「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「この一年」

2008年12月31日 | 趣味・・エッセイ
2008年、平成20年も後数時間で終わる。 そして新しい年が始まる。
自分なりの、一年間のけじめとして付けた足跡の大きさ・数などを振り返ってみたい。

10大ニュースというほどの数はない。強いて上げれば、3大ニュースがある。それ以外は格別ランク付けするほどでもなく、普通にある話の延長線上であろう。

先ず一つ目は、ブログの開設である。
これは、知らなければそのままで通り越したことかも知れないが、知ってしまえば間違いなくはまってしまう事柄であった。それは、35歳に始めた、工場機関誌への自由投稿「やぶにらみ随筆」の続編みたいな感じで、特に抵抗なく入っていけた。工場機関誌は月一回の発行であるが、部数は2500部を超え、本社はじめ日本列島に散らばる各工場、そして市役所はもちろん、近隣他社にも配布されるという幅広い読者が対象となっていた。
そこで様々な思いを自由に書き込んだ経験と快感は、工場に足を向けて寝られないほどの感謝である。

ブログの閲覧者数は、工場機関誌に比べるとホンのわずかな数字だが、直接筆者の元へコメントが届くという、双方向関係の友情が成立する楽しさがたまらなく嬉しい。まさに不特定少数ながら、日本国内はもとより、世界の数カ所でも目を通してもらえているという心地よさがある。 但し、いいことばかりでは決してない。日々の更新が辛いことも経験した。しかし辞めようとは思わなかった。来年も是非続けて行きたい。

二つ目。 生涯に二度しか味合わない不幸な出来事、親との永遠の別れである。
満百歳の誕生日を無事に迎えてくれて、我々子どもを大いに喜ばせてもくれたのだが、老いという現実は確実に母の体をむしばんだ。 父を亡くしたのは35年前になる。それ以来の親との別れは辛いものがある。
いささか度を失って、思考回路はつながらない、記憶力は吹っ飛ぶ、懸案事項をやっつけても何か消化不良が残る。
自分が自分でない心許なさの数日も経験した。
幾つ年を重ねようとも、親は親・子は子である。心に開いた大きな穴を完全に埋め尽くすにはもう少し時間が掛かりそう。

そして三つ目。 長年勤めた大手製紙会社を定年退職をした後、1年余を自由に遊び呆けた。その後、元の会社で高齢者などの受け皿となっているサービス会社に隔週勤務のパートタイマーとしてのお誘いを受けた。自分で、少しやってみようと決め、いつでも自分の意志で辞められるという気楽な身分を、ついつい5年あまりがんばった。
その仕事を今年限りで終わらせた。文字通り年明けからは、毎日サンデー。自由気ままな、拘束のない日々が戻ってくる。最初の定年退職の時に味わった、「これからどうして時間をつぶそう…」などという不安は全く感じない、ただただ嬉しいだけの二度目の退職気分も経験した。 「俺にはやりたいことがいっぱいある…」という感覚は素晴らしいものである。

そんなこんな色んな思いを、一つ一つ噛みしめながら歩いてきた一年を振り返ると、やっぱり人生って面白いなー…、当分辞められないなー…という感じが強くなる。 そしてまた新しい出会いや、人とのつながりで、胸キュンの感性を錆び付かせないよう生きていこう。 ありがとう2008年。

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「お餅つき」

2008年12月30日 | 家族・孫話
いよいよ今年も残すところ後二日。

頭の中は整理がつかないほどの色んなことがあった一年である。
自らが求めて、新しく始めた事柄もある。否応なしに身に降りかかる一大行事もあった。

それらに付随して出てくる諸々を、出来れば年内に、全てカタをつけて新しい年を迎えたいという素朴な欲望が頭をもたげる。 
この年末は正月を迎えるための、玄関しめ飾りをはじめ、神棚のお鏡飾りも、仏壇へのお供えも、例年より大幅な控えめとなる。 神棚などは、軽くお掃除する程度だという。

お鏡餅を作らないお餅つきなど考えられないわけで、今年はやらなくてもよかったのだ。
でも、毎年この時期には、手も服もそこら中をも真っ白にするお餅つきを、孫の二人からせがまれれば断ることも出来ない。本来なら28日の恒例行事である餅つきを、二日ずらせて今日おこなった。

