「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「第3回、岩国検定試験」

2014年11月30日 | 岩国検定

 

           

実行委員会を立ち上げて5年を経過した岩国検定。
ここに、第3回目の検定試験を実施するに至った。
数え上げればきりがないほどの感慨はある。が、先ずは、実行委員代表ほか、協力した皆さんのご苦労に拍手を。
ついでに自分にも小さな拍手を・・・。

発案者でもあり、綿密な計画立案のできる辣腕の、岩国検定実行委員会代表に、ただひたすら追随する立場のこの身は、時に気楽に考えたり、時に神経質になったり、あれやこれやの楽しい5年間であった。

思い起こせば二十歳を過ぎた一時期、出来て間もない岩国索道事業所、つまり今でいう岩国城ロープウエーのアルバイトをしたことがあった。
当時は、うら若きウグイス嬢が6人いて、交代で片道2分48秒のロープウエー観光案内を肉声でやっていた。
この私は、山頂駅や山麓駅を交互にお客さんの整理をする仕事柄、何度もロープウエーに乗車する機会を得た。
いつの間にか覚えた2分48秒の観光案内口上は、今も頭に焼き付いている。

そんなこともあって、あれから50年近くを経た今も、岩国城周辺の観光についてはほんの少々興味を持っていた。
そこに持ちあがった全国各地のご当地検定。「岩国でもできるのではないか」というお誘いの言葉に乗って、いつの間にやら必死になって、今日に至ったという経緯がある。

ご当地検定の避けられざる宿命とも言うべき、試験回数を追うごとに受験者減少という現実を突きつけられている。
岩国検定もご多分に洩れず、丸4年前の第1回は94人の受験者を数え、少なからぬ手応えを感じていた。
2年前の2回目が71人となった。このカーブを見ると、今回は50人かな、という予測でのスタートではあった。
しかし、ふたを開けてみると、現実はもっと厳しいものだった。

しかしそれはそれ、我々実行委員会にとっては、受験者の多寡に関係なく、精一杯の問題作りへの挑戦は始まった。
かくして迎えた3回目。応募者数46人。その中には、これまで経験のない最年少12歳の少年の名前があった。
「如何に対応し、如何に楽しく帰ってもらうか」委員一同色めきたった。
実際には、期待を寄せた彼は「学校の行事で参加できなくなった」とのことでキャンセル。

そして本日、実際の受験者は40人であった。「おもてなし」の心を忘れず、精一杯の歓迎体勢で臨んだのは言うまでもない。
受験者の声としては、一様に「難しかった」という小声の感想が多かった。その割には、にこやかな笑顔の多さに救われた。

小さな町の小さなご当地検定試験。永久的に続けるには所詮無理があるようだ。
しばし間をおいて、世代が少しだけ交代するのを待って、改めて再開という方法は残されているのかもしれない。
そのときは、今の我々実行委員会メンバーはどうなっているのだろう。

兎に角、何もないところからすべてを立ち上げ、形と歴史を残して後世に託す岩国検定。
先鞭をつけるという意味では、十分な役割を果たした。ということにしたい。 オツカレさ~~ん!!

 

 

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「アタシはモデル」

2014年11月29日 | つれづれ噺

                    

   

「オーイ!野菜ができたぞ~、食べるか~」 くだんの有難い同級生からの電話。
「家まで持っていこうか・・・」「畏れ多いこと、オレがもらいに行くよ」「それじゃ、中間のあの場所で会おう」
話は決まり、すっ飛んでクルマを走らせる。

大きく、しっかり巻いたハクサイ、長い普通のダイコンに聖護院という丸いダイコン。丸々肥ったカブ、そしてもぎたてユズを軽トラに積んで。
おまけに、「今もらったシシ肉もやるよ」と。血液検査済み安全保障付きのイノシシの肉塊までもらった。
待ち合わせ場所にある自販機で、熱い缶コーヒー飲みながらしばし立ち話。
「また家にゆっくり遊びに行くよ」というと「山や畑で遊びよるからいつでもおいで」と。

わが家でも一応、丸ダイコンもカブも植えてはいるのだが・・・土が悪いのか手入れが間に合わないのか、葉っぱばかり伸びて根っこは小さい。
「いつになったら食べられるんじゃろうか」心配していた。なんのことはない、大量生産者から軽トラでどっさり。
「娘やらお姉さんたちにもあげりゃいいよ」と、親せきの分まで心配してくれる。足を向けては寝られない友。有難きかな。

