「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「往く年来る年」

2013年12月31日 | つれづれ噺

                     

今年も残すところ数時間。新年を迎える準備もおおよそ整えた。

大晦日の新聞特集に「レクイエム」と題した、今年中に亡くなられた著名な方々およそ200人の横顔が並べられていた。
元国会議員、科学者、業界のリーダー、俳優さんなど多種多彩。
その多くの没年齢が80歳代が中心で、中には30台あるいは100歳超えもおられる。ざっとの平均が83歳くらいと見受けられた。

年が明けて迎える干支は午年。小生6順目の干支の当たり年で72歳を迎える。
つまり、世の中を動かすほどの活躍をしてこられた方々の前に出ると、干支6順目はまだまだ駆け出しとみなされそうであるということ。
まだまだこれからが、本当の味わいのある人間になれるのかな?やっぱりなれないのかな?

このブログなるものと取り組んで丸5年以上。それでも初めて迎える我が干支である。次の干支との巡りあわせは、小生自身保証できないし誰にも保証など出来はしない。
ということは、向こう1年の過ごし方は意外と貴重なものになるような気がしないでもない。

株価の上昇で、ほんの少しだけ気持ちを軽くして迎えられる正月。
少しの楽しみを残しながら、これまで通り多くを望まず、往く年を思い、来る年を自然体で迎え入れ、年相応の社会的奉仕も忘れず、自ら求める趣味の世界も大切にする一年を、ゆったり過ごせることを期待したい。

NHKは、連日連夜紅白・紅白と、うるさいまでの紅白歌合戦のコマーシャルをしているが、正直なところ我が家では、それどころではない大晦日になりそうである。
倅家族や娘家族が自分たちの都合に合わせ、今夜我が家に集合する。大晦日の夜が、実質的な我が家のお正月宴会になる。

ひところは、13人も14人も集まる大宴会となり、引き受けのこの身はこまねずみのごとくうろちょろ。まさに5尺の体の置き場に困る、という有様であったが、ここ最近はそれをやっと卒業した。やってくるのは二家族。全部を合わせても10人そこそこ。
しかも二家族ともに、もう一つの実家を持っており、それぞれに里帰りさせなければならない。

往く年を我が家で楽しみ、来る年をもう一つの実家で楽しめる彼らはいいな~。
全て手作りの田舎料理で、お・も・て・な・し。
除夜の鐘の音を聞きながらやすむことになりそうである。何はともあれ、健康で過ごせたこの一年に感謝。

大変お世話になった皆様がた、どうぞ佳い新年をお迎えください。

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「晦日(三十日)」

2013年12月30日 | つれづれ噺

   

2013年。色々あった平成25年。いよいよ晦日を迎えた。
明日の大晦日を一日残すのみとなった今日、一年という月日の流れの速さに改めて驚いている。
少なからず胸に秘めた年初の思いがどうなったのか。
今となっては、年初に誓ったはずの思いさえ、どんなものだったのか定かでなくなっている。

ギラギラしていたころのように、“これだけは何がなんでも今年のうちに達成を” とシャカリキになるほどの具体的な目標に欠ける年代にさしかかったのだろうか。
その割には、例年の通り、なんかしらやり残したことの多さが心に引っかかるこの時期ではある。

だからといって、全てが後ろ向きなマイナスイメージばかりでもない。
自分の中で密かに立てていた目標を達成して、独り静かに微笑んだこともある。

やろうとしたことが完全ではなかったこと、その一方で少しは自分が納得いく部分もあったことなどなど、なんかしら、自分自身の中で整理しきれない矛盾のようなものが渦巻いている。
30にして立つ、40にして惑わず、という年をはるか昔に通り越してきているはずなのに、惑いという厄介者からはなかなか解放されないようである。

