 季節の移ろい・出来事

            
              丹精と静寂の世界を切り取った、「秋の盆栽展」

昨日と今日、たった二日間の盆栽展の案内を頂いたのはおよそ1ヵ月前。忘れては義理に欠けると思って葉書をカレンダーに貼り付けておいた。
最高の秋晴れにめぐまれたものの、澄み切った青空とはあまり縁のない、静寂な室内の優しい光線に浮かぶ、作り手の丹精が込められた盆栽展を覗かせてもらった。これまでにも何度となく見せてもらってきたお馴染みの作品もあるが、「おやおやこれはまた珍しい」といった新たな発見もある。

優雅に床の間に飾ったら、家の格も上がりそうだし住む人の品各も上がりそうな素敵な小物作品も展示場を彩っている。
その脇には、樹齢ははっきり読めないほどの長寿の「真柏(しんぱく)」が勇壮さと静寂を併せ持って、観賞する人の目を惹きつける。
この作品のオーナーに直接話を伺った。

作品と同様に話しぶりも、その内容も実に物静かで、ホンの短い時間ではあったが味わい深い思いが心に響いた。
この「しんぱく」が手許にやってきて以来かれこれ30年という。それまでに100年近く、森で生きてきたのだろうとおっしゃる。
風邪を引かせないように。水分を切らさないようにかといって与えすぎないように。病気の症状には早く気付いてやって手当を怠らない・・・などなど。話を聞いていたらまるで我が子の子育て以上の気遣いと思いやりで、一緒に生きてこられた様子が見える。

趣味の世界もここまで来るとまさに一心同体と化すようで、目を細めて話をされる80過ぎのオーナーの顔が、優しさと幼さと若さも交えた不思議な笑顔に見えた。奥様も同じ趣味で、この丹精と静寂の世界を共に楽しんでいるという。

晩秋の一日、いいものを見せてもらった上に、私には及ばない時限の異なる世界を感じさせてもらって、得した気分。

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「目標!」

2022年10月28日 | つれづれ噺

               
                ラストランの晴れ姿、小平奈緒さん

『アイススケートの女子短距離界をけん引してきた小平奈緒は、最後まで強かった。』
メディアの一致する賛辞が、彼女のひたむきな生き方と日々の努力を怠らなかった選手生活、そんな人となりを端的に表していて心地いい。
2018年平昌冬季オリンピック500mで金メダル獲得は記憶に新しいが、2016年から2019年に至る500mで国内外37連勝といった華々しい活躍などその華やかな歴史を数え上げればキリがないほどである。

そんな彼女は、いつしか後に続く若い選手の『目標』となった。奈緒さんの走りに近づきたい。奈緒さんを追い越したい。と必死に練習したスケーターは何人いるのだろう。おそらく計り知れない数にのぼるに違いない。今を絶頂期と世界に羽ばたく高木美保選手も、かつては奈緒さんが目標であったという。
今その走りを終え、チャンピオンの勇姿でラストランを飾った小平奈緒さんに、惜しみないねぎらいの拍手を送りたい。ほんとうにお疲れさま。

ところで、目標ってなに? ちょっと考えてみたい。
特別な何かを持ち合わせてはいないが、親という存在にはなった私たち夫婦。娘一人、息子一人の父親であり母親となった。
息子にとって父親は、最も身近なライバルであり、一つの目標であり、反面教師であり、乗り越えるべき壁である。もうとっくに乗り越えられているが。
一方母親は、娘・息子双方にとって、生き方を真似る目標であり「幸せに暮らすこと」の目標である。だから一生かかっても母親を乗り越えることはないと思うし、「母のように生きる」ことは永遠の課題である。

母親とはそんな存在であったな~と、今さらながら思う晩秋の夜。母の祥月命日が近付いてくる感傷なのかも。
小平奈緒さんの頑張りを目標にした話から横道にそれてしまって申し訳ない(笑)

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「柿食えば・・・」

2022年10月26日 | ニュース・世相

               

10月26日、今日は「柿の日」である。と知ったげに言ってはみるが、夕方のテレビニュースの受け売りである。
なんで今日が柿の日なのか。それはね、『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』と詠まれたこの句が生まれたのが、127年前の今日だという説によって、誰がどう決めたのか、10月26日は「柿の日」なのだそうな。目くじら立てて真偽を審議する前に、あっそう!!で行くのもいいや、ね~。

