「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「波間に見る秋」

2013年09月30日 | 季節の移ろい・出来事

                 

 “ 春の海 ひねもすのたり のたりかな ”
この句に代表されるように、春の海は穏やかこの上ない。
少しくらい風があっても、春の陽光をキラキラ反射させる海面は輝いていて心地いい。

今は秋。春の話に夢中になるわけではないが、春の海を今一度思い起こしていただけると、同じ波穏やかな瀬戸内海でありながら、秋の顔と春の顔の違いが分かりやすいか思う次第。

秋も深まってくると、大した風でなくても海面はなんとなく騒がしい。小舟を揺らすほどの小波やうねりを持っている。そこへ、少しでも風が出ると、すぐに波頭が白く浮き立つ。いわゆる白波が立ち始める。
そうなると、砂浜に打ち寄せる波も、バッサ~ザワザワ大きな音としぶきを伴って、海の恐ろしさを実感させる。

小学5年生や、4歳児のお供で、誰も足跡をつけていない引き潮の砂浜を散歩する。そこには春ののたりのたりもなければ、夏の夕凪もない。そこにあるのは、冬枯れでもない静けさであり、物語の一つも浮かんできそうな、秋ならではの物思いたくなる風情がある。 まさに ♪ 今はもう秋 誰もいない海・・・ ・・・♪

小さな小さな足跡、大きな足跡を砂に印しながら歩く。 小石を見つけては立ち止まって海面にサイドスロー。
投げた小石が海面を二回三回とジャンプするのを、自慢でじいちゃんに見せたがる。「じいちゃんも投げて!」とせがむ。肩が痛いからなど弱音は吐けない。顔で笑って本気で投げて見せる。まだ負けていないじゃろっと。

そんな波間の向こう、近くの漁港から出た漁船が、今が旬の太刀魚釣りをしているのが見える。
大潮の時など、海面が盛り上がるように潮が高くなる。すると漁をしている船が、手の届くあたりまできているような錯覚を起こす。秋の海が春とは違う、などと言ってはみても所詮瀬戸内海。写真で見る限りのどかなものだ。

春夏秋冬それぞれの海にかかわるワンシーンをアップしてお目にかけるのが、海のすぐ近くに住んでいる者のある種責任みたいなものを感じていると思召せ。山もいい、紅葉もいい。されどやっぱり海のある景色はいい。

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「惜しまれて」

2013年09月28日 | スポーツ・観戦

            

プロ野球広島東洋カープについて、特別な事情発生により続編をアップする勝手をお許しあれ!

かつて、打撃の神様と崇められた川上哲治氏。その神様の後輩で、熊本工業高校出身の前田智徳選手。
広島カープ一筋24年のプロ野球人生。42歳にして、ついに引退する時が来た。

打撃の職人とか求道者とか、聖人的な呼び方をされることが多かった、広島カープ生え抜きの看板選手。
個人的にも極めて好きな選手である。寡黙がいい。自分のバットでチームが勝ち、ヒーローになっても多くをしゃべらないのがいい。心の奥に、自分に打たれた投手がいることを気遣っている姿勢がたまらなくいい。

所詮勝負の世界に生きる男。やられたらやり返す気迫は誰にも引けを取らなかった。
しかし、自分のバットで勝利を収めたことはあくまでも結果であり、みんなが見ている。それを敢えてヒーローインタビューでことさら強調しないところがいい。打点を挙げるヒットが打てたのはたまたまで、凡打になることの方がはるかに多いことを彼は十分すぎるほど心得ている。

生涯打率は3割2厘。100回バッターボックスに立って、30本のヒットを打った計算になる。
ということは、100回のうち70回は失敗しているという論理を、前田智徳という男はしっかり自覚している。
ここらあたりは、あの天下のイチローさんに似ている。だから好きなのかもしれない。

今一つ好きな理由を挙げれば、バッティングフォームがきれいなこと。どうかするとその華麗なフォームは芸術的な域に達している。それなのに「こんな自分を・・・」「こんなけがだらけの男を・・・」という表現で、応援してくれたファンに感謝の言葉を述べる。野球界の高倉健のような男・・・といったら健さんファンに叱られるだろうか。

