「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「感謝を込めて!」

2024年12月31日 | 季節の移ろい・出来事

           

2024年、令和6年もいよいよあと数時間となりました。
今年1年、色んなことが起き起きては消えて行く日々を、大して深い思考もないまま、感じたままを言葉足らずながら書き綴って参りました。そんな「世の中ちょっとやぶにらみ」ブログを優しく応援して頂きました多くの皆さまに心から感謝申し上げます。

特にこの1年は、病気との闘いに負けそうになる一時期もありましたが、皆さまに応援して頂いている感謝だけは忘れず、思いつく事柄があればその都度綴って参りました。暖かい気持ちでお付き合いを頂きまして誠にありがとうございます。どうぞ佳き年をお迎えください。

来る年が皆様にとりまして素敵な1年でありますようにお祈り申し上げます。

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「年の瀬点描」

2024年12月30日 | 季節の移ろい・出来事

             
               心の拠り所、神仏にお飾りとお供えを

いよいよ今年も明日一日を残すのみとなった。良くも悪くもない交ぜで、終わってみればどれもそんなに悪いことばかりでもないし、特別よかったわけでもない。ごくフツー、これが一番有難いことだと思っている。
先ずはこの一年を元気に生きさせてもらった上に、来年も普通に生きられるよう願って正月飾りを飾れることを喜びたい。欲を言えばキリがない、欲がなさ過ぎてもキリがない。中庸、ほどほどがちょうどいい。

新たな1年のスタートに当たって、神棚や仏具の清めやお飾り、お供えを準備する。昨年まではウラジロや杠(ユズリハ)はちょっと山に入って手に入れてきた。今年は何となく小回りの利かない足腰を心配で山には入らず、スーパーで買うことにした。ウラジロもユズリハも葉ミカンもそれはそれは丁寧にビニール袋に入れてきれいな商品化されている。そのお値段は、いずれも1枚50円。お供え分全てを揃えたらこれだけで800円の出費である。子供のころから山の近くで育った者にとっては、こんなものにお金を払うこと自体アホらしく感じるが、実際飛ぶように売れている。年に一度のお正月を迎えるにあたってみみっちいことを言うでなし。年末商戦に水を差すなよ。昔は昔今は今ってか。

そんなことで一通りお飾り準備を終えたところへ、カミさんと懇意な近所のおばちゃんが「これを書いてみたので参考にして」と「餅がのどに詰まった時の対処法とポイント」のタイトルで、手書き3枚イラスト2枚、合計A―4版5枚の注意書を持ってきてくれた。そっかー、おばちゃんからみればワタシは注意が必要なお年寄りの近所のじいさんに見えるのかもねー。

実際に喉に詰まらせて息ができない人をみたら『背部叩打法』を試す、同時に119番通報を周囲の人に依頼する。背部叫打法とは、患者を椅子に座らせて、叩きますよ!と声をかけてから、左右の肩甲骨の中央部分を手の平に付け根あたりでかなり強く叩き続ける。出るまで叩き続ける。その他にもいくつか実例が書かれていた。先ずは餅を喉に詰まらせないよう、ゆっくり噛んでゆっくり飲み込むよう心がけるのが先決であろう。
それにしても、時を得たご親切を大切にしたいと思う。年の瀬点描、いろいろあるものです。

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「年の瀬小休止」

2024年12月29日 | 季節の移ろい・出来事

                

12月29日。二重の苦労を連想させるところから、吉祥を願うお祝い行動は控えるように、誰とはなく口伝えに教えられてきた。ま、速い話が江戸時代の町人衆が、単なる語呂合わせによる言葉の遊びで、年の瀬を慌ただしく駆け回る人を揶揄したのかもしれない。

その程度のことではあっても、無理に逆らうことはない「君子危うきに近寄らず」で、従順な一日を心得たこの日。先ずは半年ぶりくらいの洗車。クルマの内側に掃除機かけたり、ワックスで磨き上げたり。少し気持ちよく新しい年を迎える足しになれば幸いと思って、痛む右肩を壊さない程度に運動させた。

そして今ひとつ、応接間代わりに普段使っている部屋がな~んか物足りなさを感じていたことにふと気が付いた。そうだ小さくていい、自分で撮って自分で引き延ばした写真を飾ってみようということに。
写財はもちろん錦帯橋。それも芸術性を狙ったややこしいものではなく、満開の桜咲く川面をゆったり花見を楽しむ遊覧船を船頭が水竿を操る平凡なものだが、これが自分にお似合いだよねという、ある意味力作でありお気に入りの作品ではある。

