「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「久しぶりのアマリリス」

2020年05月31日 | つれづれ噺

         
          なんかしら話しかけてくるようなアマリリス 

やっと峠を越えたかに思わせた、新型コロナウイルス感染拡大の勢い。緊急事態宣言も全国的に解除されて、商業活動も再開の傾向。
長らく続いた辛抱の自粛活動も少しゆるんできた。徐々に元の姿に戻るのか、と淡い期待を抱かせたとたんに「あわや第2波の感染拡大」と、再び肝を冷やす事態が起きている。山口県と橋一つを隔てた福岡県北九州市での患者発生件数の拡大。再び自粛のお籠りさんか。一気に意気消沈。

我々のささやかなボランティア集団による地域活動も、一旦「動く」方向に舵を取ろうか、と思わせたがここにきて再び全てが中止の方向へ。
事態が事態だけに、今年は何かにつけて「一休み」「活動休止」と割り切って、来る日のためにエネルギーを蓄えておこう。という話ならそれはそれで一理ある。しかし、そこは高齢者の集まりであり、一つの流れに乗って活動が機能しているという勢いみたいなものがある。

余力が余っている中で、敢えて中止にして無為な時間をやり過ごすことは、再びの活動開始に立ち上がる時に、必要以上のエネルギー、いわゆるやる気を復活させるのに時間ががかかるのではないか、一気に参加者が減るのではなかろうか。などの不安が先に立つ。
運営費用だって「住民賛助会費」という寄付行為で賄っている。こういったことには「惰性」というか「慣性の法則」みたいに、理屈ではない、目に見えない「勢い」を保つことは大切な要素である。何を隠そう、自分自身がそんなあやふやな気持ちを持っていることを知っているから。

そんなこんなで5月を終えようとしている。明日から6月。
と思ってふと目をやると、ここ数年咲いたことのないアマリリスが、真っ白い大倫の花を付けているではないか。
がんばったんだねー、その笑顔をカメラに納めずにはいられなくさせる見事さである。なんだかんだ言っても、コロナなどに負けてなるものか。

         

そんな気持ちを起こさせるアマリリスの大倫に背中を押されて、明日からの水無月を楽しむとしよう。
「誇り」「おしゃべり」「輝くばかりの美しさ」。アマリリスにはこんな花言葉が添えられている。         

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「苦渋の決断を」

2020年05月29日 | 地域活動

                               
                                           過去の海岸清掃スナップ  

計画通り実行するとなると、瀬戸内海環境保全大作戦・海岸清掃は7月23日(木、海の日)で目前に迫っている。全ての準備に入るには決して早くないタイミングである。

首都圏も、お隣福岡県北九州市も、コロナ感染者の拡大が著しい報道の中、執行部6人が集まって、実施か中止か最終判断をする会議を開いた。北九州市北橋健治市長による「コロナ感染第2波の真っただ中にある」というは発言は、我々の小さな地域活動の決断にも少なからぬ影響を与えた。

「まさに苦渋の決断ではあるが、昨年に続き2年連続の中止もやむを得ない」ということで、今年度の海岸清掃を「中止する」ことに断を下した。地元の中学校は、教職員や生徒会挙げて毎年約300人近い参加を得ていた。もちろん、地元の高校、小学校からも多くの参加を得て、割と短い時間で大きな成果を上げてきた、と自信を持って言える。

それが、今年の場合、児童生徒の夏休みは短縮され、1学期の終わりは7月31日の予定という。そんな中で、海の日に総動員して地域活動に参加を呼びかけるのは、如何なものか。それは我々の活動の本来あるべき姿に逆行している。そんな諸々を議論した上で、中止という結論を導き出した。

           
           貴重な戦力の中学生諸君とボランティアの皆さん

あの広い海岸。しかも青天、風通しはいい。少々の人数が集まっても三蜜にはならないだろう、コロナ感染リスクは低いよねーという意見もある。確かに一理ある。ではマスク着用はどうするか。あの炎天下、水分補給を呼びかけ、熱中症対策に苦心する安全対策班。マスク着用の怖さも当然想定しなければならない。そんなこんな、思いつくことを全て出し合った結果の合意。また来年の活動に期待が持てるというもの。但し、中止は中止で後始末に追われる事務局ではある。また来年に期待しよう。

