「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「往く年くる年」

2015年12月31日 | つれづれ噺

          

 “  狎れるてふ ことを戒め 去年今年  ”      千原 叡子
  ( なれるちょう ことをいましめ こぞことし )
移り行く年を実感しながら、いろんなことが惰性にならないように自戒する、そんな往く年くる年である。と、意訳されるこの句。

はたと思い当たることも多い年の瀬。まさに往く年くる年の感慨であろうか。
今年も色々あったな~。季節を追って時系列に並べ始めると、飽きられて飛ばされそうなので、いくつかに絞り込んでみよう。

趣味の世界。これも一つだけに限定するのは難しいが、全体的には消化不良、『イマイチ』の感が強い。
早い話が、想いを込めて書いたいくつかのエッセイが、不本意ながら選者のハートを射られなかった。
単に見解の相違とだけは言えない。もっと鋭く捉え、もっと普遍性を持たせる。そんな努力が足りなかったことを認めざるを得ない。
来る年に向けた大きな大きな課題である。

新たに仲間入りした「男の料理教室」。誘われた時は「この歳になって今さら・・・」という、食わず嫌いと逃げ腰が頭をもたげて、一旦はお断りした。
「まあそういわずに・・・」との声に、恥を忍んで恐る恐る参加した。意外に行けそう。まんざら捨てたものでもない。などと、すぐに実力以上の思い上がりもあって、3回続けた。そして来年も是非メンバーに入れてもらうようお願いした。

エプロン掛けてバンダナ巻いて、包丁握るし洗い物はする。出来上がった料理を盆に載せて運ぶ。
こんな一連の作業は、意外に我が身に合っていたのかも。
その証拠に、さっきまで大量のジャガイモの皮をピーラーで剥いた。わが家のおせち料理は、形に全くとらわれず、訪れて食べる人の好みに合わせる、言うなればオーダーメイドの品々である。
婿殿は我が家お手製の中でも、何よりのコロッケ好き。孫たちも同じ。ならばこの手でコロッケを30個ばかりこしらえて進ぜよう、ということで張り切って台所に立った次第。もちろん、ジャガイモはこの手で収穫したもの。

そんなわけで、この1年の目玉とも言うべき男の料理教室に挑んで、早くも結果を残したというお粗末。
そして今一つ、改めて肝に銘じたことは『健康の有難さ』である。
12月4日、とある行事の途中左足親指付け根を大きくひねった。倒れこそしなかったが、患部は腫れ上がった。
そのうち痛みも治まるだろうという安易な考えで、病院にも行かずシップ薬でやせ我慢した。忘年会も、仲間との飲み会も、悟られないよう上手に足を引きずりながら遊んでもらった。

その足もここにきてようやくまともに歩けるようになった。約1ヶ月、城山登りはもとより、ウオーキングもままならかった。
そのことで運動不足となって、肩は凝る、イライラは募る、思考がバラバラ。もっとも思考がバラバラはこれまでと同じか。
降ってわいたような身体不自由に悩まされ、ようやく落ち着きを取り戻して今年が終わる。
たとえ少しの不具合でもこの身に起きれば、ついつい自分を見失いそうになる弱さを持っていることを再認識させられた。

気持ちと身体の動きは比例しない。特に下半身が弱ると、身体も脳も、やる気までも退化させるようだ。
幸い健康診断では「異常なし」のお墨付きをもらえるこの身。
まあこの程度で一段落したことに感謝して、さらに一層の注意を払い、元気な一年を過ごすよう心掛けたい。

なんだかんだ言いながら、今年も多くの人に大変お世話になりました。
ここに、深甚なる感謝を申し上げ、また新たな歳に向かって、どうぞお引き立てのほどお願い申し上げまして、往く年、来る年のご挨拶とさせていただきます。  どうぞ佳き年をお迎えください。

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「あと二つ寝ると・・・」

2015年12月30日 | 季節の移ろい・出来事

          

    ♪♪ も~いくつ寝ると お正月 
             お正月には 凧あげて コマを回して遊びましょ
                             早く来い来い お正月 ♪

そんな呑気な歌を歌っている暇もないほど、節季師走もいよいよ押し迫った。あと二つ寝るとお正月を迎える。
ここ数年の例に倣って、今年も我が手作りのオリジナルしめ飾りをこしらえ、玄関に飾った。
そこで今日は、しめ飾りの由来などをひとくさり取り上げてみたい。