たったこの1枚を思ったところにぶら下げただけで少し部屋の雰囲気が変わったのかな、気のせいかな、ま、どっちにしても、ホンの少しでいい、何がしか自分のお気に入りがあれば気持ちは安らぐ。年の瀬の一日にしてはなんかちょっといいことした気分。

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「お邪魔のいない餅つき」

2024年12月28日 | 風物詩

          

今日を入れてあと4つ寝るとお正月、なんてのはあまりにも子供っぽいが、買い物などに出かけると繰り返し繰り返しこんな歌が流れてくる。
12月28日、この日の我が家は随分昔から餅つきの日と決めて来たようだ。今日も朝から頑張った。といっても実際に頑張るのは餅つき機という器械がウイーンと唸りながら、蒸したお米を餅にしている。

つき上がったら、小さな手が4本伸びてきて、白い片栗粉を周囲に飛ばしながら「おもちって熱いね」とか言いながら半分はお邪魔虫なのだが、ガマンして「上手に出来たね」などと楽しんだ。そんな孫のいる餅つきはここ最近なくなったね~。そりゃそうだ、冬休みに入ったらいち早く我が家にやってきて、食い荒らしていた近くの孫君はもう半大人になってしまった。少し遠くに住む可愛い方の手は明後日にならないとやって来ない。

お鏡餅などというお供え物は、お供えする日も仕舞うひもおよそ決めごとがあるのだから、そんなしきたりを守るためには、お邪魔虫も手助けもないまま二人っきりでもこの日に餅をつくことになる。
そして正月を迎えると、今年は新たな世界を生きる孫君が二人戻ってくる。さてどんな話が聞けるのか楽しみだ。幼い頃はジジの感覚で育てようとした時期もあったが、今では完全に大人の感覚で大人の仕事をしながら、未だ少ない経験ではあるがどんなことを感じ、どのように軌道修正するのかしないのか。こんな話こそが彼らからジジに贈られるお年玉である。

そう云えばこの正月から、お年玉の大口二人が卒業してくれた。やれやれ。

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「今年最後の患者様!」

2024年12月27日 | ニュース・世相

          
年末から年始にかけての連休は、日々の仕事に追われる人々の「堂々と休める有難い大型連休」と歓迎されているという。有給休暇を取らずに普通の休みが連なって生まれた9連休。楽しみだよね~、と思う人が大半だが、中にはあまりにも連休が長すぎて何をしようか迷ってる・・・と言う人も結構いるのだという。確かにそれも判るね~。ただ、毎日連休の私にはどっちでもいい話ではあるが。

さて今日は、そんな楽しみな大型連休に入る前夜、仕事納めの日。
元々月末の金曜日午後を予約診療日に決めていた私は、内科クリニックと眼科クリニックを兄弟で営むクリニックを予約通り15時30分に訪れた。先ずは眼科へ。順調に進み16時15分には内科クリニックに移動した。
これからが大変だった。もちろん今年最後の診療日だから患者さんも多かった。散々待たされた挙句、定期的な診療経過を判定してもらっている「無呼吸症候群」の数値が、先月も異常値、今月は先月を大きく上回る異常値。これは放っておけないと判断され、段々患者の姿もまばらになっていく午後5時半を回ったころから、X線、心電図、血液などの各検査。それらの結果が出るのを待って再び医師との面談。

芳しくない結果が出ており、1月には精密検査が必要との判定。気が付くと周りには看護師さんと事務職員さんがいるだけ、他の患者さんの姿はない。それから清算をすませて院内にある薬局で調薬・支払いを済ませたら6時半を回っていた。先生はじめ看護師さん、事務職員さん、薬局の薬剤師さん皆さんに、患者の代表みたいな顔をして「遅くまですみません、どうぞ佳い年をお迎えください」。白衣の何人かが慇懃に見送ってくれた。長い人生の中でこれはまた初めての体験。広い駐車場にはポツンと一台私の軽乗用車だけが寒そうに。

来年は仕事納めの日の診察は避けよう。問題は来年も仕事納めの日を迎えられるかどうか、そっちの方が心配になって来る。思わぬ不良経過で今年最後の患者さんになってしまったことを反省材料として、ウオーキングの進め、体重減、運動量倍増を来年の目標に決めた。

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「一息ついて」

2024年12月25日 | つれづれ噺

   