そんなダイコンの中に1本。作ろうにも作れはしない芸術的?な逸品が混じっていた。
おそらく、孫に見せて喜ばせようという、友の気配りだったに違いない。被写体としても申し分ない「モデルさん」である。
ポーズをとらせたり、化粧を施したり・・・。孫に見せる前にジジがしっかり遊んでしまった。

さかさまにしたら、白く燃え上がる炎(ほのお)に見える。花瓶に挿せば、どんなきれいな花にも見劣りしない存在感がある。
お化粧してやったら、これから始まる忘年会シーズンのタコ踊り余興にも見える。
裏側に淑女の顔を描くと、ちょっとはにかんだ女性が、大きく脚を組んだ姿にも見える。

畑の土に埋もれた世界で何が起こったのか知らないが、こんな珍しいダイコンも出来ることがあるということ。
それも全く意図しない偶然の世界というのが何とも面白い。
ハクサイやダイコンの美味しさ、シシ肉の珍しさと歯応えあるうまさに、感謝しながら囲む夕餉ではあるが、楽しく遊ばせてくれた傑作ダイコンにも感謝である。

それよりも何よりも、自前の新鮮野菜をさりげなく届けてくれる友の優しさ。どんな感謝の仕方があるのか、考えてみたい。
秋の終わりから冬にかけて降る雨を「しぐれ(時雨)」といって、気持ちも身体も冷やす雨と言われるが、そんな時雨の時季にこれほど温かい気持ちにさせられる倖せ。やはり、足を向けて寝たらバチガ当たりそう。

 

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「晩秋の空に向かって」

2014年11月27日 | つれづれ噺

            
                澄み切った晩秋の空に開く大輪

成長すると3~4mにもなることから皇帝と名付けられた、ダリアの花。
またの名を、木立ダリアとも呼ぶのだそうな。
花はピンク系薄紫で、直径約20cmの 大輪を茎の頂上に咲かせる。晩秋の空にそびえ立つ姿はまさしく圧巻である。

これほど大きく育ち丈夫そうに見えるが、その実、霜に弱くて気温が3度以下に下がるときは家に入れた方がいいという。
そのうえ、街灯の下ではつぼみが付かないので、暗い所に移動する必要がある、などという繊細さも持つ大型花。                                                       育てるのは簡単だと言われる一方で、しっかりした 添え木が必要だったりする。
晩秋の青空に映える立ち姿は見応え十分だが、花を愛でるまでには、作り手の目に見えない苦労も多いようようである。

ま、所詮は何事によらず、表面に出てくる美しさには目が集まるが、花を咲かせるまでの水面下の苦労には思い至らないことの方が多いものではある。それが普通の世の中、世間というものなのかもしれない。

この花が終わりを告げる頃、厳しい寒さの冬将軍のお出ましとなる。年賀状の準備が忙しくなる。
その前段の今は、年賀欠礼の喪中はがきが届く時期でもある。
今年もすでに数通届けられた。いまのところ、差出人が本人で、親や兄弟の訃報が記されている方が多い。
やがてはそれが逆転し、差出人が奥さんや子供の名前になって、差し出していた宛名本人の訃報を聞く日が来るのだろう。

ゆんべも、ごくごく親しい友から電話がかかった。「ウンもスンもないが元気にやっとるか~」と。
こちらも元気、先方も元気と思い込んで少し無沙汰をすると、こうして案じてくれる友から声がかかる。
やはり、ボヤッとしていてはいけんのだな~と改めて思う。
「このところなんやかや忙しくしていたんよ・・・」などと長い長い言い訳をするより「元気なら安心したよ」の一言でいい、こちらからお伺いを立てるよう心掛けなきゃ。 ”つつがなきやともがき” 友はあり難きかな。

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「えきでん」

2014年11月25日 | つれづれ噺

            

健康寿命を如何に伸ばすか、寝たきりや介護生活を如何に遅らせるか。
そういった人間の至上命題ともいえる「老い」と向き合う生活が、如何に必要であるかが問われる昨今。
ウオーキングやジョギングで、自らの健康を保持する運動が大はやりである。
そういった世間の事情を反映してかどうか、日本全国各地で、市民マラソンや駅伝が盛んである。

