現在住んでいるのはお隣広島県だが、嫁さんも岩国出身なので、自身のお宮参りもほとんどが岩国の神社という馴染みもあって、昨夜から親子揃って里帰りしていた。
現在住んでいるのはお隣広島県だが、嫁さんも岩国出身なので、自身のお宮参りもほとんどが岩国の神社という馴染みもあって、昨夜から親子揃って里帰りしていた。
HAPPY BIRTHDAY
10月10日、我が家の長男君の誕生日である。長男と言っても男の子一人、女の子一人、つまり長女と長男の組み合わせである。 幾つになったかって?
この世に生を受けて半世紀近くになるのかね~。二人の娘のお父さんである。
人生いろいろで、まだ子供が小さい。小5と小1で、これから本格的に教育にかかる費用が膨らんでくる。がんばってもらわないといけないお年頃である。
自分の時を振り返っても、胸突き八丁「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」の時代であったような。どうかすると子供の世話は一切合切母親任せ。ただただ仕事に没頭していた・・・なんて言えばかっこいいのだが、そんなこともないのに何かしら忙しくて、お年頃の子どもとお父さんの関係らしき思い出が少ない。
そこへ行くと今どきのお父さんお母さんはほんと、子どものためにいっぱい時間を使っている。感心する。子どももそれに慣れて上手にお父さんに甘えている。里帰りしたときくらいジジが出来るだけ子どもたちの相手をしてやって、お父さんお母さんの時間を作ってあげようと思うが、段々ジジの動きがゆっくりになって、子どもたちも気を遣ってお父さんお母さんを追いかけるようになってきたみたい。
兎に角元気が全てのサラリーマン人生。無理をし過ぎてはいないか、昔の自分を棚に上げて、今は倅の健康を祈っている。家族の倖せの原点なのだから。
白隊副隊長の面目躍如、応援練習の成果を本番で!
野球部レギュラーの手前、負けられない徒競走 総得点の行方を決める選手リレーアンカー
戦い終えて笑顔に戻り、全生徒による必笑ダンス ~いま全力で~
優勝隊に贈られる優勝旗は隊長へ、副賞の優勝盾を受ける孫君
まばゆいばかりの青春を駆け抜けた孫君。良くも悪くも得意な体育会系でいつも顔を真っ赤にして、一所懸命な活躍は、少し弱りかけたジジを余るほど楽しませてくれた。中学校3年間のお楽しみイベントを大半終えて、後はあまり得意でないお受験が待ち構えている。これはこれで、自称応援団長としては少しの発破をかけるのも忘れず、緩やかに見守りたい。
野球応援にしても、体育祭などでの活躍にしても、これまで追っかけ爺と称して彼の応援に駆け回ってきたように思う。しかしそれは実際には逆で、彼がいつもジジを応援してくれていた気がする。ジジに無様な姿は見せられないという思いで、必死に食らいつく頑張りが伝わって来ること度々であった。
これまでの粘りと頑張りを胸に秘めて、どのような道が開けるのか、持てる力を出し切ってチャレンジすれば結果はおのずと付いてくる。と思っている。人生100年時代、長いんよ。何があっても先ずは自分の気持ちに嘘をつかない人生であって欲しい。進学に挑む彼の後ろ姿をこれまで通り応戦しよう。小学校高学年から現在まで常に日の当たる立ち位置を守って来た。もちろん周囲の先輩や指導者から可愛がられるキャラは持ち続けていた。笑顔が似合う男の子。また一つ大きな青春に向かって笑顔を忘れず挑戦である。
プロ野球も8月戦線の終盤を迎え、ペナントレースの行方が取り沙汰される季節を迎えた。
ここらあたりから、チームの持つ総合力、底力といったものがモノを言い、笑うもの泣くものの別れ道が見えてくる。一戦一戦が大切で目が離せなくなる季節でもある。
目下セ・リーグ首位を走る、愛しのカープさんにとって、そんな大事な地元での阪神3連戦。第1戦目を敗れて負けられない第2戦目の昨夜。中3の孫君は、カープベンチすぐ横の内野特等席のチケットを2枚手に入れたという。母親の知人から「息子さんにあげて」と譲り受けたらしい。
孫君は「祖父ちゃん、行こう」とは言わなかった。同じ中学校の野球部で同じ内野を守る、将来有望な
1学年後輩のI君に声を掛け、二人で電車に乗って行くという小さな冒険の道を選んだ。彼が自分の意思で外向きの行動をするようになったことに、驚きと「ついにその時が来たか」という感慨を覚えた。
「祖父ちゃんも行きたかったのに」などとは言わず、楽しんでおいでと小遣いを渡したら「サンキュー」と言ってポッケにしまった。
