「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「締めくくり横断幕」

2019年01月30日 | 家族・孫話

         
                                       国道沿いのスーパーに掲げられた横断幕

高校3年生の孫兄ちゃんは、すでに志望大学への進学が決まり、しのぎを削るはずの受験シーズンも割と気楽に過ごしている。昨年までと同様全国高等学校スキー大会、つまりインターハイに出場するということで、追い込み練習にも力が入っている様子。

有難いことに今年も、出身の地元中学校の体育文化後援会や地区社会福祉協議会などから、我が家のすぐ近くの国道に、お祝いの立派な横断幕を掲げて頂いた。普段は島根県の山里の高校で寮生活をしているので顔を合わせることもない。それでも彼のために毎年、ふるさと応援団はこのような形でエールを送ってくれている。高校卒業の暁には「ふるさとの温かみ」をとくと肝に銘じさせよう。

高校生活を締めくくる今年のインターハイは、秋田県鹿角市だという。
過去3年間で、インターハイ、国体など合わせて6回も、本州の有名スキー場の雪を体験させてもらったことになる。長野県菅平、青森県大間、新潟、群馬などなど。戦績はともかく岩国の片田舎出身の高校生としては、あまり例を見ないほど大きくて貴重な体験をさせてもらった。その上、合宿はと言えば小学6年から3年間は北海道夕張。小学3・4・5年は鳥取大山へ単身で乗り込んだ。親も勇気をもって送り出したがが、彼自身もよく頑張ったと思う。

おそらく最後になるであろう全国大会出場なのだから、ジジも応援に出かければよさそうなものであるが、なんせ遠い。その上凍り付くような寒さの中で長時間の待機。決して寒さに強くないこの身が耐えられるだろうか自信が持てない。
時速100㎞前後のスピードで、100分の1秒を争うギリギリの滑降姿には、大きな価値を認めるしその勇気も讃えたい。だがそれは、出発前の生の声掛けとご飯代の足しに渡すお札で勘弁してもらうのが良さそう。無理して出かけて彼の足を引っ張っては台無しである。

まさにいい青春。いい中学・高校生活を送った彼は、何かにつけて足を地に着けて歩んでくれと信じたい。
両親の思い切った子育ても間違ってはいなかった。それに応えた彼の、現在にそして将来に期待したくなるジジバカである。

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「喜びの歳」

2019年01月28日 | 季節の移ろい・出来事

           

喜ぶという字を草書で書くと  こういう字になる。この字が七十七と書かれているように見えることから、人間の77歳のお祝いを「喜寿」と呼ぶようになったというお話。今さら説明をするまでもないことではあろうが、老婆心ならぬ老爺心のついでに。
しかも本来の喜寿とは「数え年の77歳」というから、小生にとっては昨年の今日が、喜寿の祝いになるというお説もある。

どうもこの数え年云々が心もとないので、全て満年齢で行くことにしている。
従って、中学時代の喜寿同窓会も、全員が満年齢の77歳を迎える今年4月に計画している。その方が皆さんに徹底しやすいし、馴染み深いようでもある。

何はともあれ、継続的な医師の診療も必要なく、飲み続けなければならない薬もなく、ごく普通に元気にこの歳を迎えられたことを喜びたい。ささやかではあるが、お祝いの品も届いている。また一つ重ねる年に押しつぶされないよう、気合を入れて、お祝いしてくれた人たちに感謝の念を届けたい。そして今しばらく、元気で生きていくこの身を応援していただきたいと念じている。

「働くことは万病に効く薬」という素敵な言葉もある。
数字はあまり気にせず、と言って「年甲斐もなく・・・」などと周囲から笑われることのないよう気を付けながら、昨日までと大きく変わることなく、我が身の周りの状況に合わせて、ほどほどに・・・・・・と思ってはいるのだが。
まあどっちにしても無理は効かない年齢であることは心得ている。

お祝いのおいしい大吟醸もお腹が受け入れる程度に頂いた。実に美味かった。
嫁さんから届いた焙煎コーヒーをじっくり味わいながら、ちょっと苦みの効いた思考でも巡らせてみようか。

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「寒さに向かって」

2019年01月27日 | 季節の移ろい・出来事

                                 
                                           寒さに向かって咲く、寒アヤメ

寒さが厳しければ大ニュースになり、夏の暑さが度を越えれば大ニュースになる我が国。
一晩に170㎝も雪が積もれば、ニュースになっておかしくはない。夏の暑さも「観測史上初」などという異常高温は、当然ニュースにして、対策を呼び掛けたり、自助努力を促すのも至極当たり前のことである。
それほど日本列島は縦長地形で、1年の内で高温も低温も間違いなく交互にやって来る。