というのも、所属する地域活動の中で、12月になると小学4・5年生を対象にした「しめ飾り教室」を実施している。
ワラの手配から、ユズリ葉、ミカンなど必要用品の一切を準備して、それぞれの由来や言い伝えを離して聞かせる場面がある。
そのためには、事前にあれこれ調べて、噛み砕いて小学生向けにアレンジしなければならない。言うなればその復習版ということかな。
そんなこたー今さら言われなくても知ってるよ!という方はどうぞ飛ばしてやって下さい。

しめ縄は不浄なものや災いをもたらすものが入り込まないように、現世と神の領域との結界を張る意味で飾ると言われている。
つまり、玄関にしめ縄を張ることで、「ここは神様の領域だから、不浄なものや災いを持ち込むことはできないよ」という目印である。
そのために、しめ縄の綯い方は、神に捧げる縄という意味もあって、左綯いという方法で綯う。
縄を綯うという言葉自体も方言でもなんでもなく、れっきとした「綯う」という漢字で表現されている。

そんなしめ縄に飾りとして付ける装飾品の個々のいわれは次のようになっている。

しでは「神様のあるく道を祓い清める御幣の役割をする紙」
橙(ダイダイ)は「一家が代々繁栄しますように」
裏白は「裏表のない清らかな心で一年を過ごせますように」
ゆずり葉は「親から子へ代を譲りながら子孫が途絶えないように」
昆布は「喜ぶ(よころぶ)ことが沢山あるように」(地方によって付けないところが多い)

それぞれに、もっともらしいいわれや理屈が付けられている。
ついでに言うなら、しめ縄に使うワラは、もち米用のものが適している。普通のお米用ワラより長くてしなやかである。
縄はふつう右綯いである。神様に使う時は特別に左綯いとなる。これがなかなか難しい。
そして、それらを飾るタイミングとしては、もっとも多いのが25日から28日ごろで、29日は9が苦と重なり縁起が悪いとされ、31日は「一夜飾り」となって神様に失礼である。だから遅くても30日には飾る、ということになる。

などと、取るに足らない御託を並べてきたが、もしも興味を持たれた方は、一度オリジナル手作りしめ縄に挑戦されてみては?
コーチはお引き受けいたしまする。どうせ、あれこれの理屈と暇は持っているのですから。

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「年末様変わり」

2015年12月28日 | 季節の移ろい・出来事

二学期が終わるやいなや、兄ちゃんは北海道夕張市へ。弟カー君は鳥取市大山へスキーの合宿に出かけていた昨年までの年末。
そんな孫君たちも大きく様変わりとなった今年。
兄ちゃんは高校受験生ということで、スキーどころではなく、塾通いに忙しくしているようだ。

カー君はといえば、スキーのレースそのものには大して興味はない。が、合宿という雰囲気、知らない者同士で共同生活を送るホテル住まいの魅力に取りつかれている。親におねだりして今年も許可を得たのだそうな。ところがこの暖冬。残念ながら雪に恵まれない。
仕方なし、今のところ自分の部屋で、冬休み宿題の追っかけに精出している様子。
そんな調子で、孫三兄弟のうち上の二人は、徐々に我が家から卒業していきそう。ジジにも孫離れが求められているようだ。

ただもう一人、孫三男坊の悠雅君は、幼稚園の冬休みとともに、母親の職場の保育施設に通う毎日ではあるが、彼の場合はまだまだ向こう6年間、放課後教室へのお迎えやら、野球のお付き合いなど、ジジの出番は残されている。
そして今一人、新たなモミジのような柔らかい手がジジを引っ張るようになった。倅の方の姫孫である。

 

お餅を搗くことになった昨日は、倅親子がそろってお手伝いをすることになった。
荒々しく白い粉をそこら中にまき散らしていた三兄弟とは様子が違って、姫孫はさすがにおとなしく、やることなすことソフトである。が、おしゃべりはなかなかのもの、手が動く前にお口が動く。一丁前に自分の席を確保して、お餅をこねて、グチャグチャの長いお餅の出来上がり。