3才になったころからキャッチボールを始めた。そのうちボールを遠くに飛ばすことに目覚めて、プラスティックのカープバットから木のバットに替え、左足を大きく上げて打つようになった。来る日も来る日も幼稚園に迎えに行くと「祖父ちゃん帰ったら野球やろうね」と必ず催促した。いつまで続くか、本人に任せていたら、小学4年生まで爺やババを相手に練習を辞めようとはとは言わなかった。金属バットに格上げし、ボールも色んな種類を打たせ、捕り投げさせた。その間2年生の夏に、地元のソフトボールチームに入れてもらい、週二日の練習を休まず続けた。
プロ野球との出会いは、カープの二軍練習場が近くにあったことから、夏休みには何度も何度も出かけて有名選手との写真も何回か撮った。マツダスタジアムには、チケットが手に入り次第何回も連れて行った。雨の中を広島駅からマツダスタジアムまで歩いて「試合中止」を確認しなければ帰りの電車に乗ろうとしない経験もした。そんな彼が山口県中学校野球大会で、昨年も今年もレギュラーで出させてもらい県大会ベスト8までは見せてくれた。そんなことで、長い間隠れコーチを務めた爺に十分な恩返しをしてくれたと思っている。だから、ゆんべのマツスタは声を掛けなかった孫君の思い通りにさせてやってよかった。試合内容も先ず先ずで、兎に角勝ち試合を見たのがよかった。
野球人生も社会人生活もまだまだこれから。爺だけでなくババとも一緒に過ごした小中学時代をたまに思い出してくれりゃいい。それも出来ないほどハードで楽しい日々が訪れてくれたらもっといい。
ふるさとは 遠きに在りておもふもの・・・・・・犀星の詩集に収められているが、ときに、ふるさとは近きに在りて四季折々に楽しむもの・・・というのが現代版とでもいうのだろうか。
クルマで2時間半くらいの距離に住む孫さんたちにとっては、近きがゆえにその時々を満喫しているようだ。と言いつつ、実は一番喜んでいるのはジジかもしれない。
夏休みの里帰りNo1の目的は、他に代えがたい魅力を持つ海の公園である。ここ最近ではこの静かな瀬戸内海に広がる小さな小さなこの公園も、知る人ぞ知るところとなり、狭い駐車場が満杯になり、白い砂浜はあちこちのグループが、一日がかりで遊びにやって来るようになった。
そして、カミさんの里に足を延ばせば、せせらぎ豊かな川もある。孫たちの最高のお楽しみふる里ではないのだろうか。
普段なら貸し切り状態の海の公園も今日ばかりは大勢の人が
いつもの人が少ない海の方が泳ぎやすそうだねぇ
泳ぎ始めたらこっちのものよ。散々泳いで、腹ごしらえにごくごくタイムも
やはり女の子同士、引っ張ったり引っ張られたり。際限のないスイミング
朝10時から午後2時過ぎまでの長丁場、ガンガン日照りは限りなく暑い。冷たいお茶を口に含みながら海から目を離さないよう見詰めるのは、なんてことないようでいて結構辛いものがある。小5と小1の姉妹の歓声を聞きながら深い居眠りもせず、がんばるジジババである。
目下、歓迎をしてやれる里帰りだが、1年でも1カ月でも多く元気にその役目を果たせるよう、誰のためでもない自分自身のために、ふるさとは近きに在りて楽しむものを実践してやれたらいいね。
「僕は将来サッカーの選手になりたい」「優しい看護師さんになりたい」「周りから尊敬される人になりたい」などなど、景気のいい将来の夢を語る中学2年生の立志式で、あまり大きな声でもなく「僕はまだやりたいことが決まっていません、これから探したいです」と。うつむき加減に夢らしい夢を語らなかった、孫三兄弟の次男君。長男君より2学年下。中学生になったころから、パソコンでごちゃごちゃ調べるのを趣味とするようになった。特に電車のメカニズムは、何を聞いても明快な答えを出してくれるようになった。
高校に入ってやがてクルマのメカ、さらに戦闘機から旅客機までの航空機メカまで探求していたと聞いた。
カーキチでもあった叔父さんである私の倅と夜の明けるまでも話し込むほどクルマの魅力にのめり込んだ。クルマの歴史にも話が及びクルマの進歩の過程などに加えてクラシックカーの魅力にまで話は及んだらしい。
そんな高校時代に意を決したのか、進学は神戸トヨタ自動車大学校。整備士と板金塗装工程を学んで、山口県内に就職。当面実家から通勤する範囲の整備工場、いわゆるディーラーに落ち着いた。
そこで手にしたいのは通勤に使うマイカー。
叔父さんともいろいろ話をしたうえで、古い古いホンダビートという、一世を風靡したホンダの若者向け二人乗りのオープンカー。
青春だね~、古いミッション車でも自ら整備できる優位性を考えての選択。色々やってみなはれ!!