ご当地にも伝統的な駅伝競走が残され、市民の手で守られている。
その一つが48回目を迎えた「錦川清流駅伝競走大会」である。
山陽側と山陰側を結ぶ国道187号線をさかのぼり、錦川清流線の終点駅となっている錦町の「錦ふるさとセンター」から、錦帯橋の架かる錦川に沿って下り、錦帯橋目前の河川敷運動広場までの39.1kmが男子のコース。
女子の部は、16kmのコースで、参加チームも距離も少し小ぶりになる。

かつては、このアタシもこの駅伝大会出場を目指して、練習した中学時代があった。
当時は山陽側の岩国と、山陰側の日原を結ぶ国有鉄道「岩日線」の工事中で、その名も「岩日駅伝」と呼ばれた。
その岩日線は国鉄再編のあおりで工事は中止。現在の錦町止まりとなった上に、赤字路線となりJR西日本が撤退した。
後を受けた第三セクター錦川清流線として、ローカル色豊かなディーゼル車が一日数本、単線で走っている。

そんな古き良き時代に、一度は目指した岩日駅伝ではあるが、その選手に選ばれるにはその前の、今は無くなった「岩国一周駅伝」で、それなりのタイムを出さなければならなかった。
岩国一周駅伝では、なんとか自転車の伴走を従えてタスキをつなぐ7人に選ばれた。が、残念無念、ついに岩日駅伝のタスキを掛けることはなかった。

あれから30数年。倅が高校陸上部でレギュラーを張り、2年連続で出場するのを2回とも沿道で大声上げて応援したのを覚えている。
誠に小さな夢ではあるが、親父の果たせなかったタスキをつないで、高校の部優勝に一役買ってくれた昔がある。
今はアタシはもちろん、せがれもジョギングなど日常的にはやっていない。ただ倅の場合は職場対抗レースなどには選手として声が掛かるようである。

紅葉もそろそろ終わりを告げるこの季節は、遠い昔のちょっと切なかった青春がチラッと頭をよぎる季節でもある。
夢は果たせなかったが、せめてウオーキングに精を出して、健康寿命を延ばす努力は、まだ間に合いそうである。

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「秘境の紅葉を求めて」

2014年11月23日 | 旅行・レジャー

 
       由緒ある古い神社境内の「黄落」                  大きな岩がゴロゴロ。秘境の奥地へ

1週間後の11月30日日曜日は、第3回岩国検定試験を予定している。
その問題の一つに取り上げられている秘境の紅葉を、今一度この目で確かめたくて訪ねてみた。
本当の名前とは別に「もみじ峡」とも呼ばれるほど紅葉が美しい峡谷。
かつて平家の一族が、難を逃れて住み着いたという数々の伝説が残されている、まさに山深い秘境である。

紅葉を求めて、というかたわらで一番の目標は、高さ40mに及ぶ「鹿落ちの滝」という滝を見たかったというのが本音。

           、
説明板にこのように記されている滝。見事である。と言いたいところだが、実は今日は、写真で紹介できないほどの、ほっそりした滝が木の間隠れにチラッと見える程度であった。
というのも、このところ雨らしい雨が降らず、滝の水もふんだんにあふれるほどなかったのだろう。
そして今一つは、雑木が生い茂り過ぎて、せっかくの「鹿落ちの滝」の雄姿を覆い隠してしまっていることである。

ウ~ン残念!!でも、ここで写真をご披露できないだけで、肉眼では確かに、高さ40mの滝のさわりは見届けてきた。
他にも、平家落人の若者と、源氏方の高貴な姫との恋の成就の「姫岩のいわれ」も見させてもらった。
そして何より、秘境地域の長い歴史を見守ってきた「香椎神社」境内にある大イチョウの黄落を楽しめたのはもっけの幸いであった。

紅葉の美しさという点では、出かける時期が遅すぎた。つまり、もみじのほとんどは散り終わった後だった。
こちら街中と違って、中国山地の高地の秘境。紅葉の時期が早いということ。足元にうずたかく吹き寄せられたイロハかえでが、「次の機会にはもう少し早めに来て、私のきれいな姿を見てね」とささやいているようであった。

