実行委員会を立ち上げて5年を経過した岩国検定。
ここに、第3回目の検定試験を実施するに至った。
数え上げればきりがないほどの感慨はある。が、先ずは、実行委員代表ほか、協力した皆さんのご苦労に拍手を。
ついでに自分にも小さな拍手を・・・。
発案者でもあり、綿密な計画立案のできる辣腕の、岩国検定実行委員会代表に、ただひたすら追随する立場のこの身は、時に気楽に考えたり、時に神経質になったり、あれやこれやの楽しい5年間であった。
思い起こせば二十歳を過ぎた一時期、出来て間もない岩国索道事業所、つまり今でいう岩国城ロープウエーのアルバイトをしたことがあった。
当時は、うら若きウグイス嬢が6人いて、交代で片道2分48秒のロープウエー観光案内を肉声でやっていた。
この私は、山頂駅や山麓駅を交互にお客さんの整理をする仕事柄、何度もロープウエーに乗車する機会を得た。
いつの間にか覚えた2分48秒の観光案内口上は、今も頭に焼き付いている。
そんなこともあって、あれから50年近くを経た今も、岩国城周辺の観光についてはほんの少々興味を持っていた。
そこに持ちあがった全国各地のご当地検定。「岩国でもできるのではないか」というお誘いの言葉に乗って、いつの間にやら必死になって、今日に至ったという経緯がある。
ご当地検定の避けられざる宿命とも言うべき、試験回数を追うごとに受験者減少という現実を突きつけられている。
岩国検定もご多分に洩れず、丸4年前の第1回は94人の受験者を数え、少なからぬ手応えを感じていた。
2年前の2回目が71人となった。このカーブを見ると、今回は50人かな、という予測でのスタートではあった。
しかし、ふたを開けてみると、現実はもっと厳しいものだった。
しかしそれはそれ、我々実行委員会にとっては、受験者の多寡に関係なく、精一杯の問題作りへの挑戦は始まった。
かくして迎えた3回目。応募者数46人。その中には、これまで経験のない最年少12歳の少年の名前があった。
「如何に対応し、如何に楽しく帰ってもらうか」委員一同色めきたった。
実際には、期待を寄せた彼は「学校の行事で参加できなくなった」とのことでキャンセル。
そして本日、実際の受験者は40人であった。「おもてなし」の心を忘れず、精一杯の歓迎体勢で臨んだのは言うまでもない。
受験者の声としては、一様に「難しかった」という小声の感想が多かった。その割には、にこやかな笑顔の多さに救われた。
小さな町の小さなご当地検定試験。永久的に続けるには所詮無理があるようだ。
しばし間をおいて、世代が少しだけ交代するのを待って、改めて再開という方法は残されているのかもしれない。
そのときは、今の我々実行委員会メンバーはどうなっているのだろう。
兎に角、何もないところからすべてを立ち上げ、形と歴史を残して後世に託す岩国検定。
先鞭をつけるという意味では、十分な役割を果たした。ということにしたい。 オツカレさ~~ん!!