そんな大寒波に向かって、庭の片隅の寒アヤメが今年も健気に花開いている。
楚々としたその風情、穏やかに微笑みかけているかに見える様は、オーストラリアメルボルンで「女子全豪オープンテニス」を制し、世界ランク1位の称号を得た「大坂なおみ」の笑顔を見る思いである。

テニスの4大大会の一つである全豪オープンは、シングルス決勝を戦う時点では世界ランク4位の大坂なおみ。同じく6位のペトラ・クビトバであった。世界ランク4位が6位を破り、見事な日本人初優勝。全米オープンに続く優勝を達成し、男女通じてアジア人初の世界ランク1位になることが確定した。大粒の涙を流しはしなかったが、間違いなくうれし涙は光っていた。大喜びをするわけでもなく、対戦相手クビトバの過去の栄光を讃えるような、静かに喜びを表す様子は、まさに日本人の真骨頂を見せてくれた。

そんな爽やかな仕草や楚々とした落ち着きは、多くの人が認めていたのである。
アメリカの全国紙はチャーミングな素顔に注目。「最も謙虚なグランドスラム(GS)勝者」と評している。
もちろん勝ったことは嬉しい。それ以上に彼女の素顔をこのように評価してくれたことはもっと嬉しい。

寒さに向かって咲く寒アヤメも、ほころぶ梅の花も、寒さに耐えることが当たり前のことのように感じさせるところがいい。ホンの少し自分の顔が売れたり名前が出ると、すぐに思い上がって、鼻持ちならない態度で肩いからせるのは、滑稽であり愚の骨頂であることを教えてあげたくなるな~。

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「梅、一輪」

2019年01月26日 | 季節の移ろい・出来事

                                                                 

今年も玄関先の梅の花が一輪また一輪ほころび始めた。重みのある八重の白梅が無数のつぼみを膨らませている。
匂い起こすほどの芳香はもう少し先の話であるような。それにしても季節は確かに動いていることを教えてくれる。

中国の旧き文人画家たちは、彩の乏しい冬に凛とした姿を保ち続ける花や植物を「友」にたとえたという。
厳寒期に緑を保つ松と竹、それに花を咲かせる梅を添えて「歳寒三友」(さいかんさんゆう)と呼び、日本で言う目出度いものの代表格である「松竹梅」をあらわしたという。

我が家の小さな庭にも五葉の松、少しくたびれかけの小さな竹、そして梅の花と、一応松竹梅を揃えてはいる。
あと二つ寝ると喜寿のBirth-Dayを迎える小生。6回目の干支の歳を迎えた連れ合い。互いの健康寿命を願って、元気な松と梅の木に負けないよう、竹を再生させなければ、と思っている大寒のど真ん中である。

そして今ひとつ。初詣のお宮に張り出された「星まつり表」を眺めて、「今年は厄払いのご祈祷が要る」ことを確認していた。厄払いご祈祷は、節分までに済ませるのがよい。と聞かされたのを、なんとかの一つ覚えのように後生大事に守って、激しく降り続く初雪の洗礼を受けながら、氏神様に初穂料を納め、気持ちを新たにしてきた。
星まつりのことを何も知らないで、ただ神社にお詣りしたのでは「チコちゃんに叱られる」ので、一応調べてみた。

九星学上で、それぞれの生まれ星(本命星)が、九年周期として一定の法則で運 行しているが、特に黒星と呼ばれる年に、つまり本命星が鬼門(北東)・病門(南西)・北方・中央に入った年に、病気や災難・不運・トラブルが多く発生している。この黒星の厄難から少しでも守り、平穏な日々を過されるように行われる厄除祈祷が、いわゆる星まつりである。

「苦しい時の神頼み」ではあるが、しないよりした方がいいと信じてご祈祷を仰いだ。
でもやはり究極は、持って生まれた運命と、わずかながらの努力がモノを言うのであろう。

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「突然の訃報」

2019年01月22日 | つれづれ噺

          

「人間の一生諮り難し」こんな言葉を実感する、近しい人の突然の訃報に接した。
地域の民生委員児童委員を長く務め、ここ2年ばかりは民生員児童委員協議会の会長として、その他にも子育てサロンやコーラスの会などの主要メンバーとして、活発な活動をして来られた女性が突然亡くなった。