いずれにしても、人里離れた山奥ながら、かつては学校もあったのだ。
廃校となった建物は、今にも崩れ落ちそうではあったが、校舎の玄関すぐわきに「職員室」と書かれた黒の横長表示板が、如何にもリアルで、どうかすると子どもの声が聞こえてきそうな錯覚をおぼえる光景にも出くわした。

                

やはりこの足を運んで、実際にこの目で確かめる。そこには色んな人々の生きた証が、異様な迫力で迫ってくるのが心地いい。
その一方で、ここにも完全な限界集落を目の当たりにし、あちこちに残された住む人の無い廃屋を見ると、何ともやりきれない心苦しさもつきまとう。 そんな晩秋の一日。やはりいい日だった・・・ということにしておこう。

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「いまどきの子ども」

2014年11月21日 | ニュース・世相

              

近くの団地公園に、小学生数人がが遊びに来ていた。
集まるのはそれぞれ自転車でやってきて、公園の外ではなく、どうかすると公園のど真ん中あたりに自転車は転がされる。
一応野球用のグラブもバットも自転車のかごに入ってはいるようだ。

「ホー、この子らは野球をやるのかな」と、見るともなしに見ていると、野球はいつまでたっても始まらない。
そのうち一人が、シャツをめくってお腹のあたりから何かを取り出した。なんやら四角い固い物体。なんじゃろう?
早い話がゲーム機である。なんじゃこりゃ!

いつの間にか、4人が4人とも自分用のゲーム機を取り出し、公園の片隅にあるコンクリートのベンチに仲よく腰かけた。
それまでは甲高い声で互いの名前を呼び合ったり、ちょっかい出したりしていたのに、同じような姿勢でベンチに腰かけたとたんに声も出さなくなった。ひたすら黙って自分の手許だけを必死に睨んでいる。

「オイみんな、おじさんと野球をやろうよ」などと声を掛ける余地もない。ただ黙って見ているだけ。
こんなことなら、わざわざ自転車に乗って公園に集まらなくてもよさそうなものを、と思う。
ところが、彼らには彼らの言い分がある。「公園の方が安心してできるんよ」ときた。
そっかー、誰かの家に集まって、家の中でゲーム機に夢中になっていたら「外で遊びなさい」とか言われるのだろう。

それにしても、グラブやバットを一応自転車に積んで家を出る。公園に集まる。
そこには、ゲーム機中毒が、遠慮なしにのめり込める空間と、仲間と、自由さがあるということか。
「親の顔がみたい」、とか「もうちょっと何とかならんのか」などと思う。されど我が孫だって、家にいたり友達と遊ぶときは、似たようなことをしているのに違いないと思うと、あながち親も祖父母も責められない。

アナログジジが、デジタルヤングに注文を付けるのも、時代錯誤と笑われるのかな~。
それにしても、公園のコンクリートベンチに、おんなじように背を丸めて座っている後姿には、何とも言いようのない哀愁を感じるな~ 
これも平成の世の一つの断面かもねー。

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「また一人・・・」

2014年11月19日 | ニュース・世相

                      

一時代を築いた俳優さんが亡くなった。
人間いつかは永遠の別れが来ることを分かっていても、もう少し・・・という思いは残る。

       ♪  春~に~ 春に追われし 花も散る 酒(きす)ひけ 酒ひけ 酒(きす)暮れて~~ ・・・ ・・・♪

と歌われた網走番外地シリーズ。長身の着流し、背中に入れ墨の任侠シリーズ。血を湧かせ、見入った青春もあった。
最近では、何とも奥深い人間愛を描いた作品が多く、ハンカチを手にしながら楽しませてもらった数々の映画。
「幸せの黄色いハンカチ」「ほたる」「鉄道員(ぽっぽ屋)」「あなたへ」・・・
いずれも確かな印象として残っている。

そして健さんに対する個人的な思い出としては、「あの江利チエミさんとは何故別れたのだろう」という疑問を持っている。
そりゃぁもう男と女、しかも芸能界という華やかな世界。あれこれあったのだろう・・・くらいの想像は付く。
ただ、離婚した後の江利チエミさんの哀れな末路を思うと、男、高倉健として、何らかの手助けはできなかったのか、などと勝手に思う。