ただ、じいちゃん乗せてどこかに行こうかと誘われても、2・3回乗り降りを繰り返したら腰が痛くなりそう。そのくらい車高が低く、お年寄り向きではないので、ノーサンキューを伝えた。
若い彼には魅力いっぱいの5月。旅立ちの黄色いクルマである。
手前から、クローバー・ゼラニウム・松、それぞれの花
やっぱり5月はいいね~。やさしい緑に差し込む爽やかなお日さま。色とりどりの花がそこここに咲き匂う。
普段はどこにもはびこって、除草に苦労するあのクローバーが気持ちをくすぐるような涼やかな花を見せてくれる。ゼラニウムは冬のあいだ葉っぱを最小限に小さく丸まっていた。それが赤やピンクをあしらった見事な花を。それらを覆うように守っている五葉の松は、松の花を咲かせて新たな芽を伸ばす。
こんな小さな花壇に三層の花を咲かせる。何とはなしに活力をもらって元気が出てくる5月である。
そんな5月なのに一方では「五月病」と呼ばれて、新入児童生徒や新入社員を悩ませる病気がある。
幸か不幸か無頓着なのか、私自身五月病を経験したことがない。唯一、岩国の片田舎から東京のど真ん中に単身赴任したときは、気持ちの中に多少それらしいものを感じたが、色んな先輩や同僚が5月連休明けから食事や軽い飲み会に誘って、東京の夜を紹介してくれたことで吹っ飛んだような気がした。
我が家の孫三兄弟の動向も気になる5月ではある。
長男君は、ひとつの夢を描いて4年制大学に進学した。大学生活の中で「自分の本当にやりたいことは何か」を考えるようになった。その後は本人の本当にやりたかったことに向かって出発した。親としては、大学4年間は何だったの?と言いたいと思うが、人間の一生で無駄な時間などと言うものはない、と爺は思っている。孫君のいい意味での心変わりにやっぱり新たな声援をおくりたい。価値観の相違などと軽く言ってはいるが、自分に合ったものが何か、生涯をかけて探し続けるものなのではないか。
人の一生、ベターやベストを目指して、回り道をしたり近道をしたり、そんな繰り返しの中で終わるのだと思う。思いっきりやってみなはれ。結果はついてくるよ。
5人いる孫の上から3人が娘の方で男ばかり。一番下とその上の子は倅の方で女ばかり。もっとうまく混ざり合うといいのにね~と密かに思うがこれはどうにもならない。ただジジババにとっては男の子女の子両方の成長をじっくり見せてもらって大喜び。応援に疲れたなどとは言わせない楽しみを次々に持って来てくれる。
昨日は最後の孫が幼稚園最年長として最後のお遊戯会という。しかも長い長いセリフを完全暗唱して、オープニングのステージに立つという。何日も前からプレッシャーと闘いながら練習に明け暮れた次女。朝早くに美容院で髪のセットに連れていかれ、段々時間が迫る中でジジババに甘えることも控えて、家から会場までのクルマの中でもブツブツ最後の練習。そして本番へ。ものの見事に練習成果を発揮。無事に終わって「最後まで見てね!」のセリフにやっと笑顔に。抜け落ちた前歯を隠そうともせず、ようやった、ジジバカ丸出し。
オープニングの挨拶と展開状況の説明 締めくくりはちょっとおちゃめに「最後まで見てね」
大役を果たしてダンスに大はしゃぎ「さくら フルオブカラーズ」 右から3人目
さくら組 幼稚園最後の熱演 「かわいい 京人形」
華やかさと言う点では姫孫のものだね、艶やかさも見せてくれる。ゴツゴツ孫君は男の子ならではの可能性を見せてくれる。みんな違ってみんないい。朝早く起きて早い電車に乗って出かけたが、芯から楽しめる一日をくれた。