3人の娘さんたちは順調に成長し、結婚して親元を離れてはいるが、孫にも恵まれたごく普通の家庭であり、地域貢献にやる気のあるお母さんであった。ただ数年前に主人に先立たれ、独り身となってしばらくは淋しいい内向きな生活であったような。しかし持ち前の積極性は、淋しさをバネに様々な活動を通して、いつしか地域にとって大切な人となっていった。幅広い多くの友達もいた。

我々の社会福祉協議会とも密接なつながりを持ち、相携えて地域の高齢者対策、青少年健全育成などに取り組んで来た。
亡くなられた夜も、宵の口までは我々地区社協の常任理事会に出席し発言もされた。その会合が最後の接触となるとは、誰一人知る由もなし。その夜、詳細な時刻は不明だが「心筋梗塞」であっけなく黄泉の彼方へ旅立たれた。そして発見されたのは4日目の朝、連絡が取れない状況を心配した長女が訪ねてきてからのことであったという。

あれほど世の中のお世話をし、地域貢献も顕著であったのに、あの世への旅立ちはまさに天涯孤独、独りっきりの旅立ちであった。
その点だけは、神様にも仏さまにも一言の注文を付けたくなる。生前の功労に対してあまりにも寂しい臨終であったではないか、と。
しかし、最期の花道ともいえる棺への手向けや見送りは、彼女の活動の歴史を物語るにふさわしい多くの人が集まった。

人間の一生諮り難し。思うのは、何が倖せで何が不幸だと捉えるのか。忌の際の寂しさによって、故人の生涯が淋しいものであったなどと憶測するのは不謹慎であろう。精一杯、最後の最後まで自分の思う生き方に徹した生涯は、むしろ何物にも代えがたい幸せであったようにも思える。他人がなんとも思わば思え。我のみぞ知る我の生涯。享年74才。安らかなる永眠を。 合掌

 

 

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「締めくくりの初詣」

2019年01月20日 | 旅行・レジャー

                          
           元乃隅(もとのすみ)神社、本宮から眺める参道の朱の鳥居。その向こう側に竜宮の潮吹きが

例年通りの初詣は元旦と二日に済ませた。気持ちの中で今ひとつ、どこかこれまでに行ったことのない初詣に行ってみたい衝動に駆られていた。間もなく迎える喜寿77歳の誕生日を前に、なにかしら特別な正月を迎えた思いがふつふつ。
延び延びになっていた思いをなんとか実現したくなっていた折、山口県西部の日本海に面した長門市油谷(ゆや)に、絶景の神社があることを発見。締めくくりの初詣と自ら命名して片道およそ200kmのドライブに出発。

目的地にした元乃隅神社は、元乃隅稲荷神社として昭和30年に、地域の網元であった岡村斉さんの枕元に現れた白狐のお告げにより建立されたという。いってみれば個人所有の神社ということになるが、商売繁盛、大漁、海上安全は元より、良縁、子宝、開運厄除、福徳円満、交通安全、学業成就、願望成就の大神様であり、地元の篤い信仰に支えられている。昭和62年から10年間かけて奉納された123基の鳥居は、東京・神奈川・静岡・広島・島根など全国から寄贈されており、海岸側から本宮に向かう参道入口から100m以上に並ぶ景色はまっこと絵になる。

アメリカCNNテレビなどが、世界の美しい景色に紹介したことなどから急激に脚光を浴び始めたという。ここ3年くらいで山口県観光の一大スポットとして賑わっている。鳥居などの塗装も新しく、初々しさのある神社でもある。
このように外国人客から人気のスポットとしては「元乃隅稲荷神社」という名前は覚えにくいという理由から「元乃隅神社」に変更されたのが、今年1月1日だとの注釈が付いている。

 
    しぶきとともに噴き上げられる海水       噴き上げられたしぶきに見事な虹が掛けられる。

神社参拝を済ませて、神社から参道を逆に下りて海岸の岩場に進むと、そこにはまさに名前の通りの「竜宮の潮吹き」が見られる。日本海特有の荒々しい波が、浸食された岩の切れ目に打ち寄せられるたびに、かれこれ10m近く海水が上空に噴き上げられる。大型の噴水。まさしく竜宮の潮吹き。お見事。 可能な限り近くに、と寄ってみるのだが、断崖絶壁の悲しさで岩の割れ目までは見ることが出来ない。それなくとも、噴き上げられた潮のしぶきがカメラレンズに付着するのに苦労する。