隣に広がる、冬枯れた空き地の一点に、ひときわ目立つ真っ赤なピラカンサス。その横には丸々太った野良猫が、寒さに耐えて昼寝をしている。
こんな寒さや冬枯れとはミスマッチとも思える、燃える赤や遊ぶ野良。
今年一年がこの風景のように、今一つすっきりしなかったのかな。う~~ん、はてさて・・・。

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「もういくつ寝ると」

2013年12月29日 | つれづれ噺

 

♪♪ もういくつ寝るとお正月・・・ ♪

私たちの子どもの頃には、こんな歌を歌いながら、お正月を待っていた。
今の子供たちにはお正月直前に、大きな大きなプレゼントがもらえるクリスマスがある。
そのせいかどうか、お正月の魅力ががかすんでいるのではないか、などと少しひがんでしまう。

お正月でなくとも、もういくつ寝ると・・・ と、指折り数えてその日が来るのを待ったのは、なにも子ども時代ばかりではないようだ。あの時もそうだった、この時もこんな感じだったかな、などと思い当たる節目はいくつかある。

それはともかく、4歳の孫くんに「今日、お餅つくよ」と言ったら、ご機嫌でやってきた。
「ぺったんぺったんはどこにあるの?」と聞く。
幼稚園では石臼と杵で、ぺったんぺったんつきあげる、昔ながらの本格的お餅つきを体験したようである。
「そっか~、じいちゃんちの餅つきはこれなんよ」。台所の片隅で、機械の唸りを聞かせる。やがてふくれ上がったお餅を、しゃもじでぺったんぺったんやらせるのが、せめてもの我が家のお餅つき。

つきあがった、熱々の餅をこねまわして、自分の指ほどのちっちゃいお餅を幾つも作らせてもらえることで、やっと餅つきの味を楽しんでくれたようだ。

            
かたわらのストーブの上では、ギンナンがほどよくいられている。
11月に行われた、知人の町おこしイベントに出向いた折買って帰ったギンナンが、おふくろの形見ともいえる焙烙(ほうろく)の上で、少し焦げ目をつけている。おいしそう。
固い殻を破ると、クリクリっとした大きな実が飛び出る。アツアツ・・・口に入れる。

その昔、七輪に乗った焙烙の上で、先っぽが黒く焦げてすり減ったご飯用しゃもじで、ソラマメや大豆を炒りながら、いろんな話をしてくれていたのがふと思い出される。
炒られた豆は、貴重なおやつであり、タンパク源であったような。

もういくつ寝るとお正月・・・ こんなわらべ歌さえ、この世から消えてしまう日は遠くないようだ。
焙烙も、ストーブがあるから出番がある。エコキューとの電磁波調理器では、おふくろの形見さえ、戸棚の肥しになりそうである。今日はお墓参りもすませた。

ちなみに、29日は昔からお餅はつかない。このお話は昨日、28日の出来事なのです。

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「旅立ち」

2013年12月26日 | つれづれ噺

                 
                                       (写真はイメージ)

冬休みに入った孫君たち。
クリスマスもそこそこに、新たな一歩に向かい旅立っていった。

中学1年の兄ちゃんは、スキーの強化合宿で、昨年に続き北海道夕張市のレーシングチームに参加するため、25日早朝広島空港から飛び立った。帰りは年明けの6日だという。
お正月を挟んで2週間。親元を遠く離れた夕張の地で、はてさてどんな夢を見ながら過ごすのだろう。

昨年は11歳という年齢から、空港出発や機内の世話、千歳到着後の荷物受取など、一連の世話は日航職員が介助してくれたとのこと。それが今年は12歳。もうそのようなアシスタントは付いてくれない、すべて自己管理という旅となった。不安もあるだろうが、小学生から中学生への成長は目を見張るほどの大きな転換期。昨年の経験を生かして乗り切って欲しいと願うばかり。