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「決断のとき!!」

2020年05月27日 | 地域活動

             
               昨年の海岸清掃中止の広報

我が住む地域の社会福祉活動として取り組んでいる事業の一つ「瀬戸内海環境保全大作戦」と名づけた海岸清掃・漂着物回収作業を、毎年海の日に実施してきた。
瀬戸内海に面して、山陽本線と国道188号に沿って総延長約1kmに及ぶ白い砂浜は、市内でも有数の長くて広い海岸である。その分、国内外からの漂着物の量も種類も半端ではない。

昨年も約700人の参加者を想定して、安全対策・熱中症対策など周到な準備をして待った。
ところが、台風5号の接近や梅雨前線停滞などの気象条件で中止に追い込まれた。そこで、今年はなんとしても実行しなければ。打ち寄せられた2年間の漂着物が再び海に流れ出るおそれがある。やらなければ。

そんな思いで水面下の準備はしてきた。しかし今年の場合、新型コロナ感染対策という、台風以上に恐ろしい現象に直面している。
実施予定日は7月23日海の日である。本来なら、東京オリンピック開会式のはずであった。ところがオリンピックは早くから来年開催に変更された。

さてどうする。今からおよそ2ヶ月先の実施である。コロナ緊急事態宣言も一応解除はされた。しかし、第2波襲来やぶり返しの危険が指摘されている。かといって、私たちのメイン事業の一つでもある海岸清掃を2年連続で中止することは、結束やチームワークという点では大きなデメリットであり、福祉活動全体に対する士気に影響を及ぼさないか、こちらも心配である。

規模の縮小は当然の選択肢。としても、あの暑さの中で、マスク着用をお願い出来るのか。開会式など三密につながる行動は全て排除するとしても、熱中症の危険性とどう向き合うか。厳しい政治判断が迫られる。安全対策・熱中症対策など、周到な準備をするためにも悠長に構えてはいられない。決断の時である。ウーン、ここでも厄介なコロナめ!!ではある。

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「たまにはこんなことも」

2020年05月26日 | つれづれ噺

        

元々器用に生まれてこなかったのか、生まれた後の努力が足りなかったのか、他人にも家族にもあまり自慢できるものがない。まるで木偶の坊か?そうでもない、と自分では思っている。
DIY、自分の手で何かを作ってみることも決して嫌いではない。但し上手でないだけ。

ただ、これまであったもの、重宝していたものが、壊れたり壊れそうになったとき、なかなか捨てる勇気が持てないのは確かである。なんとか修理してもう一度使いたい。そうして、その物の命を全うさせてやりたい、などという思いが強い。思い切って買いかえれば、苦労もなしに新しいものが便利に使えるじゃ、とも思うが、愛着というか執着心というか「買った当時はあれだけ助けてくれた代物じゃないか」と感謝の念がわいたりする。

「修理したってまたすぐに壊れるよ」という声が背中から聞こえてきても、その時は勝手つんぼで聞こえぬふりをする。下手は下手なりに、一応分解したり補助部品をつけ足したりして、なんとか元通りにするのが好きなのである。早い話が貧乏性の典型で、すぐに買い替えるお金持ちの真似ができないだけかも。

そんな意気込みの割には道具にもあまり投資していないなー。弘法、筆を選ばずということわざを馬鹿の一つ覚えで、道具にも材料にも投資しない分を腕でカバーしよう、などと訳の分からない理屈をこねていては結果など期待できない。
それでも、相手はモノであってもひとたびわが手元に来たら、それはぶつえん、つまり「仏縁」ではないが「物縁」でつながっているのだ、という感覚がある。やはり捨てがたい。

そんな気持ちが沸々とわいた今日は、懸案だったDIYをやってのけた。
仕上がりはともかく、やり終えた満足感はある。コロナによるおうち時間の活用というだけではなく、たまにはこうしたことにも手を出してみたくなるのは、戦中生まれの貧乏性なのであろうか。

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「その日を待って」

2020年05月24日 | 季節の移ろい・出来事

           

宿根の琉球アサガオが、プランターから新芽を吹いて順調に成長している。もう家主の身長以上に伸びた茎もあり「花すだれ」と呼べる日も近いかな。
昨年は苗を買って植えたが、今年は去年の根っこが土の中で温存されていたのだろう、苗を買うこともなく、あの紫色の素敵なアサガオも間もなくのようだ。
その日はいつ来るのだろう。ま、こちらは焦って待たなくても、時期が来れば必ず花は咲くのである。

もっともっと首を長くして待つのは、未だ通常の生活に戻れないコロナウイルス収束その時である。
こちらはまだまだ先が読めない。いつぶり返すのか、いつ第2波が襲いかかってくるのか。
緊急事態宣言解除によって、人並みがあふれる大都市の様子を目にすると、思わず身震いする。
まだまだ喉元を過ぎてはいないこの時期。迂闊に熱さを忘れたら再びひどい目にあうことになる。くわばらくわばら。

と思いつつ一方では、長く続いたステイホーム一辺倒の自粛に次ぐ自粛は、ダメ人間を作り出しそうで怖い面もある。しかも、経済が回らないという一大事も出来する。
三軒間口に一枚戸、あちら立てればこちらが立たず。難しい、厄介な選択である。いや、選択などせずに両立させなきゃならない。流れに逆らって棹さし舵を握る船頭さんは大変だ。

私の背丈まで伸びた琉球アサガオの一番咲きを待つように、三密、ソーシャルディスタンスなど様々な心がけを忘れずに、コロナ収束、終息。その日を待つしかない。

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「たら・れば未練」

2020年05月22日 | カープ一喜一憂

           

5月22日金曜日。少し早めに家を出て、広島駅に着いたらカープロードでお弁当とちょっとしたおやつを買い込んで……と。
バックネット裏、投手の球筋が見える絶好のシートに早くから陣取って、試合前練習の球音や選手の掛け声を耳にしながらビールを1杯。
巨人を相手にどんな戦いを見せてくれるのか。チケットを手にした3月半ば、そんな至福の夢を描いていたのだ。

1年に何回かしかないカープの生試合、マツダスタジアムの応援。そんな夢はどこか消し飛ばされてしまった、まさににっくきコロナ禍である。
それどころか、今年に限っては5月下旬を迎えた今でも、プロ野球は開幕さえしていない。6月19日あたりに一軍・二軍同時開催という話もあるが、果たして開幕できるのだろうか。高校野球夏の甲子園も中止が決まった。大相撲も5月場所は中止に。
なんだかんだと言えば言うほど愚痴になるばかり。相手は得体のしれない新型コロナウイルスなのだから。

そんなことは十二分に解っている。解っていてもやはりちょっと口惜しい。これ以上のたら・ればはないが、今の時点でカープはどんな戦いぶりなのか。オールスターに選ばれる活躍の選手が何人おるんじゃろうか。などなど興味は尽きないよころである、はずなのに。

まあいい。コロナ撃退後のニューライフスタイル、あらたな生活様式が模索されている。
それに自分も合わせるのか、合わせるまでもないこれまで通り、田舎のお年寄り生活を満喫するのか。どっちに転んだってさほどに大きな変化は期待できないし、期待もしない。これまでと大きく変わらず、カープの勝ち負けに一喜一憂しながら、新聞を広げて活字を追う生活は変わらないのだろう。

ただ一つ心配するのは、プロ野球という高給取りの多い世界で、観客動員が減ったら選手の年俸はどうなるの?球団経営は持ち応えられるの?
などという「大きなお世話」まで考えてしまう。何事もなく優雅に過ごしてきた今までがありがたすぎる贅沢だったのであろう。
それにしても、コロナ禍がなければ。平年並みにプロ野球が開幕していたら。演歌のタイトルになりそうな「たら・れば未練」ではある。

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「家は生き物」

2020年05月21日 | つれづれ噺

       
                 倒木が母屋のど真ん中を直撃

 

3年前に急逝した姉が、精魂を使い果たして新築した家が、今は空き家となっている。
新築した本人は、ホンの数か月を我が家で過ごしただけで、交通事故という痛ましさの中突然この世を去った。都会で生活する二人の息子たちは、いきなり田舎生活に切り替えられるわけもなく、取り敢えずは新築のまま住む人もなく3年あまり過ぎた。

