今年のプロ野球もレギュラーシーズンを終え、日本シリーズを戦うチーム以外は、早くも来シーズンの覇権を目指して秋季練習に汗を流している。そんな中でプロ野球選手の登竜門であるドラフト会議が行われた。プロを目指して来た選手個人はもとより、野球に関係する全ての人にとって、悲喜こもごも、まさに笑顔と涙に色分けされる厳しい秋を迎えている。
特に今年の大学卒業のプロ野球志望者は、憧れの甲子園高校野球大会がコロナ禍のために中止に追い込まれた絶望を味わって来た人たちである。忘れようにも忘れられない、突然襲われた不運を涙で乗り越えて厳しい練習に耐えた男たちのロマンを感じるドラフト会議でもあったような。
どの有名選手がどの球団に入ったかは、それぞれのひいきチームの人たちで喜び合えばいい。
問題は、あの甲子園大会の夢破れた選手たちが、どのように立ち直り、今回の大学卒ドラフトに名を連ねたのか興味あるところである。
我が孫君も、小学5年生でレギュラーポジションを勝ち取ったが、肝心な島根県中国大会はコロナ禍中止で大切な大きな大会の選手経験の場を失った、よき経験を持っている。
世の中にはこんなアクシデントやエポックはよくあることだ。一寸先は闇、ある程度の覚悟を持って打ち進ことで道を拓くしかない。高校球児を目指す孫君にドラフト会議などはないが、近くの高校の野球部コーチの目に止まっていればお声がかかるのだろう。本人よりもジジにとっての大きなロマンではある。