そんな柿の前日、つまり昨日のこと。
7月の参院議員選挙応援演説中に銃撃され亡くなった安倍晋三元首相の追悼演説が、衆議院本会議でおこなわれた。
お互い同期の政治家として、政敵として、共に日本国を思い、長年切磋琢磨して来た立憲民主党の野田佳彦元首相がその場に立った。

最も印象に残る核心の部分「再びこの議場であなたと、言葉と言葉、魂地魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった」と追悼の言葉を述べた野田佳彦という一人の政治家に対して、何かしらすっきり爽やかな秋晴れの空を仰ぐ心地がした。
互いに総理大臣という一国の全責任を担い、酸いも甘いも噛み締めた経験者同士。玄人の政治家として重責を務めあげた人同士の舌戦を爽やかに振り返り、在りし日の労をねぎらった。ごく当たり前のことであり、日本人の心にしっくり納まる行動に改めて感動した。

どうかすると、死人を鞭打つような言動であふれる報道に馴染めない人間にとっては、まさに青空広がる秋空の下美味しい柿を食したような得した気分にさせられる日。柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 が改めて心に沁みた。

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冬の使者が・・・」

2022年10月24日 | 季節の移ろい・出来事

                   

「明日からは寒くなるでしょう・・・」気象予報士さんが口をそろえておっしゃる通り、陽ざしがあった割には肌寒さを感じる一日であったような。
窓の外には、冬の使者でもあるジュービタキが「今年もよろしく!」と挨拶にやって来たようだ。日本に着いたとたんに豊富なエサにありついたのか、ふっくら丸い体で、独特のせわしなく尾っぽを振って見せてくれた。

市議会議員の選挙を終えて静かな朝を迎えた月曜日。28人定員に34人が立候補した熾烈な戦いを終えた。
固定電話にスマホ、さらにはラインで、支援者や選挙事務所、候補本人から感謝の言葉が述べられる。連絡が来るのは当選者からだから、お祝いの言葉を述べ、これからの活躍に期待する言葉を並べる。家内を含めても2票しかない私たちに、多くのお礼を述べられるのは片腹痛いが、これもまた世間という魔物の仲間として生きているということであろう。

すぐ近くの小さな町では、中国電力の原子力発電建設計画の是非を問う、建設推進派と反対派の一騎打ちとなる町長選挙も行われた。
元々原発推進派の町政が長く続いて来た町でもある。現職町長が病気による任期途中での辞職を受けた選挙でもあり、大差で原発推進派の新町長が誕生した。海に囲まれた漁師町として栄えた歴史もあり、海を汚染から守るという訴えであったように思うが、町民の生活を守る財源確保となると、現状打破を願い、原発止む無し。雇用の確保と交付金による町政維持が、現実的な得策という選択になったのであろう。

市会議員とか町会議員の選挙は難しいね~。とはいっても向こう4年を担う議員選挙はおわった。あとは、私たち市民のための行政に全力専念して欲しいと願うばかりだ。投票した議員さんの動向を注目したい。

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「色付く秋!」

2022年10月22日 | 季節の移ろい・出来事

                  

小さな箱庭のような植え込みの、一番いい席に座っている鉢植えの黄色いピラカンサス。
季節を得て黄色く色づき、実もふっくらふくらんで美味しそう。小鳥のご指名を待っているようだ。
季節を色で著わす幾通りかの言い方もあるようだが、やぶにらみ勝手流で言うなら、春は桜の花に象徴される季節なのだから「ピンク」かな。

夏は真っ赤に燃える太陽の季節にちなんで「赤」。では秋は、黄色に色付く黄葉、紅く色づく紅葉、お米の実りは黄金色。となれば黄色かな?でも霜降・白露・白秋とくれば、秋は「白」も捨てがたい。ならば冬はどうか。富士山を染める白、銀世界と呼ばれる色も白。やはり白は冬に譲って、秋は黄金色と決めよう。そんな意味からもピラカンサスの黄色い色付きは秋の象徴の色としておこう。