実を言うと、孫よりももっと餅つき体験したかったのは嫁さんなのだそうな。
小さいころ以来実体験がないという。正月のお飾りは「買うもの」と思い込んでいたらしい。
嬉々とする娘と嫁に誘われて、倅まで手を真っ白にして餅をもんでいる。こんな姿を見るのはいつ以来か、不思議な感じさえする。
親父も倅も、これが歳を取るということか。

「去る者あれば新たに来る者あり」。人生また楽しからずや・・・。

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「師走の月光仮面」

2015年12月27日 | 季節の移ろい・出来事

           

切羽詰まった師走の慌ただしさを象徴する「音」はいくつかある。
クリスマス用品をなんとか買わせようと、店内に流れるボリュームを上げた「ジングルベル」や「あわてん坊のサンタクロース」
通りへ出れば、大きく手を叩きながら「安いよ!さあ買って行っとくれ」というおじさんの掛け声。
そして、普段はおとなしいのであろうが、この師走も押し迫るころになると急に荒々しい運転に変わる、若いお母さんたちのクルマ。

中でもけたたましいのは、郵便屋さんのバイクの音であろう。
バタバタバタ キー ガチャガチャ バタバタバタ ・・・ ・・・3軒くらい向こうから、明らかにそれと分かるバイク音も高らかに郵便屋さんが走る。
わずか5・6mの距離でさえスピードを上げ、キーッというブレーキ音を立てて急停車。
走りながらわが家のポストめがけてまっしぐら。こちらも外にいるときは走って受け取りに出てしまう。

そんなけたたましいバイク音を聞くと、遠い昔の「月光仮面」を思い出す。
   ♪ ♪  ・・・ ・・・ 疾風のように現れて、疾風のように去っていく
               月光仮面は誰でしょう 月光仮面は誰でしょう  ・・・ ・・・♪
と、つい口ずさんでしまう。それほどの勢いで郵便屋さんは、走り来て走り去る。

郵政民営化が良かったのか悪かったのか、小生如き知識では判定を下しにくいが、以前は1日2回の配達だったのが1回しか来なくなったのは、民営化以降の紛れもないサービス低下であろう。
人員削減や合理化が推し進められたのであろう、配達員さんのノルマも厳しくなっているのが窺える。

その一つが、年賀状発売と同時に「今年も是非購入を」といって、馴染みの配達員さんが時間外に売り込みに来るようになって久しい。 
実はこれは民営化と絡ませなくとも、我々にとっては有難い面もあるので、活用させて頂いている。
いま一つは、書き上げた180枚の賀状の束を、郵便局まで持って行こうかな、と思っているところへくだんの郵便屋さんがバタバタ キー。
もっけの幸い、「これ持って帰って頂くわけにはいきませんか」。ちょっと低姿勢に訊いてみると、「いいですよ、ありがとうございます」
といってまた例のバタバタと音を立てて走り去った。

あれほど忙しそうなのに、余計なこと頼んで悪いことしたかな、と少し後ろめたさも残ったが、あのハキハキした配達員さんの態度は心地よかったな~。普段そのような教育も受けているのだろうか。
兎に角、郵便局に出向く手間をはぶかせてもらった。そして、賀状投函終了、今年のノルマ完了。これは一昨日の話である。

月光仮面は、困っている人を助けるために自分の意思でやってきた。
郵便配達は自ら選んだ仕事ではあろうが、あれほど慌ただしく仕事をすることは事故につながりかねない。
まさに交通事故と隣り合わせの危険性がある。今度は一度、コーヒーでも進めて休憩させてみようか。蹴っ飛ばさるかな~。

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「里のおみやげ」

2015年12月23日 | 家族・孫話

          

昨夜は、柚子を浮かべた冬至のお風呂を姫孫と楽しむはずだった。が、あいにく親子グループの忘年会とかで外食。ジジは振られた。
ならば次の手を。今日は朝からジャガイモ堀に誘って、大喜びさせた。
このジャガイモも実は、先輩孫の悠雅君が散々掘って、全部掘りたいというのを、ホンの数株希姫のために残しておいたもの。

兎に角砂いじりが大好きな孫たち。畑に出るだけで興奮状態。「あれは何、これは何?」と植わっている物すべての説明がいる。
そして自分の手で触り、お構いなしに引っこ抜く。
今日ばかりは数本のジャガイモと、ダイコン・カブ・キャベツなど、季節の野菜をお土産に持って帰らそうと、手当たり次第抜かせる。
あのダイコンの葉のイガイガもものともせず、ヨイショッと引き抜く。母親は大喜びでカメラマンを。