それ以外は、紛れもなく健さんファンであったことに間違いない。
スクリーンに出てくる寡黙な男像とは裏腹に、私生活ではよくしゃべり、インタビューなどでは言葉を選びながらではあるが、的確に物事を表現できる能弁さを持ち合わせていたことも知っている。 あの渋い声がよかった。子どもや後輩を見守る優しい瞳もよかった。

83歳。ちょうど10歳年上ということ。それを考えるとやはり、もう少し生きていてよ・・・という思いが募る。
時あたかも、衆議院解散のニュースと横並びで、新聞一面トップを飾る健さんニュース。
国民的俳優の代表格であったことを物語っている。

若いころには、健さん気取りで粋がったこともあったが、生きる世界の違いを直接的に感じる今、やっぱりアタシはアタシ、健さんは健さん、などと開き直っている。
11月10日が命日なのに、何故1週間余も発表を遅らせたのだろう。そんな疑問も残るが、ご冥福をお祈りしたい。  合掌

      

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「えんどーは、まだ?」

2014年11月16日 | 家族・孫話

                  

やんちゃでわがまま、屁理屈こねたり生意気なことを言ったり、なかなか素直に言うことをきかない5才児。
良いこともそうでないことも、二人の兄から色んなことを教わって知恵がついた孫三男坊。
色んな事にこだわりをもっていて、きかん気が強い。それだけに、どうかすると面白くて、からかうのが楽しい時もある。
そして一つを始めたら、他を見向きもしない執念も見せる。何となく将来に夢を抱かせるような一面も合わせ持っている厄介なちびっこ。

幼稚園から帰ってくるころには、NHKの大相撲が中入りとなり、本格的な取り組みが始まる。
おやつを食べながら、あの仕切り時間の長い、どうかすると退屈な相撲を楽しそうに見ている。
2チャンネル、Eテレでは子供向け番組が華やかに放送されているのに、相撲があるときはチャンネルを替えない。

「じいちゃん、これは誰?ガイジン?どこの人?」一番一番質問が飛んでくる。
「この人もまたモンゴルじゃ」というと、「またモングリか、モングリばっかりじゃね」と一丁前に言う。
やがて、「えんどーはまだかねー?」と來る。まだ髪が短くて大銀杏は結えないのでちょんまげで登場する遠藤を待つ。
取り組み前後の花道の奥を映す画面で、えんどーは、と探している。
何故えんどーなのか、何故白鵬じゃいけないのか、よくわからないが、えんどーひと筋

「遠藤は強いからもうちょっと後になるよ」、と番付についても少し説明してやる。
「じいちゃん、えんどー早く出してや」とせがみ始めるが、こればかりはじいちゃんも何ともならない。
そして、永谷園の宣伝垂れ幕が土俵を一周すると、あれは何か?。勝ったら懸賞金がもらえることを教える。
「勝ったらお金がもらえるん?」「そう、なんでも強くなったらお金がいっぱいもらえる」「横綱はいっぱいもらうね」
こんな会話をしながら、相撲に付き合う。

上の兄二人とは、こういう面では丸っきり異なる感性を持っている。
相撲を見ると決めたら、ジーッと相撲を見ている。幼稚園のお疲れで眠くなるまで続く。何かの魅力を感じているのだろう。

やがてジジの口から、強くなることの大切さ、そのための努力が欠かせないこと、などを話して聞かせる日がくるのだろう。

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「handshake(握手)」

2014年11月15日 | つれづれ噺

               
               
                                handshake

主権を持った一国の代表同士が、handshake(握手)する場面が、新聞でもテレビでも大きく取り上げられた。
そこには笑顔もなければ、信頼という気持ちの交流のかけらも見られない、無意味な握手が交わされた。と、吾輩の目には映った。
そんな状態なら、いっそ握手などしなけりゃいいのに、とも思った。

一つの救いは、我が国の代表が、ニコニコ笑顔で相手にへつらう姿を見せなかったことである。
最初にこちらから一言二言声をかけた様子はあったが、その顔は笑ってはいなかった。せめてもの五分と五分を保った形となった。子供じみたそっけない表情には、これが国交正常という名の下の両国首脳のご対面か、と疑いたくなる。