思えば10月も下旬を迎えている。時に冷え込み、時に晩夏の暑さがあったり、羽織るものの調整が難しい。
暑さも寒さも涼しさもへっちゃらで、季節に関係なく軽装で十分だった基礎体力をキープしたっ時代もあったのに。

色付く秋と共に、紋付を羽織ったような羽の色をしたジュービタキが今年もやって来た。
華やかな羽の模様が、この冬も隣の空き地を我が縄張りとして飛び回るという、大きな季節の変わり目を目で感じ、栗の渋皮煮の味で感じている。

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「身近な選挙」

2022年10月21日 | いわくによいとこ

              

任期満了に伴う、我が町の市会議員選挙がたけなわを迎えている。
28人の定員に対し34人が立候補という厳しい選挙戦で、16日に公示されてから6日目を迎えた。「お願い」と「名前連呼」の遊説も残り1日となり、走る選挙カーのスピードも段々上がってきた。連呼するウグイス嬢の声も一段とけたたましくなっており、終盤の追い込みに余念のなさがうかがえる。

人口減少に伴う議員さんの定数も削減を余儀なくされ、職業議員さんにとっても、新たな市政に意欲を燃やす新人候補者にとっても、まさに熾烈を極める闘いである。
正直言って、我々住民にとっても市会議員選挙ほど身近に感じる選挙は他にない。我が住む家のすぐ近くの人も候補者であり、あの件でつながっている人も、身近な地域活動で近しい人も「よろしくお願いします」の候補者である。最も強力に迫ってくるのは、親戚や同級生、ご近所さんなどがつるんで同じ候補をお願いに来ることである。さてどうする。

『三軒間口に一枚戸、あちら立てればこちらが立たず』一票の重さがこれほどのものかと今さらながら、選挙の非情な一面を思い知らされる。
ま、いずれにしても、新人もベテランも、既得権やここ数年の流れに胡坐をかくのではなく、真摯に市民のためになる政治をお願いしたいと思うばかりである。
そこでふと思うのは、『真摯』などと言う言葉をここで使うのか、市民や県民や国民のために政治をつかさどる人に、真摯を期待していいのだろうか。真摯という言葉を今一度辞書で引いてみたい。
こんなことを言うようになった私自身が、年をとってきたということか。選挙活動残り一日。審判や如何に。

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「3回目!!」

2022年10月19日 | 健康イチバン!

        
行って来ました3回目。
これはコロナワクチン接種の話ではないのよ。コロナワクチンはとっくに4回目を受けた、コロナ感染対策優良爺である。
では3回目とは、運転免許証更新に係る認知症検査のことである、このようなイラストを見せられて約10分ばかり他の話や、検査の説明やなんやかやで記憶をそらせておいて、「ハイ、さきほどの絵を思い出して何があったか書いてください」・・・という皆様ご承知の記憶力・思い出し能力のチェックである。

こんなことが本当に認知症検査になるの??と疑ったのは、まだまだ記憶力も確かな第1回目の検査の時であった。若かったね~あのころは(笑)
3回目の今回は、まっこと先ほど見せられた絵が、頭から消えてしまった部分がいくつかあった。やっぱり認知の進み具合のチェックにはなるぞ。なんて感心していたら続いて、ヒントを出されて思い出す方式では、あっという間に16問中15問が答えられた。正解である。

ただ一問、大工道具というヒントで何があったかどうしても思い出せない。ストップウオッチに目をやる教官の所作に気持ちは焦る。
エエイ、ままよ!とばかりに「ノコギリ」と書いておいた。あとで調べたら正解はペンチであった。やっぱり100点満点は難しい。そんな話をしていたら、隣の少し若い人がスマホ見せてくれた。画面には、先ほど検査を受けたイラスト16点と全く同じパターンが出ているではないか。「こんなバージョンもありますよ」と得意そう。これで予習しておいたらまず100点ですよ、と教えられた。な~~んじゃ、自動車学校のやる認知症検査なんてそんなものか、少し呆れたり、なんか馬鹿にされた感じがした。結論はこんなことなら幾つになっても運転免許証の更新をしてやろうっと決意したこと。