そんな中で、長男夫婦は母親の遺志を汲んで、定年退職後は故郷でのんびり過ごす道を選択した。3月末の退職とともに帰って来るはずであった。それが、このたびの新型コロナウイルス感染騒動で身動き取れなくなった。ひと月、ふた月と先延ばししている間に、雑草やタケノコなど生い茂る季節を迎えてしまった。私たちも姉本人はもとより住人のいない家を訪ねることも少なくなっていた。

どんな状態になっているか気になって久素振りに訪ねてみた。雑草や破竹のタケノコ、ヤツデの葉っぱなどは想像に近い茂りで「まあこんなものか」であった。裏に回ってみて驚いたのは、隣接の急斜面に立っていたクヌギの大木が根っこ近くから折れて、枝葉が家の側面を直撃していた。不幸中の幸いで、修理がいるほどのダメージがなくて助かった。改めて脚立や道具を運び、倒木刻みに汗を流した。

建物は、施主の意気込みと工事人の意気込みを感じて、自分の生涯を全うしようとしているかの如く凛としている。当然呼吸もしているのだ。
窓という窓を開け広げ、風を通し空気を入れ変えてこそ建物は甦る。元気を出して住む人を守ろうとするのだ。

今も身動き取れない甥っ子にそんな話をして、倒木・倒木処理の写真を送っておいた。
私にとっては姉の、彼にとっては母親の、魂こもる故郷の家。1日も早く誰かが住んで、家にも深呼吸させて大切に守りたい。
ここにもコロナ禍という一大恐慌が影を落としている。

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「目の保養」

2020年05月20日 | 季節の移ろい・出来事

              
             ちょっとそこまで、目の保養に

この季節、何処を歩いても、どっちを向いても、数多くのきれいな花が「見て見て!」と誘いかけてくる。そんな中、ほぼ毎年お邪魔している隣村のバラ園が「今年も見頃を迎えました」と宣伝していた。
自宅待機、自粛、接触を避けるなど、色んなコロナ対策のフレーズを反すうしながらも、やはりこの時期にしかない「満開のバラ園」を目の保養と自己弁護して訪れた。

          
まさしく、鮮やかな赤・深い赤・明るいピンク・青・黄・純白と色とりどり。思い切って出かけた勇気を褒めてやりたいほどの、バラは満開、気分は爽快。ちょっと得した気分の昼下がり。
       
せっかく、手を掛け丹精込めて咲かせたバラ。見てもらいたい気持ちはは山々なれど、今年に限ってはバラ祭りも中止。多くの人が訪れないような宣伝もしなくてはならない。もちろん、遠くに見える観覧車も、この公園の呼び物である長尺すべり台も一切使用禁止。お気の毒である。
禁を犯して出かけて行き、拙いながら撮ってきた写真を、せめてものお裾分けとしてご覧いただければこれに超したことはない。

今日はついに、夏の全国高校野球大会も中止が発表された。
生涯のうちでたった一度しかないチャンスを潰された高校球児の無念の涙を、コロナという病魔はどんな思いで眺めているのだろう。

今日こうして、敢えて目の保養に出かけはしたが、コロナ・パンデミックの再来やぶり返しによる緊急事態宣言再発信を恐れないなどという無責任でもなければ、無謀大胆を吹聴するものでは断じてない。
恐る恐る、手製の大きめのマスクで顔の半分を覆い、人の少ない部分を足早に通り抜ける目の保養に努めた。ただ、そんな目の保養ではあったが、明日からまた自己管理に気を付けたいという思いが、自分の腹の中で強くなったことも確かである。

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「里山の緑」

2020年05月17日 | 季節の移ろい・出来事

       
                日に日に色を増す里山の緑           五月雨を 集めて早し 根笠川

頃合いを図ってクルマを飛ばし、里山のふもとにある小さな梅林の下刈りに行ってきた。
青梅が実って、ちょうどもぎ頃を迎えるのが6月半ば、かれこれ1か月後である。その時のために、ぼうぼうに生い茂る下草を一度刈っておかなければならない。この時期の乗り越えなければならない難関のひとつではある。これをやっておかないと、梅干し・梅酒・梅ジャムそして青梅外交がままならない。収穫という欲がからんで、毎年汗を流すのだが、その労働が少しずつ億劫になりつつある。お年頃かね~。

オレがやらなきゃ誰がやる?というほど粋がるわけでもないが、草刈り機や必要グッズをクルマに積み込み、いざ出かけてみると、山深い里の緑が格別な色合いで迎えてくれるようだ。五月雨を集めた小さな川も、瀬を早み岩にせかれて白波を立てながらせせらぎの大合唱を聞かせてくれる。
着くまでのちょっと落ち込んだ気持ちを吹き飛ばすように、緑の風とせせらぎが背中を押してやる気にさせる。さあやるぞ~!