今日の主役の姫孫の独り言「本当はね、運動会の時にお話ししたかったのに、○○ちゃんが代わってくれと言われて、今日お話しすることになったんよ」だって。大きくなったら、上出来だったと伝えよう。
すぐ近くに住む孫三兄弟の三男坊がついに立志式を迎えることと相成った。
中学二年生の三学期、昔でいう元服で、一人前の男として認められる儀式を模した、現代版元服の式典。
中学校区の連合自治会が生徒の健全育成を願って、毎年この季節に中学2年生を対象に行っている。市教育委員会や地域のお偉方も参列し、国歌斉唱から始まる。ただ今年は能登半島地震犠牲者への黙とうからスタートした。咳をするのも憚られるようなガチガチの儀式である。ジジも一応保護者の端くれとして出席した。
中学校区の自治会連合会の主催で執り行われる「立志式」
全員が、立志にちなんだ決意を表明する。次の出番が孫君
最大のお目当ては、生徒全員が立志式に臨んで決意の一端を述べる「決意表明」である。孫君がどんな態度でどんな決意を表明するのか見ておきたかった。頭上の大きなスクリーンに、決意のタイトルが映し出される中で、「私は将来みんなが憧れるようなプロ野球選手になりたいです」と淀みなく大きな声で叫んだ。
ジジが会場にいることも大切な母親が聞いてくれていることもちゃんと頭に入っていたのかな。
私は、プロ野球選手を目指します!! 決意表明する孫君
全員が決意表明を終え、保護者や来賓・地域の人に感謝の合唱を贈る
それぞれに思いの丈を述べて、最後は感謝の合唱「空は今」を朗々と歌い上げた。なんて言うのはジジのひいき目かもしれない。それにしても、おなじ野球部として白球を追うのなら、このくらいの目標を持ってくれるのは嬉しい。なんせ、3歳になったころからボールを投げ、バットを振らせたジジの目には素質があると、応援し続けている。この上ないジジバカチャンリンである。が、これからも誰にも負けない応援団長である。
お父さんに連れてきてもらった冬休み中の孫姉妹、親から離れて三日目となる今日は幸か不幸かじいちゃんが二人のお守を託された。さてどうする?
二人の希望を訊いたら文句なし「海の公園」と口をそろえる。もちろん、出がけに近くのお店でいくつかの欲しいものゲットと言うおまけつき。
夏場のお出かけバージョンをしっかり覚えている。取り敢えず行先は決まった。午前中で帰りお昼ご飯は家で食べる約束。
今日はクルマが使えないので全てをウオーキングバージョン。海の公園の遥か手前から海岸に降りて、波打ち際を歩いていつもの砂浜へ到着。
冷たい海をカモの群れが羽を休めているのか、海面に群がっている。寒そうなのに、いいお天気と無風状態でそれなりの温かさがある。子守としては有難い!
散々海で遊んで公園に上がり枯葉の山の中でまたひと遊び
夜に入れば今年最後の満月という。しかも1年で13回目の満月と言う召すらしい状況なので、これはこれでパチリ。
要するにことほど左様に年末の寒い時期に、海の公園を選ぶ孫姉妹の遊び根性に尻尾を巻く。いつもの砂浜の遥か手前の海岸に到着。さらさらの砂や大きな護岸石の上をピョンピョン飛ぶように歩く。ジジには応える。汗が出るほどに。
人が見たら笑いそうだが当人たちは大真面目。ロングパンツをたくし上げ海水へと入っていく。冷たかったのは最初だけ。あとはもうへっちゃら、姉妹できゃあきゃあ叫びながら遊んでいる。師走27日などの感覚は全くない。砂を盛ってお城を作るのも真夏と一緒。
温かい年末を喜ぶのは子守爺だけかもしれないが、こんな年末も、へんてこりんな世の中の一端を表しているのかも。孫もジジもいい一日だった。