「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「二分の一成人式」

2011年01月31日 | 家族・孫話

        

今年度末までに満10歳を迎える小学4年生を対象にした「二分の一成人式」が各地で行われている。
孫兄ちゃんの通う小学校でも2月半ばに予定されているとのこと。
大人として認められる20歳の半分で、小学校も低学年から高学年への一歩を踏み出した4年生。10歳を迎えるに当たって、今の気持ちや将来の希望・夢などを考えてみよう、という試みで行われる。素直に拍手をもって応援したくなる。
一足先に行った我が家の「二分の一成人式」。

1月30日、孫兄ちゃんが満10歳の誕生日を迎えた。
ジジとは2日違いで、二人の合同バースデーパーティとなった。但し、かたや二分の一成人式で人生これから始まる青葉・若葉。かたや遙か昔に大人の成人式を迎えた、木枯らしに飛ばされそうな枯れかけの葉っぱ。主役の座は争いようもない。
ジジのたった一つ大きな出番は、兄ちゃんの希望に沿ったプレゼント渡すとき。そしてその中身が、これまでとは随分異なっており、成長の証しを見せてくれるのが嬉しい。「化学実験の参考書」だそうな。

 

兄ちゃんが主役のはずのお祝い事も、常に実質的主役の座・中心に座るのが三男坊。
広間に机を置いたとたんに「アンパ~イ(乾杯)」と言いながらグラスを一個ずつ運び始める。取り皿を一枚一枚全部広げなければ気が済まない。
兄ちゃんのお祝いとともに買ってもらった木琴を嬉しそうに叩く。この笑顔にしびれる。

 

ちょっと存在の薄くなるカー君は、29日に出場した「ミズホスキー大会」で優勝した自分のタイム◎分◎秒◎◎と、2位・3位のタイムを正確にポロッと口に出し、次は◎秒の差を付けたい・・・などという。
この三人の成長を見守るために、ジジが後何回誕生日を迎えたらいいのだろう。
他にも楽しみはある。老け込んでなどいられようか。と気合いを入れ直して・・・。

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「食べた餅の数ほど」

2011年01月28日 | つれづれ噺

        

お正月の神棚や仏壇にお供えする餅つきをしてからちょうど1ヶ月。
お雑煮用の平たい丸餅はもちろん、お供えした重ね餅もお汁粉やきなこ餅として全てお腹に納まった。

こうして正月餅がなくなる頃にやってくる吾輩の記念日。
古稀目前の年。上から読んでも下から読んでも、似たような数字が逆さまにくっつき合っている。さて幾つでしょう・・・などとクイズを出しても始まらないが、また一つ年を重ねてそんな数字の年齢になった。

正直な告白をすると、気持ちそのものは、実年齢よりはるかに若いと思っている。
思うのはこちらの勝手である。しかしそこには自ずと限界はある。ただやみくもに若く見えりゃいいってもんでもない。やはり、そこそこの年齢を、年々積み重ねてきた年輪を伺わせる何かが欲しい。

兄貴は弟より強かった。それは、正月の餅を食べた回数が多い分、粘り強さも力も備わっているからだ・・・と聞かされて育った。確かに一理ある。

ということは、この拙いブログにしても、趣味として取り組んでいるエッセイにしても、始めた頃と今とでは正月餅を食った回数は大いに違う。
ああそれなのに、進歩が見られないと感じるのは何だろう。
分かった!よく噛み砕いて飲み込まないから、歩留まりが少なく大半が抜け出てしまうのだ。もう一度目を懲らし、耳をかっぽじって世間と向き合ってみよう。そして餅を食べるときはよ~く噛んで味わって胃に納めよう。年齢相応の腕前に近づけるかも知れない。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「来る春を・・・」

2011年01月27日 | つれづれ噺

                 

連日の雪害情報や、厳しい冷え込みの被害が伝えられている。
“かまくら”で有名な秋田・横手市では、かまくらを設置する場所の雪の移動が困難と、映像で流された。

なんと言っても大寒のど真ん中、震え上がる寒さが普通なのだろう、と勝手なことを思いながらも、節分・立春に続く春の訪れを待ち遠しく感じている。

『春を待つ・・・』 色んな人に当てはまる言葉のようだ。
言ってみれば、生きとし生けるものすべてに当てはまる、近未来への希望を抱かせる言葉でもある。夢があるな~と思う。