ほんのわずかな借り物菜園ではあるが、作り手の腕が年々上達しているのは間違いない。
それに、種類に段々欲が出てきて、今年はハクサイ・キャベツに初挑戦。
それらを持って帰らせる土産になるほどの出来栄え。この腕もまんざら捨てたものではない。
植えりゃ出来るんじゃろ・・・というご意見もあろうが、そうばかりとは言えないところに野菜作りの奥の深さがある。

まあ何事によらず、その道に入り込むと、それなりの学習場面に出くわすし、教わる意欲が湧くものである。
人の真似ばかりでもいけないが、先ずは熟練者の見様見真似から始まることは多い。
ただいつまでたっても見様見真似の域を出ない場合もあるが、その愚を避けるためにはそれなりの努力が要るということか。

自らがそれを実行したから、お土産に持たせられる収穫を得た、などと思い上がっているわけでは決してない。
畑も人の心を知っているのか、手をかけ、少しの投資と愛情を施せば、確かな答えをくれることが解りかけている。

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「年の瀬お見舞い」

2015年12月21日 | つれづれ噺

                
                   見事に赤く・・・ サザンカ一輪

今年も数多くの喪中葉書が届いた。
これまでの最高記録は昨年の17枚であったのに対して、今年は24枚と一気に増えた。
小生自身が70半ばに差し掛かろうというのだから、お付き合いのある多くの方やその家族の高齢化も確かに頷ける。
そんなことはもちろん解っているが、それにしても年間24枚の喪中に接するとは、なんともやり切れない思いである。

そこには、24通りの悲しみや嘆きの声が聞こえてくるようで切ない。
特に今年は、直接的なお付き合いのあった方が亡くなられるケースが多く、そのご遺族からのお報せに多く接した。
多くの哀しみ対して、こちらに出来ることは「年賀状欠礼だけでよいのか」と考えてみた。

そこで、少しでも早く気持ちを切り替えて新たな思いで新年を迎えて欲しい。
そんな願いを込めた「年の瀬お見舞い」の葉書を差し上げることに思い至った。それぞれの悲しみに寄り添うお手紙をしたためた。
こちらの意が届いて、新たに始まる1年に明るい希望を抱いていただければ幸いである。

そして今一つの「年の瀬お見舞い」は、目下高齢者施設への入居や、病気入院を余儀なくされている親戚知人。
病み上がりで気分的に落ち込んでいる同級生の激励など、四方八方に駆け回るほど多くある。
直接顔を合わせ、他愛のない世間話の中で、笑ったり過去を懐かしんだりすることは、意外に精神安定薬になるようだ。

そんな中でもやはり本命は、年明けの正月3日には満104歳の誕生日を迎える叔母さんである。
「なかなかお迎えがこんね~」という。「な~に、お迎え名簿に名前は載っているのだから、そのうち必ず迎えが来るよ」。と軽くいなす。
そして「迎えが来そうになったら、それを押し返しながら、少しでも長く、元気に過ごそうや」と。
「三途の川の渡し賃がもうちょっと足らんので、少し待ってもらおうや」などと冗談を言い合い笑いながら話ができるこの有難さ。

師走も下旬を迎え、何かと気忙しい中ではあるが、こうして年の瀬の挨拶に回ると本当に年末気分に浸れる。
お手紙や直接の見舞いで接することによって、少しでも悲しみの呪縛から解き放たれ、佳い正月を迎えて欲しいと、単純に願っている。

赤く咲いても冬の花と言われるサザンカが、真っ赤な元気を見せてくれている。

 

 

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「水を得て」

2015年12月13日 | 晴耕雨読

                
                 左側、普通のニンニク。 右がジャンボ無臭ニンニク

数年前に近くの専業農家から頂いたジャンボ無臭ニンニクと、強烈な臭いのある普通のニンニクを、毎年畑で作ってきた。
栽培方法は、おおむねタマネギと似たようなものだが、しっかり肥やしを入れて畑を作っておく必要がある。
そんなことはよーく頭に入っているはずなのに、どういうわけか、今年に限ってニンニクを植えるのを忘れてしまった。
タマネギは600本も植えたというのに。