何かと忙しく過ごしたクリスマスシーズン。ま、小さな孫さんでもいれば、また別な忙しさを味わうのだろうが、今年の場合は孫もいない、どちらかというと意気消沈の中での忙しさで昨日まできた。今日はようやく一息ついた感じ。クリスマスとは特に関係なくゆとりある時間を楽しんでいる。庭に出てふと見上げると深紅と純白のサザンカが「私たちの存在も忘れないでね」と言いたげに微笑んでいる。

地元の二つの小学校でしめ飾り教室が実施されたらもう冬休み。私たちの地域活動も冬休み・正月休みになる。そうなると、普段やりっぱなしの部屋の片づけや迎春準備が求められる。今年は本気で部屋の片づけを含めた機能アップを図りたい。年々身体の動きが緩くなり、機能的に模様替えすることで無駄な動きを取り除いておきたい。

それもこれも、師走に三つ重なった葬儀が少なからず影響している。
思い切った断捨離は待ったなしだねと自分でも思う。それこそ、12歳から29歳まで書き続けた日記は、段ボール箱に封印されたまま押し入れの一番奥に眠る。
古い古いPTA時代の書類が山となって書類棚に胡坐をかく。本社時代の短い期間ではあるが、仕事も遊びも含めてやはり書類が量を占めている。定年後に頑張ったローカル新聞社タウンリポーター14年のリポート原稿、撮り込んだ写真などなど。「これらが全て子供たちによる処分の対象なのだから出来るだけ少なくしてやってね」と言われると、もっともなことだと納得する。その納得と、自分の思いを込めた過去を処分する勇気がどうもうまく連動しない。

一方で、この目の届かないところでならゴミとしてでも焼却処分でも好きなようにしてくれ、と開き直っている部分と、この目の黒いうちはもう少しこのままにさせてくれよ、という矛盾がある。お葬式に出るたびに「この人たちは断捨離を実行したんじゃろうか」気にかかる。今年の残り1週間、さてどうなるんじゃろう。

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「安らかな眠りを」

2024年12月24日 | つれづれ噺

                

ついこの間まで、年なりの元気を保ち、切羽詰まった病気もないまま優雅に自らの境遇に甘んじた生活を送っていた義兄91歳。私の家内である14歳年の離れた妹をこよなく頼りにしていた。当然私も義兄の応援団としてささやかな手助けはさせてもらった。

公務員生活が長く、あまり大きな声を出したこともない穏やかな性格が、軽い脳梗塞と判定が下されたころから人格が一変した。それまでにはなかった、角張った異常な厳しい発言が続くようになっていた。「脳梗塞と診断されているのにお前たちは見舞いにも来ない」という、いわゆる被害妄想的な発言で、それまで親しく付き合ったり助けて頂いた方が急に冷めた対応に変わった。頼りにしていたはずの私の家内まで完全に敵に回すような3か月が過ぎていた。実際は単に見舞いを怠ったわけでもなく「診断結果はどうだったのか」「大したことはなさそう」「ならば2・3日様子を見て見まいに行くよ」などと完全につながっていたのだ。

亡くなった直接の原因は、体内酸素欠乏などによる急性心不全といことだった。入居している、食事・介護付きのマンションから救急搬送されて2日目には帰らぬ人となった。
あの穏やかな性格が、逝去を前にして突然変異することが、どう考えてもつながらない不可思議な現象。これぞ病気ということなのだろう。と、今となってはあきらめるしかない。それにしても救急搬送から2日目の急逝とは、まさしくピンピンコロリのお手本みたいな話である。やはり本人の生き方の大半をお天道様はよく見ておられるということか。

それにしても、噛みつかれた数人は結局なんの精神的修復もないまま鬱屈した思いを抱えてのお見送りになった。やはり「人生いろいろ、男も女も生き方いろいろ、死に方もいろいろ、先に逝くものが得なのかな」。
だから人生って面白い。自分の最期がどんなものになり、どんな評価をされるのか。そんなことまで考えたら楽しく生きてなどいられない。これはもったいないことだね~。少々横柄に行くのもありか??

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「二度あることは・・・」

2024年12月22日 | つれづれ噺

              

前回のブログで、師走の葬儀参列や思いがけない訃報などもうこれ以上要らないから、最後にして欲しいと神仏にお祈りをした。今年の場合はその霊験もあらたかならずして、妻の兄、私にとって義兄が急逝という身近な訃報が届けられた。師走の通夜・告別式の参列が3回重なったことになる。

義兄は91歳という生涯だから大往生と言えなくもないが、それにしてもあまりにも突然のことで驚くばかりである。親族を上げて入念な弔いでもってお浄土へ送り届けたい。
明日がお通夜、明後日が告別式。極寒の季節ではあるが、もともと生まれは雪深いところなので、「俺らしい季節を選んだじゃろう」と以外にも微笑んで三途の川を渡るのかもしれない。できるならそう願いたい。合掌

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「最後にして欲しい!」

2024年12月19日 | カープ一喜一憂
これでもか、これでもかと目の前に突き付けられた今年の訃報の数々。
もうこれで今年の最後にして欲しいと神仏に願いあげたくなる訃報が今朝早くお隣さんから届けられた。今朝未明にお隣の奥さんが亡くなられた。享年81歳。
少し身体が弱く、数年前からいろんな病気と闘っておられた。特に晩年は心臓ペースメーカーを頼りに、ゆっくりな行動が目立っていた。
 
ここに引っ越してきて以来の直近のご近所づきあいだからおよそ30年。ご主人は私と同い年。何かにつけて話が合う気さくな人柄だったが、5年くらい前にあっさりとお浄土に召された。その後奥さんにはG・ゴルフにも誘い、なんとか太陽の下に連れ出そうと試みたが、少し気持ちの沈みが大きく、お家に籠りがちではあった。特にコロナ以降は、まるでお隣さんなのに顔を合わせて言葉を交わすことが極めて少なくなっていた。
そして意外や意外、帯状疱疹の悪化で入院された。その後色んな合併症に悩まされて入院生活が半年を越えていた。如何ともし難し、責めてお通夜・告別式に参列して焼香をさせて頂こう。
 
こういったことは、正確な数値で数え上げるべきではないと思っているのでアバウトではあるが、父方の最後の従兄弟、新潟の恩師、本社勤務時代の同僚などなど、我が人生の節々で大切な関りを持った人が多く逝ってしまった。次は我が身かなどと考えないことにしている。人それぞれの生老病死、誰が決めるものでもない。その時々を精一杯生きることこそ肝要。その中で不幸に出会えば涙を流し、喜びに出会えば満面の笑みを浮かべる。先ずは今年を生き、新しい年の様々にチャレンジする。今年の訃報はこれで最後にして欲しい。
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「渡り鳥いずこ」

2024年12月18日 | つれづれ噺
                
今年も隣の空き地にやってきて、せわしげに尾っぽをピコピコ震わせ、今ここに止まったと思ったら、カメラのシャッター切る間もない俊敏さであっちこち飛び回る。その名をジョービタキという。通称やあだ名は色々ある。子供の頃に聞いて印象に残っているのが「ヒンコチ」だった。今では主翼に大きな間白い円形模様があることから、紋付き袴の正装に見立てて「モンツキ」と呼ばれたりするちっちゃなちっちゃな渡り鳥である。

このちっちゃな体で東南アジアを舞台に寒い場所を求めて渡り歩くという。渡り歩くという点ではあの旅する蝶「アサギマダラ」こそもっとすごいことである。あの蝶がどうやって大洋を横断するのか、何のために大洋を飛び越えるのか、そのスタミナ・馬力などがどこに隠されているのか、考えれば考えるほど世の中に不思議は幾つもあることに驚かされる。

渡り鳥と言えば、新潟市に住んでおられた高校時代の恩師を訪ねた時、白鳥の大群が渡ってくる「瓢湖」という小さな湖に何度か案内してもらった。東京本社にいた1年間に上越新幹線を利用して何度新潟にお邪魔したのだろう。弥彦山にも登った、豪農館にも村上温泉にも連れて行ってもらった。
その恩師の訃報を受け取ったのが亡くなられて8カ月後という寂しいお別れになったのは、どうしても承服しかねるが、今となっては全てが無になったのだから仕方がない。便箋5枚に綴った手紙を添えて送り届けた岩国特産レンコンのお歳暮が、淋しい結末のもの言わぬ証人となった。くどいようだが、もう少し何かの形があったのではないか、葬儀に駆け付けられないなら亡くなられた直後にお線香でも送れたのではないか。全てが終わったこと、何を言っても愚痴になるが、若干16歳の出会いから66年の長い付き合いは何だったのか、口惜しいがこの話題は今宵で終わりとしよう。

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