4月に受けた死球による骨折で戦列を外れた。その後チームは若手や外人選手の活躍で、16年ぶりのAクラス、CS出場を決めた。「自分がいなくても、カープは強いチームになった」という彼らしい「引き際の美学」があったのではないか、などと。これは推測にすぎないが、彼の男気から察するにそう思えなくもない。

生涯安打2119本。堂々の名球界入り。 再び選手としてバットを握ることはないのだろうが、その汗と泥にまみれて這い上がった野球魂を後輩に伝授していって欲しい。「惜しまれて引退」 前田智徳選手、有難う。

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「明と暗と」

2013年09月26日 | スポーツ・観戦

       

 活字が躍る!写真が吼える!! 『広島カープ 初のCS』

低迷15年。16年目にしてやっと3位、Aクラス確保。 
愛したり見放したり、熱くなって応援したり、「こんな野球をやりおって・・・」と吐き捨てたり・・・。
それでも、頭から離れることなく、どこかで気にしながら「弱いカープ」を気持ちの中で応援してきた。

オーッやるな~!と連勝に鯉(恋)心を抱けば、とたんに機嫌を損ねてそっぽを向く連敗に次ぐ連敗。
強いのか弱いのかよくわからない・・・。指揮官の能力がどうも伝わってこない・・・。
これに似たような、ややこしい女性との出会いも、遠い過去にあったようななかったような・・・。
そんな気持ちの落ち着かない『広島東洋カープ』が、待望の3位Aクラスを確保。先ずはこの事実を喜ぼう。

そしてプレーオフ、いわゆるクライマックスシリーズの出場権を得た。
ということは、秋風の吹き始めた季節の流れとは逆に、マツダズームズームスタジアムには、今しばらく真っ赤に燃える熱いアツイ声援がこだますることになる。 広島の街が活気づく晩秋を迎える。

「勝ちに理由はない、負けにはワケガある」とは、あの闘将、野村克也氏の言葉である。
今年のカープが、何故15年の眠りから覚めてAクラス確保できたのか。
まあいい、今はそんな理屈より16年ぶりにAクラス入りを果たした、ひょっとすると日本シリーズ、日本一に駆け上がるかもしれない夢を与えてくれたことに、大きな拍手を贈りたい。何はともあれ、よくやった!!

所詮勝負の世界は結果が大きくものをいう。プロセスを抜きにした「結果がすべて」という論理にもろ手を挙げて賛成ではないが、破格の年俸を得てユニフォームを着るプロの選手にはそれが求められる。
年俸に見合った働きを期待するし、結果がすべてと言われても仕方がない。

カープは、今年はAクラスに残った。しかし残れなかった、中日・DeNA・ヤクルトの首脳陣には厳しい秋風が吹く。
中日、高木監督は早々に退任表明。もっとも契約期間切れという条件はあるが、もしもリーグ優勝などしていれば、契約云々も帳消しになるかもしれない。負けたから去る、これだけの話である。
DeNAの元気印、中畑監督も引責辞任が現実味を帯びてきた。さて我らのカープ野村監督や如何に?

勝てば官軍、負ければ賊軍。勝負の世界の厳しさを、カープの躍進によって改めて思い知る。
明と暗、大きく分かれる秋半ば。勝者奢ることなかれ。敗者捲土重来を期せ!!

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「しっかり食べて大きくなってね」

2013年09月23日 | 家族・孫話

        
                        お食い初めのフルコース

せがれの長子、女の初孫が生まれて早くも103日目を迎えた。
格別大きな希を抱くわけではないが、生涯を通して食べることに困らないように、旺盛な食欲で健康な日々を過ごせるように、というごく自然な家族の祈りを込めて、古式にのっとり「お食い初め」の祝いを執り行った。
主役の当人は全く何もわかってはいないが、育てる親、見守る親族などが祈りを捧げることで、気持ちを安らげる一つの儀式みたいなものである。

このお食い初めの儀式は、遠く平安時代から伝統的に受け継がれてきたといわれている。
元々、一汁三菜のご馳走をそろえるのが通例であったようだが、あれこれ調べていくうちに、定番と思われるフルコースに到達した。
お赤飯、鯛の尾頭付き、吸い物、煮物などなど。それぞれにいわく因縁のある食べ物が並ぶ。