10かけらが一つになった丸いタネニンニクを、冷蔵庫から早めに出して日に当てておかなければならなかった。
そのひと手間を忘れたために、植え付けの時期を逸してしまったという次第。
気が付いて慌てて冷蔵庫から出したものを、朝日の当たる窓辺に置いて、芽が出るのを待った。

小さな青い芽を出し始めたのだがなかなか成長しない。
今年の植え付けは半ばあきらめた。でも窓辺で芽を出したニンニクが愛おしくなって、ダメで元々、お皿に入れて水を与えた。
朝日と水のお蔭か青い芽が伸びるは伸びるは、まるでニンニクモヤシのように、ひとかけらに確実に1本、くっきりすっきり芽を出した。
約3週間で10数センチ伸びた。

これは絵になる。畑に植える前にパチリ。
というわけで、水耕栽培ではないが、水と太陽で芽を伸ばし、根っこも伸ばしたタネニンニクを、今日畑に植えてみた。
こんな、うっかり手抜きの栽培が、満足な成果をもたらすほど野菜作りが甘くないことは百も承知しているのだが。
健気に伸びる芽や根っこを見ていると、やはり地に下ろしてやりたくなる。

さてこのニンニクの行方や如何に。タマネギを収穫するのは6月。その6月にどんな成長を見せてくれるのか。
これからやってくる真冬の寒さに耐え、霜にもめげず成長するだろうか。 
これはこれで観察する値打ちがありそうだ。

それにしても、ガラス越しのお日様の暖かさは、人間には眠気を与えるが、植物には生命力を授けるようである。
水と太陽の威力。人間の力など遙かに及ばない創造力を秘めているものだな~。 

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「おふくろさんよ」

2015年12月10日 | 家族・孫話

                    

見送ってから丸七年が過ぎた今頃になって、母が使っていた部屋の押し入れから小さな木の箱が出てきた。
直径15㎝もある手鏡。首掛け式の拡大鏡。老眼鏡。これらを駆使して調べていたのだろう「実用漢字便覧」。糸通し器などなど。
それにオニキスの指環、金ぴかのブレスレッドなど。おふくろの匂いのするような、在りし日の大切な生活グッズがぎっしり。

コンパクトにまとめられ、ほどよい木箱に納められて保管されているところをみれば、おふくろが亡くなったあと誰かがちゃんと整理したのであろう。
誰かがといっても、小生にさほどの機転があるわけはない。とすれば後はただ一人、我が家の主婦が義母の形見としてしまっておいたものだろう。
それらの一つひとつに、それぞれ異なる思い出が染み込んでいるような。

特に感慨深いのは実用漢字便覧という漢字辞書である。ブックカバーはあちこちが白く剥げ、本文はところどころに折り目が入っている。
それなりの手垢もついている。
ちょっとしたことを書くときも読むときも、この辞書をひもといたのに違いない。結構歳が行ってからの買い物だったはずなのに、随分と使いこなした跡がうかがえる。「おふくろ、なかなかやるね~」と褒めてあげたくなる。今の自分は、辞書の存在を忘れるほど、パソコンの自動変換に頼り切っている。
誰が買い与えたのか。「生活協同組合」に入っている頃に、カタログを見て「私が申し込んだ記憶がある」とは、カミサンの弁。
やはりそうか、こういったことは、倅の私より嫁の方になんでも相談するおふくろだったな~。

老眼鏡こそ自身で眼鏡屋さんに行ったのであろうが、その他は私たちどちらかが、注文に応じてあちこち探して求めたものばかりである。
ケースに入ったままのオニキスの指環は、ちょうど30年前の1985年6月、初めて経験した海外旅行先のハワイからお土産に買って渡したものである。おそらく一度も使わず、後生大事にしまっておいたのであろう。
金ぴかブレスレットは、私の倅が「ばあちゃんに助けてもらったお礼」といって、最初頃の給料から買って手渡したような記憶がある。
これももちろん一度も手を通すことなく、大切に残しておいたおふくろの「宝物」だったのかもしれない。

決して物言うわけではない「おふくろグッズ」が目の前に並ぶと、やはり何かしら注文を付けられているような気がしないでもない。
具体的に多くを語るおふくろではないだけに、「しっかり生きん才さいよ」 くらいのことを言っているのだろうか。
「心配せんでもええよ」、とは自信をもって言えない部分もないこともない。