「握手」とは、“挨拶として、また親愛・和解のしるしとして手を握り合うこと。転じて、和解すること。協力すること。”とある。
対話が必要というなら対話をすればいい。仏頂面して、いかにも「会ってやろう・・・」といった尊大な相手と握手などしなくていい、さっさと話し合いに入ればいい、そう思った。
特にそのあと、あの尊大な代表が、別の国の代表と握手するときのあのにこやかさは何なのか。相手が女性だからということではないと思うが、あまりにもみっともない変貌ぶりは、それでなくてもかの国に対する信頼が揺らいでいるのに、益々好きになれない理由を見せつけられた思いがする。

だからといって、敵対視することは世界のためにならないことは百も承知である。
直接会ってお互いの言い分を話し合う必要があることは、世界のだれもが認めることである。話し合わなければ人類は不幸におとしいれられることも分かっている。会談は避けてはいけないと思う。

ただ、「戦略的互恵関係」というのが分かりにくい。互恵とは「特別の便益・恩恵などを、相互にはかり合うこと。平等互恵に連なる。
ならば、一方的に従わせようとするのは互恵とは言わない。ならばもう少しなんとかならないものか…。
そんな中でも、偶発的な武力衝突を回避する事務レベルの協議がスタートするのは有難い。
我が領海内であることを承知で、徒党を組んで密漁をやってのけるお国柄。せめて衝突回避の約束は取り付けたいと願っている。

ちょっと考え過ぎなところもあるのでしょうか。ただ、力を持ちすぎると、往々にして現れる唯我独尊的な「エゴ」が気にかかる。
老婆心であることを心から願ってやまない。

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「黄落に戯れて」

2014年11月12日 | 季節の移ろい・出来事

 
                           11月11日、 すっかり色づいたもみじ谷公園
 
                            10月10日、 まだ青かったもみじ谷公園。1か月後が上側の紅葉に。

一年に一度は必ず見ておきたい、岩国もみじ谷公園の紅葉。今年もそのシーズンがやってきた。
10月半ばに訪れたときは、まだまだ青みが強かったモミジやイチョウだが、今では紅葉の見ごろを迎えている。
全国区のメジャー昇格には、まだ少し時間がかかりそうなご当地紅葉。だからと言うわけではないが、“隠れ紅葉の名所”と名付けて、一人悦に入っている。

急に頼まれた希さんのお守りも兼ねて、紅葉見物と洒落こんだ・・・というほど風流ではないが、やはりこの時季、一度は行ってみる価値のあるところではある。
偶然にも、滋賀県から「錦帯橋や岩国城それから宮島観光を・・・」という二人連れのご婦人に遭遇した。
尋ねられるままにあれこれウンチクをのべながら、短い時間ではあったが観光ボランティアの代役を果たした。

「錦帯橋も素晴らしいが、このもみじ谷のきれいさに驚いている」と、お褒めの言葉を頂いた。
新幹線で新岩国駅にきてタクシーで錦帯橋へ、次は在来岩国駅から宮島に行きたいという行程のようだった。
そして厳しい質問を。「全くレストランらしい物がみえない、食事はどこでするのでしょうか」と。アイタタッ!
まったく発展途上のような観光地岩国。遠来の個人観光客には食事にも困るような現実を突きつけられて・・・。

錦帯橋付け根にある数件のお店を紹介しておいたが、こういったお客さんを安心しておもてなしできるメジャーな観光地にはなるのはいったいいつのことだろう。やはりいつまでたっても、休憩地としての二流観光地にとどまるのだろうか。
観光資源はいっぱいあるというのに・・・。

                 
                          希さん 1歳5ヶ月

まあそんな話もあったが、こちらはもみじ谷の奥まったところにそびえる大イチョウの木の下へ。
黄落と呼ぶにはもう少しかな、とは思うが、幼い希にとってはもってこいの遊び場所となったようだ。
黄色い葉っぱを拾い上げては風にひよらせる。何度も何度も繰り返す。段々笑顔が広がり、はしゃぎ声もおおきくなる。
見慣れた地元の紅葉ではあるが、キャッキャ喜ぶ幼子の声を聞きながらの散策はまた一味濃いものがある。
こちらが守りしてもらった気がしないでもない・・・。

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