そんな中の一つに「梅干し」がある。エッ、こんな小さな赤ちゃんにいきなり梅干し・・・と思われる向きもあろうが、ちゃんとした理屈がつけられているから面白い。「梅干し」のように、しわが出来るまで末永く生きられるように、という長寿の願いが込められているのである。今一つは黒豆の煮豆。これは石に見立てて、どんな固いものでも噛み砕く丈夫な歯を持てるよう願いが込められているという。

取って付けたような屁理屈にも聞こえるが、よく考えると、ウ~~ンなるほど・・・。先人の深い配慮に納得がいく。
我が子のときにも同じように、色んな願いを込めて儀式は行ってきたのだが、その時は今ほど深い意味にまで思いが至らず、ただただ人並みに儀式をこなしておけばいい、という考えだったような。

          
                     お箸初め。お口に入れる真似事を・・・

今、孫の成長を願い、我が子が親としての役目を果たすよう厳しく見守る中で、自分たちが知らずに生きてきたことを反省しつつ、伝統の儀式とか、先人が作り上げてきた風習といったものを、若い親に少しでも分かりやすく教えておけたらいいと思ってみたりする。それはいつやるの?子育てに必死な今でしょ!今しかない!!。

鉄は熱いうちに・・・という言葉がふと浮かんできた。それにしても、自分たちのことは棚に上げて、よく言うよ!

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「中秋の名月」

2013年09月20日 | 季節の移ろい・出来事

          
                 『 中秋の名月 』 2013.9.19 20時30分撮影


           “ ふるさとは よきかな月を 友に酒 ”        遠藤 若狭男

あれほど厳しい異常気象のもとで、日本列島各地に被害をもたらした台風やゲリラ豪雨。9月半ばを迎えるころには一段落し、鮮やかな「中秋の名月」の美しさを、同じ日本列島各地に振りまいた。
自然の気まぐれには、泣かされたり喜ばされたり。いったいどっちが本来の姿なのだろう。どちらも本来の姿よ、っていう返事が返ってきそうである。

“ 月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月 ”と謳われるように、旧暦の8月15日の月は「中秋の名月」として、古来から風雅を楽しむお月見という習慣が今に伝えられている。
この9月19日の月こそ、「中秋」の名月として、「仲秋」の名月と区別されているようだ。

そもそも「中秋の名月」とは如何なるものか。
いにしえの昔から、秋こそが月を見るのによい季節とされてきた。旧暦でいう秋の7月~9月のちょうど真ん中の日が、8月15日にあたる。そのため、8月15日を「中秋の名月」と呼んで、月をめでることにしたのだといわれている。

ではなぜ、秋の月が美しいといわれるのか。
その理由は、月の高さと、天気にある。太陽が天球上で通る道は、夏は高く、冬は低いことはご存じの通り。月の通り道も太陽とほぼ同じだが、満月は地球から見て太陽の反対側にあるため、夏は低く、冬は高いのである。そこで、ちょうど見上げるのに適した高さの満月となると、春か秋になる。しかし「春がすみ」や「秋晴れ」という言葉があるように、天気の良さでは断然秋。そこで、秋が月見のシーズンとなったといわれいる。(ネット拝借)

今年は2011年、2012年に続いて中秋の名月が満月にあたった。中秋の名月当夜の満月は、今年を最後に2021年まで見られないという。
ということは、2020年のオリンピックの1年後ということだ。
ならば、何としても7年後のオリンピックは元気に迎えたいと思っていたが、ついでにもう1年頑張って、今一度旧暦8月15日の満月、中秋の名月を拝みたいものである。

やっぱりまだまだこれから、楽しみなことも色々出てきそうである。

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「カマを研ぐ」

2013年09月19日 | つれづれ噺

           
               風に吹かれて裏側を見せる蓮の葉。その向こう、秋の夕焼け。

西の空を茜に染める秋の夕焼け。カマを研いで、気持ちも道具も明日の農作業に備える・・・。
そんな農を守る心構えが「秋の夕焼け、カマを研ぐ」ということわざになったのだろうか。
黄金色に実った稲の借り入れには、2・3日続くお天気が必要となる。夜露の降り具合も見極めなければならない。そんな、経験からくる勘や読みで、刈取りのタイミングを測る。これらが米作りの奥義でもある。