今日の認知症検査には大きなおまけがついてきた。見るからに大先輩らしく、かくしゃくとして声も歯切れも爽やかな品のいい高齢者に思わず近寄って、先ずお幾つでしょうかとぶしつけを承知で訪ねた「わたしゃ91です」それから数分、名前や住まいなど話が盛り上がってふと気が付いた。どこかでお会いしている。「〇〇小学校の先生ではなかったですか」「うんそうじゃが・・・オッ、YK君か」「え~覚えておられるんですか・・・」てなことで握手をしてもらったら、こっちの手が痛くなるほど握られた。片道20kmの畑にほとんど毎日通っている。だからまだ免許が要るんよと。

認知症対策も運転歴も、そして何よりその記憶力に脱帽。改めて気合を入れられてもらった。まだまだこれから、認知症など気にせず快適ドライブを!!

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「金木犀香る日」

2022年10月17日 | 健康イチバン!

             

昨年の花後の剪定が過ぎて、今年は咲くかななんて心配していた庭の金木犀。
主の気持ちを察してか、時期が来れば間違いなくあの小振りな花をいっぱい咲かせた。そして間違いなく、あのふくよかで甘い香りを振りまいている。
ちなみにキンモクセイの花言葉は「謙虚」「陶酔」「気高い」など。これもまたいい。

この花が咲き、町中を芳香が包むころに、我が家の小さな記念日を迎える。今年は51回目となる。昨年はまさにゴールド記念日とあって、娘が市内の観光ホテル1泊2日の贅沢をプレゼントしてくれた。来年はコロナも収まっているだろうから、その時は自前で51回目の記念旅行を考えていた。というのに、なんのこっちゃ、コロナは衰えを知らない。コロナ感染者の末路の哀れさをあれほど見せつけられたら、やっぱり知らない町の宿泊旅行に出かけるのは先延ばしになった。

その結果、51回目らしきことも何もなく、ホンの少し豪華な食事でお茶を濁した。世の中は今や、万来の旅行客を迎え入れる観光地が大賑わいというご時世とはなったが、ま、ものは考えようだ。別に今日の明日のとコロナ危険を冒してまでそれらしいことをしなくても、元気さもまだ残っているのだから、本気で安心して観光できる時を待って、心底楽しめるイベントでも考えよう。

そんなことを思っていたら、時を得たように時雨がやって来た。

   "" 時雨るるや又きこしめす般若湯  ””  川端 茅舎

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「やっぱり秋の一日」

2022年10月15日 | 季節の移ろい・出来事

       
       
           いずれ劣らぬ力作に魅せられた、写団「のら犬」の写真展

早くから案内をもらっていた、同級生が主宰する写真家グループ、写団「のら犬」の写真展を鑑賞した。
いずれ劣らぬ力作は、撮影旅行や時間と根気を重ねた逸品ぞろい。人並みに芸術の秋をたしなんだ格好となり、健康ウオーキングにも顔を出したし、先ず先ず秋という季節を一通りは味わったのかな。

絵画展・書展・工芸作品展・活け花展・盆栽展などなど、色んな作品展が行われる中で、自分にはいったい何が出来るのか小生の力量を考えてみる。
深く考えるまでもなく多くは手が出せないものばかり。絵画などはなっから寄り付く気になれない。書道も小学生のころ、小生の作品を見てあまりのお粗末さに呆れたおふくろさんが、慌てて書道教室に通わせたという不名誉な記憶がある。

唯一身近に感じられるものと言えばそれがカメラを操る写真術かなと思う。
初めてカメラを手にしたのは、小学6年生になった誕生日に兄が無理をして買ってくれた、ヤシカの「スタートカメラ」だったと思う。そんなわけでカメラと共に過ごした歴史だけは長い。が、カメラ道楽は貧乏人に出来る趣味ではないことから、しばらく手が出せない時期もあった。

現役をリタイアして数年後に、市内の様々な活動を新聞紙上に紹介する「タウンリポーター」という仕事を、友の紹介で始めた時から、報道写真に興味が湧いた。それこそ撮って撮って撮りまくった。その10数年は、動きのある中から静の一瞬を切り取ることに執念を燃やした。我ながら「これは!!」と思えるものも結構あった。ただ飽くまでもそれは報道写真であって芸術写真ではない。市美展や二科展に出せるものではなかったが、見る目だけは肥えた。そういう意味では、写真展に出かけるのは、少しワクワク感を覚える。

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