今夜は望年会。久しぶりに “おふくろさん” でも熱唱してみようか。

 

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「幼稚園最後の行事が」

2015年12月06日 | 家族・孫話

         
      「日本昔話」の遊戯を真面目に。 右端が悠雅君     劇「サルカニ合戦」のハチになった悠雅君

幼稚園生活も残り少なくなった、孫三男坊の悠雅君。
2学期の締めくくりとして「生活発表会」という、2学期中頃から練習を始めた遊戯や劇を発表する会が行われた。
10月に入って間もないころから練習が始まったようで、我が家に帰ってからもなんとなくそんなそぶりは見せていた。

ところが、その練習の様子は一切ノーコメントを決め込む。
「どんな歌を歌うの?」「どんな劇をするの?」「悠雅君の役はどんななの?」
何を聞いても「よーわからん」「知らん」と、母親以外にはそれらしい話はしないのだそうな。

ジジババがなだめても好かしてもこの話には乗ってこない。なんでじゃろう。結局当日を待つしか仕方がない。
いつも通りカメラを引っ提げて、保護者でひしめく狭い会場で出番を待つ。
いきなり「開会の言葉」を5人が並んで発表する。その最初の一声が悠雅君。大きな声を張り上げて。

その次の出番は日本昔話」の歌に乗って、ちょん髷付けてステージいっぱいに飛び跳ねる遊戯。
本命は、年長さん全員で取り組む劇「猿蟹合戦」。配役は自分が選ぶのだそうで、彼は「ハチ」を希望したらしい。
「ブンブンブン、サルをこの針で刺してこらしめてやろう」。他にもいくつかのセリフも立ち回りも完璧に。

な~~んじゃ、何をやらせてもちゃんと出来るんじゃないか。
ということは、自分の中では完璧にできる自信があったようで、それを悟られるのが照れくさかったようだ。
かつては、ステージに上がるのに気後れして「足首が痛い」と駄々をこねたこともある。それ故に少し心配もしたのだが。

お神楽見物に始まって、相撲も野球も、一挙手一投足を観察する目の色が違うのはこれまでも見てきた。
年が明ければ4月には小学生となる。どんな成長を見せるのか、楽しみは広がる。
その分、幼稚園での活動の一つひとつが最後の行事になっていく。まだまだ応援団は続く。

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「マンリョウの夢を」

2015年12月05日 | つれづれ噺

                    

あれこれするうちに師走も早5日となった。
ただただ流れゆく時間の速さに圧倒される感さえある。
庭のサザンカは、いつしか真っ白から真紅に変わり、鮮やかな花弁を風邪に揺らしながら、冬の訪れを告げている。

玄関先の箱庭のような小さな植え込みには、五葉の松、観賞竹、小さな白梅で一応松竹梅が揃ってはいる。
そこにはマンリョウも育っていて、毎年正月を迎えるころには、真っ赤な真珠のような実を付けて楽しませてくれる。
そんなマンリョウが、今年は格別に枝を広げ、これまで見たことがないほど多くの実を付けている。

今はまだ完全に熟してはいなくて、輝くほどの真っ赤な真珠とまでは至っていないが、木全体を覆うがごとく付いた実は、その木の名前がマンリョウだけに、何かしら吉兆をもたらすのではないか、「万両拝領」とはならないか、などと手前勝手な夢でも追ってみたくなる。
今年の年末ジャンボは、1等前後賞合わせて10億円というではないか。
一気に10億円も入ったらどうしよう、などと迷う気持ちもないことはないが、兎に角買わなきゃ話にならない。
庭の小さなマンリョウに夢を託して、宝くじ売り場に走ることにしよう。

地域活動では、早くも小学校の「しめ飾り教室」が行われた。
この時季にしめ飾りと言われても、少し早いよな~というのが、お手伝いをするr我々の実感であるが、学校には学校の予定されたスケジュールがあって、後にずらせないということであった。

なにかと世知辛い世の中ではあることは承知しているが、小学校5年生にしてさえ、2学期末ともなればこれほどタイトなカリキュラムの中で日々を追うことになっているようだ。
深くを知っているわけではないので「大きなお世話」かもしれないが、かつて叫ばれた「ゆとり教育」などは何処に行ったのだろう。

12月の慌ただしさを感じるのは、進物屋さんの店先に限らず、子どもたちも、老境の我々も皆同じということか。

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