この頃では、コンバインという機械で刈取り、すぐにモミとなって乾燥機に放り込んで水分調整させる。
だから、それほどお天道様に頼り切ることもなくなった。
しかし昔はカマで刈り、ハゼに干して自然乾燥を待つ。その後脱穀してもみすり機で玄米にしていく。まさに八十八手のうちの八手も十手もかけてきた。
そういった意味でも秋の日和は大切なもので、収穫量に影響するほどの要素があった。

サツマイモ・レンコンなどの秋の実りは今がたけなわ。そして、クリ・柿・みかんなどなど、やはり味覚の秋である。
ところが、稲を作る田んぼもない、クリや柿もみかんの木も持たない、小生如き趣味程度の菜園愛好者にとっては、秋の夕焼けカマを研ぐというより、冬の実りに期待する部分が大きい。   

           
                秋の実り、サツマイモ(手前)。その向こう冬の実りを目指して

夏野菜の終わった畑の草取りに汗を流し、苦土石灰でお化粧を施し、秋ジャガ・大根・蕪・水菜など、今から種を蒔いて冬に実りを待つ野菜がいっぱいあるということ。
聖護院という丸大根と蕪の種を、水でふやかして蒔いたら三日目には小さな葉っぱが顔を出した。
ひたすら雨を待っているが、こちら方面はなかなか降りそうにない。水遣りもテクニックが要るほどのちっちゃな芽。
それでもこういった植物の種は嘘をつかない。裏切らない。 
手塩にかけて育てるぞ~。お正月用蕪の千枚漬けを頭に描いて・・・。 

今回畑に蒔いたように、これまでも畑以外のところで色んな種類の種を蒔いてきたように思う。
蒔いただけの色んな種類がきちんと実って我が身に跳ね返ってきたか、と問われるとなんと答えようか。
部分的に言えば、蒔いた種の何分の一かは確かに実ってくれたと思いたい。が総体的に言えば蒔いた種の多さに比べると、実りは決して多くなかったという結論に至る。
根本となる畑作りが悪かったのか、種を蒔いた後のフォローや肥しが足らなかったのか、気象条件に恵まれなかったのか、いずれにしても収穫が意外に少ないな~というのが実感である。

結果的に見れば、種を蒔いたつもりになっているだけで、実際は多くの種を蒔いて来なかったのではないか、などと思ってしまう。心の肥しと言える読書をしてきたか、思い切って色んな場所に赴いて他流試合を挑んできたか・・・。そう問われるとやはり答えはノーに近い。絶対的な種の蒔きようが足りなかったことになる。

畑が完全に枯れないうちに、今からでも遅くない。畑に見合った種を見繕って、蒔き続けてみるとするかな~。

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「照ろうか、降ろうか・・・」

2013年09月17日 | つれづれ噺

            
                    江戸城、松の大廊下模型 (ネット拝借)

大風、大雨、突風、洪水、土砂崩れ。 まさに何でもありの台風18号。
大きな大きな爪痕を残しつつ、近畿、東海、北陸、東北、北海道、と日本列島を縦断した。
これまでの集中豪雨や竜巻被害など、傷跡も修復さないうちにさらに追い打ちをかける天災。
テレビ画面に映し出される、日本を代表する観光地京都の、嵐山公園や渡月橋の惨状は目を覆いたくなる。
被災された方々へ心からのお見舞いを申し上げたいと思います。

そう思いながら、こればかりはいつ我が身に降り掛かるか全く予測がつかない怖さがる。
特に最近、あちこちで発生する竜巻や突風被害は、なんとも逃れようがなく、せめてとっさの判断で自分の命を守る行動に走る以外に方法がないのはなんとも恐ろしい。

そんな気象の変化をもたらす天には「三つの廊下」があるという話を耳にした。
「照ろうか」「降ろうか」「曇ろうか」。この三つのろうかが、いつもせめぎ合いをしながら、地球を晴れさせたり曇らせたりしているのだという。ちょっとマユツバな話ではあるが、一つの耳学問としては面白い、かな。

同じように考えると、人間にも三つの廊下はあるようだ。
さしずめ、「知ろうか」「やろうか」「作ろうか」といったところだろうか。
新聞に目を通すのも、テレビのニュースに注目するのも、まずは「知ろうか」に始まるようである。
出来ることからやってみよう「やろうか」・・・などとつながっていく。