身の周りに色んな気がかりを抱えている友がいる。
自身の体調不良・かけがえのない身内の疾患など様々である。入院や手術などとなると他人事とは言えないほど心配になる。たとえそれが外科的な、原因が特定されていると聞かされても、完全恢復して、以前と同じ元気さを感じるまでは釈然としない。

循環器系や心臓疾患・メンタルヘルスなどとなれば尚更だ。症状が隠れている部分が多いだけに、本人はもとより周囲の心配も大きくなる。

私自身今は異常なくても、いつ同じ立場に立つか保証の限りではない。
生半可な慰めの言葉はかけたくないが、科学的医療の進歩を信じながら、やがて来る春を待ちましょうとだけは言える。
それは、ご当人はもちろんだが、見守る周囲の家族に贈りたい言葉でもある。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人の世は・・・」

2011年01月25日 | つれづれ噺

        

大寒の真っ只中、海面にゆったりただようカモの群れ。
さぞかし寒かろう・・・などと思うのは人間の浅はかさか、はたまた思いやりなのか。
早暁の瀬戸の海に、悠然と朝寝を愉しんでいるようだ。そこには生存競争の厳しさも、いさかいもないような、静かなひとときが流れている。

人間の世もこうであって欲しい・・・などと思っていたら、それに近い話しが降って湧いた。

お隣の県に住むセガレが先日里帰りした。
一晩泊まってゆっくりして夕方には引き上げた。その晩遅く電話が鳴った。
「免許証を忘れていないか・・・」とセガレガ言う。
大慌てで家の中をくまなく探す。「置いていないよ」と折り返した。

住んでいる近くの警察に届け出た。「西広島バイパスパーキングエリアの自販機で買い物をしたとき落としたかも・・・」と事情を説明した、という。
早速近くの警察署へ連絡を取ってくれた。
あった。拾った人が届け出てくれていた。届けてくれた人は名前も住所も告げなかったようだ。

寒くて自然に襟を合わせ、胸襟を開きにくい世の中にあって、ほっこり温かい人情に出会った。
恩恵を受けたセガレも、しっかりと世の中に恩返しをする気持ちになったことだろう。

人の世はこうでなくては。 気持ちの軽くなる春先である。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いまどきの賞状」

2011年01月24日 | つれづれ噺

          

いよいよ本格的なスキー競技大会のシーズンがやってきた。
これから、大小合わせて6大会が予定されているという。
ほとんどに出場予定の孫兄弟も、コンディション作りに大変だろうが、引率する親も物心両面タフでなければ難しそうだ。

先週土曜日に行われた猫山ジュニアースキー競技大会では、珍しくお兄ちゃんが4位とメダルを逃し、弟カー君が、1・2年生で2位の銀メダル獲得。
嬉しいのなんの、天にも登りそうな勢いで帰ってきた。

そのときの賞状の内容が奮っているのに驚いた。

         勝利を讃えて

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
          ーーーーーーーーーーーーーーー
                  ーーーーーーーーー 様

  より速く より強く よりたくましき勇者を ここに讃える

  つねにたゆまず 鍛え くじけず より大いなる栄光を

  めざせ 白銀の 勝者よ

                     ーーーーーーーーーー

                     ーーーーーーーーーー

と書かれている。
単に通り一遍の定型文ではないのがいい。

同じ健闘を讃えてくれるのなら、このような具体的な言葉の方が、小学生低学年には理解しやすい気がする。
何かにつけて、従来通り、過去の事例にならって・・・という発想は何とかならないものかと常々思ってきた。
これは民間の大会だから出来ることか。
お役所だってこのくらいの心意気を見せて欲しい。それが有為な若者の育成につながるなら大儲けであろう。

   ( 写真: 記念撮影には率先して納まる1歳児 ) 

 

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いち に さん」 

2011年01月23日 | つれづれ噺

        

