“ 狎れるてふ ことを戒め 去年今年 ” 千原 叡子
( なれるちょう ことをいましめ こぞことし )
移り行く年を実感しながら、いろんなことが惰性にならないように自戒する、そんな往く年くる年である。と、意訳されるこの句。
はたと思い当たることも多い年の瀬。まさに往く年くる年の感慨であろうか。
今年も色々あったな~。季節を追って時系列に並べ始めると、飽きられて飛ばされそうなので、いくつかに絞り込んでみよう。
趣味の世界。これも一つだけに限定するのは難しいが、全体的には消化不良、『イマイチ』の感が強い。
早い話が、想いを込めて書いたいくつかのエッセイが、不本意ながら選者のハートを射られなかった。
単に見解の相違とだけは言えない。もっと鋭く捉え、もっと普遍性を持たせる。そんな努力が足りなかったことを認めざるを得ない。
来る年に向けた大きな大きな課題である。
新たに仲間入りした「男の料理教室」。誘われた時は「この歳になって今さら・・・」という、食わず嫌いと逃げ腰が頭をもたげて、一旦はお断りした。
「まあそういわずに・・・」との声に、恥を忍んで恐る恐る参加した。意外に行けそう。まんざら捨てたものでもない。などと、すぐに実力以上の思い上がりもあって、3回続けた。そして来年も是非メンバーに入れてもらうようお願いした。
エプロン掛けてバンダナ巻いて、包丁握るし洗い物はする。出来上がった料理を盆に載せて運ぶ。
こんな一連の作業は、意外に我が身に合っていたのかも。
その証拠に、さっきまで大量のジャガイモの皮をピーラーで剥いた。わが家のおせち料理は、形に全くとらわれず、訪れて食べる人の好みに合わせる、言うなればオーダーメイドの品々である。
婿殿は我が家お手製の中でも、何よりのコロッケ好き。孫たちも同じ。ならばこの手でコロッケを30個ばかりこしらえて進ぜよう、ということで張り切って台所に立った次第。もちろん、ジャガイモはこの手で収穫したもの。
そんなわけで、この1年の目玉とも言うべき男の料理教室に挑んで、早くも結果を残したというお粗末。
そして今一つ、改めて肝に銘じたことは『健康の有難さ』である。
12月4日、とある行事の途中左足親指付け根を大きくひねった。倒れこそしなかったが、患部は腫れ上がった。
そのうち痛みも治まるだろうという安易な考えで、病院にも行かずシップ薬でやせ我慢した。忘年会も、仲間との飲み会も、悟られないよう上手に足を引きずりながら遊んでもらった。
その足もここにきてようやくまともに歩けるようになった。約1ヶ月、城山登りはもとより、ウオーキングもままならかった。
そのことで運動不足となって、肩は凝る、イライラは募る、思考がバラバラ。もっとも思考がバラバラはこれまでと同じか。
降ってわいたような身体不自由に悩まされ、ようやく落ち着きを取り戻して今年が終わる。
たとえ少しの不具合でもこの身に起きれば、ついつい自分を見失いそうになる弱さを持っていることを再認識させられた。
気持ちと身体の動きは比例しない。特に下半身が弱ると、身体も脳も、やる気までも退化させるようだ。
幸い健康診断では「異常なし」のお墨付きをもらえるこの身。
まあこの程度で一段落したことに感謝して、さらに一層の注意を払い、元気な一年を過ごすよう心掛けたい。
なんだかんだ言いながら、今年も多くの人に大変お世話になりました。
ここに、深甚なる感謝を申し上げ、また新たな歳に向かって、どうぞお引き立てのほどお願い申し上げまして、往く年、来る年のご挨拶とさせていただきます。 どうぞ佳き年をお迎えください。