弟、小学5年生のカー君も、兄ちゃんの出発を広島空港に見送ったその足で、広島県北部のスキー学校へ入学。こちらは年内に帰ってくる短期間コース。
昨年までの鳥取県大山町での合宿とは勝手が異なる初めての広島県北の地。どんな感想をもって帰るのか大いに楽しみである。
4年生であった昨年は、下着などの洗濯は先輩のお姉ちゃんがやってくれた、と言っていたが、今年はそうはいかないのだろう。

こういった合宿に参加するからには、目的はもちろん全国レベルに手が届くよう技量を磨くことであろう。が、それ以上に大切なものがあるような気がする。
これから長く生きて行く中での処世術や他人との絡みの中で、自己を主張し、どう表現していくか、といったような活きた体験学習をさせることに意義があると、ジジとしては思ってしまう。

そんな試練の場を与える婿殿の勇気とやる気に少なからず感動している。
それに応える兄弟にも、なにがしかのご褒美と声援を贈りたくなる。
そして、元気に無事に帰ってこいよ・・・と待っている。

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「一味違う忙しさ」

2013年12月20日 | つれづれ噺

                            

鮮やかな紅の山茶花が見事に花開く季節を迎えている。
例年のことながら、山茶花の咲くころは決まったように、年賀状に追われ、忙しさが益々気持ちを焦らせる。
なんとか25日投函に間に合わせ、元旦には届くようにしたいと。

今年に限っては今一つ大きな仕事に追われ、例年とは一味違う忙しさを味わっている。
所属するボランティア団体の会長さんが急逝された。あまりにも突然のことで、申し送りも何もなし。どのように継承していくか、何はともあれ対策委員会を立ち上げて、当面の課題処理に向かっている。

なんせ亡き会長の手腕というか業績というか、積み上げられたものの大きさを考えるとき、受け取ろうにも荷が勝ちすぎて抱えきれない重みを感じている。
それだけの剛腕の持ち主であっただけに、残された我々が、少しぐらいの頑張りでは追いつかない。
だからこそ、一日も早く我々の手による我々の活動としていく道筋を立てなければならない。

重い荷物を3人で抱え上げようとするとき、自分一人の力で持ち上げる気概のない者が3人集まっても荷物は持ちあがらないのと同じで、衆が集まっても音頭取りや掛け声の発声者がしっかりしていないと、世間の物笑いになりかねない。誰かが今を凌いで、新しい体制にすんなり移行させる手腕が要る。
誰かがやらなきゃならんっこと。誰がやるか。ウーン、しゃーない。

何ほどのことも出来はしないが、日ごろ鍛えた喉がある。声は高いのが取り柄??
ここんところ、年賀状も後回し、ブログも無沙汰気味。前会長さんの万分の一の真似をして資料なるものを手掛けてみた。やはり、誰かがやらなきゃならんことは誰かがやらなきゃならんのだ。でなければことが前に進まない。今夜の会合は少しは手ごたえあったし、実りもあった、と信じたい。

そうはいってもこの4・5日の間で、半日は健康診断に行き、胸部レントゲン、腹部エコー検査など当面の診断結果では問題なしというお墨付きをもらったことで、気をよくしてパソコンに向かう時間が長くなっている。
運動不足だな~と思いながら。

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「やはり12月14日は」

2013年12月14日 | 季節の移ろい・出来事

                     

12月14日。師走も半ばを迎えた。旧暦11月12日、三りんぼう きのえ とら 一白 仏滅。
歳末商戦もいよいよ佳境、活気を帯びるころであろうが、なにかしら今一つである。
というのも、郊外にあって駄々っ広い駐車場をもつ大型店は賑わっている。ここは年がら年中だから、その賑わいも珍しくなくなった。一方で、昔からある小さな商店街はこの時期を迎えても活気など感じられず、人通りも少ない。

今更ながらクルマ社会のひずみをもろに感じる季節でもある。
素人の小生でさえそう思うのだから、ひなびた商店街の店主の嘆きは如何ばかりか。

そしてもう一つ12月14日の様変わりを感じさせられる現象がある。
「忠臣蔵」とか「赤穂浪士」といった、あの日本人の心の原点ともいうべき物語が、すっかり姿を消してしまったことである。それとともに、「忠」とか「孝」という言葉も、考え方さえもナンセンスであり、死語となり、やがて忘れ去られつつあることに寂しさをおぼえる。

新聞の3ページをも占領するテレビ・ラジオの番組に「忠臣蔵」のチュの字も見当たらない。
下らないと言ってはファンに叱られるかもしれないが、土曜日とあって、ワイワイバラエティやドラマが大手を振っている。
昼間のテレビニュースで、泉岳寺の参拝者を流した映像が唯一、あの壮大な時代劇を思い起こさせるひとこまとはねー。少し情けない気がするんよねー。

時代の流れ、人情の移り変わり、と言われれば反論もないが、そういった世の流れに、公共放送であるNHKまでが迎合してしまっているのではないか、などと一人愚痴ってみる。
こんな話は、せいぜい同級生の前でしか出来そうにない。「アンタ、古いね~~」などと言われそうである。古くてもいい。懐古調だと言われてもいい。大切なものは大切なものとして残しておきたい。

オッ!そういえば、来年のNHK放送番組モニターの応募締切が昨日までだったかな。惜しいことをした。

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「もの言えば・・・」

2013年12月12日 | つれづれ噺

               

今年もいくつか忘年会という飲み会があった。
「その年の苦労を忘れるために、年末に催す宴会」と、広辞苑は定義づけている。
ならば、サンデー毎日の気楽な身で、特に忘れたい、忘れなければならない苦労があったのか?と問われれば、さてなんと答えよう。
そうは言いながらも、自分以外の多くの人と関わりを持ちながら生きている生身の人間。何もないことなどあり得ようか。
早く時間とともに遠くへ追いやって、この一年を忘れたい、忘れなければ、と思う出来事だってあったのかな? なかったのかな??

まあそんなことはともかくとして、人並みに忘年会という宴会は何度かやってきた。
こういった酒席へのお出かけは、多くは電車かバス。会場が遠くの場合、たまにカミサンアッシーに頼ることもある。
先日も電車でお出かけのときに、孫の三男坊が駅まで見送りに来た。

線路を挟んだ向かいのホームで電車を待つジジに「こっちが先かねー、じいちゃんが先かねー」などと他愛もない言葉を交わしていた。
ホームの待合席に座っていた、私とほぼ同年輩とおぼしきご婦人が「可愛いですねー」と声をかけてきた。そこまではいい。ごく普通の聞きなれた社交辞令である。そのあとがいけんかったねー。

「ひまごさんですか」と真面目に聞いてきた。「おばあちゃん、ひまごってどういう血縁か知っていて言ってるの?」とは言わなかったが、一言教えて進ぜようかと、いささかムッ!
この方は目が悪いんじゃろうか、孫かひ孫かくらい、あたしをみれば 分かるでしょうに。とあきれかえりながら「孫です!」と答えた。電車が来るまで、なんかしら気まずい空気が流れた。

物言えば唇寒いのは秋の風と相場は決まっているというのに、冬の忘年会に出かける駅のホームで、唇寒し・・・を思い知らされるとは意外な出来事であった。うまく乗せられた挙げ句蹴っ飛ばされたような思い。落差が激しい。
これが逆ならどうだったろうか。「可愛いですねーお孫さん?」「いやいやひ孫なんですよ」などとなれば、孫の可愛さと、ジジの若さをダブルで褒められたことになるというもの。
物は言いようで相手は傷つくこともる。

ペンは暴力に。言葉は刃物に。変わる怖さを秘めている。心しよう、同じ轍を踏まないように・・・。

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「生活発表会」

2013年12月07日 | 家族・孫話

     
               遊戯「ロケットペンギン」 楽しそうに踊って
                              
                                    最後に、サンタさんの登場を待つ期待の笑顔

10月の運動会が終わったと思ったらもう12月の生活発表会。
運動場での行進やかけっこ、側転に組体操などの練習。今度は狭いステージで、ぶつかったり転んだりしながらのお遊戯の練習。まさに練習に次ぐ練習に、幼い子どもたちもついて行くのが大変であろう。 が、それ以上に、この子たちに一生懸命教える先生方は、もっともっと大変である。

出しものに合った可愛い衣装を身に着けさせ、まるで天使のように振る舞わせる努力。それでもおよそ半分は、おおむね先生に教わった通りにできているが、後の半分はそっぽを向いたり、全く動かなくて周りの者の動きを止めたり・・・。
そうしながらも、親やジジ・ババの目にかなうように何とかサマになるように根気よく指導していく・・・、同情しますねー保育士さん。

それにしても我が孫悠雅君。幼稚園に入って間もない6月の音楽会で、初めてステージに上がる日の前日「急に足首が痛くなって立てなくなった」と訴えた。歌を歌うだけのワンステージ、なんてこともなかろうに・・・と思うのだが本人至って大真面目「足が痛いから幼稚園に行かれん」とベソをかく。
それでもなんとかすかして登園はさせた。先生も気を遣って、ステージに椅子を置いて座らせた。みんなが歌うときも、椅子に座ったまま正面向いて口パクもしないまま、再び先生に抱かれてステージを降りた。
あのときの足の痛みはなんだったのか。我が家に帰れば早速サッカーをやろうとジジに迫ったではないか。

ところがこのたびの「生活発表会」のステージ。にこやかに登場。カメラを構えるこちらに手を振る余裕すら見せるではないか。
あの喜々とした笑顔、自信にあふれた表情。ペンギンになりきって上手に踊って見せる。
あの6月の音楽会ボイコットは何だったのだろう。彼には彼の思いが胸の内で交錯していたのだろう。
それまでの、母親が働く職場に付属した保育施設では、音楽会などのステージ体験は全くない環境から、幼稚園という多くの同級生や先輩のいる集団社会への突入が負担であったのだろうか。

それが、10月の運動会で、持ち前の運動神経や駆けっこの早さで一気に自信を取り戻したのだろう。
目に見えぬ4歳児の心の葛藤。なんとか乗り越えて一皮むけたのだろうと思うと、一安心。
最後にサンタクロースが大きな袋を担いで入ってくると、笑顔は最高潮に。

なーんも心配せんでええよ!!二人の心強い兄ちゃんがついているし、両親もジジババも応援しとるけーね。悠雅君!!

                                                                                                                                          

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夕日に非ず」

2013年12月04日 | 季節の移ろい・出来事

      
               夕日に非ず。まぎれもなく昇る朝日の画像ですぞ!!

               “ 夕日でない 証拠にカモを 入れておき ”

ここ数年、元朝のご来光写真をブログアップしてきた。
予定通り、日の出の時刻に合わせて彼方の水平線から昇るご来光が拝める年もあれば、雲に隠れてしばらく顔を見せず、かなり時間がたって水平線より随分高く昇ってようやく拝める年もあった。

そんなご来光を1ヶ月後に控えた12月初め。毎年の撮影スポットに、日の出の光景を求めて出向いてみた。
12月に入ってこの方、覚悟をした寒さが訪れなくて意外に暖かい。そのせいか、海面から数メートルは、立ち上るモヤか水蒸気に覆われて、まるで雲が横たわっているようだ。

残念ながら、水平線から顔を出す、まん丸い真っ赤な太陽を見ることはできなかった。
やはり、冷え冷えと海面が冷え込んでこそ、モヤや水蒸気に邪魔されず、予定通りの時刻に、海面から徐々に表れる日の出の顔を拝むことができるのである。
結局予定時刻から15分過ぎて、横たわるモヤの上から顔を出した太陽を捉えた。