天の持つ三廊下は、我々人間では如何ともし難い領域である。しかし人間の持つ三廊下は生涯持ち続けることが可能であり、持ち続けたい大切な生き甲斐であろう。
ところが、人間の持つ4つ目の廊下、つまり「老化」という名の廊下によって、そんな生き甲斐を阻害されることはある。抗ってみたいのだが、これもまた、人間の力の遠く及ばぬ現象ではある。

写真に使わせていただいたのは、江戸城内にあった大廊下のひとつ。本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50m、幅4mほどの畳敷の廊下。 廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから松之大廊下と称された(ネット拝借) この大廊下を舞台に繰り広げられた一大歴史物語は、江戸庶民にもてはやされ、歌に残され、歌舞伎十八番として受け継がれている、きれいでかっこいい結末。だが、プロセスでは何百人もの武士や町民を路頭に迷わせた哀しい事実も秘めている。

照ろうか、降ろうかに始まった三ろうかの話も、老化や松の廊下にまで及ぶと面白い話などではなくなるね~。
それでも「知ろうか」だけは懐に抱いて生きていきたいものですね~。

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「敬老の日」

2013年09月15日 | 季節の移ろい・出来事

           

我が家での敬老のお祝いをしなくなってさて何年になるのだろう。
母が要ったのが2008年11月だから、今年を入れて5年は全くそれらしいことをやっていない勘定になる。母存命のころは、姉弟が集まっては何らかの形で敬老の気持ちを表わしてきた。大祝いもしてきたと思っている。
本当のところは、あの世に行ったときに今一度母に尋ねてみないとよくわからない。

我が住む団地には自治会なるものがあるにはある。が、全く機能していない。
団地が出来てから20年。どこからともなく集まってきた新興住宅団地。いわば寄り集まりの新所帯で、自治会組織の必要性とか、肩を寄せ合うメリットなどよりも、お互いを干渉しない、何のつながりも持たない方に軸足が置かれてている。それはそれで結構だ、というか致し方ない。そんなわけで、自治会だの婦人会だのが中心となって行われる敬老会といった催しは、早い話この自治会では全く行われない。

他の組織で広報担当という役目を仰せつかっている。お役目がら敬老会が行われる地区の写真撮影をして、次回発行の広報誌に掲載しなくてはならない。自分のところではそれらしいことは何にもないのに、他の活発な地区へカメラを提げての取材というのも癪な話だが、これもまた致し方ない。

今日も何か所か回ってスナップを撮ってきた。
思うに、会場の参加者はもちろんご高齢者ばかり。ところが、その準備、運営、進行などお世話される方も、会場に座っておられる方といい勝負。派手な衣装につけまつげ、ステージで舞踊をされるお方を見ても、間違いなく超高齢者。まいいか、敬老会に出席する人、世話する人、ステージを盛り上げる人、それぞれみなさんお元気だからできること。

何を生意気なことをのたまうことか。敬老会にご招待がかかるのは間もなくであることをコロッと忘れおって・・・。
さて招待状が来たらどうしよう。オットット、その心配はない。この自治会には敬老会などありはしなかった。
たとえあったとしても、やっぱり進行役やお手伝いをする側に回ることだろう。
それより、我が家で「敬老のお祝い」など無用であることを、子や孫に言い含めなくては・・・。

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「つるべ落としの・・・」

2013年09月14日 | 季節の移ろい・出来事

               

つるべ落としの秋の夕暮。
夕方の7時を回るころといえば、ついこの前まで、まだまだ一仕事できそうな明るさだった。
あれよあれよという間に日が短くなり、この頃ではもう暗くなって、クラブ活動帰りの子供の声が聞こえる以外は、団地道路に人の気配もほとんどなくなる。
家の中では、そろそろイッパイ始めようかというのんびりの時間帯。

そんなとき、“ピンポン・・・” チャイムが鳴る。
出てみると、見覚えのある顔がニコニコ愛想笑いをしている。
「今年も年賀状の購入をよろしくお願いします・・・」と、パンフレットを置いて行った。

