「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「5人のお弔問」

2018年02月25日 | おせっかい

      

庭のちっちゃな梅の木が、優しいピンク色の花を次から次へとほころばせている。
まるで「見て、見て、もっとよ~く見てよね~」とおねだりするように微笑みかける。
そんな見事な梅の花を愛でることもなく、一人の男性が黄泉路の向こうへ旅立った。凶年78歳であった。

中学時代の同窓会の幹事を、長い間一緒にやってきた仲間のご主人が「進行性のがんに侵されていた」ということだった。
残された彼女は、子宝に恵まれないまま今に至っており、夫婦ともに身内も多くない。さてこの先どうなるんじゃろうか。
彼女が元気でいるならそこまでの心配もしない。

若いころの彼女はとても愛想がよくて、可愛げのある女の子という表現がピッタリ。幹事仲間はもちろん、同窓生からも男女の区別なく愛されていた。同窓会へのお誘いも上手で、幹事代表としては有り難い存在であった。
そんな彼女を複合的な病が襲った。同級生では一番早く認知症にも似た不具合が生じ始めた。
デイサービスやホームヘルパーにお世話になる日々の中で、ご主人に先立たれた彼女の哀しみは如何ばかりか。そんな彼女を残して先に逝ってしまうご主人も、さぞかし心残りであったろう。人間の運命なんて筋書きがないだけでなく、哀れを誘う部分が多いような気がしてならない。

幹事仲間4人を誘って弔問に訪れた。本来なら外に連れ出して「慰めの昼食会」でも開きたいが、今の彼女は一人で外に出ることもままならない。
女性幹事さんに買い出しをお願いして、お弁当・デザート・スイーツなど持参で、彼女が使っているコタツを囲んで弔問昼食会。
涙が止まらなかった彼女も、我々5人の仲間に思いをぶつけて、ささやかでも共に食事をしたことで、少しは気持ちを落ち着かせてくれた。
「頭の中真っ白で何にも出来ん中を、楽しいひと時を有り難う、ありがとう」と電話をもらった。

どういうわけか、カミさんと馬が合う彼女は「〇〇子さんと話がしたい、連れて来てね」と、唯一のリクエストをくれた。
それには応じよう。そして、特殊詐欺などの被害に遭わないよう「声を大にして」叫ぶのがおいらの役目か。

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「コタツの解説者」

2018年02月22日 | スポーツ・観戦

                  

放課後教室から連れて帰るとすぐにコタツに寝そべって、オリンピック中継のテレビ画面を食い入るように見る悠雅君。
口を開くのは「ばあちゃん、今日の食べる物なーに」という食べ物催促。
彼はなかなかのグルメで、お菓子はあまり食べない。「今日はピザがいい」「明日はトウモロコシシチュー」など、リクエストもバラエティに富んでいる。それも量が半端ではない大食漢。

今日は熱いご飯にミンチと卵のそぼろをかけて食べる。「これ、オレ大好きなんよ」と言いつつ、じいちゃんの2食分くらいのご飯をペロリ。
そしてまたテレビ画面に向かって、目を皿のようにして見る。
自分も大会などに出るアルペン回転競技になると、コタツの中から解説が入り始める。

「あんな高いところから下に向かってすべるんよ、じいちゃんなら目が回りそうじゃろ」などと生意気に言う。
「最初は雪が柔らかくて気持ちいいんよ。でもみんなが何回か滑って練習すると、旗の周りはカチカチになるんよ。試合が始まるころには足を取られて横に広がるけー、タイムが増えるんよ」と、まるでベテラン選手のようなことを言う。
「あまりスピード出し過ぎるとブレーキが利かんけー転んだり尻もちつくんよ」とも。まだ、アイスバーンなどの言葉はイマイチであるが、
どうかすると立ち上がって、腰つき足つきを身体で教えてくれる。

カーリングは、「3人目の一回目が投げそこなったから、ちょっとやばいよ、もうちょっと左じゃったのに」などと、アルペンだけでなくカーリングの解説もしてくれる。「ふーん、そうかー」などと聞いてやる。
最後に一言、「世界の舞台へ出てくるまでにはどれだけの練習や苦労をしたかわかるか。半端なことじゃここに来られん」
「ボクも練習をサボったらすぐにライバルに追い越される。それが嫌なら練習すること」「ウーンわかった」と重たい返事ではある。

でもまあ、テレビの画面を必死に見て、自分ならこうする、などと解説をする小学2年生。
「ひとのことを言う前に自分がちゃんとやること」と、喉まで出かかるが、そこは少し抑えて、「兎に角、世界のレベルをしっかり見ておくこと」と通り一遍の一言を。    