と思った瞬間、目の前に大と中くらいの2匹のヘビが戯れているのにぶつかった。一瞬体が硬直する。それほどに未だ好きになれない動物である。
長柄の鎌の裏側で追い払おうと、威嚇の音を立ててみる。反応しない。もうちょっと近づけて直接押してみた。なんと生意気に、鎌に向かって反撃をするしぐさを見せるではないか。さらに追い払おうとすると頭をもたげて攻撃の構えをする。いささか頭にきて、本気で鎌の裏側で衝撃を与えた。渋々というかようやくというか、仕方なしに大きい方が草むらを揺らして去っていった。しばらくして観念したのか中くらいの方も、後を追うように草むらを揺らして去っていった。

怖さ半分で草刈り機のアクセルをしっかり握り、回転音を唸らせながら「遠くへ逃げていておくれ」と祈りつつ刈り進んだ。その後何事もなし。ホッ!
そこで思いついた。待てよ!ひょっとしたらアタシともあろうものが、彼らの恋路の邪魔をしたのではないか、と。
普段、ヘビという臆病な生き物は人間を恐れ、出会うとすぐに危険を感じていち早く逃げ惑うものだ、と思い込んできた。それが、マムシでもない普通の青大将が人間様に抵抗してくるとは、彼らには彼らの何か事情があったのに違いない。

2匹が仲睦まじく戯れる。しかも危険を冒してでも人間に抵抗する。なかなかその場を離れない。これは親子ではない。カップルであったのに違いない。
とすれば、あの抵抗も執拗さも理解できる。う~ん、季節や良し、お天気も良し、子孫繁栄に一役買っていたのだとしたら……。
無粋な、わりーことしたねー。ヘビさんごめんなさいだ。それでも、どうしても好きになれないあの長いニュロニョロ。
過疎に悩み限界集落に近い山里ではあるが、深い緑、昔懐かしいせせらぎ、動植物の営み。味のある発見はいくつもあるということか。

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「ビフォー&アフター」

2020年05月15日 | 地域活動

        
             ビフォー (まだ陽がさしていた)        アフター(終わった頃には陽が傾いていた)

4月半ばに苗を植えた、スイカ、トマト、キューリ、ピーマンの夏野菜たち。
世界中が困窮しているコロナ騒動を尻目に、順調かつ逞しく成長している。
ステイホーム時間が有り余ったこともあって、植えた直後の手入れも草取りも十分に行き届いた。そのせいか、極めて出来がいい。

幼いキューリの苗には、今年初めて虫除けネットもかぶせてみた。植物は正直だ。虫が寄って来ない分、一気に伸びた。
早速オロギを。立て始めるころはまだガンガン陽がさしていた。あれこれ頑丈に、小さい台風なら耐えられるように、しっかりしたオロギを立てネットを張った。キューリがどんなにぶら下がってもへっちゃらなほど、しっかりしている。我ながら、今年はうまく出来たと思っている。
と振り返る頃にはお日様も西に傾き、畑は家の影に入ってしまっていた。我を忘れてやるときゃやるのだ。時々だけど。

養毛剤や、お腹の脂肪を取るサプリメントみたいに、ビフォー&アフターを並べてみた。
実に頼りなかったキューリさんが、頼れるネットとオロギを得たとたんに、青さも増して生き生きとして見える。さすがだね~。などと思ってよく見たら、何のことはないネットの青さが目に入っただけ。つまり新品ネットを使ったので青く見えただけという青臭い話。

それにしても、ビフォー・アフターとは、色んなところに使えて面白い。
すぐに思いが行くのは60才定年退職のビフォー・アフターである。ビフォーはもちろん楽しく、生き甲斐があってサイコー!
アフターは?これまた新たな生き方、新たな友、新たな仲間との出会い、やはりサイコー!! ということにしておこう。

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