エッ!まだ9月半ばよね! 年賀状発売は11月1日だったはず。随分気が早いな~と思う。
我々購入する側にとっては確かに気の早い話であるが、彼ら、売る側にとっては、毎年の固定客を逃がしてはならない。へたをすると誰かに先を越される。何が何でも自分で開拓したお客は死守しなければ・・・。そんな思惑が働いて、この時期の年賀状売り込み作戦となったようである。しかも、定時はとっくに過ぎた夕方7時過ぎ。

親方日の丸だったころの郵便配達員さんとは、一味異なる前向きな姿勢に、「世の中活きているな・・・」「こうでなくっちゃ・・・」、などと何かしら嬉しくなってくる。ついでに、ギラギラしていた若いころの自分を思い出して頬が緩む。もちろん、郵便配達員の経験などありはしないが、仕事に対する思い入れは、職種を問わず、多かれ少なかれ似たようなものであろう。

近いうちに、予約申込書を取りに来るのだろう。これまで通り、100枚に分けて二人に申し込むか、一気に200枚を一人に申し込むか。もう少し待って結論を出すとしよう。
こちらも、この春頂いた年賀状の住所録見直しをスタートさせようかな~。
それにしても、早くも年賀状の話題とはね~。世の中のスピードが速すぎるのか、全体的な身のこなしがゆっくりになってきたのか、さあどっちだろう。

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「普茶料理」

2013年09月11日 | つれづれ噺

  
           「普茶料理」  いずれも4人分の盛り合わせで、これらを4人が取り皿に取って、ゆっくり頂く。

ひょんなことから、「普茶料理」なるものを、初めて食する機会に恵まれた。
いわゆる寺院に伝わる精進料理の一種であり、お腹が膨らむほどにむさぼるお料理ではないことを、最初に断っておきたい。

市内にある黄檗宗の古刹で、雪舟作といわれる「心字池」を擁する「通化寺(つうけいじ)」で行われた施餓鬼法会にお邪魔した。
「黄檗宗開山350年このかた、これほどの大々的な法会は初めてのこと」とは、通化寺総代長の弁。
京都府宇治市にある黄檗宗本山から、宗務総長はじめ総勢13人の僧侶が訪れ、太鼓・鉦・鐘・木魚・りんなど多彩な鳴り物入りの読経は、延々1時間半に及んだ。まさしく聞きごたえはもちろん、見応えも十分な施餓鬼法会であった。

仏教にあまり明るくない小生如きが述べるのはおこがましいので、広辞苑の受け売りをさせて頂こう。
「施餓鬼」とは、飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会、である。
さらにこの通化寺の持つ今一つの顔は、明治維新に向かう激動の長州・山口県において「高杉晋作」率いる騎兵隊(遊撃軍)の陣営が置かれたことでも知られる。その戦没者霊位の供養も併せて行われた。

余談ながら、第二次長州征伐として幕府及び幕府に加担する諸藩が、、芸州口、石州口、大島口、小倉口、の四方から大軍で攻め込んできた。その中で最も激しい戦いとなった芸州口、つまり山陽路を広島県側から攻め入ってくる敵を、このお寺を拠点とする遊撃軍の働きで、幕府連合軍を完膚なきまでに叩きのめした。それによって一気に明治維新への門戸を開いたという、いわく因縁の古刹でもある。

普茶とは、あまねく人々、つまり尊卑も上下も意に介さず、すべての人にお茶を施すという意味。
普茶料理とは、法要や仏事の終了後に、僧侶や檀家が一堂に会し、煎茶などを飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が、普茶料理の原型となっている。
基本的には一つの座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという食事様式が、非常に珍しがられたという記録もある。

精進料理ゆえ、魚や鶏肉など使うことなく、野菜や乾物の煮物や餡かけ。下味をつけた野菜のから揚げ。野菜の切れ端を炒め、葛寄せにしたもの。白身の魚に見立てた胡麻豆腐。肉や魚に見立てた「もどき」が中心で、量もきわめて少な目。お吸い物も超薄味。
それもこれも、材料こそ地元産を使っているが、本山から容器など持参して、僧侶の手作りを賞味させていただいた。
見た目の美しさ、濃い味付けを避けた優雅な味わい。現代とは程遠い健康食であることに気付かされる一日となった。

ただ今食欲の秋。ホンのもう少し量があったらよかった・・・などと思うのは下賤の勘ぐり。少ないからこそ有難味は大きい、のかな。

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