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「満を持す」

2018年02月20日 | 季節の移ろい・出来事

             
               満を持してほころび始めた、我が家の梅

ここ3日ばかりのお日様に恵まれて、咲きよどんでいた我が家の小さな梅の木が、「満を持して」ほころび始めた。
時期を違えず刈り込んだ甲斐あってか、1mに満たない小さな樹形ではあるが、枝一杯につぼみを付けて時節を待っていた。
ここにきて時節到来。玄関を出るときも入る時も、ふっくらほんわか、八重のはなびらが挨拶をくれる。

満を持すとは、弓をいっぱいに引き絞ること。つまり充分な準備をしてチャンスを待つことを言う。
転じて、ものごとが絶頂に達し、その状態を維持することをいう、とある。

自然の移り変わりの中で咲く花に「満を持す」ほどの覚悟があるや否や、そこんところは定かではないが、寒い北風に晒される中で、固かったつぼみを徐々に膨らませ、そしてこの時季を得てほころぶ梅には、やはり何かの感傷を誘う魅力があるような。

満を持するといえば、今、お隣韓国ピョンチャンで、国家の代表としてしのぎを削るオリンピック出場の、世界のアスリート達のための言葉であるような気がする。
各種目で表彰台に上がるためには、常に己の実力と世界のレベルを比較していなければならない。
劣っている部分があれば、強豪国に単身乗り込んで練習方法を学ぶことだって辞さない。
それほど過酷な練習に練習を重ね、ようやく国内予選をクリアー。そこでいよいよ世界の舞台へ。

その時のアスリートの心境こそが「満を持して世界に羽ばたく」という表現になるのだろう。
その結果で勝敗が分かれ、勝ってうれし涙。負けて悔し涙。勝っても負けても、満を持して出場を果たした選手には拍手を贈るのみである。

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「待望の金メダル」

2018年02月17日 | ニュース・世相

            

ピョンチャン冬季オリンピック。ついに金メダル・待望の金メダル。そろそろ欲しかった金メダル。
色んな言い方はあろうが、兎に角欲しかった先ずは1個の金メダル。ついに実現した。
それも、フィギアスケートでは66年ぶりというオリンピック連覇。まさしく歴史に残る快挙である。

もちろん金メダルは、言わずと知れたあの「羽生結弦君」である。
今さらここで取り上げるまでもなく、栄光と負傷との闘いなど、想像を絶する苦悩を乗り越え、努力の上に努力を重ねた結果が、ここに形として表れたことは、皆さん先刻ご承知の通りである。

また一方で、羽生という絶対的存在の努力を横目で睨み、追い越したい気持ちを胸に秘めて、精進を重ねた宇野昌磨の銀メダルも、大きな大きな価値ある結果である。ワンツーフィニッシュ!夢に描いた光景に違いない。その栄光の記憶をここに記録として遺しておきたい。
もちろん、他の選手、他の競技のメダルも、それはそれは価値の高い、評価すべきものであることに何ら変わりはない。
まだ終わっていない。まだ金メダル候補もある。最後まで目を離さず応援を送りたい。

世界中を湧き立たせるオリンピックの活躍と並べては、あまりにもちっちゃな世界の話になることを先ずもってお断りして・・・。
我が家にも栄光の話がもたらされた。
      
孫三兄弟の三男坊悠雅君が、今シーズン初出場の大きなスキー大会で、小学1・2年の部で優勝。誇らしげに賞状と優勝カップを手に、帰りがけに我が家に寄った。帰る途中で「今どのあたりを帰りよる」と電話して来た。誰よりも早く、じいちゃんばあちゃんに見せたいという気構えが嬉しい。笑顔がいい。スキーウエア―も様になっている。などと言えば、犬も食わない自慢話になって恐縮であるが、今、この時期の彼にとって何よりの叱咤激励は「褒め言葉である」と信じてる。褒め褒めシャワーを浴びせた上て、ポイントを絞って叱る。

ソフトボール練習が加わって、昨年までとは事情が異なる数少ない練習の中で、彼なりの努力はあったようだ。この日も朝4時に起こされた。そのまま到着まで車で眠るのではあるが睡眠不足に変わりはない。レース前の練習には「えらい熱が入っていた」と婿殿が言う。
悠雅君の向こうで父親の笑顔を見せる婿殿の努力にも拍手を贈りたい。

オリンピックとは関係ない話になってしまったが、大人も高校生も滑る「高さと傾斜」のある旗門を、早く近くすり抜けてタイムを競う競技方法そのものは、小学2年生であろうとオリンピックと似たようなものである。負ければ悔し涙が止まらない悠雅君。
結弦君のように、今後もさらに勝ってうれし涙を流す日が来ることを、期待したくなるジジバカではある。 

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「季節の変わり目」

2018年02月15日 | 季節の移ろい・出来事

               

庭の小さな梅の木が、開花寸前までつぼみを膨らませている。
間もなく、それも明日か明後日か、ほころび始める準備を整えている。季節の移ろいをこの目に訴える如き勢いである。

小生にとってのこの時季の季節の移ろいを感じさせる大きな目玉は、「確定申告」の提出である。
他でもないが、1円でも多く還付金をせしめようという欲と二人連れの作業。昨年暮れから大切に保管して来た資料とのにらめっこ。
「大して税金を納めているわけではないのだから、還付金だって知れたもの」と思いつつも、やはり目を皿のようにして数値をパソコンに打ち込んでいく。

もちろん欲目もあるが、今ひとつは正確なデータを提供して、正確な還付金を堂々と受け取りたい。という殊勝な気持ちもある。
やれ国税庁長官が彼ではダメだ、任命権の責任や如何に・・・などと声高な談判も聞こえる中で、我々後期高齢者と呼ばれる年金生活者からも取り上げる血税である。使途についてはやはり無駄がないように、実効性があるようにと願ってはみるが、目に付くのは「なんでこんなところにこんなものを??」という素人目にも分かる無駄遣いがあることは確かである。

これまで15年も経験した来た申告作業の割には、1年1回こっきりのこともあって、なかなか身についていない。
それでも兎に角、時間を割いてこしらえた。そして提出した。季節の移ろいとして一区切りつけた。さあまた明日から。

韓国ピョンチャンでは、日の丸が揚がっていく回数も増えて来た。
残すはいくつのゴールドメダルか、というところまできた。敢えて名前は記さない。が、三つの金メダルが取れたら最高である。

レベルは異なるが、スキー大回転でインターハイに出場した孫兄ちゃん。
昨年の終盤に、競技名と同じように身体ごと大回転したした恐怖心を乗り越えて、果敢に挑んだ。ザンネン!雪辱はならなかった。

次は国体へ。さらに高校選抜大会へ。それらが終わったときが、ジジにとっては本当の冬が終わったという季節の変わり目となるのだろう。
目標にむかってこれまでに鍛えた心と体をぶつけて、悔いなく闘って欲しい。来年のこの頃はスキーを履いていられるかどうか。

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「光と影と」

2018年02月12日 | 季節の移ろい・出来事

            
              ❝ 初雪や 梅の木頼り 長く寄り添う ❞

この冬の異常寒波は、北陸・東北を中心に大雪をもたらし、生命の危険にさらされる被害が続出している。
それなのに、こんな温暖な地に住む者が、気安くお見舞いの言葉など述べるのは不謹慎と、非難を浴びることかもしれない。
それでも、越後新潟に住まわれる恩師に「大雪見舞い」の電話をしたところ、「君の元気な声を聞いてこちらも元気をもらったよ」と喜んで頂いたのはつい先日の話。

今朝起きぬけに窓を開けたら、隣の空き地は一面の雪景色。この冬初めての真っ白お化粧のお目見えである。
それも、ケバケバしい厚化粧とは全く雰囲気が異なる。そこここに塗り残しさえ見られるような、爽やかな薄化粧の柔らかな光景が広がっていた。「オー、今年の初雪か・・・」と眺めて、いつも通りの朝を済ませた。

雪の朝の眩い太陽が降り注ぎ、あちこちで白塗りのお化粧は剥がれ落ち始めている。雪の量も少ないが、さすが太陽の威力にこの程度の雪では太刀打ちできないな・・・などと思って今一度、隣の空き地に目をやると「こりゃぁ面白い」という現象が。
高さ1mばかりの小さな梅の木の蔭が、斜めからの太陽を浴びて長く影を作っている。その陰に沿って一列に白い雪が残っているではないか。

周りの平面はすでに雪が解け、草むらが出てきているというのに。あの小さな細い影を頼りに、雪も必死に生き残ろうと戦っている姿に見えた。時あたかも受験シーズンの真っただ中。大敵・難敵に健気に挑む受験生の気持ちが重なった。ちょっと大袈裟かな。

              

その後、所用があって出かけたカミさんの里は、こちらもまた、山全体を覆うようなウッスラ雪化粧。
雪も、降る時と降るところと、降らせる量をわきまえて、今声高に叫ばれている一極集中型ではなく、平均的に全国にばらまくようにはならにものか・・・と嘆き節一つ。