神社への初詣は、先ずもって昨年一年間を無事に過ごせたことへの感謝に始まる。
次いで今年に賭ける諸々の思いや願い事を叶えて頂くお祈りを捧げる。
そして今ひとつは、数え年による九星(当たり星)早見表による、今年の星まわりを確認することにある。

星まわりが真っ白丸や半分白ならひと安心。逆に真っ黒丸に当たったら、節分祭と言われる「星祭り祈願」をして、お祓いをした方がよいとされている。
それを信じて、2月3日の節分を待たず、今日神社にお参りし、170段の階段を駆け上る勢い?で上がって、宮司によるお祓いと、この手で玉串奉奠をしてきた。

『人は皆この世に生を受ける時、其の年々の気の影響を受けます。其の気は、羅喉星・土曜星・水曜星・金曜星・日曜星・火曜星・計斗星・月曜星・木曜星の九つの星として表され、これらが年々順に廻って来るため、星が強い年はよい星まわりに、星が弱い年は悪い星まわりとなります。「星祭り」とは古来、年の変わり目とされる節分の日に、各々の当たり星をお祭りし、悪い星は悪事災難を免れるよう、逆によい年は一層運の開けるようにお祈りを捧げるお祭り』なのだそうだ。

深い理屈はよく理解出来ないとしても、要するに悪い星まわりが解っているのになんにもしないわけには行かない。今年に賭ける意気込みもある。その上で「苦しいときの神頼み」神様と仲良くなっておきたいものだ。

そんな欲の皮を突っ張らせて、時やよし。1月23日、いち に さん!!
勢い込んでお参りした。沢山のおみやげを頂いた。あの初穂料(玉串料)でよかったかしら。

             ( 写真: 神社からたくさん頂いたおみやげ )

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「まる4年・・・」

2011年01月21日 | 趣味・・エッセイ

       

いいリーダーとのめぐり会い。いい仲間との出会い。あれからまる4年。
月1回の定例会は至って真面目な勉強会。いうなれば硬派。
時々、花見・納涼・忘年会・・・など、時に応じて勉強を忘れ、柔らかい酒席も混じる。

そんなこんなでいつしか固定された気の置けない仲間18人の『岩国エッセイサロン』。
目標は共通「エッセイを書く」こと。出来上がった作品を、思い思いに新聞に投稿する。
掲載されるか否かは先方任せ。
出来映えの評価では、先方とこちらでかなり食い違う場合が多い。つまり、こちらは完璧な出来映えと思って投稿しても、簡単には掲載してもらえない。つまりボツ!!

それにもめげず、手を換え品を変えくじけず投稿を繰り返す。
そうしてやっと新聞に掲載された作品が、年間1回発行される同人誌「花水木」のページを飾ることになる。

発足は5年前で、同人誌発行も5冊目を数える。
1年遅れで仲間入りした小生は、同人誌に名前を連ねるのは実質4冊目となる。
嬉しいことに、目を通してくれる奇特なお友だちも少しずつ増えた。

書くことに慣れることと、上手に書けることとは並行しないところに難しさを感じる。
それでも今のところ書くことが嫌いにはなっていない。
自分磨きのつもりのサンドペーパーも磨り減った感はあるが、所詮自己満足でいい。
もういいや・・・と自分が思うまで続けてみよう。はた迷惑かもしれないが・・・。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「寒月や・・・」

2011年01月20日 | 季節の移ろい・出来事

         

これまでも震え上がってきたこの冬の寒さ。
「悲しくなるほどの寒さ」と表現された人もある。
雪下ろしの順番がようやく廻ってきて、安堵の胸を撫で下ろされた豪雪地帯の人もある。

温暖な瀬戸内の恩恵に浴している者が、例年より少し寒いからと言って不平をかこっていては申し訳ない。と思いつつも、やっぱり寒いものは寒い。
そして今日からは、いよいよこの冬最高の寒さが訪れる大寒である。

煌々と冴えわたる寒の月にあれこれ風流を思い浮かべるのは、同じ寒いのならせめて月の美しさを愛でるのも一興という余裕の表れか。

        寒月や  喰ひつきさうな  鬼瓦    (一茶)