海面の手前では朝食を求めるカモの群れが浮き、オー、先ず先ずの出来栄え、と悦に入っていた。
ところがよーく見ると、これは夕日と間違えられそうなことに気付いた。そう考えると、如何にもはっきりまん丸い輪郭は沈みゆく夕日に似ており、ギラギラ輝く太陽のエネルギーが感じられないではないか。

その後20分ばかり粘ってシャッターを押し続けていると、ようやく「これぞ燃える太陽」という姿をとらえることができた。しかしそれはあまりにも太陽が高すぎて、日の出写真とは言い難い代物である。
写真に関しては何を口にしても愚痴っぽくなる。下手なことを言うと一笑に付すプロフェッショナルの友もいる。
ただ、アタシはアタシなりに「日の出写真を撮ろう」と意気込んだのだが、あたたかい12月初めという気象条件に邪魔されて、この腕前が発揮できなかった、という単なる愚痴のお粗末・・・。

          
                    日の出からおよそ30分。まるで初夏を思わせる輝き。

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「師走、ついたち」

2013年12月01日 | 季節の移ろい・出来事

早くも師走ついたち。暦も残すところ1枚になった。12月のカレンダーにこんなことが記されていた。
  『 利害のために生き方を変えていると 利害によって行き詰まる 』 と。

たった一日の違いなのに、12月と11月とでは、気持ちのざわめきがかなり異なるようだ。
年賀状や、お歳暮の心配など、日ごろにはない時間に制約される作業が多いからだろうか。

今となってみると、やはり今年も何かしらやり残したことがあるような不安に襲われる。
残り1ヶ月あるのだから、その分を取り戻せばいいじゃないか・・・と思うのだが、それがなかなかね~。
つまり、当初はこれにも挑戦、あれも手掛けてみたい・・・などと思ったこともいくつかある。
それらが全て思い通りに運んだとは当然思えないところに、何かしら不安や物足りなさを感じてしまう。

努力をすれば、向こう1ヶ月でなにがしかのカバーできる部分もある。
しかし、完全に時間制限があって、それを逃したために既に手遅れという事柄もいくつかある。
まあ今に始まったことではなく、毎年同じことを繰り返してきたということか。性懲りもなく・・・。

昨日は、息子のところに行った帰り路、広島のマツダスタジアムすぐ近くに出来た大型スーパーに行ってみた。
だだっ広い店内には、輸入品、国産品、ありとあらゆる商品が、パレット単位でごっそり積み上げられている。
お目当てのコーヒー豆をゲットして、精肉コーナーにまわってみた。あるはあるは、大きな肉塊が冷凍でカチンカチンになったものや、普通の肉が大量に並べてある。
それは、グラムなどという単位ではなくキログラムの世界である。一抱えもある大きさが、飛ぶように買い物カートに載せられていく。こればかりは我が家の冷凍室と相談ということで手を出さずに帰った。
ニワトリの丸焼きなども、一鶏舎丸ごと持ってきたのかと思わせる量がひしめいている。

特に精肉は、「これを300g、あれを500g・・・」と、メジャーに乗せてもらって買っていた対面販売が懐かしくなるほどの、味も素っ気もなく、人と人との会話など不要な世界に飛び込んだ感じ。
確かに割安感はあった。そりゃそうだろう、あれだけの商品量の割には、レジの周辺以外、販売員の姿はきわめて少ない。
そうか、これが外国資本の商売の形式か。それでも安さには勝てないんよね~。

なんだかんだ言いながら、年末までにはもう一回くらい、大量の買い出しに出向くのかな。時間とガソリン代を使い、ややこしい都会の道路を恐る恐る運転しながら。
いや、地産地消ではなく、同じような外国産輸入品に手を出すのなら、やはり地元を選ぶほうが賢いのかな。
そんなことを思わせる12月ついたち。どんより暗い重い空のスタートとなった。

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