時として、光と影の織り成す自然のいたずらを楽しむかたわらで、心無い自然の猛威に泣かされるのも、我々人間様である。

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「春は名のみの」

2018年02月11日 | 地域活動

             

春は名のみの風の寒さや~  
春立つ日を迎えて1週間になるとは言うものの、日差しはあっても小雪舞う風は肌を刺すように冷たい。
出かける用件さえなければ、家の中で背中を丸め、コタツに足を入れてオリンピック観戦、といきたいところだが。

そうばかりも言っていられない。またまた一つ「腰を据えてかからなければ」という事態発生である。
行きがかり上、逃げを打つわけにもいかず、そっぽを向くわけにもいかない。ならばしゃーない、まともにぶつかってみるしかない。
というほど大袈裟でもないが、ただこの歳に至って初めて体験する事柄だけに、少しだけ肩に力が入っているものを感じる。

地域の活動として所属している会が、今までの実績を買われて、新たにスタートするプロジェクトに力を貸してくれ、ということになった。国土交通省中国地方整備局というお役所の呼びかけで「広島湾再生プロジェクト」構想のミーティング&マルシェが開かれる。
その中で、幅広い意見交換のパネルディスカッションが計画されている。そのパネリストの一人として参加要請が来たという次第。
我々の仲間から誰が出てもいい話であり、お断りも出来るのだとは思うのだが・・・。

そんなわけで、兎に角、短時間での現状説明をするのに、1枚でも多くの写真が必要となる。
過去11年続けている「白い砂浜を守る海岸清掃」の立地条件の説明がややこしいので、改めて今一度現場撮影を、ということになった。
海辺の風はチメタイ。防寒服装で肩からカメラが滑り落ちそうになる。落とさんよう注意しながら、あっちこっち最高のアングルを探す。

これなら使えるかな、と何枚かカメラに収めた帰りがけ。ふと目をやると、波打ち際近くにアオサギが一羽。
虎視眈々というか、サギだけにさりげない風を装っている。でもひとたび小魚を見つけたら、その長い首を一杯に伸ばして瞬時に獲物をゲットする。
「オー、お前も必要に迫られてこの寒空の波打ち際に佇むのか」などと、一種の共感を覚えながら、風邪引かないうちに引き上げた。
そして今度は人に見せられるよう、大写しに耐えられる加工を施し、ナレーションを練る作業が待っている。

寒い寒いとばかりは言っていられない、尻に火が付きそうな2月半ばである。

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「今年も」

2018年02月08日 | 家族・孫話

             
                                     出場記念の横断幕

スキーにはまった孫三兄弟の、長男千陽君は今、高校2年生の3学期を迎えている。
今年も、数々の予選を突破して、全国大会に行かせてもらうことになった。出身中学校の地元では、体育文化後援会や連合自治会など関係者各位の肝いりで、国道188号沿いの交差点にデカデカと、お祝いの横断幕を掲げてもらった。

ヨチヨチ歩きの幼子がお父さんの手ほどきで始めたスキーも、早くにお父さんを追い越した。
小学6年の時、北海道夕張市のレーシングチームに一人合宿に行ったのは記憶に新しい。小学生が単独で飛行機に乗る場合、客室乗務員がフォローしてくれることになっている。飛行機内は安心していられても、千歳に到着すれば、背中に余る大きなリュックを。右腕にスキーを抱え、左手には大きなバッグを。

そうして2週間の冬休みすべてを、親元から遠く離れた雪の中で、クリスマスもお正月もない練習の毎日はいかばかりであったろう。
その後も夕張合宿は3年続いた。数多くの入賞経験を持ち、友達もライバルも出て来た。そんな環境で高校は島根県の雪深い場所の完全寮生活を自ら選んだ。唯一の不満は、寮の食事のまずさと量の少なさである。味はともかく、完全にお腹を満たす量はあって欲しいのだが。

そんな中、今年も3カ所の大きな全国大会に出場権を得た。
一つ目が、全国高等学校スキー大会(インターハイ)が、岐阜県飛騨ほおのき平スキー場
次に、にいがた妙高はね馬国体が新潟県赤倉観光リゾートスキー場。
そして、全国高等学校選抜スキー大会が、長野県志賀高原スキー場。
 
こちらは雪ひとつなくても「寒い寒い」と震えているというのに・・・。なんでそんな雪深いところを追いかけまわるのか。
そんな野暮は言いっこなし。ただひたすら「練習した成果を目いっぱい出しておいで」と手を振るだけ。

そうは言いながら、また一つふところが寒くなるが、「飯でもしっかり食べんさい」と握らせて送り出す。
さて来年はお受験が待っているとなれば、大会に出られるのかどうか。そうなると、高校生活最後の大きな大会になるのかも。
これまでの総決算のつもりで、楽しんで、無事帰って来てくれればそれでいい。

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「エアコンのような・・・」

2018年02月06日 | つれづれ噺

            

連日連夜ニュースのトップを飾る「寒波襲来」。その寒さ、雪の多さに「もういいよ!」と大声で叫びたくなる。叫んでみたところで何の役にも立たないこともわかっている。お天道様相手だけに如何ともしがたい。しかも自然の威力の前には抵抗すら出来ず、なすがままに蹂躙される人間の弱さもまた心得ている。そんな寒さの中でも、壁に張り付いたエアコンは孤軍奮闘。スイッチ一つで健気に自らの役目を全うしている。

「アナタってエアコンみたいな人ね」などと言われるのは、おおむね「誉め言葉」と受止めていいようである。
こんな悲鳴を上げそうな寒さにも、体中の水分を搾り取られそうな夏の暑さにも、静かに立ち向かって人間様を守ってくれる。
あたかも、「風邪を引かんようにね、気を付けるんよ」。「暑さに負けて体を壊さんようにね」。などと、優しく声をかけてくれる母親のような役割さえしてくれる。
「エアコンのような人」という言葉には、そんな意味深な思いが込められているということか。

そう言われてみれば、過去にただの一度も、人様から言ってもらったことのない言葉ではある。
その一方で、「そういわれてみれば、あの人はエアコンのような人だなー」と思い当たる人がいることに気付かされる。
口はよくないが、ほめ上手。何かのネタを捕まえて、相手の意表を突く褒め言葉を連発する。確かにいるねー。
その相手が異性だと、その受け止め方も少し違ってくるが、同性の場合だと、素直に受け止めて喜んでしまう自分がいる。

一日中チーラホラ小雪の舞う寒さの中で、ふと小耳に挟んだ「エアコンのような人」というほんわかフレーズ。
どこかで誰かに言ってみたい。もし自分に言われるようなことがあったら、さーどうしましょ。言われることはないから心配無用か。

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「春立ちぬ」

2018年02月04日 | 季節の移ろい・出来事

            
                                             今にもほころびそうなつぼみ

今日は、二十四節気の一つ、立春。待ちに待った春立つ日。とは言っても飽くまでもそれは暦の上での話。
実際はまだまだ大寒のど真ん中に変わりない様子で、今日も一日中小雪の舞う厳しい寒さに見舞われた。
それでも、庭の小さな梅の木は健気につぼみを大きくふくらませ、ほころび時期を窺っているような。梅の木のすぐそばには、イトスイセンの花芽が、春を呼ぶように、こちらもすくすく伸びている。間違いなく「春はすぐそこまで」を、庭の花や木が教えてくれる。

今日は山口県知事選挙の投票日で、投票所までの往復3.2㎞を、クルマか?歩きか?思案した挙句、完全防寒装備で「歩き」にした。
ウオーキングというほどの距離ではないかもしれないが、兎に角、この足でまとまった歩きをするのは久しぶり。
寒さは厳しかったが気分はホッカホカ。但し、投票所に着いたら指先がかじかんでいた。しばらく温めてから投票用紙を受け取った。

「春たちぬ」って、何かしらいい響きだなーと思っている。直訳では「春が来た」ということなのだが、実際には今この季節のように、厳寒の残る、春まだ浅き冷たさ、それでも春の気配はそこかしこ。ついそこまで春が来ているよ・・・という希望を持たせてくれるくれるニュアンスがいいなと、この言葉に惚れている。
一方で  ❝ 果てしなし 喪ごころに春 立ちにけり ❞ というのもある。
喪に服する期間が過ぎたというのに、なかなか悲しみに区切りをつけることができない。そういう中にもやはり春は巡って来たのだな~という感慨か。

ところでこの「春立ちぬ」というフレーズは、どこかで聞いたようなと、しばし思案を。
そうだ、堀辰雄という人が「風立ちぬ」という小説を書いていたのを思い出した。読破したわけではないが、タイトルや著者は覚えているのが我ながら不思議な気がしないでもない。
小説「風立ちぬ」には、その後に続く言葉がある。「風立ちぬ、いざ生きめやも」である。「元気を出して生きて行こう」という決意なのかなと解釈する。

となると「春立ちぬ、いざ生きめやも」とも言えるようだ。いよいよ春、陽春に向かって胸を張り、元気よく生きて行こう。


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