青白い月の光に不気味に照らし出される鬼瓦が、子供心に妙に印象強く残ったものだ。
     
        寒月や  影も小走り  もらい風呂    yattaro-

そして今ひとつ。遠い昔の貧乏だった頃がふと頭をよぎる。
この寒さのお陰で、湯たんぽという昔ながらの暖房器具が離せない。
湯たんぽを包む袋は、まだ元気な頃の母の手縫い。
稚拙な針運びの跡が如何にも温かさを感じさせる。 
冬の寒さはまた人間くささを思い起こさせる不思議を秘めているのだろうか。

 ( 写真 : 東の空に浮かぶ17夜の寒月 1月20日午後8時30分 撮影 )

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「我が家の金太郎」

2011年01月18日 | 家族・孫話

        

間もなく1才9ヶ月を迎える3人目の孫悠雅君。
二人のお兄ちゃんに鍛えられるせいもあるのか、なかなか活発で頼もしい。
寝ているとき以外は全てがマイペース。いっときもジッとしていることはない。
自分の意のまま、上手に相手を選び指を引っ張りに来る。ついて行かざるを得ない。

暮れから正月にけて3日間、お兄ちゃん達はお父さんの実家で積もった雪と大騒ぎ。
仕事を持つ母親と幼い悠雅君は我が家へのお泊まりだった。
仏壇も床の間もある和室が自分たちの部屋となり、走り回れるスペースがお気に入りだ。
それ以来我が家に来れば、広い和室が遊び場となってしまった。
床の間に置いてある、木彫りのクマさんにまたがって得意満面。まさに我が家の金太郎。

『やがて金太郎は足柄山の怪童と人々から、うわさされるほどのたくましい青年に成長し、ある日、足柄山中にて源頼光と運命的な出あいをしました。そして頼光の家来として取りたてられ坂田金時と改名し、京の都へ上り渡辺綱・碓井貞光・卜部季武らとともに、源頼光の四天王の一人として大江山の酒呑童子退治をしたりして、その名前を天下にとどろかせました。』
                                南足柄市 金太郎伝説より 

       

ジジ・ババと一緒に過ごすことが多い孫達。三人ともお仏壇が好きである。お兄ちゃん二人も、早くから「マンマンマン・・アッ!」と手を合わせてきた。
悠雅君も同じように、ローソクを灯し、お線香に火を点け、リンを鳴らすのが大好き。

勇猛果敢な金太郎も頼もしいが、仏壇に手を合わせる優しさも忘れず成長してくれると有り難い。
それにしても小意地の悪そうな三男坊。
早くから保育施設に預けられ、お兄ちゃん二人にはからかわれ、生存競争の厳しさを味わっているのだろうか。
せめて我が家の和室が彼の憩いの場なのか・・・? な~にそれほどヤワではないのだろう。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「忘れられない日」

2011年01月17日 | ニュース・世相

1.17 ・ 6434  この数字、忘れることは出来ない。

今から16年前、1995年・平成7年 1月17日未明、神戸地区を中心に発生した「阪神淡路大震災」によって6434人の尊い命が奪われた、忘れられない日である。

当時、単身赴任の東京世田谷区三軒茶屋の寮で、朝食時のテレビ画面に映し出されたすさまじい光景は、今もこの目に焼き付いている。
もしもこれが、東京であったり、遠く離れて暮らすふるさとであったりしたらどんな思いに駆られただろう、という身震いするほどの強烈な印象が強く残っている。

建物や道路、街作りや人々の暮らしは完全復興したのだろうが、肉親や親戚などを一瞬に奪われた多くの人の心の傷はいまなお癒えてはいないのである。

そして今一度肝に銘じておきたいのは「災害は忘れた頃にやってくる」ということか。
何をどのように備えているか問われたら、ウーン、何にもない。こりゃいけん!!

16年前の今月今夜、この寒空の下で流した被災者の涙を無駄にしてはバチが当たる。
来年の今月今夜・再来年の今月今夜・10年先の今月今夜を無事に迎えるためにも、災害に備えて何かを始めるきっかけにしよう。

その昔の今月今夜、熱海の海岸は今年のように寒かったのだろうか。

        ( 写真 : 発生から2日後の神戸地区の様子。ネット拝借 )

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい