「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「プロ野球開幕」

2018年03月30日 | スポーツ・観戦

    
  開幕戦勝利。選手を迎える緒方監督   大喜びのカープファン       早速のヒーロー、田中・エルドレッド

2018年、NPB日本プロ野球公式戦が始まった。
リーグ三連覇、日本一、などの目標を掲げたオラがカープ。地元マツダスタジアムの開幕戦で、堂々の勝利。
大喜びするファンに囲まれ、選手を一人ひとりをハイタッチで迎える緒方監督。

カープ応援旗や大漁旗を打ち振って、大声張り上げての大応援。第一戦目から大喜びの熱狂的カープファン。
向こう半年、笑ったり怒ったりしょんぼりししたり、忙しい日が続く。
初戦からこれほどの大騒ぎでは、途中で息切れしないか心配するが、カープファンの熱烈ぶりは覚めることを知らない。

先ずは1勝。143分の1ではあるが、勝てばこの上なく気持ちいい。
明日からは、カープの試合に合わせた一日のタイムスケジュールが始まるのである。それでもなんでも、ガンバレカープである。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「名残の梅見」

2018年03月25日 | 晴耕雨読

    

今年はどこの梅の木を見ても、それはそれは見事に花を付けた。古木も大木も小木も一様に木全体を花が覆うような見応えであった。
あたかも満開の山桜を思わせる風情で目を引いた。その上、花の寿命が長くて、さくらの開花が叫ばれる今も、見事に咲いている。
他人様の梅の木が一様にそんなのだから、アタシたち夫婦がフーフー言いながら、枝打ちを・剪定をした梅の木や如何に?
クルマで50分、名残の梅見に出かけた。「もう遅いだろうな」という予想をあざ笑うような、見事な梅の花見となった。

よそ様に決して劣ってはいない様子に先ずは一安心。そしてしっかり刈り込んだ古木は、いい塩梅に太陽の光が根元まで差し込むようにほどよい隙間が出来ていた。これは久々に見る剪定方法の大ヒットである。6月の梅もぎが大いに期待できそうでだ。

そんな梅の木も、長年付き合ってくれて、その梅の実の有り難さを大切に守って来た一人の梅林ファンを失うことになった。
故郷を守って来た義兄夫婦。そのつれあいの義姉さんが、ついに複合型介護施設にお世話になることになった。御年81歳。
根っからの田舎育ちでお人好し、自分のことはさておいて、訪れた者に対して完璧なもてなしをしなければ気が済まない人だった。
それは、私たちがたまに里帰りする場合も同じで、やれお茶だコーヒーだ、お菓子だミカンだと、それはそれは心のこもった接待であった。

そんな義姉さんを、水頭症という病が襲った。早めに病院には行ったのだが、病状は回復には向かわず一気に認知症の重症患者となってしまった。病院を変りあれこれ治療に専念したが、自宅での普通の生活に支障をきたすようになってしまった。
今は慣れない介護所生活で、意識しないままに大変な戸惑いの毎日を送らざるを得ない状況に置かれている。完全回復は難しいとの医師の診断である。

あれほど大事にしてもらった義弟としては、お気の毒に、と思うだけで恩返しらしいこともできないままである。
せめてものつぐないとしては、田舎で一人暮らしを余儀なくされている義兄を、少しでも慰め励まし楽しく過ごしてもらうことくらいである。

何に気を付けようにもその方法さえ分からない経年劣化現象。あまりにも周囲に気を遣い過ぎないように生きるのも、一つの対処法なのかも。年を重ねたら重ねたなりに晩年の人生、一筋縄では行かないものがあるようだ。今年の梅のように、もう一花咲かせてほしいのに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クロガネモチ御難」

2018年03月23日 | 季節の移ろい・出来事

                            
                         クロガネモチの木    剪定前(二回のベランダから)        剪定後                                                 

        
              剪定前 (東側畑から)               剪定後 

松などの植木に巣くう虫がうごめき始める頃を「啓蟄」という。今年は3月6日であった。
啓蟄を迎えると、普段なら春が来たという表現が使われるのが一般的だが、今年は様子が違った。
低気圧や異常寒波の居座りで寒い日が長く続いた。いつまでたっても陽春という言葉とは縁遠かった。

