集合時刻が近づくとともに雲が厚くなり、ついにパラリパラリ落ちて来た。急いで「今日のG・ゴルフは中止です、また来週を楽しみに!」とライン発信した。
その後間もなく本降りに。久しぶりに耳にする雨音はなんとも心地よい。久しぶりの気の置けない友との再会に似た思いである。
燃えるような暑さの中でも、そろそろ冬支度にかかろうかと言う季節になっても、市内の山間部ではクマの出没が相次いでいる。遠くの話ではなく、すぐ近くの話であり出没集落には知己の友も住んでいる。
間もなく冬眠に入る野生にとっての食欲は半端なく旺盛。お腹を満たすためには身の危険も顧みず、当然の如く人里にも現れる。
山菜取りや単なる散歩の住民をこともなげに襲ったりする。お腹を空かした野獣は怖い。半分はクマさん自身も襲われるのが怖くて仕方がないのだ。だから目に入る動くものはみんな敵に見える、だから自らの得にならなくても先に襲って相手の戦意を奪ってしまう。もしも逆らう気配でも見せようものなら本性剥き出して噛みつくのだろう。 などと講釈師見て来たような・・・。
数年前の話、孫君の通う小学校近辺でクマが目撃されて、保護者の送り迎えが義務付けられた。そのとき「かあさんは迎えに来なくていいよ、何かあったらたいへんじゃけー。じいちゃん、迎えに来てヨ」とのたまったクマ騒動の孫君のセリフを思い出している。
今じゃ、クマと相撲でも取ろうかというほどに逞しく成長した孫君。でもやっぱり相手は野生、手加減はしてくれない。これから色んな世界に直面するとき、野生のクマに似た人間サマとの出会いも数多くあるだろう。足早に逃げることも大切な護身術である。そんな話もいつかしておきたい。
9月16日「敬老の日」。異常気象の今年は、敬老行事に招かれて出かける人にも過酷なほどの暑さ。今日も派手にあっちの山こっちの谷の上空に遠慮もなく広がる入道雲。暑かったね~。
こちらでも、自治会がいくつか集まって敬老会行事は例年通り催された。
働き手が多くお祝いの会を催すにも多彩な人材がいた。その割に敬老招待者が少なかったひと昔前は、何事も元気で洒落ていて、招待者も盛大に盛り上がる敬老会であったように思う。この頃は敬老招待者の方が圧倒的に多くなり、企画運営する立場の人たちも大半が敬老招待者と同年齢のところも多くなった。
新聞やニュース番組でも、65才以上の高齢者が3625万人、高齢化率は主要国のトップであると。
受け止めようによっては良くない話に聞こえるが、医療が発展し食料に恵まれた先進国ニッポンの長所でもあるのではないか、と高齢者としては思いたい。一方で高齢者が世に溢れることは、いつまでも元気に長生きしすぎるから・・・と言われているようで肩をすぼめたくなる時もある。
一つには現代社会において65才以上を高齢者と呼ぶこと自体ナンセンスではないか。まして後期高齢者とひとくくりされると75才以上は、その呼び名からして何かしら生きにくさを覚えるねー。
昭和30年代・40年代の高度成長期を微力ながら皆が力を寄せ合って支えた自負も段々しぼんでくる。まいいか、いきなりこの年になったわけではない。少年・青年・壮年・熟年それぞれを精一杯生きてきた結果が今なのである。
一つ思うのは年齢という数字でひとくくりするのは止めて、ご当人の気力・体力・思考力が続く人はしっかり労働力として活用すべきではないか、それが高齢化社会を円滑化する方策ではないかとさえ思う。そんな感想も持ちながら、敬老って祝ってくれる子どもや孫たちと一緒に、今少し元気で長生きできたらいいなと思う。
野生のサル、民家に
昨日、金曜日のグラウンドゴルフ定例練習を終えた午後、メンバーの一人からラインが入った。
「我が家の裏側におサルさんがやってきました」という写真入りラインが。
見れば、私たちがついさっきまでグラウンドゴルフの練習をしていた団地公園に接する仲間のFさん家の裏ではないか。しかもおサルさんの右奥に広がるのが、私たちを遊ばせる団地公園である。
慌てて撮ったのでピンボケですが、と仲間に報せて頂いた。なんと、今話題のクマの人里出現のニュースに次ぐ、ちょっと怖い野生の来訪である。「刺激しないように」「そーっと遠ざかりましょう」などと具体的な対策を色々言われている。たとえば今回のような状況なら、言われる通りの行動が冷静に実行出来たかもしれない。もしも、私たち6~7人がグラウンドゴルフを楽しんでいる最中に団地公園に下りてきたら、理想的な落ち着いた行動がとれるかどうか。多分出来ないね~。
約1mのゴルフクラブを振り上げて追い払う行動に出るんじゃないかな。メンバーの半分は女性である。痩せても年老いても男である、必死に仲間を守り大声出して山に追い返すことになりそうである。おサルさんだからそれが出来るかも。月の輪をつけたクマさんだったらどうしよう。もっとも、慎重で少し臆病なところもあるクマさんは、そこまで無謀に人里には出てこないだろう。出てこないでおくれと願うだけ。
確かにこの団地は30年前には小高いミカン山であった。一山全部を切り開いたわけではなく、西側半分は奥深い地山につながっている。それにしても、山中にポツンとある団地ではない。国道はすぐそばをゴーゴー走っているし、周辺には大小団地もいくつかある。昔からの民家も多数ある。こんなところにまで出てくるほど山の中の食料不足は深刻なのかもしれないが、本当に野生と共生できるのか。今一度、治山治水、山林と住宅地の組み分けの明確化が望まれる田舎の、ちょっとおっかない一コマである。
午後3時半、西の空に浮かぶ入道雲
どこで誰と出会っても開口一番「熱っついね~」「9月も半ばというのこの熱さ、どうしようもないね~」「とにかく水分執って熱中症気をつけようね」。これ以外の挨拶は考えられないほど暑い。今日も昨日もおとといも。明け方に始まって、夜の眠りにつくまで逃げ場のない暑さとの闘い。まさに闘いである。負けたら死が待つという穏やかでない話。それでも午前8時45分のラジオ体操から、一連の軽い運動をこなして約2時間のG・ゴルフ練習。大丈夫なの?と聞かれそうだが、これがまた不思議なことに、ダラダラ汗を流しながらも絶え間ないおしゃべりと、コチンという打音を響かせて楽しんでいる。慣れるとはこういうことなのかも。
そのあとシャワーですっきり。時間が許せばちょびっとの昼寝。これがいいのよ。たとえ短くても我を忘れる瞬間を経て一気に元気もりもり元の姿に立ち返る。矢でも鉄砲でも持って来い、というところまでは行かないがそれに近い元気を回復する。
日の入りには随分な間がある午後3時半、西の空に強烈な日差しを受けたモクモクの入道雲が。今年はまだカメラに収めていないことに気付き、いつもの散歩道に出てみた。目もくらむような強烈な日差しに敢えてカメラを向ける。そしたらなんと、今日の入道雲は控えめでおとなしいことに気付いた。同じ入道雲でも、7月終わりから8月の威圧的な盛り上がりを見せる鬼の形相とは明らかに違う。優しさを秘め、どうかすると「いつまでも暑さの苦労をかけてごめんね」と微笑みかけるような風情を持っているではないか。
やはり季節は流れていることを実感させられる。空に浮かぶ入道雲に、我々下界に住む人間への思いやりがあるかどうかは知らないが、今日の入道雲には秋がすぐそこまで来ていることを教えられた。明日も元気に!
❝ 一年を十日で暮らすいい男 ❞ などと羨望や揶揄で語られたこともある日本の国技『大相撲』。
かつて大相撲興行団体などと呼ばれたり、紆余曲折を経て現在は、公益財団法人日本相撲協会として定着している。その大相撲令和6年秋場所が東京両国国技館で始まった。相変わらず調子が悪ければ休場が認められる特権を持つ横綱照ノ富士は休場である。まあそれは置いといて。
今場所限りで大相撲の世界から引退する大御所がいる。一瞬の勝敗を見極め東西どちらかに軍配を上げ勝敗を判定する行司さん、それも行司最高位の立行司第38代木村庄之助その人である。
今場所千秋楽に65歳を迎えるため定年退職するのだという。確かにルール・相撲協会規則なのだから、当然と言えば当然なのだが、永年行司一筋に努めあげ協会への貢献も大なるものがあると思うし、個人的な見解としては、心身共に大丈夫という証明があるなら、少しの延長を認めるゆとりがあってもいいんじゃないかな、などと勝手に思う。
微妙な勝敗判定に迷う時、検査役が土俵に上がりビデオ判定で勝敗を決する。そこには、最初に判定を下す軍配を上げた行司の弁明や説明は取り入れられない。古来の行司さんは腰に刀を差していた。これは、勝敗について行司の判定にケチをつけるのは許されないことで、行司は刀にかけてでも自らの判定を押し通す権限が与えられていた。その一方で、行司の判定が間違っていたら、自分の刀で自らの命を絶ってお詫びをする。そんな諸刃の刃であったという話も聞いたことがある。
いずれにしても一瞬の勝敗を判定する審判役は、間違いがなくて当たり前。一つ間違えば降格させられる厳しさを持っている。
何かと物申したい大相撲会ではあるが、65歳という定年を全うした第38代木村庄之助さんの勇退に拍手を贈りたい。
軽油に代わるバイオ燃料で走行する岩徳線(資料:ネット借用)
山口県内を走るJRローカル線の一つ、岩国~徳山間を走る「岩徳線」。その燃料としてディーゼルエンジンに使用されて来た軽油に代わる、植物由来の廃食油を原料とする次世代バイオ燃料を使用した試験走行が始まったというニュースに目が留まった。
化石燃料の軽油から次世代バイオ燃料に100%切り替えることで、二酸化炭素排出量削減と言う取り組みだと標榜する。乗客を乗せた営業列車としては全国初で、来年には本格的導入を見込んでいるというからちょっと注目してみたい。『SUSTAINBLE TRAIN』(持続可能な列車)のシールが目印だという。
本当に持続が可能で、従来の軽油より低コストであることが個人的には必須かな。
これまでも色んなところで、色んな形のバイオだの持続可能な〇〇というのを目にしてきたが、イマイチ実用的でなかったり、コストパフォーマンスとやらが合致しなかったりした例をいくつか見て来た。しかし、地元を走り実際に利用する可能性の高いローカル線だけに、期待に胸はふくらむ。
ガチに硬くなった脳みそにはバイオとかSDGsといった内容が段々消化しにくくなって来た。
兎に角、省エネやエコの発展で、これ以上の地球温暖化をなんとかしてほしいという願望だけは人一倍である。。
日本列島に生きている限り、というとちょっと大げさかな。ともかく夏から秋にかけて、一度や二度あるいは三度、列島を襲う台風にどれだけ悩まされてきたことか。
我が人生82年の間に、住居変更を3度経験した。いずれも遠くに離れたわけではなく、せいぜい半径25kmの範囲内で移動した。26才までが生家。次が結婚のための新築で約25年。そして終の棲家になるであろう今住んでいるところがかれこれ30年。色んな台風や大雨に戦々恐々としてきた。
中でも最も記憶に残っているのが、昭和17年に中国地方を襲った大型の雨台風で、瀬戸内海に面した堤防(当時は「沖の土手」と呼んでいた)が決壊。広範囲の住居が海水による浸水で大惨事となった。私は生まれたばかりの夏だったので台風襲来の恐ろしい記憶はないのだが、物心ついても、小学校に通い始めても、家の土壁が地面から1mの高さまで洗い流されたまま、竹の塀駒居が剥き出しになったのを眺めながら「なんでこうなったん?なんで治さないの?」という素朴な疑問を持ち続けていた。
そんな記憶は、地形や家が建つ場所の高低によって運命の分かれ道があるという反省に変わった。だから今住んでいるところは、地震被害は別としても、津波や雨による浸水や土砂災害からは当面守れるんじゃないかなと思ってはいるのだが。
近ごろの自然災害は半端じゃない。とことん人間を痛めつけるまでやってくる。安心などという言葉はどこにいても当たらないかもしれない。
そこへもってきて、今回の台風10号のように、超大型で雨風による甚大な破壊力を保有しながら、進路を明確にしない。いわゆる迷走する台風は対策を考える者にとって、大いに迷惑な話である。は
余分であってもいい、やり過ぎであってもいい、出来る限りを尽くして自分を防御し、その延長に他人に迷惑を掛けない、他人を守る防災対策に気を付けなければならない。厄介な台風シーズンである。
今年も8月6日がやってきた。まさに ❝念力が ゆるめば死ぬる 暑さかな❞ 猛暑・酷暑の言葉通り、クラクラするような暑さの中、午前8時15分、79年前の原爆投下時刻に合わせて平和への記念と原爆被災者への黙とうが捧げられた。
飽くなき平和の希求が叫ばれる中で、原爆慰霊碑に眠る被災者名簿のいしぶみには「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と書かれている。その言葉の内容を噛み締めるとき、宗教や主張の違い、我が身を守るためと称する他国への侵略戦争の銃砲が、来る日も来る日も世界のどこかで発生している。そんな現実を目の当たりにする空しさや無力感はどこへ持って行ったらいいのだろう。
一国の首脳が他国を侵略すると決めた時、誰がそれを止められるのか。国連という組織があるにはあるが、本当に機能しているとはとても思えない。結局は強い者が弱い者を葬り去る構図は生きている。理性をコントロール出来ない指導者が武器を作り続けたり、殺傷することに痛みを覚えない恐れのある現実。誰かがあるいは集団で抑え込める組織が出来ないものか。ただ、そんな最強の抑止団体が出来上がったら、更にその上を行く凶悪集団が出来上がりそうな恐怖を予測してしまう。
そして最終的には、人類を滅ぼしかねない核兵器の使用も辞さない無謀振り。我々唯一の被爆国の悲しい叫びは独裁者の耳に届けばいいのだが。79年の歳月を経てなお、多くの人の手を借りながらも悠然と立ち尽くす広島原爆ドーム。何を感じているのだろうか。
日本から遠く離れたフランスでは、Paris2024が連日連夜、熱い熱い戦いの中盤を迎えている。どの種目も予選が進んで、勝ち残ったチームによる上位入賞を目指した熾烈な戦いである。彼や彼女らにとっては気持ちの熱さは最高潮に達しても、気温の暑さはあまり気にはならないのかも。
ここ日本では、朝起きると同時に朝陽を受ける部屋などは既に28度、29度を示す。扇風機では暑さを抑えられない。すぐにエアコンスイッチON。なんとかエアコン頼みでやり過ごしてはいるが、日中の温度が33~35度に達する毎日、いったいいつまで続くのやら。
冷たい水かお茶を入れたマイボトルが家の中でも手放せない。
そんな連日の流れ落ちる汗の中で、アホかいなと笑われるかもしれないが、減量とウオーキングの質を求めて今日までの1週間に4回の岩国城遊歩道ウオーキングを敢行した(笑)
若い頃に上っていたような身軽さもスピードもない。いやむしろ自分に合ったペースでゆっくり歩くよう心がけている。体重減量目標は約5キロ。それほどに食べ過ぎと運動不足で体重オーバーなのである。
当然ながら運動不足は足腰を弱らせた。なんとかして少しでも回復させたい。その意味では今回のお城山ウオーキングは、リハビリテーションセンターに通うつもりで、自らに課せた少し濃いめのノルマみたいなものである。今月末にどれほどの成果が見られるか。無理をし過ぎないよう心して、明日も。