なんかしら話しかけてくるようなアマリリス
やっと峠を越えたかに思わせた、新型コロナウイルス感染拡大の勢い。緊急事態宣言も全国的に解除されて、商業活動も再開の傾向。
長らく続いた辛抱の自粛活動も少しゆるんできた。徐々に元の姿に戻るのか、と淡い期待を抱かせたとたんに「あわや第2波の感染拡大」と、再び肝を冷やす事態が起きている。山口県と橋一つを隔てた福岡県北九州市での患者発生件数の拡大。再び自粛のお籠りさんか。一気に意気消沈。
我々のささやかなボランティア集団による地域活動も、一旦「動く」方向に舵を取ろうか、と思わせたがここにきて再び全てが中止の方向へ。
事態が事態だけに、今年は何かにつけて「一休み」「活動休止」と割り切って、来る日のためにエネルギーを蓄えておこう。という話ならそれはそれで一理ある。しかし、そこは高齢者の集まりであり、一つの流れに乗って活動が機能しているという勢いみたいなものがある。
余力が余っている中で、敢えて中止にして無為な時間をやり過ごすことは、再びの活動開始に立ち上がる時に、必要以上のエネルギー、いわゆるやる気を復活させるのに時間ががかかるのではないか、一気に参加者が減るのではなかろうか。などの不安が先に立つ。
運営費用だって「住民賛助会費」という寄付行為で賄っている。こういったことには「惰性」というか「慣性の法則」みたいに、理屈ではない、目に見えない「勢い」を保つことは大切な要素である。何を隠そう、自分自身がそんなあやふやな気持ちを持っていることを知っているから。
そんなこんなで5月を終えようとしている。明日から6月。
と思ってふと目をやると、ここ数年咲いたことのないアマリリスが、真っ白い大倫の花を付けているではないか。
がんばったんだねー、その笑顔をカメラに納めずにはいられなくさせる見事さである。なんだかんだ言っても、コロナなどに負けてなるものか。
そんな気持ちを起こさせるアマリリスの大倫に背中を押されて、明日からの水無月を楽しむとしよう。
「誇り」「おしゃべり」「輝くばかりの美しさ」。アマリリスにはこんな花言葉が添えられている。