といっても、ペッタン・ぺったんなどという昔懐かしい風景ではない。台所の片隅で、モーターがウィーンと唸れば、蒸すからお餅になるまで20分余り。アツアツのつきたてを、さましながら二人の孫の出番となる。

この歓声、多少のいさかい。これぞ何よりの癒しである。
前日から餅米を水に漬かし、押入から餅つき器を出し、倉庫からモロブタを引っ張り出す。後始末も大変。

しかし、何故かしらイソイソとやってしまうのである。こいつらの笑顔・喜ぶ顔には、たいていのことはやってのけさせる魔力がある。一声せがまれると、余るほどのやる気と力が湧いてくるから不思議である。
この一年、こいつら二人のお陰で随分な目に遭った。が、それらの数倍の喜びや楽しさを与えてくれた。

来る年は、もう一人仲間が増えて、さらに賑やかにジジ・ババをゆっくりさせてはくれないのだろう。
有り難いことだ、必要とされるうちが花である。 来年も元気を取り柄にボチボチ行こう。

そんなわけで、今年一年、つたないブログにお付き合い頂いた方々に厚く御礼申し上げます。
どうぞ皆様、よき新年をお迎え下さい。そして、これに飽きず、来年もお付き合い頂ければ有り難いです。
世の中、辛抱は貧乏を追い越すのです。ガマンはやがて花開き、辛抱は人を練るのです。

        ( 写真:仲良く向かい合ってお餅をこねる、孫兄弟 )
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「終夜営業、必要??」

2008年12月29日 | ニュース・世相
我が家から歩いて10分のところにあったコンビニエンスストアーが閉店した。
「経営者募集」の大きな横断幕が、師走の風に揺れている。

切手も売っている、もちろんポストもある。新聞も数種類置いてある。コピー機も備わっている。
これほど便利に活用出来たコンビニは他にはなかった。というのは私自身の都合だけであるが、客観的にみてこのコンビニ、決してお客さんが少ないわけではなかったと思っている。

国道188号線沿い。場所的に、登り下り両車線とも出入りがそれほど厳しくもなく、そこそこに繁盛していたと見る。 閉店した後の噂でも決して倒産じみた話ではなく、経営者が年を取られて、終夜営業に耐えられなくなったらしい……そんな話である。

100年に一度の大恐慌のど真ん中、倒産なら何となく頷けるのに、営業時間の拡大によって閉店しなければならないとは、世の中複雑だなー。 そこで、いつも思うのだが、本当にコンビニの終夜営業は必要か?と世間にたずねたい。

我々にだって三交代勤務経験がある。夜中に仕事をしてきた。しかしその頃、国鉄の駅員さん以外、終夜営業など見たことがない。 夜は店を閉めてすべからく眠りについていた。 これで十分だった。

近くの大型スーパーが24時間営業と銘打ったが、ものの3ヶ月で打ち切り、夜中12時までとなったのは、つい先頃の話である。 省エネ問題で終夜営業の是非が議論されているが、もっと奥深い人間らしい生活様式の見直しにまで、踏み込むべきではなかろうか。「深夜にお店は開いていない」これが常識になれば、人間はすぐさまそれに対応するのである。

セブン・イレブン……文字通り、朝7時にオープン、夜11時まで営業が売り物ではなかったのか。それでさえ、人件費は確実に2人役必要だ。経営者もつらいよな~~。オット、企業の存続をかけて人削減に揺れる年の瀬、働く人の危機が叫ばれているときの話題としてはまずかったかな……
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「置きみやげ」

2008年12月28日 | 趣味・・エッセイ
 
 誰よりも早く起き、誰よりも遅く眠りにつく。寝顔をひとに見せたことがない。
 
 そんな母が、たった一度だけ「仏の顔」と見まがうほどの安らかな寝顔を見せた。

 その時が、101歳を生きた母との永遠の別れになった。

 この世で味わった辛酸や苦労など一切忘れたような笑顔。

 喜怒哀楽のすべてを飲み込んだ、優しさに包まれたほほ笑みは「精いっぱい生きたんじゃけー心配せんでええよ」と、落ち込む私たちを励ましてくれる。

 どこまでも家族を気遣う真綿のような親心を置きみやげに、晩秋の夕闇へ静かに溶け込んでいった。

 ありがとう、おふくろ。

      2008.12.28 毎日新聞 はがき随筆 掲載


母の49日法要は、1週間取り越して先週日曜日に滞りなく執り行った。
今日は母を見送って、実質的49日目に当たる。

101歳を生きた母が、一体何を残していったのだろうか、気に掛かっていた。
そんな気持ちの一端を250字にまとめ、「置きみやげ」と題して葉書随筆に投稿していた。
図らずも今日、毎日新聞に掲載された。旅だった母へのはなむけになれば幸いである。

       ( 写真:法要当日の我が家 )


 
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「そんな昔も…」

2008年12月27日 | 思い出話
JRA日本中央競馬会、この一年を締めくくるG-1レース「有馬記念」が明日開催される。当たりはしないが、話のタネに参加してみたくなる。銀行に組んだ購入資金口座も、ジリ貧でいよいよ底を突いた。
取り返そうなどという大それたことを考えると深みにはまる。ほどほどに楽しむことに徹している。

昔昔のその昔、片田舎の少年が、サラブレッドを疾走させる競馬騎手、今で言うジョッキーにあこがれていたそうな。 住んでいるところが田舎ゆえ、近所の農家には農耕用の馬を飼っている家がたくさんあった。
馬に新鮮な草を食べさせることは、農家の一つの仕事でもあった。小さいときから馬と親しんだ少年は、中学校の頃には、農家の馬小屋から勝手に馬を引き出して、乗りまわりながら、新鮮な草を食べさせるのが日課になった。

あるとき、農家の一軒が、血統証付きの競走馬を購入して、少年を騎手にして草競馬に出場することを決めた。その頃少年は帽子に白線が入った高校生になっていた。どこかの厩舎に所属して本格的に騎手になる夢をふくらませておったそうな。

来る日も来る日も、馬と一体となって調教して腕を磨いていた。草競馬の出場枠も決まった直前になって、調教中の馬が突然路面に躓いた。前足の両膝を、皮がむけるほど擦り傷を負ってしまった。乗っていた少年は、稲穂の実りかけた田んぼの5㍍も先に放り出されたそうな。 少年はかすり傷一つなく無事だったが、馬は、一端膝を突いたら競走馬失格である。農耕にしか使えなくなった。

ついに少年の草競馬デビューが夢と散った。高校を卒業したら、一家の働き手を切望され、厩舎入寮の夢もついえたそうな。 人間、何が幸で何が不幸か分からないが、節々に運命のいたずらというのは付いて回るようである。

「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」と言われるように馬は自分の勘で人を見る。馬になめられたらなかなか乗せてもくれない。そこは午年生まれで、馬とのウマが合ったのかも知れない。
高らかなファンファーレに乗ってゲートインするジョッキーは夢に終わった。責めて今、G-1レースくらいは興味をもって眺めたい。  そんな昔もあったのだ……。

        ( 写真:思い出のアルバムから拾った、遠い昔話の一コマ )
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「手作り弁当」

2008年12月26日 | つれづれ噺
今年は我が家も、年賀状に替えて喪中葉書を発信した。
当然ながら我が家にも知人・友人・遠い親戚などから喪中葉書が届く。今年は、近年にないほどの数が届いた。 合計18枚に及んだ。これは通常の年賀状のおよそ1割に近い数字である。これほどの多さはあまり経験がない。

我々の年代になると、実の親との別れも珍しくない。60代も後半に入った我々の親なのだから、必然的に多くなるのも世の摂理なのかも知れない。そんな中で、同級生や同級生のつれあいを亡くしたという報せも混じる。
これは身につまされる話である。 ただこの一年に限っては、そのたぐいの話に出会わなかった。

つい先日、我が家の近くにあるセルフガソリンスタンドに寄ってみた。同級生がパートタイマーとして働いているのを冷やかし半分に覗いた。ちょうど夕飯時で、彼がお弁当を食べているという、事務所の奥の部屋に入っていった。

見るからに手作りの美味しそうな弁当を食べている。「美味しそうじゃね、誰が作ってくれるん?」「俺」「ウッソじゃろう」「ホント、俺が作るんよ」そんな会話の後で、「アイツがいなくなって寂しくはなった、でも仕方のないことだから、こうして外で仕事する時間を持つこと、そのためには弁当は自分で作ると決めたんよ…」と笑って話す。

2年前に奥さんを亡くした。お葬式にも参列した。その後の中学校仲間の飲み会にもほとんど出席の常連メンバーである。高校こそ違ったが同じ会社で同じ釜の飯を食った。振り返ってみて、どう考えても彼の華やかさと、手作り弁当は結びつかない。

そこに、彼の優しさと亡き妻への愛情の深さが、小生の目には映った。そして境遇は人を創ることを改めて思った。

そこへいくとどうだ、使い減りがしないのをいいことに、ふんぞり返って上げ膳据え膳。「いいか、年の順を違えるな、俺が先だぞ…」などとのたまっていると、バチが当たりそう。手作り弁当の作り方はともかく、責めて昼ご飯の自給自足くらいはそろそろ始めないといけないかも…。長い間女手が二つ、我が家にはあったもんねー。
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「ふるさとの花切手」

2008年12月24日 | つれづれ噺
今年ばかりは喪中につき年賀状は出さない。しかし、個人的に大きな行事が重なって、葉書や礼状は普段の年末よりはるかに多くなっている。
今日も、お礼の葉書を数枚したためた。と言っても、カラーイラスト入りをパソコンで作り、写真用葉書にプリントしたものである。

この時期、最高に忙しそうな郵便局へ50円切手を買いに行った。顔なじみの局員のお姉さんが、「どのような切手がいいですか」とおっしゃる。 「色々あるんですよ、普通の切手・喪中切手・花模様切手…」。最後の花模様切手に興味を示すと、すかさず見本を提示。これに決めた。

ふるさとの花と題して、この12月1日に発売された、都道府県それぞれの県の花を写真プリントした、華やかな感じの新しいタイプの切手。大きさも通常のものより一回り大きい。お礼状などにはもってこいである。
名前の通り、華がある。早速20枚ばかり使うことにした。

ちなみに、京都:シダレザクラ 秋田:フキノトウ 福井:スイセン 和歌山:ウメ 福岡:ウメ 以上5県の県花をあしらってある。 今回の5県の中でもウメがダブっている。勝手な想像であるが、和歌山県のウメは文字通り紀州梅の産地として、全国にPRを兼ねた県花指定なのだろう。 一方福岡のウメは“東風吹かば 匂い起こせよ ウメの花 主なしとて 春な忘れそ”と歌われた太宰府天満宮に左遷された菅原道真公を祀る花として県花に登用されているのであろう。

ついでながら、それぞれの地方の花を列挙する。 北海道:ハマナス 岡山:モモ 広島:モミジ 我が山口県はナツミカン 鳥取:二十世紀ナシ 島根:ボタン 東京:ソメイヨシノ・・・このように続く。
日本全国を網羅するのは大変かも知れないが、それぞれの県の特色を花に託した、ふるさとの花切手が出回ると楽しいだろうなー。 でも1枚50円にしかならない切手にそれほどの労力をかけるだろうか…。郵便局も親方日の丸ではなくなったからねー・・。

        ( 写真:県花をあしらった、華やかなふるさとの花切手)

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「時刻表」

2008年12月23日 | つれづれ噺
天皇陛下75歳の誕生日。天下の休日。 「どうせなら月曜日だったら連休になったのに、火曜日だから飛び石になって……」などという不謹慎きわまりない声がもれ伝わってくる。気持ちは分かるが、こればかりはねー…。

クリスマス商戦と歳末大売り出しが重なって、どこへ行っても人出の多いこと多いこと。
娘が、子ども達にクリスマスプレゼントを買うので付き合わないかという。そう言えば、じいちゃんばあちゃんサンタも健在であることを、孫達に見せなければならないので、買い出しに付き合うことにした。

郊外大型店の駐車場は、300台は停められそうな広さなのに、空きを待つのが一苦労。長蛇の列が出来る。
ならば公共交通機関で出かければいいじゃん…とお思いでしょうが、ところがどっこい。
我が家は、市街地から10キロばかり離れている。海は見える、田畑は残る、小川もあぜ道もある。遠くで夜汽車の汽笛も聞こえる。住環境には事欠かない。

しかし、公共交通機関といえば先ず市営バスを考える。ところが、これを利用するには、大変な忍耐が要る。なんせ1時間に1本あるいは2本、1日中でも26本くらいしか便数がない。1本乗り遅れたら最低30分、へたをすれば1時間待たなくては次の行動に移せない。出かけもそうなら帰りも同じ。

同じ税金納めていても、ちょっと市街地の喧噪を敬遠すると、クルマに頼らなければ生きていけない、ど田舎社会。
これから先、何年運転できるか知れないが、紅葉マークをひけらかしてでもハンドルを握り続けるぞー。バスの時刻表の隙間がもっともっと埋められる日が来なければ、生涯、免許返上など出来ようか~~といつまで突っ張っていられるのやら…。

       ( 写真:隙間の方が遙かに多い、バス時刻表 )


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「段々逞しく…」

2008年12月22日 | 家族・孫話
節季(せっき):年の暮れ、盆前・歳末の決算期 とある。
節季師走と言えば、活気があって人々が気ぜわしく動き回り、お正月用品や、寒さ対策の買い物に余念がなく、粉雪がちらつく状況が通り相場である。

最近では師走の雪というのが実に珍しい。節季師走の活況も、この底冷え景気の中ではあまり期待できない。
しかも、近くの大型スーパーなどは、年がら年中大勢の客でごったがえしているので、この時期の忙しそうな賑わいも特別なものには見えてこない。

12月にしては雲一つない青空が、一日中続くことも珍しくない。そんな日に孫守を仰せつかるのはあまり苦にならない。あと3ヶ月あまりで小学生となるカー君と二人、近くの海の公園に散歩に出かける。

おだてたり好かしたり…公園に組んであるアスレチックスの「冒険歩行」に挑戦させる。 じいちゃんの背丈の2倍もある高さを果敢に登っていく。
しばらく来なかった海の公園で、逞しく成長する孫の姿につい顔がほころぶ。 口も達者になっている。

「じいちゃーん、高いでしょ。東京タワーとどっちが高い?」ウーン「東京タワーの方がちょっと高いね…」と答える。
すかさず、「ここから海が見えるよ…、東京タワーは海が見える?」そう言われてみると、所在地は港区だが、展望台から海が見えたかいなー。
どこで何を聞いてきたのか、新幹線の車両マニアから、東京タワーへ興味が移り始めている様子。

色んな語録を残しつつ、アスレチックスも最大級の難度に挑戦。
カメラのシャッターもそこそこに、いつでも受け止める体制を整え、見上げながらついて歩く。この時ばかりは、文字通り体を張って見守る。さてさていつまで続けられるやら。

       ( 写真:地上3㍍は優にある高さに挑戦する、カー君 )

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「一段落」

2008年12月21日 | 家族・孫話
二十四節気の一つ冬至。ゆず湯に浸かって無病息災を祈り、カボチャを食べて元気に冬を過ごそうという言い伝えがあるそうな。
残念ながら今日の我が家はそれどころではなかった。朝から、駐車場確保を含めたお客さんの受け入れ準備、お仏壇周辺の整備などに追われた。

母を見送って以降初めての一大行事、四十九日法要。
本来のお日にちより1週間を取り越して、6週目に当たる今日、近しい親族が集まって執り行った。

正直な気持ち、肩の荷が降りた。
大きな大きな懸案事項を完遂した心地よさがある。
昨日までの心配やイラつき、思考のつながらないじれったさ、何かしらの不安。
今日無事に終わってみれば、そういったものが全て杞憂であったことに気付かされ、完全に吹っ切れた思いがする。

いい年をして女々しい奴…と笑われるかも知れないが、気持ちの中にポッカリ開いた大きな穴は、すぐには埋め尽くせないし、今日の行事を終えるまでは、何もかも全てが中途半端な気がしてならなかった。
なんでそうなの?と聞かれても明快な答えが見つからない。見つかっていれば苦労もしなかっただろう。

母に恥をかかせてはいけない、自分や姉弟も恥ずかしくないようにことを運ばなければいけない…という完璧主義が頭をもたげて、肩に力が入りすぎるのが小心者の欠点なのだろう。

今日の大雨は、もうしばらく我が家に留め置いて欲しいという、母の願いと受け止めて、納骨は明年早々に繰り越した。
兎に角ひと区切りついた。全てがまずまずの出来で一段落した。気持ちを立て直そう。それが最高の親孝行かもね。
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