                                        
                 海岸側からの正式な参道入口と、本宮を望む

4月に開く中学時代の同窓会。今回で最後となる同窓会の成功を神社に祈り、思いがけない絶景に心奪われる感動を受け止めた「締めくくりの初詣」は確かなご利益があったような。
朝8時出発、帰着17時40分。走行距離395km。大寒の入り前日にしては見事な碧空。暖かい一日。
帰りのサービスエリアで30分の仮眠。これが効果バツグン。疲れも何もなくただただ快適の二文字が。

いよいよ実質的な新年の始まりはじまり~。

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「24年の歳月」

2019年01月17日 | 思い出話

           

1.17。今日1月17日は、あの忌まわしい阪神淡路大震災の恐怖を思い起こさせる日である。
あれから24年の歳月が流れた。何年の月日が流れようとも、忘れられない深い悲しみに沈む人は数知れない。
街全体が倒壊したかに思えるあちらこちらから、無情にも燃え盛る炎がこの目に映る。体験したことのない恐怖に、箸を持つ手が震えるのを止められなかった。

単身赴任の東京本社勤務で、三軒茶屋の寮生活を送っていた。いつもと変わらぬ朝を迎え同僚と朝食のテーブルに着いた。朝のニュースを確認するのも毎日のスタイルと変わりない。ただ大きく異なるのはテレビ画面いっぱいに映し出された光景である。どこかの国の政府と反政府勢力が際限のない内戦を続けているような、異様な雰囲気と立ち上る炎と真っ黒い煙。とても日本国内の出来事とは予測もつかない異様な画面が。

しばらくして、阪神地方で大きな地震が発生したことが分かった。そして地震による火災発生の炎であることもわかって来た。そして東西を結ぶ交通網の遮断。新幹線も高速道路も途中からの折り返し運転となった。
本社から岩国工場への移動も全て、羽田空港から広島空港という普段の数倍の時間と労力の要る作業となった。

そんなこんな忌まわしい災害から24年。避難活動の大切さやお互いを助け合う「ボランティア活動」の大切さが一気にクローズアップされた。被災者同士のつながり、被災者と一般人との交流、住み慣れた地域を追われる苦しさ、等々知識としては解っていても、現実として目の前に突き付けられると意外に理解していないことが多くあることに気付かされた。

そして耐震化工事の普及や、地震・カミナリ・火事・オヤジと言われる怖いものの順位が、やはり地震が一番であることも改めて認識させられた。さらには、自分の命は自分で守る意識の徹底も叫ばれ始めた。

24年という歳月が、我々の日常生活における防災対策に大きな進化をもたらしたと思う。その一方で、多くの生命財産を一瞬にして失った募る悲しみや悔恨は尽きることを知らない。何年が過ぎようと忘れることのない災害を、地震列島に住む我々自身が一つの教訓として受け止め、前に向かうしかないのである。

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「優しさと強さと」

2019年01月16日 | スポーツ・観戦

          

鳴り物入りで誕生した、日本人横綱「稀勢の里」。しばらくは日本相撲協会を背負って立つ「一枚看板」のはずであった。
身体のでかさ、風格、柔和な笑顔。どれをとっても大向こうを唸らせるスター性を持っている、と思っていた。そう見え
てもいた。

大相撲界のプリンス若貴兄弟で鳴らしたお兄ちゃん、若乃花以来19年ぶりの日本出身の横綱としてもて囃された。期待も大きかった。信じられないような勝負強さで優勝し賜杯を抱いた。
勝負の世界に付き物の、天運を呼び込んだのかなと期待した。もしそうなら、これから3年4年と益々大きく成長し、大相撲界に君臨するに値するお相撲さんになることを、多くの人が期待した。

意外にもそうならなかった。いつの世も幸運と不運は背中合わせに付いて回る。
一度は掴んだ天運の裏に潜む大きな不運に取りつかれた。あの左胸・左肩を痛めた大怪我である。
心根の優しい男だけに、痛さや苦しい胸の内を表に出さず、横綱という責任と「勝って当たり前」という重圧と闘ったのだと思う。

外国人出身者の多い現代相撲界で、なりふり構わず「張り倒してでも勝てばいい」という執念を見せるべきであったろう。
しかし、ついにそこまでには至らず弱気の虫が顔を出し、自信のない取り口が見え始めた。特に今場所の初日からの3連敗は常に相手より腰が高く、棒立ちで相撲を取っているかに見えた。ファイティングスピリッツという点ではモンゴル出身横綱とは、良くも悪くもひと味違った。日本人特有の「受けて立つ横綱の貫禄」を示す優美なお相撲さんであった。

優しさと相手を圧倒する力強さを持ち合わせた横綱。常にそう期待させ、応援したくなるお相撲さんでもあった。
無念の涙の引退会見。ご苦労さんと見送りたい。今度は指導者としての「優しさと強さ」を期待しよう。

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「成人式」

2019年01月14日 | ニュース・世相

          

平成という年号最後の成人式。
街のあちこちで、アッパイ振袖に純白のショール。色とりどりの袴に羽織を着込んだ新成人の姿が目についた。
ほとんどと言っていいほど若者が着なくなった和服の正装。この日ばかりは一つのユニフォームであるがごとく、
特に女性の方は、猫も杓子もというほど振袖をお召しになる。悪くない。微笑ましく将来に残したい光景である。

もっと普段でも、時に正式和装を身につけて、心身ともに大和なでしこの心意気を取り戻してみては如何だろう。
などと滅多なことを言うと「セクハラだ」「パワハラだ」と吊し上げを食らう世の中。気を付けなくっちゃ。
それにしても、馬子にも衣裳。「歩きにくそう」「転ばねばいいが」と気を遣いながらも、その初々しさまで
否定するものではない。可愛いよね~と正直思う。

吾輩にもあった成人式。1962年、昭和37年の出来事である。
両親からお祝いにもらった新調のスーツを、着こなすなどとは程遠く、スーツにもてあそばれながらも、汚さな
いように、相撲取りでもないのに「土など付けないよう」気を遣って成人式に臨んだた昔を思い出す。
紛れもなく初々しく、凛々しかった。ということにしておこう。
青年団によるお祝いの席で、初めてのコップ酒を呑んだ。その時の味??ウーンよく覚えていないね~。

爾来、四捨五入すれば60年。ありとあらゆるものを見、聞き、体験してきた。大いに影響された書物にも出会った。
結局は「世の中の人が何とも言わば言え 我がなす道は我のみぞ知る」とばかりに、良くも悪くもその時々において
精一杯考えたり、少しいい加減であったりしながら、一生懸命生きてきたことは確かである。

『じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合なことやある』とまで横柄ではないにしても、これに
似たような生き方をしてきたことに、さほどの貧しさや哀れさを感じないのはあり難い。
などと言えるほど、曲がりなりにも今が充実しているということなのかな。

 

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「トレーニング」

2019年01月12日 | 季節の移ろい・出来事

 
   鵜飼トレーニング(予行演習)          潜る前に鵜匠が鵜の首を撫でてやる

川風が無遠慮に吹き抜け、身震いするような冷たさ寒さの錦帯橋下の川面で、早くも今年の鵜飼トレーニングが始まった。海鵜を捕獲して調教したという元気有り余る鵜は、寒さもなんのその。手縄(たなわ)を緩めれば文句なし川面に飛び込み、あっと言う間に潜る。鵜匠が投げ込んだ魚をくわえて引き上げられる。鳥と人間の見事な連携プレーである。

錦帯橋観光鵜飼の本番は6月1日からというのに、早くも鵜舎での基礎訓練を終えて、本番さながらの実践トレーニングである。鵜匠も船頭さんも、こんな寒さをものともせず、繰り返し繰り返し練習して、鵜とともにそのシーズンの開幕を待っている。

シーズンを待つと言えば、プロ野球選手もこの季節は自主トレーニングに精出す時期である。
春のキャンプインで首脳陣にどれだけアピールできるか。自主トレ成果が問われる大切な季節でもある。寒さで体が固くなっていてケガをしなけりゃいいが、などと甘いことばかり言っていられない世界でもある。
6月に開幕する鵜飼はすでに本番さながらのトレーニングをしている。3月下旬に開幕するプロ野球選手が今、玉の汗を流すのは至極当然のことなのだろう。

と、ここまで書いたところで「悠雅君がテレビに出るよ」とカミさんが叫ぶ。
図らずも、今夕の地元ケーブルテレビ「デイリーアイ」というニュース番組で、悠雅君所属チームの練習風景を流した。そのワンカットに横っ飛びで捕球しようとする悠雅君の姿が映った、という次第。
         
暮れに里帰りした、プロ野球日本ハムの清水優心選手がノックしてくれるのを、順番に捕球してバックホームする練習の様子を撮影したニュース番組であった。それにしてもかっこいいところを捕えているね~などと、鼻の下を伸ばすジジである。
寒い時季に手に息を吹きかけながらボールを追う姿は、鵜匠に操られて必死に水に潜る鵜にも似ている。
ちょっと同情はしてみるが、やはりこの時期のトレーニングは大切なんよ、と言い聞かせたくなる。

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