だからということで、虫たちとは感度が違う人間様は、啓蟄になってもなかなかうごめき始めない。それどころか「風邪でも引いたら大変」と、益々ガードを固めて家の中にこもりがち。暖かくなるのを待った。
啓蟄から2週間余り、お彼岸の中日も過ごした今日は、やっとこさそれらしい青空と穏やかな春風に恵まれた。

早いとこやらなきゃ新芽の時季を逸すると心配していた庭木の剪定。今日こそは張り切ってやったのだ。
庭の東南隅にある、かれこれ樹齢60年になるクロガネモチの木。幹の大きさは直径25cmくらいまでになった。
「やがて剪定などできなくなるのだから、今のうちに根元から切ったら?」という声を聞き流し、今年も切り倒すことなく、剪定で丸坊主にはなったが、原形をとどめている。それにしても、枝ぶりもなにもない、ただバッサリ切り刻むだけ。

樹齢60年といえば、まさに我が人生そのものみたいなものだ。歴史が詰まっている。物語も秘めている。
やがてはこの手で引導を渡す日が来るのだろうが、それまではもう少し長生きしてもらって、東南からの風をしのいでもらいたい。
そしてなにより、ヒヨドリのペアの餌場として、ピーピー甲高い声で感謝の言葉を発しながら、満腹になって飛んでいく。
またやって来る。そんな平凡の繰り返しの中で、我が家のクロガネモチの木は、自分たちのもの、と決めたペアがいるようだ。

もうしばらく餌を与えよう。その代償にあの冬の風物詩ともいえる、甲高い鳴き声を聞かせてもらおう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「仰げば尊し」

2018年03月20日 | ニュース・世相

                                 
                    春雨にしっとり、沈丁花

高校が3月1日。中学校が9日。そして今日20日が小学校の卒業式。
何れにも出席するチャンスを得て、それなりの感動と、我が身の遠い日を思い出させてもらい、少しの感傷に浸った。
願わくばいずれの卒業式でも、せめて「仰げば尊し」くらいは歌って欲しかった。聞かせてもらいたかった。という小さな不満は残る。

高校でも小学校でもこの希望は叶えられなかった。唯一、中学校の卒業式でだけ聞かせてもらった。
カー君が大きな口を開けて、間違いなく昔懐かしい卒業式の原風景を見せてくれて、一段と感慨深いものがあった。
この「仰げば尊し」の話は、随分以前に触れたことがある。学校サイドから「わが師の恩」などと言われるほどの「恩」を授けてはいない、という発言に対して、親の側も、さほど先生に恩を感じていない、という双方の言い分が妙なところで合致して、いつしか歌わなくなった。といったようなことを書いたと記憶している。

どっちもどっちも言い分があろうから深く詮索はしないのが賢明なのかもしれない。
ただ、中学3年生の男子も女子も涙を流しながら、コーラス大会のステージのように見事なハーモニーで「仰げば尊し我が師の恩・・・」と一生懸命歌う姿は、やはりこの場でしか見られない、聞かれない、感動のワンシーンではある。
こういう歌が歌われなくなったことを反映するのか、「仰げば尊しわがしのおん」とパソコン入力して変換すると「和菓子の恩」と出て来る時代なのだから、あまり目くじら立てて言い募るのも、時代錯誤と笑われるのかもしれない。
それでも、現に歌った中学校卒業式は感動ひとしおであったことは間違いない。

そして今ひとつ思うのは、蛍の光も仰げば尊しもない、簡略化した現代版卒業式なのに、ただただ、旧態依然の硬さと暗さだけは残されていることである。胸に染み入る校長生の素晴らしい式辞に拍手を何故しないのか。児童生徒が一生懸命練習した「送辞」や「答辞」のやりとりに何故拍手の一つもせずに、シーンと静まり返っているのか。不思議でならない。
保護者代表の学校に対する感謝の言葉でも、通り一遍の美辞麗句のオンパレードではない、本音の伝わる謝辞には保護者一同も、我々来賓席からも、感動の拍手を贈って決しておかしくないと思うのだが、如何だろう。

もしも、教師経験者や現役の先生方に、こんな拙ブログが目に留まったら、ご意見を覗いたいものである。
「やっぱりアンタは間違ってますよ」となれば、何おか言わんやではある。もしそうなら理由などお示し頂けると有り難いなーと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「春雨にホッ!」

2018年03月16日 | つれづれ噺

               
                    なんとか冬を越した葉牡丹

1月は往く、2月は逃げる、3月は去る、と昔の人は言った。
自分でもこれまでの生き方の中で、何度か同じことを感じたり、同じようなことを言っても来た。
それを改めて今年ほど強く感じたのは、ここ数年では珍しいことである。それほどに色々あったということか。

半ば自分ではまり込んだ世界なのだからグズグズ言う筋合いではないことは解ってる。それにしても、2月半ばから昨日までのおよそ1ケ月間に色んなことが重なってしもうた。記憶力の衰えが見える頭の中を整理しながら、あれやこれやをもつれさせないよう、交通整理しながら結果を出してやっとこさ今日を迎えた。3月中の予定が全て終わったわけではないし、まだまだやりたいこと、やらなきゃならん事がいっぱいある。が、取り敢えず時間に制限のある事柄だけはやり終えた、ということかな。

外は気持ちを落ち付かせるようなシットリの春雨。ほったらがしのプランターでなんとか冬を越した葉牡丹が、水を含んで深呼吸しているようだ。こんな時はたとえ下戸でも、一服の清涼剤を求める気分にさせられる。あまいねー、まだまだ未熟ねー。
そうそう、一服の清涼剤と言えば、まさに忙中閑を見つけて半日だけ、ゆったりのんびり過ごした日があったのだ。
それは、この春から高校に進学する孫のカー君と二人でお城山に登ったのだった。

途中のコンビニでお互いの好みのおにぎりや飲み物を仕入れて、時々しゃべり、時々汗を拭いて登った。
頂上の陽ざしと見晴らしの良い場所に座り込んで、おにぎり食べながら少し話をした。
「何がやりたいの?」「ウーン幾つかあってまだはっきりしていないんよ」「そりゃぁいいことだ、しっかり悩んでゆっくり決めたらいいよ」「じいちゃんの時はどんなだったん?」「じいちゃんのころはね・・・・・・」などと、次から次へ色んな話がいっぱい出て来て、本当に心安らぐジジと孫の時間が過ぎた。「また来ようぜ」「ウン、学校が始まるまでならいいよ」と、少し恩に着せられた。

所詮、孫の「ジジ孝行」みたいなひとときだったのかもしれないが、ジジにとっては大いなる息抜きとなり、その後の作業の消化の原動力になったのも間違いない。おかしなもんだねー、ちょっとしたことがエネルギーの源になることだってあるんだねー。トシかねー。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「7年の歳月が」

2018年03月11日 | ニュース・世相

                                           

あの、思い返すもおぞましい光景が今もこの目に焼き付いている。
2011年3月11日14時46分。東日本一帯を襲った大地震による津波被害。
思い出しても、とても現実のものとは思えない、パロディか劇画の世界を見ているような錯覚を起こす光景であった。

あれから早くも7年が過ぎた。記憶力の薄れがちなこの頭でも、あの未曽有の大災害は、とても忘れることなどありはしない。
むしろ、部分的には鮮やかな映像が目の奥に再現され、風化などという言葉は全く見当もつかない。
直接的な被害に遭われた一人ひとりに、それぞれの悲しい思い出は消えることがないのと同じで、遠く離れた場所からご冥福やお見舞いの気持ちを贈ることしか出来ないが、忘れるなどということはない。

今日は昼過ぎの大人数の会合に出席した。開会式を前に、全員でしっかりと黙とうを捧げた。
たったそれだけでも、気持ちの奥が少し軽くなる思いがする。それほどに被災者の気持ちを思う時「お気の毒だな~」という感慨が強い。
一日も速く立ち直って、現実と向き合う生き方をして欲しい、などとも思うがそれは、被災者個々の想いが決めること。
第三者は、発言を慎み静かに心を寄せて見守ってあげるのがいいのだろう。これも自信を持って言えることではないのだが。

ただ今年も間違いなく春が目の前にやって来ている。厳しい雪の季節を乗り越えた証である。
今年もあの清楚な「寒アヤメ」が咲いた。
  ♬ はなは花は花は咲く、いつか生まれる君のために・・・・・・ ♬  いつか立ち直る君のために・・・・・・。     合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「15才の春」

2018年03月09日 | 家族・孫話

              
               中学生活最後の学活。卒業証書授与

孫三兄弟の次男坊、カー君が中学校卒業式を迎えた。
早いというかあっと言う間というか、小中学校の9年間が夢の間に過ぎ去ったような思いが強い。
近くから常に動静を眺め、温もりが伝わる距離で、喜ばせてもらったり心配もさせられたリして来た。その割には、祖父と孫という絶妙の距離感が、ほどよいクッションの役割を果たし、何となく気楽さも味わいながらいい関係でここまで来た。

幼稚園から帰って、少しのおやつを口にすると、じいちゃんとの散歩が何よりの楽しみであったカー君。
「ジョロウグモはね、英語でコガネグモと言うんよ」と、大真面目で教えてくれた。海の公園では、米軍基地の可愛い女の子と偶然一緒に遊んだあの、小さい裸の国際交流では、別れ際に「シーユーアゲインと言うんよ」と耳打ちしたら、兄ちゃんはちゃんと言えたが、カー君は「しおあげん」とあっけらかんと言ってのける可愛い子であった。

小学校に上がる前、「東京タワーが見たい」「あそうさん(麻生内閣総理大臣)のお仕事するところが見たい」つまり国会議事堂が見たいと、ねだりにねだって、ついにジジババの重い腰を上げさせ、東京見物に連れて行かせるほどのエネルギーを持っていた。
そんな幼少期から丸9年が。15歳の春。背丈もじいちゃんに迫って来た。追い越すのに時間はかからないのだろう。

講堂の式場で校長先生から押し頂いた卒業証書を、改めて教室で、はかま姿に正装した担任の女先生から受け取る。
すっかり声変わりした低音で「皆さんありがとう、いいクラスメートに囲まれて幸せな中学生活でした・・・・・・」と挨拶をして、中学生活に別れを告げる。

さてこれからは、ある程度自分の裁量で人生を切り開くことになる。今すでにはっきりした希望や進路をきめ決めていればそれもよし。
これから、自分を見詰める中で「何がやりたいのか」を見極めるのもよし。時間はたっぷりある。焦ることはない。
ジジとしては、静かに見守る立場を貫き、彼がこの古い頭を必要としてきたときは、最大限の知恵を貸したいと思ってはいるのだが。
そんな時が来るのか来ないのか。どっちにしても今しばらく元気で応援団の一人を勤めたい。

中学校卒業おめでとう! 夢探しに汗を流せ、カー君!!

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「豊かな瀬戸の海を」

2018年03月06日 | 地域活動

           
                広島湾の将来イメージ

「ひろしま湾 春のミーティング&マルシェ2018」へのお誘いが、地域活動の社会福祉協議会事務局に舞い込んだのは2月初め。
~ 広島湾の豊かな環境づくりを考える ~トークセッションに、パネラーとして登壇依頼が来たのが2月半ば。「貴社協の『瀬戸内海を守る活動』を是非多くの人に知って頂きたい」と、自尊心をくすぐられながら半ば口説き落とされた。

「国土交通省中国地方整備局企画部広域計画課」という極めて長い、いかめしい部署が担当するお役所の仕事ではある。
昨年秋には、環境省から全国優良団体表彰を受けたばかりの我らが地区社協。むべに断る理由もないし、それなりの苦労も努力もしているのだから。ということで、どんなことになるのか、今回の活動が今後どのように発展していくのか、全てが飲み込めたわけではないが、兎に角「協力しよう」ということになった。

そうなると、先方からの情報は全て事務局に送られてくる。
一つひとつ内容を吟味しながら、自分たちの立ち位置を推し量る。なんといってもトークセッションのパネリストとして人前に立つのは初めてのこと。その上に、今回が初めての会合で、担当者も未経験。過去の例などが全くない開拓者みたいな立場。

先方の事務局担当と、メールや電話で何度も確認したり、こちらの希望を述べたり。いわゆる「自己紹介はどうするのか」「どんなトークセッション内容に発展させるのか」「パワーポイントなど画像説明が可能なのか不可なのか。」などなど事務局なりの提案をしたり思案を重ねたりした。あまりシビアな質問をすると、先方も初めてのことで全てが読み切れていない。
「よし、これまでの経験を生かして、発表内容を複数作っておくことを決意。こういった時に、「初めて」というのは、ヘタに前例に流されなくてオリジナルが通用するという利点もある。

そんなこんなで迎えた当日。「山より大きな獅子は出んよ、何とかなるじゃろう」。半ば開き直りの落ち着きで臨む。
結果的には、あれこれ準備した中の最も簡単な方法で推移した。分かりやすく丁寧に説明出来たかな、と思いたい。
我々社協活動のメインである「瀬戸内海環境保全大作戦」という大そうな名前の海岸清掃。600人も700人も集め、6~8トンの漂流物を回収する作業が、「広島湾を美しく豊かな里うみにして行こう」という構想に沿っていることは間違いない。

また一つ、いい体験・いい勉強の場を踏ませてもらって感謝である。無事終わったから言える。結構心痛した。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ぱちり」

2018年03月05日 | 家族・孫話

           
                希4才(右)と奈那8ヵ月 おじぞうさんではありません。
                             とっても仲良し姉妹で~す。  

広島を中心に展開する、地方の有力ローカル紙の一隅に「ぱちり」という写真の読者投稿欄がある。
自分で云うのもおこがましいが、息子夫婦の長女4歳と次女8か月の姉妹写真の1枚が、我ながら傑作と思える出来栄えであった。
「あどけないいい表情をしている」。これを投稿しない手はない。

肖像権はこっちの手の中。早速web発信。投稿してからおよそ3週間、今日か明日かと待ったがなかなか掲載がない。
ボツを覚悟してあきらめかけていたら、今日やっと掲載された。朝から素早い反応がいくつか寄せられた。
そう言われて改めてじっくり眺めると、カメラの腕もさることながら、モデルの表情がたまらなくいい。

そこで、気の利いた「姉妹の賛歌」などこのジジの頭に浮かべばいいのに、そうもいかない。
こんな時、浅学の悲哀と読書量の少なさを嘆く。そこでついついネットサーフィン。

        二人なら
         地獄も恐ろしくないのよ
        二人なら
         家賃は半々よ
        二人なら
         ご飯は二合よ
        二人なら
         毎日 退屈よ

    さてさてどんな将来が待っているのだろう。楽しみだね。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「姉、祥月命日」

2018年03月04日 | つれづれ噺

              

思えば1年前の3月4日。
警察官からの呼び出し電話で、顔色替えて国立岩国医療センターに駆けつけたのは、まさしく21時半を回りかけた時間であった。
救急救命室の奥のベッドに横たわる姉との無言の対面。
なんでこんなことになったのか・・・。言葉にならない。ただただ絶望感と、命の空しさがやたら胸に迫る。

警察官の「本人確認をお願いします」に始まって、順々と詳細の説明を受けた。
下り車線から上り車線がわに横断しようと、横断歩道を渡っていたところをいきなり跳ね飛ばされて。
あっけない幕切れで85歳の生涯を閉じた姉。当時76歳の高齢運転手が、過失運転致死で現行犯逮捕。

あれから1年。まさしく祥月命日の今日。ここに改めて冥福を祈るとともに、自分自身が高齢者ドライバーであることに思いを致し、ハンドルさばきのさらなる慎重たらんことをここに誓いたい。

事故発生から2カ月が過ぎた昨年5月。その時の気持ちを書いた「突然の最期」が新聞に掲載された追悼文を、改めてここに記す。

『早くに夫を亡くした姉は、85歳になっても持ち前のバイタリティと旺盛な好奇心で、忙しく元気に暮らしていた。その姿は一人暮らしを楽しんでいるようで頼もしかった。都会に住む2人の息子たちが定年を迎えたら地元に戻らせて、一緒に田舎暮らしを始めるのを夢見ていた。そんな姉をある日突然、交通事故が襲った。夢がかなうこともなく、何の前触れもないまま容赦なく命を断たれた。さぞかし無念であっただろう。
 
私たちは女4人、男2人の6人姉弟で、戦後のひもじさも高度経済成長の恩恵も体験しながら両親を助け、家族8人肩を寄せ合って生きて来た。第5子で次男坊の私は長女とは14歳、今回急逝した次女とは10歳違い。これはまるで母親が3人もいてくれるような心強い温かな幼少期であったことを思い出す。
 利発で聡明だった長女は、8人家族の中で最も早く病魔に侵された。次いで父が、兄が、母が逝った。その都度、家族姉弟が揃って、手を取り足をさすってねんごろに見送ってきただけに、一人の親族にもみとられることもなく、冷たい路上で理不尽な最期を迎えた姉がふびんでならない。
 加害者の高齢運転者に対する複雑な思いもある。ただ救われるのは、全ての面で思い通りに生きてきた姉の一生は、決して不幸ではなかったと思えることである。
四十九日法要も済ませ、納骨で夫と寄り添うことになった。子や孫たちの成長をしっかり見守ってくれることだろう。』
                   2017年5月10日 毎日新聞「男の気持ち」掲載。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい